戦争と平和の火種
私とリズは、陛下に呼び出されていた。
報告のためだ。
いつもの応接間に通されている。
「帝国近衛兵、千六百十二名の内、千五百九十名の死亡を確認……残存帝国近衛兵」
リズが、戦果をすらすらと読み上げていく。
これは、帝国が出した数字だ。
本当に千六百十二名がいたのかは、分からないが。
「二十二名」
残っているのが二十名程度だというのは、ほぼ間違いない。
「よくやった、"病毒の王"。――素晴らしい戦果だ」
「有り難うございます、陛下」
「一体、どのような魔法を使ったのだ?」
「必要とあらば、詳細な正規の報告書を作成します。……それがいつかの火種になるかもしれませんが」
「……そなたの事だから、また『血が凍る』ような作戦を行ったのだろうな」
陛下が苦笑する。
私は、陛下に二つ報告書を差し出した。
「公式の報告書はそちらです。"第六軍"のドッペルゲンガーにより情報が収集され、その情報を基に反乱を扇動……という内容ですね。参加人員や費用など」
こちらは『嘘はついてない』報告書だ。
「うむ。……それで、こちらが?」
「非公式の報告書です。必要だと判断されたなら、公式の報告書の再提出を命じ、歴史にお記し下さい。私は、読んだ後の焼却をお勧めしますが」
こちらは『真実を語った』報告書だ。
「……ふむ。何故私にこれを?」
「"第六軍"の――私の部下の覚悟と、功績を理解して頂くために。魔王陛下に嘘をつかぬために。……これが、我らの国にも起こりうるかもしれぬという可能性を、心に刻んで頂くために」
「……今読ませてもらおうか」
「はい」
言葉通り、書類の束を読み込んでいく魔王陛下。
読んでいくと、陛下の顔色が、少し悪くなった。
「……これは、リストレア魔王国にも……起きうる未来か?」
「残念ながら。ドッペルゲンガーによって的確に煽られなければ、ここまで早く、酷く燃え広がる事はないでしょう。それでも、この国の民もまた、心を持ちます。種族の区別なく、より良い国を望む心を。……私からすれば、よほど『人間らしい』心を」
「……それが、火種だと?」
「はい。そしていいえと。争いの火種であり……平和の火種でもあります」
私は帝国近衛兵を憎む気持ちを、特に持っていない。
彼らは、より良い国のために戦った。
そういう気持ちなくして、平和を作れるはずがない。
そういう気持ちなくして、戦場で争えるはずがない。
「争いは分かるが、平和も、燃えるものか?」
「はい。……平和の燃料が尽きれば、争いが起きる。そして平和の方が、争いより多量の燃料を必要とします」
「平和が高嶺の花であるはずだな……」
陛下が、深くソファーに沈み込む。
そして深々と息をついた。
「……我が国には"病毒の王"がいて……帝国にはいなかった。それだけの、事よな」
私は黙って、頭を下げた。
この作戦には、擬態扇動班二十八人中、二十人が参加した。
帝国近衛兵の肉親の帝国兵に反乱をそそのかしたり。
帝国近衛兵の肉親を亡くした親に化けて泣きついたり。
"真のインペリアルガード"の組織内部に潜り込んで煽ったり、時には落ち着かせたり。
水売りのおばちゃんに化けて真面目な帝国近衛兵の不安を煽ったり。
帝国兵に化けて市民感情を思いきり逆撫でしたり。
市民に化けて暴動を煽りつつ現場でタイミングよく叫んだり。
ほとんど全部機密だが――反乱の火種を煽りに煽った。
しかも私は、とても真剣に帝国の現状を憂えているので、今の皇帝制度を維持する路線は堅持している。
そもそもが、"真のインペリアルガード"自体は、ペルテ帝国の行く末を憂う、帝国の民によって自発的に作られた地下組織だ。
つまり、私の命令で行われたのは、現地産の反乱の種に丁寧に水をやった――あるいは火種に油を注いだ――だけの事。
皇帝が病に倒れるほどの激務を押しつけた(という風に見える)"選帝侯"達が主な『悪者』。
もちろん、その激務が発生しているのは、"病毒の王"陣営の暗殺者が帝国内で暗躍しているからで、『悪者』は私達なのだが。
頭の悪い民衆が欲するのは丁度良い不満の矛先。
頭の良い軍人が欲するのは忠誠心を捧げるに足る上官。
どっちも、意外といない。
"帝国近衛兵"は、最高最強の戦闘集団――だった。
しかし、少しばかり純粋培養すぎた。
正確に言えば、脳筋すぎた。
頭はいいのだが『帝国のため』『陛下のため』と言うと、思考停止する。
育成手法からして、一種の洗脳なのだから当然か。
彼らの事を責めるのは、酷というものだろう。
彼らはそういう風に『作られた』。
彼らを作ったのは、人間の力を信じた人達だ。
ただ命令に従う殺戮機械ではなく、人の心を持ったまま、信念に基づいて剣を振るう戦士こそが望まれた。
彼らはそれを体現したのだ。
強いて欠点を上げるなら、忠誠心を高めるために『皇帝陛下の命令に従う』という条件付けを強めすぎた事だろうか。
『正規の命令系統に従う』という点を強調しておけば、今日の悲劇はなかっただろう。
しかしそうすると、忠誠を捧げる先が曖昧になりすぎて、今日の最高最強の戦闘集団も、存在しなかったかもしれない。
確かに、現場が自分で判断出来る組織は強いと思う。
しかし、自分の目で見た事を信じすぎる。
口当たりのいい言葉に騙されやすくて、『間違っていない』言葉を正しいと思い込む。
そして、武力しか解決手段を持たない。
いつか平和になったら、しよう。教育の徹底。
雰囲気で反乱とかしてはいけない、という事を教え込まなくては。
分かりやすい害悪など、意外といないのだ。
いたとすれば、その奥にはその害悪が生まれるだけの闇が眠っている。
例えば、"病毒の王"だ。
私さえ殺せばこの戦争に勝てる、と本気で思い込んでいる人間は多い。
しかし、私は囮なのだ。
もちろん最高幹部の立場は伊達ではない。
きちんとお給料も貰っている。
待遇も、リズという監視付きである事以外は他の最高幹部と同等。
というかそれもご褒美と言えなくもない。
しかし、本当に"病毒の王"が戦争に勝つための最重要戦力なら、私は名前すら与えられなかったろう。
ただ王城の一室で、黙々と擬態扇動班と詳細を詰めていれば良かった。
今より地味で、けれど安全な生活が送れただろう。
それでも、私は自分の身を囮にする事を選んだ。
勝たなくては、いけないから。
私一人だけ安全な生活など、ありえないから。
その結果、最重要とは言えないが、最高幹部の名に相応しく、割と重要な立ち位置にいる。
なので人間側が私を狙うのは間違ってはいない。
けれど、私一人を殺せば後はどうとでもなると考えているなら、それはとても甘い考えだ。
大陸の北の果てに、魔族は押し込められた。
けれど、それゆえに、防衛線は締まった。
気候も、そこに生息する魔獣種も、何もかも脅威。
魔族にさえ、厳しい土地。
人間には、なおさら。
かつて掲げた大義を――『人類の脅威である魔族を滅ぼす』というお題目を、人間達が本当に信じていたのなら。
戦線がもっと南のうちに――補給線が届くうちに、魔族を滅ぼさねばならなかった。
それを追い払うだけでよしとしたのは、目先の利益に飛びついた失策だ。
そもそも、私をこの世界に召喚したのは人間達。
ああ全く、戦争などするものではない。
平和をこよなく愛する私に、出来る事があるとすれば。
それは、きっとこんな戦争を、一日でも早く終わらせる手助けだけだ。




