バーゲストの群れ
「……バーゲストの、群れ?」
朝食を終えて、そのままリズが淹れてくれた食後のお茶を飲みながら、私はレベッカの話を聞いていた。
「ああ、大きめの群れが死霊軍の本部付近で目撃されたそうだ。数は不明だが、少なくとも二十から三十ほど。死霊軍にとっては、厄介な相手だ」
"第四軍"、死霊軍。
リストレア魔王国でも、もっとも特殊な立ち位置の軍と言えるかもしれない。
所属するのは、ほぼ不死生物。
リストレア以外の国は、アンデッドにあらゆる権利を認めていない。
生存権は当然として、全ての権利は、生者のものというわけだ。
しかしリストレアにおいては、アンデッドの『存在』が認められる。
その条件が、死霊軍への所属であり、存在を保つために必要な生命力を対価にした労働だ。
……実は、元人間も一定数いる部署だ。
人間国家で自然発生した不死生物は、ほとんどが国内で狩られるが、ごく少数、生き延びるアンデッドがいる。
逃げ延びた者を迎える事もあるし、強大な存在の噂があれば、スカウトが行く事もあると聞く。
"第六軍"の暗殺班――擬態扇動班と併せた『現地活動班』という概念に理解を示し、人員を提供してもらっているのは、そういう下地があっての事だ。
死霊軍の本部があるのは"荒れ地"。
元々、土地が痩せていて人の住まない地域だったが、死霊軍が本格的に駐留してからは草木の生えぬ荒れ地と化したという。
不死生物とは、そういうものなのだ。
そして不死生物にとって、黒妖犬は天敵と言える。
共に魔力を吸収する能力を持つという点ではよく似ているが、能力だけで比べるならば、バーゲストが圧倒的に強い。
これは、アンデッドが『生者の魔力』……生命力のようなものしか吸えない事に由来する。
意志を持たぬアンデッド同士が通常争わないのは、同族であるという事よりも、お互いの魔力を吸えず、獲物ではないという理由が大きい。
対してバーゲストの魔力吸収は、特に相手を選ばない。
魔力を吸収する能力を持ち、吸い返す事も出来ないとなれば、魔力で存在を維持しているアンデッド達にとっては、優位を生かせない嫌な相手だ。
「とはいえ、緊急ではない。黒妖犬は賢い魔獣だからな。死霊軍はもちろん、そうそうリストレアの住人に喧嘩は売らないだろうさ」
「じゃあ、どうして私に?」
足下に控えている、一匹のバーゲストの頭を撫でる。
鼻面をこすりつけてくるのが嬉しくて、そのまま顎下をさすさすと撫でた。
レベッカが、幾分呆れ顔になる。
「……この国で、バーゲストの問題といえば、"病毒の王"が適任だろうよ」
「なんで?」
「その姿が答えだと思うが」
「レベッカは難しい事を言うねえ」
膝の上にぽふっ、と頭を載せてきたバーゲストを、わしわしと撫で倒した。
「だから、そういうの普通は出来ないんだってば」
「まだ誰も? ――成功してない?」
私は、特別な事をしていない。
ただ、この子達が恐ろしい魔獣だと知る前から、頭を撫でたり、腹毛をさすったり、首筋をぎゅっと抱きしめたりしただけだ。
「少なくとも、報告は入っていない。……もし、『少しも恐れず、愛情を注いで優しく声を掛け、身体に触れる』というのが黒妖犬の従属条件と言うならば……それを満たせるものなど、この世界にはいないだろうよ」
「子供とかは?」
「この国で、子供を管理下にあるバーゲストに近付ける親がいたら、場合によっては犯罪だぞ。それにほら、この前来た子達いたろ?」
「いたね」
「敷地内には入ろうとしなかったと思うが、どうだ?」
「そうだね。扉の、鉄柵の隙間から覗いてた。それも、あんまり近付かないようにして」
「ならば黒妖犬については、基本を守っていたという事だ。バーゲストだけの話ではないが、よその……特に貴族や軍施設の敷地内には、絶対無断で入るな……とな。出来れば"病毒の王"の館に近付かない方も守ってほしかったが。……黒妖犬の恐ろしさは、子供でさえ知っている」
「……そう」
バーゲストは、れっきとした魔獣だ。
単独で中堅。群れを作れば――数による。
さらに、うちのバーゲストは、命令を理解する。
ある程度の意思の疎通も可能。現地活動班との連携は素晴らしく、効果は絶大。
暗殺班が、ドラゴンナイト以来――バーゲスト以外の――被害を出していないのは、それゆえだ。
報告の折には増強の要望が最早定型文の域で挿入される。
しかも、どこかで情報が漏れたらしい。
私が気に入ったのをどこで聞きつけたのか、報告書に肉球スタンプが押されるようになっている。
可愛すぎて、要求を二つ返事で受け入れたくなるが、ない袖は振れないのだ。
私が袖を振れば、ローブの陰に仕込まれているバーゲストが出てくるが、現在十五匹。
私の護衛でもあり、ある程度の数を維持していないと強さが落ちる。
たまにいつの間にか増えているが、増加速度はゆっくりで、とても要望の数には追いつかない。
そんな魔獣を、愛玩犬のように扱える存在など、この世界にはいない。
――この世界には。
私はそういう事知らなかったし。
異世界転移後の寂しさや不安もあったので、どれだけ、この黒犬さん達のもふもふさに癒やされた事か。
しかし。
「現地活動班は? この子達の価値を誰よりよく理解しているし、愛情も、あっておかしくないはずだけど」
「現地でも増えているが、おそらくは犠牲者の魔力吸収によるもの、との事だ。現時点では、戦闘時以外で増えたという報告は上がっていない。……価値を理解しすぎているせい、かもしれないな」
「……うん」
この子達は『便利な道具』だ。
リストレア魔王国は、ダークエルフと、獣人と、不死生物と、悪魔と、竜に、平等な権利が与えられた国。
けれどこの国においては、黒妖犬はただの番犬であり……道具だ。
国民に対しての同意なき使用は、そのまま犯罪である精神魔法さえ使用される。
そんなものを使わねば、縛れない。
私達とは、明確に違う生き物なのだ。
そんな違いが、悲しくて。
もう、私とこの子達の間に精神魔法はない。
けれど、この子達は何からも解放されていない。
ただ、鎖が痛いものではなくなったというだけだ。
この子達に、戦いのない世界を与えてあげたいと思いつつも、私は明確に順列を付けている。
少なくとも、群体型の魔獣である以上、最後の一匹になるまでは、私はこの子達を『便利な道具』として『可愛い部下』達の被害を軽減するために『使う』。
きっと最後の一匹さえ……今この食堂に集う、序列第五位までの部下や、クラリオンのような幹部級メンバーの命のためならば、差し出すだろう。
そんな事は、この子達には分かっている事なのだ。
群れの繋がりは、魔法的なもの。
私はこの群れの最上位。
嘘など、つけない。
それでも私の膝に頭を預ける姿が、愛おしくて。
私は、膝の上の黒犬さんの頭を、がしがしと強めに撫でた。




