特別な幸福
「よろしいか」
ノックの後に聞こえた声は、レベッカの物だった。
「いいよ、レベッカ」
レベッカが入室する。
「失礼する。……本当によかったのか?」
「なんで?」
「リズの顔が赤い」
「赤くないです」
「いや、赤いぞ」
「大丈夫だよ。ちょっと褒められてただけだから」
「ああ、帝国近衛兵の件か」
レベッカが頷く。
そして、なんとも言えない表情になった。
「……その……聞いてもいいか」
「いいよ。お姉さんになんでも聞いてみなさい」
と言ったものの、レベッカが聞きたい事に心当たりがない。
本当になんだろ。
「お前は、本当に人間なんだよな?」
予想の斜め上だった。
「ねえ、どういう意味だと思う?」
「あまりにもド外道で血の気が引いたって意味じゃないですか? 擬態扇動班でも、外道さに一段と磨きが掛かったと評判です」
「何それ。初耳なんだけど」
薄々はっきり察していたけど。
「聞かせない方がいいかと思いましたので」
「うちの副官さんは優しいね……今言ったら意味ないような気がするけど」
気持ちを切り替えると、笑顔になって椅子から立ち上がった。
「ねえ、レベッカ。確かめてみる?」
「は?」
「――私が、人間かどうか」
柔らかい絨毯の上を、一歩一歩、ゆっくりと歩く。
レベッカが、腰のホルダーから短杖を引き抜いた。
「レベッカ。魔法の使用は許可出来ません」
ぴくり、とレベッカの手が震えた。
しかしワンドをホルダーに戻す事はせず、近付く私を見つめる。
その瞳に見え隠れするのは――未知のものへの、怯え。
私は、レベッカから後一歩の所で止まった。
そして手を伸ばし、彼女の顎に人差し指をかけ、くい、と視線を上げさせる。
「主にベッドの中で」
「一瞬でもあんな疑問を抱いた私がバカだったよ!」
レベッカが人差し指を捻り上げた。
「痛い痛い。レベッカ、それやめて。この世界に優しさがなかったら折れてる」
「全くこのマスターは、最低の人間だな……」
指を離しながら吐き捨てられた言葉は、さっきリズに貰った言葉とよく似ているのに、込められた毒の量が致死量レベル。
「というか、もしレベッカが頷いたらどうする気だったんです?」
「それはもうベッドに行くしか」
ワンドが正確に私の額に突きつけられる。
ぽうっ……と青白い鬼火が杖の先端に灯った。
「レベッカ。治癒限界を超える攻撃魔法の使用は許可出来ません」
「待って、リズ。規制が緩い」
「マスター。私は、軍規に忠実なタイプの軍人だがな?」
一言一言に、鉄の重みを感じる。
「うん。よく知ってる」
「必要なら"上官殺し"の二つ名を得る事も辞さん。覚えておけ」
「うーん。そこは"病毒殺し"とかどう?」
「……やっていいかリズ」
「治癒限界を超えないように」
「だから待ってリズ、レベッカ。あわよくばという気持ちはあるけどただの冗談だから」
両手を軽く上げて降参のポーズを取る。
しかし、二人の視線は冷たい。
「セクハラは冗談で済まない時もある、という事を一度覚えていただいた方がよろしいかと」
「ああ。リズ一人で満足していればいいものを」
「……あの、レベッカ?」
「なんだ」
「なんですか私一人で満足って」
「言葉通りの意味だが?」
「私はマスターを満足させた事とか、ありませんけど!?」
「……ああ、主導権はリズか」
「耳年増さんだね」
じろりとレベッカが私をやぶ睨む。
「……はあ」
レベッカが、ワンドの先端の鬼火を消した。
腰のホルダーにしまう。
「今回は冗談で済ませてやる。帝国近衛兵を壊滅させた功績に免じてな」
さすがレベッカ。釘を刺しつつ、落とし所を探っていたのだろう。
しかし、その程度で懲りる私ではない。
「それはつまり、軍功一つごとにセクハラ一回OKって事かな?」
「随分とアクロバティックな解釈ですね」
「……実際、セクハラ一回でこのレベルの軍功を上げられる軍人は、軍にとって喉から手が出るほど欲しい人材な気はするがな」
「それは否定しませんが」
「頼むなリズ」
「頼まれませんよ」
「頼まれないの?」
「頼まれません!」
きっぱりと断言するリズ。
「じゃあ添い寝は?」
「え、それ……は……」
視線をさまよわせるリズ。
レベッカが目をそらした。
「私を見るな。痴話喧嘩は二人でやれ」
「だから痴話喧嘩じゃないんですってば」
「じゃあなおさらだ。仮にも護衛だろう。お前ほどの実力があれば、はねつけるなど容易い事だ」
「それはそうなんですけど。でもマスターに本気で機嫌損ねられても困るじゃないですか」
「それはそうだが。まあその辺は色々と天秤に掛けて頑張れ。私は国のために体を差し出せと強制するほど外道ではないが……」
「私もそんな外道じゃないんだけどねえ」
「え、違うのか?」
純粋な疑問が刃のよう。
「私、本気でエロい事した?」
「……してません」
「……一応、していない」
「ね?」
「頷く所だと思います……?」
「微妙な所だな……」
「二人共。前にも言ったけど、そういう相談は普通は、本人に聞こえない所でするもんだよ」
まあ、信頼の証と言えなくもない。
私をにっこりと笑った。
「私自身を、好きになってほしいからね」
――きっと、私が望めば、事は簡単だろう。
極端に言えば、リズがメイド服を着ているのは、そういう事情だ。
陛下は、私の要望に応えた。
私の機嫌を、損ねないため。
限界は、あるだろう。
けれど。
五指に入るとはいえ、暗殺者一人と、"病毒の王"の功績全てを、天秤に掛けたならば。
誰もが、天秤を私に傾ける。
多分、リズでさえ。
私が積んだのは、それほどの物。
私が得たのは、それほどの名前。
私は、"病毒の王"。
……けれど、『私』は、それだけでは、ないのだ。
今の私は、この名前しか持っていないけれど。
この世界に来る時に、忘れてしまった名前が、ある。
その『私』は、セクハラとか大嫌いだ。
無理矢理手籠めとか、生理的に無理。
されるのはもちろんだが、する方も。
だから、私はこんな風に彼女達とじゃれあっている。
それはまあ、現代日本でやったらセクハラなのだろうけれど。
それぐらいは、許される立場で。
それぐらいは、許される関係を本人達とも、築いていて。
その『特別』を確かめる時、私は確かに幸福を感じるのだ。
「じゃあ、二人共添い寝してね」
「え、二人共ですか?」
「あ、二人きりがいい?」
「……別にそんな事はないです」
「なあ、私の意志は?」
「――レベッカが、決めていいよ」
微笑んで見せた。
「安心して。私は仕事のモチベーションを日々の潤いで保つタイプだけど、レベッカが拒否したからといって、何かしたり、逆にしなかったりしないから」
「そこまで聞いて安心出来るか」
レベッカがため息をつく。
「……添い寝だけだぞ。後、しっかり寝ておけ。倒れられてはかなわん」
「うん」
みんなで寝間着に着替え、左にリズ、右にレベッカで川の字になる。
大きな天蓋ベッドで、タイプの違う美少女二人が添い寝してくれる幸せ。
隣にぬくもりを感じるだけで、それはそれは心が満たされる。
しかし本当に人間とは愚かしい生き物だ。
今の幸福で立ち止まる事が出来ない。
リズが躊躇いがちに手を伸ばしてきたので、素早く布団の下の腕を絡めて、捕まえた。
そして布団から出ている指を絡めて、捕獲完了する。
「ま、マスター!?」
「少しだけこうしてちゃ……だめ?」
しばらく口をぱくぱくさせていたリズが、頬を赤くしてちょっと目をそらす。
「……だめじゃ、ないです」
思わず頬が緩む。
その緩みとは対照的に、お互いにぎゅっと握り込んだ指同士が固く噛み合わせられた。
じわじわと熱を増していくのは、リズなのか、私なのか、あるいは両方か、どれだろう。
今が冬で良かった。
しばらくそうしていたが、ちょっと無理な体勢で捕まえていたので、一度指をほどいて、布団の中で改めて、緩く手を繋ぎ合う。
「……お邪魔か?」
「いや、むしろいて。私の理性のためにも」
私は返事をしながら、反対隣のレベッカの方を見た。
「ところでレベッカ」
「なんだ?」
「用事があって来たんじゃ?」
「……明日でいい」
「用件を聞くぐらいなら、今でもいいよ」
「……そうか」
レベッカが、一度目を閉じた。
そして目を開いた時には、その瞳には先程までのお遊びは欠片もない。
「私の元上官、"第四軍"死霊軍総帥にして魔王軍最高幹部、"上位死霊"エルドリッチ様から、招待が来ている」
安眠は、無理かも。




