人類存続よりも大事なもの
ペルテ帝国の誇る最高戦力"帝国近衛兵"は、ほぼ壊滅した。
命の価値に、平等など存在しない。
帝国にとっては帝国近衛兵が最も重い命の価値を持つ。
――皇帝よりも、だ。
命は、尊いから。
それを守るだけの力が、必然的に価値を持つ。
彼らインペリアルガードは、それを叩き込まれていたはずなのに。
帝国のために戦う。
それこそが、インペリアルガードであったはずなのに。
彼らは間違えた。
皇帝とは所詮帝国の象徴であり、実質的には選帝侯こそが国を真に率いてきた。
選帝侯達は、むしろ皇帝を慮ったとさえ言えるだろう。
次期皇帝候補は、帝国を任せるには頼りないか、未だ幼少の者ばかり。
現在の皇帝は老齢であり、体力も……思考力も、衰えている。
そしてそれは、皇帝本人もまた、理解している事なのだ。
皇帝をないがしろにした人間など、誰もいない。
まあ、選帝侯達が勝ちもしないうちから『戦後』を見据えてギスギスしていたのは事実だが。
私は今回は、嘘はついていないのだ。
ただ、『事実』をことさらに強調した。
(皇帝は離宮にて静養中で、情報漏洩の危険もあって)
皇帝ではなく選帝侯達が帝国近衛兵に命令を下している事。
(大商人の保有する交易ルートが補給の生命線だから)
大商人を一般市民よりも優先して護衛している事。
(環境が劣悪なのは事実だが、それでも"病毒の王"の脅威に晒されている農村部よりはマシだったりする)
環境が劣悪なスラムが、近年都市部に発生している事。
(実は反乱を扇動したのは"病毒の王"直属の擬態扇動班だったりする)
帝国近衛兵の肉親が反乱に参加した事。
(捜査情報の漏洩や、報告が上に行かないようにしたりして擬態扇動班が規模拡大を手助けした)
"真のインペリアルガード"と呼ばれる反政府組織が規模を拡大している事。
("病毒の王"の暗殺班が暴れ回っているから)
国民の暮らしぶりは以前とは比べ物にならず、不満は頂点に達しようとしている事――
全て、"病毒の王"が悪いのだ。
もっと言えば、戦争をしているのが悪い。
私達に対して有効な手を打てていないのが悪い。
決して、『皇帝陛下をないがしろにしているから』悪いんじゃない。
『選帝侯達が命令を出しているから』悪いのでもない。
敵国の人間だからこそ客観的に見る事が出来るが、全面攻勢を選ばない事以外は、別に悪い命令は出していない。
知りようもなかった情報もある。
それでも、仮にもかなりの情報にアクセス出来る上級軍人である帝国近衛兵が、冷静に情報を集め、全体を俯瞰すれば、取るべきは反乱などではなかった。
一言で言えば、情と雰囲気に流されただけの話だ。
帝国近衛兵は、皇帝陛下のため、帝国のため、と教え込まれて育つ。
果てしない訓練を、洗脳染みた目的付けと、絆という名の連帯感を叩き込む事で耐えさせる。
最高の環境。
地獄の訓練。
高貴な理想。
国内の反乱鎮圧に、ちょくちょく発生する不死生物退治にと便利使いされ、その結果、人間国家でも有数の実戦経験を経た精鋭部隊。
ペルテ帝国にとって帝国近衛兵とは、リストレア魔王国に対する――正確に言えば、国外の脅威全てに対する、切り札だった。
選抜育成により素質は保証され、後は開花を待つばかりの花たち。
惜しむらくは、温室栽培だった事。
奴隷時代さえ、あつらえられた温室だ。
幼少期より才能を見出し、育成するというシステムゆえに、彼らには普通の人間関係が足りていない。
そして、皇帝と帝国に忠誠を誓う以外の価値観も、思考回路も、何一つ持ち合わせていない。
最精鋭の帝国近衛兵より、一般国民が質素な……もっと言ってしまえば劣悪な環境で暮らしているのは、当たり前の事。
彼らを守るためにいるのだ。
絶滅戦争をしている以上、最優先は戦闘力。
帝国近衛兵が遊んでいるわけでもない。
仮に"帝国近衛兵"というシステムがなく、彼らが一人もいなかったなら、リストレア魔王国はもっと楽に戦えただろう。
帝国が地図から消えていても、おかしくない。
皇帝直属近衛兵という立場ゆえ、国内防衛や反乱の鎮圧がメインで、リストレア魔王国に対する最前線に立っていたとは言いがたいが、今でも都市部防衛は彼らの存在が大きい。
いやほんと、帝国近衛兵がいなかったら、あの穀倉地帯とか商業都市とかオアシス都市とか、色々攻撃したい目標がよりどりみどり。
今回の事で、帝国近衛兵は大きく数を減らした。
約二十人、残存の全てが、帝都に集結している。
この二十人だけで、帝都中枢は守り切れるだろう。
その他は、以前のようには、守れない。
うちも人員不足だし、危機感を煽り過ぎると全面攻勢に傾いてしまうので、バランス感覚が必要なのが辛い所だが。
私は、リズに聞いた。
「こっちの強硬派は?」
「息してません、大丈夫ですよ」
「……あの、物理的にじゃないよね?」
「はい。陛下はもちろん、ラトゥース様とブリジット姉様を筆頭に、最高幹部は全員分かってます。――あなたが、鍵だと」
「その信頼も重いんだけど……まあ、上の方の頭がいいのは、人間達より楽なとこだね」
陛下は有り難い上司だ。
杓子定規ではなく柔軟で、でも締めるべき所はきちんとする。
……信頼を、言葉でもくれる。
「マスターが人間側にいたらと思うと、ぞっとしますよ」
「私、多分何も出来ないよ?」
「どの口が言いますか。何の後ろ盾もなしに最高幹部と知り合って、魔王陛下に謁見して、進言した策を実行したら大戦果上げてるような人じゃないですか」
「それは、この国だから」
顔を伏せた。
「そもそもこの世界に来た経緯からいっても、人間に味方するのは……ね」
私がこの世界の人間に味方する理由など、何一つない。
「人間の小娘が信頼されるとも、思えないし」
「いや、その『人間の小娘』が魔王軍最高幹部じゃないですか」
「――『魔族の中の人間の小娘』と、『人間の中の人間の小娘』は随分と違うんだよ」
「はあ……」
「それに、人間の世界で、私が出来る事は何もないよ」
「どうしてですか?」
「何もないから」
私は、何も持っていない。
「私を"病毒の王"たらしめてるものが、何もない。擬態扇動班のドッペルゲンガーも、暗殺班のアンデッドも」
全て、この世界で手に入れた。
「私に出来るのは、いますぐ全面攻勢しろって言うだけかな」
「あの、それやられてたら、確実に負けるんですが」
「あはは」
「笑い事じゃないですって……やっぱり要注意人物じゃないですか」
「そう言った人は、沢山いるよ」
今では大分、物理的に減ったが。
それでも、常に全面攻勢は、議論されてきた。
「……でも、してこなかった。私が言っても、同じだよ」
「でもなんか、マスターならなんとか出来そうな気がします」
謎の信頼感。
「無茶言わないでよ。私はただのか弱い女の子だよ?」
「か弱い女の子は自分の事か弱い女の子とか言わないんですよ」
「それに、向こうにはリズがいないし」
「……喜ぶとこ、ですか?」
「さあ? リズが決めて」
微笑んだ。
「――私は、種族が同じだけの人間全部より、リズ一人の方が大事。人類の存続より、私の仲間と部下の方が大事」
「……サイテーの人間ですね」
「うん」
リズを招き寄せて、椅子の上で、彼女を抱きしめて迎えた。
コンコン。
ノックの音が聞こえて、リズがばっと身を離した。
今、いい雰囲気だったのに。




