真のインペリアルガード
ペルテ帝国の帝都は、砂漠の真ん中にある。
最も巨大なオアシスを水源に持つ事で栄えたオアシス都市だ。
ここが、帝国の始まり。
他に豊かな領土を得た今でもここが帝都であるのは、ルーツを忘れないためと――ここが、いかに豊かな水を湛えるオアシスに寄り添っていようと、砂漠の真ん中であるという事情に由来する。
砂漠越えは、慣れぬ者には地獄となるし、慣れていても大軍ともなれば、入念な準備がいる。
広大な砂漠が、そのまま外敵を排除する障壁となる。
ゆえに、"病毒の王"の影響もない。
元々帝都は、食料を十分に自給自足し、なおかつ周辺の都市にキャラバンを通じて輸送するほどの余裕がある。
帝都の警護にも、キャラバンの護衛にも、帝国近衛兵がついている。
多くの人々は、繁栄を謳歌していた。
一人の帝国近衛兵が、賑やかな街を憂鬱そうに歩いていた。
浅黒さも薄い肌に黒髪。先日『反逆者』を討ち、名を上げた帝国近衛兵だった。
軍装を脱ぎ、平服の上に、生成りの日よけのフード付きマントを羽織っただけの恰好だ。
しかし、帝国の紋章こそないが、帯剣は怠っていない。
いつ何時であろうと、彼は帝国の盾である帝国近衛兵なのだから。
街を見渡しても、もう伝統的な恰好をしている者の割合は少ない。
日よけに便利な服やアイテムが、自分達でそんなものを作るより、ランク王国やエトランタル神聖王国から輸入した方が安いという理由から、多く出回っているからだ。
合理性の波が、伝統を洗っていく。
それでも、変わらないものがあると信じていた。
今は、分からなくなりつつあった。
自分が討った『反逆者』は、先輩で、兄貴分で、同僚で――親友で。
何度も隊長と呼び、憧れた。
並び立つために、自分の全てを鍛えた。
その結果が――これか。
敵と戦って死ぬ覚悟はあった。
敵を殺す覚悟など、無論の事。
全てはペルテ帝国のために。
全ては皇帝陛下の御為に。
けれど、自分が殺したのは――
「どうだいお兄さん。水、買っていかないかい? よく冷えてるよ。――あんた、ひどい顔色だ」
「ん……ああ。貰おうかな」
椰子の木の下で店開きしている水売りのおばちゃんに声をかけられ、思考が中断された。
しかしなるべく愛想よく頷く。
商売ではあるのだろうが、商売だけではない心配の色が、砂でかすれた情の深い声からは見て取れたからだ。
「あいよ。ありがとさん、銅貨二枚だよ」
ランク王国や、エトランタル神聖王国なら、冷えているとはいえこんな値段で水が売られる事はない。
オアシス都市ではあるが、ここは砂漠の真ん中で、それゆえの値付けだ。
陶器のコップに入った、冷えた水を味わう。
舌を湿らせると、世間話を振った。
「景気はどうだい」
「よくないねえ……変なのも増えたし、元気なのは大商人ばかりで私達みたいなのは……お上がもっとしっかりしてくれればいいんだけどね」
ずん、と、冷たい水を流し込んですっきりしたかと思った胃を、重い石が詰められたような感覚が襲う。
「買ってくれてありがとうねえ」
悪気など、ないのだ。
今は非番であり、赤い軍装も、帝国の紋章も、何一つ身につけていない。
手練れならば軍人だという事ぐらいは想像がつくだろうが、相手は街の水売りだ。
目の前の相手が『お上』に属する、帝国の帝国近衛兵である事など、分かって言っているはずがない。
「……また、寄らせてもらうよ」
笑顔を浮かべられたか、どうか。
水を飲み干したコップを返すと、軽く手を振って、雑踏に戻る。
「チッ……」
意識したものではない舌打ちが出て、その響きがさらに心をささくれさせる。
全てはペルテ帝国のために。
全ては皇帝陛下の御為に。
だから、こんなものはただの気の迷いだ。
必要ない。
「っ……と、失礼」
悶々としながら歩いていると、目の前の人間に気付かずにぶつかるところだった。
「いえ。少し、お話をよろしいですか?」
砂漠の伝統、目元以外を露出しないチャドルをまとった女性だった。
女性でも顔を出すのが当たり前になった今では、少々珍しい。
色が黒なのが暑苦しく見えるが、声は涼しげだ。
続く言葉を聞いて、背筋が冷えるほどに。
「"真のインペリアルガード"の者です……」
それは、最近帝国でささやかれる『反政府勢力』の名前だった。
反逆者が、帝国最強の戦士の名を――それも、『真の』を付けて名乗る。
それは帝国近衛兵にとっては許しがたい侮辱でしかなかった。
「お前がっ……!」
腰の剣に手を掛けた。
抜き打ちに斬って捨てる事は容易いが、先に周囲の気配を探る。
帝国を食い荒らすドブネズミ共がこんな堂々と出てくるわけがないのだ。
あいつも、どこかでこいつらに、弟が死んだ心の隙を狙われて、あんな馬鹿な真似をしたに違いない。
「どうぞ。斬って捨てるならご自由に……」
しかし女は、布の陰で口元が見えないが、笑ったようだった。
「拷問官に引き渡すなら、それもいいでしょう……」
「……何が望みだ」
「"真のインペリアルガード"の理想を……目的を、聞いてもらいたい。それだけです」
「――俺は帝国近衛兵だ。俺の体は髪の一本から、爪の先に至るまで、皇帝陛下のもの」
「知っております。……書類を出してもよろしいですか?」
「ゆっくりとだ」
チャドルの女が、ゆっくりと服の中から一枚の紙を取り出す。
調べて見ねば分からないが、帝国の公式文書に見えた。
「……これを……」
「なんだ?」
「皇帝陛下のご容態です。……伏せっておられるのは、ご存じで?」
「なに?」
眉根を寄せた。
そんな事は、知らされていない。
いや、陛下の周りで護衛している者達なら知っているかもしれないが。
持ち回りだが、それはもっと経験を積んだ年上の、しかしまだ身体の衰えぬ先達の仕事だ。
「ここ半年以上……皇帝陛下の御名の下に発せられた命令のほとんど……いや、その全てが、"選帝侯"の七家『だけ』で決められた命令だという事は、ご存じで?」
「……馬鹿な」
「疑うならば、斬って捨てられるがよいでしょう……」
女は泰然としたものだ。
"真のインペリアルガード"など、名乗るだけで裁判さえない処刑が許可される。
自分が犯罪者であり、帝国近衛兵の前に身をさらせば無条件で斬られるという事を分かっていてそれならば、肝が据わっている。
「……来い。逃がすわけにはいかん。だが……そう。個人的に尋問してやる」
「ええ」
女は頷いた。
「我らもまた、真に帝国を憂えるもの……」




