有翼獣
「……おしゃべりが過ぎたな。こっちだ」
素っ気なく言い捨てて、くるりと踵を返すアイティース。
そして、扉の開け放たれた魔獣舎に入り、中に向けて叫んだ。
「カトラル様! ――"第六軍"のやつらを連れてきた!」
「アイティース。『やつら』などと、"第六軍"のお客様に失礼でしょう」
魔獣舎の中の暗がりから返ってきた声は、物静かだが、剣呑な響きを微量に含んでいた。
鞘に収められた鋭い真剣を思わせるような声だ。
「え、いや、あの」
「私は気にしておりません。アイティースを責めないでやって下さい。彼女とは少々……面識がありまして」
口ごもるアイティースを、かばうように一歩前に出る。
そして胸に手を当てながら、軽く頭を下げた。
「"病毒の王"と申します。"第三軍"の"魔獣師団"、師団長のカトラルさんにお会い出来て嬉しく思います」
「こちらこそ。ご存知のようですが、魔獣師団の師団長、カトラルと申します」
魔獣舎から出てきたのは、ブリジットと同じ軍服姿の女性だ。
ブリジットとは違い、腰に下げているのは短剣だけで、腕の部隊章は"第三軍"の、爪痕を模した三本線。
彼女は、挨拶と共に深々と頭を下げた。
そうすると、頭のてっぺんから突き出す黒い猫耳と、後ろで緩い三つ編みにまとめられて、左肩に垂らされている長い黒髪が揺れた。
アイティースのものよりさらに薄い緑の瞳が私をまっすぐに見る。
「ゆっくりとお話したいところではありますが、体調を崩している魔獣がおりまして……この先は礼儀はなるべくなし、という事でお願い出来ればと思うのですが……」
「分かりました。では用件を。こちらの要望は三つ」
軽く手を突き出して、指を三本立てた。
「まず黒妖犬の発見・捕獲に関する手段があれば、お教え願いたい」
指を一本折る。
「次に、"第三軍"が把握している限りの、国内の黒妖犬の分布が知りたい」
指を二本折る。
「最後に、なるべく速い『足』が欲しい。具体的に言えば、少なくとも二人、最大で五人程度を乗せて移動出来る魔獣をお借りしたい」
三本目の指を折った。
「簡潔で助かります。一つ目に関しては、後でお話させて頂きましょう。ただ、特別な事はなく、純粋に人海戦術と、力ずくになりますね」
"第三軍"の魔獣師団でもそんなものか。
まあ黒妖犬は、"第三軍"魔獣師団に組み込まれている魔獣ではない。
「二つ目は、あまりお力になれそうもありません。先日、近くで数匹の群れを見かけたという報告を受けたのみです」
「それで十分です。――その群れに関しては、こちらで対応させて頂きたい」
「分かりました。ラトゥース様の許可があれば、ですが……」
「ああ。うちからも人は出す事になるだろうが、構わねえ」
ラトゥースが軽く頷く。
ああ、トップ同士でさくさく話を進められる幸せ。
「三つ目は、お力になれるでしょう。見てもらった方が早いかもしれませんね。こちらに……」
案内された先にうずくまっていた黒い影が、首を巡らせる。
こちらを見るのは、鋭い猛禽の眼光。
ばさり、と茶色のまだらになった羽毛を持つ鷲の翼が広げられる。
顔は鷲そのものだし、『前足』もまた、猛禽の爪を有している。
しかし鳥ではない。
四つ足の鳥など、いない。
『後ろ足』は、獅子の物だ。
胸の下辺りまで羽毛に覆われ、下半身はライオンの物になっている。
尻尾もまた、先端だけふさふさした毛があるライオンの物だ。
私の口から、それの名がこぼれ落ちた。
「グリフォン……」
それは、私の世界では神話の領域に住まう、四つ足の合成有翼獣だった。
「はい、グリフォンです」
カトラルさんが頷いて、肯定する。
「乗り手の後ろに……そうですね。種族や体格によりますが、三人から四人ほどは乗れるでしょう。数に余裕がないので、出来ればお貸しするのは一騎のみとしたいですが……」
「私とマスターは前提として……」
リズが残りの三人を見やる。
「本格的な活動となれば、私とハーケンが留守番、というのがいいだろうな。不死生物の身では、黒妖犬相手は分が悪い。サマルカンドなら魔力反応の感知能力も高いし、リズと組めば、どんな状況も対応出来るだろう」
「サマルカンド、ハーケン。異存は?」
「あろうはずがございません。必ずやお役に立って見せましょう」
「ない。レベッカ殿の意見は合理的ゆえ、な」
「あなたと、"病毒の王"様を含む三人ならば、悪魔の方を乗せても十分飛べるでしょう。そういう事でよろしいですか?」
「はい。ところで、この子触ってもいいですか?」
「え? まあ……構いませんが……?」
とりあえず走り寄って、羽毛に覆われた胸に抱きついた。
「鳥の羽毛って新感覚!」
「……ってマスター! 待って下さい!」
「もふっとしてるけどちょっと油っぽい。筋肉もみっちり。よく飛べますね」
「羽が油っぽいのは、雨でも飛ぶ力を失わないためのコーティングですね。風系の魔法を併用して飛んでいますが、翼の筋肉も強いですし、鱗がない分、速力ならレッサードラゴンよりも上ですよ。乗り手が一人の場合、というのが前提ですが」
「へえ」
そこまで聞いたところで、リズにフードを掴まれて、グリフォンから引き剥がされた。
「何が『へえ』ですか! ろくに身体強化も出来ないくせに、魔獣種になんでそんな無防備に近付けるんです!?」
「え、だってカトラルさんに許可貰ったし……危ない事があれば絶対にリズが止めてくれるし」
「あまりの事に脳が止まりましたよ。もう少し慎重な行動というものを心がけて下さいますか?」
「分かったよ、リズ」
リズが、カトラルさんに一礼する。
「ありがとうございます。ちゃんと制御下に置いてくれて」
「いいえ。うちのリーフを気に入ってくれたようで」
「この子、リーフっていうんですか?」
「ええ。この子を含めた八騎が、現在最も速い連絡手段として、リストレアの空を飛んでおります。後はまだ雛が五羽、ですね」
グリフォンは、そこまで数が多い魔獣ではないし、成長速度も遅めだ。
雛の段階から仕込まないと慣らせないが、飼育下での繁殖はまだ成功していないとも聞く。
魔獣としての強さもあくまでそこそこで、"ドラゴンナイト"対抗の折にも名前は挙がったが、ドラゴンとは比べるべくもない。
足の速い連絡手段といっても、季節や地域によっては、馬車や、身体強化した伝書使の方が適している場合もある。
重宝されつつも、数が少ないのにはそれなりに理由があるという事だ。
カトラルさんが尋ねた。
「"病毒の王"様は、動物がお好きなのですか?」
「可愛いやつはだいたい好きです。後、美味しいやつも大好きです」
「正直すぎますよ」
リズが冷めた目で突っ込むが、カトラルさんは笑った。
「私もですわ。全ての生き物を愛するなど、出来ませんもの」
どこかに、線を引く必要がある。
カトラルさんは、動物好きなのだろう。
間違いなく、魔獣師団として飼育している魔獣に、愛情を注いでいるのだろう。
グリフォンを見る目は優しいし、体調の悪い魔獣を気遣う様子も見せていた。
私と同じく、『役に立つ』動物を、愛している。
私は、それを悪だとは、思わない。
明確な線を引き、線の『こちら側』を愛する事は、実に当たり前の事だ。
地球でも、チーターやユキヒョウなど、美しく愛らしい猫科動物の保護に募金は集まりやすいが、カエルの繁殖地を保護する運動に募金は中々集まらない。
カトラルさんが、笑顔のまま背筋を伸ばし、ぴしりと姿勢を正した。
「魔獣師団としては、"第六軍"に、可能な限り協力いたしましょう。追加の要望などあれば、遠慮なく仰って下さいませ」




