帝国近衛兵の反乱
帝都の、帝国近衛兵独身寮。
その名の通り、独身の者が住む寮であり、家族寮もある。
帝国近衛兵は、家族寮に家族を住まわせる規定がある。
見方を変えれば人質だが、"病毒の王"の脅威が迫る今日では、安全な帝都の寮に家族を住まわせられる特権として認識されている。
それに、人質というのは裏切った時にだけ使われるのだ。
そして帝国近衛兵が『帝国と皇帝陛下を裏切る』事など、有り得ない。
独身寮の裏庭。ランク王国ではよくあるような芝生などは帝国近衛兵でさえ望み得ない贅沢だが、たくましい草が煉瓦造りの独身寮を日よけにして、ちらほらと生えている。
裏庭に続く石段に座り込んでたたずむ巨漢の帝国近衛兵に、もう一人の帝国近衛兵が声をかけた。
「……なあ。どうした? この前の作戦以来、なんか変だぞ」
巨漢の帝国近衛兵は、話しかけられても、むっつりと黙り込んだままだった。
帝国の前身である、砂漠の部族出身という特徴を色濃く残した浅黒い肌に、太陽に炙られて色褪せた金髪。巨体に相応しい剛力を誇る彼は、帝国近衛兵随一の大剣使いだ。
帝国近衛兵は全て同格。だが、現実として、腕の差はある。『隊長』に任命される頻度の差も。
そして彼は、最強の戦士の一人だった。
帝国近衛兵なら誰もが、正規兵――だった――約五十名を、城攻めで殲滅出来るわけではない。
いつもは豪放磊落という言葉がぴったりで、よく笑い、よく酒を飲む。
部下や同僚の面倒見もよく、『隊長』に任命される事も多く、慕う者も多い。
その彼が、前回の作戦以来、角張った顔に憂鬱そうな表情を貼り付けて、ふさぎ込むようになった。
もう一人、他国人の血が混ざり、浅黒さも薄い肌をした黒髪の青年にとっては、気が気ではない。
配属先が同じで、年が近い事もあり、兄貴分として、相棒として、公私ともに長い時間を過ごした間柄なのだ。
「……殺した」
「いつもの事だろう。彼らは……帝国の敵となった」
「いつもとは、違う」
ぼそりと呟いた。
「その内の一人が、俺の弟だった」
生存者は、いない。
誰もが区別なく、叩っ切られていた。
「…………そうか。辛かった、な。……だが……」
かける言葉を、ゆっくりと探す。
「分かってる。俺達は、帝国近衛兵だ」
「分かってるなら、いい」
「彼らは、この国に弓を引いた。それは、罪だな。帝国近衛兵である俺が、断つべき罪だった。だから俺は斬った」
「…………」
「でもあいつは、最後にこう言ったんだよ」
目を閉じると、大剣使いは分厚くごつい手で目元を覆った。
「『兄さん』って、俺を呼んで」
声に震えはない。
けれど、長く戦場を共にした者には、痛みを感じ取る事が出来た。
「『この国を、頼む』……って……」
「……そうか」
頷く。
「彼らもまた……国を憂えていたんだな……」
やり方が間違いであっても。
その心根だけは。
巨漢の大剣使いが、日陰から日向の方を見ながら、呟いた。
「……皇帝陛下の御為に……か」
ペルテ帝国には、貴族制度がある。
一定の功績を上げた家が認定され、時には取り消しもあり得る。
余程の不祥事を起こさねば貴族の立場が安泰なランク王国やエトランタル神聖王国とは違う。
帝国は、実利主義で、成果主義なのだ。
その中でも大貴族中の大貴族達がいる。
皇帝家――ではない。
ペルテ帝国において、皇帝は世襲ではないからだ。
貴族達の中から次の皇帝を選ぶ"選帝会議"を開く権利を持つ"選帝院"。
そのメンバーたる"選帝侯"七人を長に戴く七家。
彼らは、自家から皇帝を輩出する事が許されない。
しかしその権力は絶大であり、この国を動かしてきたのは、皇帝と選帝侯達だったと言えるだろう。
かつて砂漠の有力部族を束ねた長の家系が、現代まで血を繋いでいる。
その内の一家の本宅が、『賊』の襲撃を受けた。
その『賊』は、他の兵を百人以上打ち倒し、帝国近衛兵を二人まで殺した。
そして一人の帝国近衛兵によって、討ち取られた。
――大剣が滑り落ちて、転がった。
ぱちぱちと燃える炎が豪華な屋敷を一つ、ゆっくりと炭と灰の塊に変えていく。
火に炙られて脆くなった壁が轟音を立てて崩れ、炎が二人の人間のシルエットを浮かび上がらせた。
一人は、もう一人が胸に突き立てた長剣によって、壁に縫い止められる形になっている。
その傷は、誰が見ても間違いなく致命傷だった。
勝敗を分けたのは、鎧の差。
『賊』は、赤い鎧を、着ていなかった。
賊を打ち倒した帝国近衛兵は、赤い鎧を着ていて、それが一度きりとはいえ、大剣を受けてみせた。
大きくへこんだ円筒兜が、煉瓦を敷き詰められたペルテ式庭園に転がっている。
こめかみの辺りに傷を受け、薄い浅黒い肌から血を流しながら、彼はその傷の痛みよりも遙かに強い痛みに耐え、血を吐くように呻いた。
「なんでこんな馬鹿な真似を……!」
自分が剣を突き立てた相手は。
大剣を振るい、帝国に敵対した彼は。
色の褪せた金髪に、砂漠の部族らしい濃い浅黒い肌。
同僚であり、兄貴分であり、相棒であり――親友だった。
彼が死ぬとして、それは、こんな悪夢のようなシチュエーションではないはずだったのだ。
前線を退く年齢まで生き延びれば、後進の訓練に当たりつつ、栄光と祝福の内に看取られて逝けただろう。
そうでなければ、帝国の敵と戦い、忠誠と共に死ぬはずだった。
何が彼の忠誠を奪ったのか知りたくて、彼は聞いた。
なんでこんな馬鹿な真似を、と。
彼は、笑った。
戦場で何度となく見た、大口を開けての笑顔。
お互いの立場に、何も変わりがないような。
「皇帝陛下の御為に……」
ごぼり、と喉から血が溢れ、彼から次の言葉を永遠に奪った。
「……お前は……俺達は、帝国近衛兵だぞ?」
剣を突き捨てにして、一歩下がる。
「この馬鹿野郎っ……! 皇帝陛下の命令以外で死にやがって!」
それは、明確な反乱だった。
建国以来、数件しかない、帝国近衛兵による反乱。
――彼は、帝国近衛兵の象徴である赤い軍装を脱いで死んだ。
同じ帝国近衛兵さえ手に掛けて。
同じ帝国近衛兵の手によって。
それは一人残された彼にとって、ペルテ帝国という、動かない大地のように確かなものが、揺らいでいくような錯覚を覚えさせるほどだった。
「皇帝陛下の御為に……」
呟いた声は、勢いを増す炎に焼かれて、誰にも届かず消えていった。




