鎖の千切れる音
ラトゥースに案内された宿は、地球で言うコテージだった。
丸太を組んで作られたログハウスは、リズと二人で使う事を考えれば広い。
レベッカも一つ、そしてサマルカンドとハーケンは二人で一つコテージを割り当てられている。
ただ、それぞれの間隔が、かなり広かった。
「ではな」
「うん、レベッカ。みんなもゆっくり休んで」
「我が主。また後ほど」
「うむ。何かあればお呼びになるがよい」
「サマルカンドとハーケンも、また後でね」
さらにこのコテージ風のログハウス群は、駐屯地の中でも、人の気配がない端の方にある。
それにしては、割としっかりした作りの大きい建物だ。
「おおー。広い。ここ二人で使っていいの?」
中に入り、ぐるりと見渡した後、ラトゥースを振り返る。
「最高幹部迎えるには、狭い方かもな。ま、うちにはそういう豪華な建物は元からねえがよ」
「こういうのも好きだよ。それにほら、私はリズがいればどこでもいいしね」
「そんなだから、『年端もいかぬメイドはべらした女好きの無能』とか陰口叩かれるんだ」
「待って下さい。『年端もいかぬ』っておかしくないですか?」
リズが口を挟む。
「ま、古参って言うには若いだろ」
「軍歴がそう若いとは思わないのですが……」
「暗殺者どころか、軍人だって知らないやつもいるんだ。仕方ねえだろうよ」
「大体、私そういうメイドじゃありませんからね」
「よーく知ってるよ。……こいつのお目付役は……大変だろうな」
そんな優しい表情出来たんだ、というぐらい、慈愛に溢れた目でリズを見るラトゥース。
「……ええ。最高幹部就任以前よりお側にいる、私にしか務まりませんよ」
リズもまた、微笑んだ。
「ま、今こいつを無能って言う奴が、有能だとは思えねえな」
「全くです」
ラトゥースが軽く言い、リズが深く頷く。
確かに。
私を非道と罵るなら、甘んじて受けよう。
馬鹿と言われても、女好きと言われても、否定は出来ない。
それでも私は、確かな功績を積んだ。
手段の是非を問い、また、顔を見せず、種族も未だ公式には明かさぬ私を信じられぬと言うならばともかく。
無能というそしりが"病毒の王"に似合うと思うほど、私は馬鹿ではない。
「ところでラトゥース様。この建物……その……」
「あ? メイドの嬢ちゃんは知ってたか……。まあ気にすんな。知ってんなら分かると思うが、建物と内装は上等だし、日頃から綺麗にはしてある」
「はあ……」
どこか浮かない顔のリズ。
「夕食時には迎えに来るからよ。大人しくしとけよ」
「"第三軍"の本拠地で、何をどう暴れろと」
「暴れろとは言ってねえよ」
ラトゥースがため息をつく。
「評判はよくなってきてるが、それでも、うちにはお前を嫌いな奴らも多いんだ。無用なトラブルはごめんだぞ」
ラトゥースが、アイティースをちらっと見る。
「何かあっても、なるべく傷付けないようにするよ」
「言う順番が逆だ。まずてめえが傷付けられないようにしやがれ」
「ラトゥース様。それは……我らが」
不機嫌になったラトゥースを、リズがなだめる。
「まあな。手は出さねえようにきつく言ってある。何かあれば俺の名を出せよ」
私は微笑んで頷いた。
「分かったよ、ラトゥース。ありがとね」
「ったく……本当に分かってやがんのかねこいつは……」
ラトゥースがアイティースと共に去った後、私は改めてコテージの内装を眺める。
最初二階建てかと思ったぐらい天井が高く、開放的な建物だ。
窓が小さめなのは、寒さ対策か、強度の問題か、それとも両方だろうか。
今は分厚いカーテンが引かれているが、暗くはない。
ラトゥースは豪華な建物ではないと言ったが、光に揺らぎのない魔力灯が灯り、大きな暖炉がしつらえられ、パチパチと火が燃えている。
しかも、薪が積まれていない。
術式の刻み込まれた石版の上に、燃料もなしに炎が燃えている。
魔力式暖炉だ。
うちにも、「マスターに変に手を出されて火傷されてはたまりませんので」という理由で備えられているが、作るのにも時間とお金がかかるし、高級品だ。
その上、技術的な問題で大きいし、火は燃やすので煙突自体は必要だし、魔力の消費量も多いわで、森林資源が豊富で、薪の安いリストレアにおいては、中々メジャーにはならないだろう品だ。
そもそも、防寒もある程度魔法――具体的には"冷気耐性付与"とか――で、補えてしまう。
不意に付与された術式自体が失われたり、魔力を切らす危険性を考えれば、確かにこの大陸北方であるリストレア魔王国において、それらに頼り切るのは危険なのだが、普通の暖炉でも十分足りる。
将来――軍事に多くの予算を割く必要がなくなり、攻撃魔法の必要性が下がった未来では、製作系に熟練した魔法使いも増えるだろう。
そうしたら、これは、地球の便利な家電製品のように、一般家庭に普及していくのだろうか。
そしていつか……地球と同じように……技術で自然を食い潰していく世界になるのだろうか。
この世界も。
「……ベッドも大きいね」
ふと心に忍び込んだ、未来への不安を振り払うように、私は努めて明るい声を出した。
「枕二つだけど、ベッドは普通の二つ分より大きいよね? それに毛皮おっきい……あ、これリベリットシープ?」
近付いて、シーツの上にさらに敷かれている、毛足の長く、柔らかで肌触りのよい灰色の毛皮を撫でる。
それは、リベリット村で見て触れた毛皮によく似ていた。
――が、大きい。
「ええ、多分そうでしょう。これほどのサイズになると、なめすのに手間が掛かりますし、普通は小分けにされるんですけどね」
「こういうとこに来たらさ、やってみたい事があるよね」
「……マスター、この建物がどういう風に使われるか知って」
リズの言葉が終わる前に、私は靴を脱いで、ぼふん、とベッドに敷かれた毛皮の上に飛び込んでいた。
「あーもふもふ……おいでお前達」
深緑のローブの裾を持って、ばさばさと振り、バーゲスト達を解放する。
そのまま、十五匹のバーゲスト達にたかられて、リベリットシープの毛皮に勝るとも劣らない、バーゲスト毛百パーセントが保証された黒い毛皮の感触を手や頬で、余す所なく堪能する。
「……よく、よそでそんなにくつろげますね」
「リズも、この子達もいるもの」
ここは、よその陣営の、一夜の仮宿だ。
確かに、うち――与えられた屋敷の、自室は落ち着く。
けれど、私にとっての居場所とは、具体的な場所ではなく……彼女のいる所だと、信じている。
「リズも来ない? 夕食までに、話さなきゃならない事もあるし」
「……なんですか、それは?」
何故か、妙に警戒した様子のリズ。
「え? カトラルさんが言ってた小さい群れにどんな風に対応するかとか……そういうお仕事の話だけど……」
「あ、そういう」
何故か、ほっとした様子のリズ。
彼女も靴を脱いで、ベッドに上がってくる。
何匹かじゃれつくバーゲストを軽く撫でてあしらいながら、私の隣に来て、寝転んだ。
近い距離にある彼女と、顔を合わせる。
「ところでリズ」
「なんですか?」
「さっき言いかけてたけど、ここって何か特別な建物なの?」
リズの笑顔が、固まった。
「……全部分かって聞いてるとか、ないですよね?」
「そういう事をする時もあるかもだけど、今は違う」
「……ここは、ですね。多分……獣人達にとって、功績を上げた者や、新婚の夫婦なんかが使う建物でして」
よく分からない組み合わせ。
そしてリズの顔が赤いし、いつになく歯切れが悪い。
「……周りを気にせず、その……『そういう事』をするための建物です」
「なるほど、子作り部屋」
道理で、他の建物と離れた、豪華でムーディーな建物だと。
「マスター……恥じらいって持ってます?」
リズが湿度の高い目で私を見た。
「それはあるけど、変に恥ずかしがると、そっちの方が恥ずかしいよ? 後、可愛いよ?」
「どういう繋がりがあるんですかね?」
「それはリズの照れ顔がちょっと可愛すぎて」
リズが黙り込む。
その顔が可愛くて、私は畳みかけた。
「せっかくそういう場所なんだから子作りする?」
「女同士でどうやって子作りするつもりなんですか?」
「そういう魔法ないの?」
「私は知りませんが、魔法は万能じゃありませんからね」
もっともだ。
リズが、頬を赤らめながら、ちょっと目をそらして、呟いた。
「……私が頷いたら、どうするつもりなんですかねこのマスターは」
心の中で、鎖が千切れる音がした。
思わず、リズをぎゅっと抱きしめる。
「ふわっ!?」
「あー、リズ……好きだよ」
ぎゅーっと、抱きしめる。
全身が熱くなって。
愛おしさが、溢れて。
彼女の、長い耳をよけて首筋に顔を埋めると、赤いマフラーを軽く噛んで引っ張ってはだけさせ、健康的な褐色肌に、吸い付くように口付けた。
「っ――……!」
抱きしめているリズの体温が、全身の血が沸騰したように、急激に上がるのを感じる。
そして、声にならない声が、耳に届いて。
とん、と首筋に軽い衝撃を感じた後は、何も分からなくなった。




