決意表明
夢も見ない、深い眠り。
「マスター。起きて下さい。マスター」
そこにリズの声が、届く。
けれど、起きたくない。
バーゲストと一緒に寝ているのだろう。ぬくくて、もふもふで、とろけそうな幸せな時間を、たとえリズにでも、終わらせてほしくない。
後、もうちょっとまどろみの中でリズの声を聞いていたい。
「強くしすぎたとか……ないですよね。――マスター……?」
リズの声に、常にない不安が混ざった。
理由は分からねど、不安にさせたいわけではないので、返事をする。
「んー……リズがキスしてくれたら起きる……」
「……もう」
リズが私の手を取って、軽く指先に口付けた。
その感触でいっぺんに目が覚めて、ぱちりと目を開けた。
「……ほんとにしてくれるとは思わなかった……」
そして素直に起き上がると、頭を振った。
ほっぺにではないのは、甘やかし期間が終了しているからだろう。
けれど……たとえ指先にでも、私にとっては。
「心とろけそう」
「あの……マスター。なんとも、ないですか?」
「ん……? リズはいつも通り可愛いよ?」
リズがちょっと照れ顔になった。
「い、いや。そういう事じゃなくて……ええーと、記憶の混濁とか、ありませんか? 首が痛かったり、しませんか?」
「何? 寝言でも言ってた? それで、変な姿勢になってたとか?」
「そうじゃなくて……ええと……」
「あれ……。寝る前に打ち合わせしようって思ってて……」
額に手を当て、ゆっくりと記憶を探る。
「あ、はい。ラトゥース様が先程呼びに来られまして。今はレベッカと、サマルカンドとハーケンを呼びに。間もなく来られると思いますので……」
「……思い出した」
私は、リズの手を取った。
「……ま、マスター」
「ごめんねリズ」
「え?」
「つい、ね」
ついきゅんとなって。
私の中にあんな獣が潜んでいたとは。
知っていた気もするが、理性の脆さを痛感した。
……こんな名前を名乗っていて、今さら理性というのもおかしいかもしれないが。
リズが、困惑顔になる。
「え……はあ……怒らない……んですか?」
「ん? ああ……レベッカに言ってたよね。セクハラされたら、目に余るやつは『実力で抵抗して下さいね』って。今がその時でしょ」
さすさすと、首の後ろをさする。
「あの……どこか痛かったり……吐き気とか……」
「ない。で、何したの?」
少しだけ視線をさ迷わせたリズが、観念したように白状する。
「あの……手刀を……つい」
「なるほど」
頷いた。
「さすがうちの自慢の暗殺者さん。手刀で人って気絶するんだね」
フィクションでは定番技術だが、実際に見るのは初めて。
いや、手刀という事すら分からなかったし、見ていないけど。
「なんか、夢が叶ったような気がする」
「……メイドに手刀されたい願望とか……?」
「いや、そこまでマニアックな性癖は持ってない。……多分」
「多分?」
「私は、リズがしてくれる事なら、ほとんど何でも嬉しいから」
「…………」
リズが、嬉しいのか呆れているのか判別のつきかねる表情で黙り込む。
その時、ドンドン、と扉を叩く、ちょっと荒っぽいノックが聞こえた。
音がくぐもっているのは、多分その拳の持ち主が獣人で、毛に覆われているからだろう。
「おい、起きたか?」
予想通り、ラトゥースの声だった。
「あ、はい! ――ほらマスター」
リズに促され、ベッドを下りて、靴を履く。
「ああもう、こんなにぐちゃっと……させたのは私ですね」
リズが、寝乱れた私の服を軽く整えてくれる。
魔力布製の服はしわになりにくいが、一応布ではあるし、服でもあるので、そのまま寝たらぐちゃっとする事はある。
それが終わったところで、バーゲスト達にも、ローブの裏の陰に入ってもらう。
「行きますよ」
「分かったよ、リズ」
彼女の手を取って、その手の甲に、軽く口付けた。
「……今なんでキスしました!?」
小声で叫び、きっと睨み付けるリズ。
でも頬を赤くしながらだと、むしろご褒美というか。
「決意表明かな?」
「なんのですか」
微笑んだ。
「いつか、手刀されないようになってみせるってね」




