機密文書の使い方
私は、クラリオンと、執務机を挟んで対峙していた。
「現在……帝国は、最も国力を温存しております」
「その通り。他の二国と比べれば元気だな」
「ゆえに……帝国主導で、対魔族同盟はまとまろうとしつつあります。我らリストレア魔王国にとっては、到底許容出来ません」
「ああ」
王国と神聖王国の国力を弱めたのは、"第六軍"。他ならぬ私の命令によるものだ。
しかし最新のニュースは、悪いニュースだ。
もう少し――せめて冬の間ぐらいは、まとまらないと思っていたのだが。
「つまり今必要なのは、帝国を揺らがせる一手であると――確信します」
「同意しよう」
彼女は私の前にある、『インペリアルガード作成マニュアル』と仮に名付けた機密文書の原本を指さした。
「これを、その一手といたしましょう」
「具体的には、どうする?」
「この文書を公開し、真実を明らかにして、帝国近衛兵の――いえ、帝国の民の目を覚まさせます。軍上層部がこれほどの非道を行っていたとなれば、間違いなく結束は乱れるでしょう。我ら擬態扇動班ならば、それが可能です」
「0点」
私は素っ気なく言い捨てた。
「……何故、ですか?」
「まず、信じられないよ」
「ですがこの文書は真実で……」
私は、深く頷いて見せた。
「ああ、真実だろうさ。――だから、誰も信じない」
「……"病毒の王"様?」
「真実は口に苦いものだよ。心が痛むものでもある。……擬態扇動班がどんなに上手く立ち回ろうと、精々怪文書扱いが関の山だ。噂話にでもなれば恩の字だよ」
「帝国の、公式文書です!」
「それを鑑定出来るのは帝国の高位の文官のみだろう? 告発が通るはずもないし、ドッペルゲンガーの変身能力を使うにせよ、そんな数の限られた人間に化けさせる危険は冒せないな」
ドッペルゲンガーは、貴重だ。
戦闘能力は、人間と比べても低いが、変身能力を生かした潜入・諜報と、民衆の煽動工作においては、他の追随を許さない。
なにしろ『幻影魔法』ではないので、術式使用のチェックには引っ掛からず、精神魔法さえ、誤魔化してみせる。
脳の中身までそれに合わせて変身しているのではないか、と思っているが、確かめられないので真実は闇の中だ。
そのドッペルゲンガーの長であるクラリオンが、目をそらし、苦々しげに呟いた。
「では……この文書は……使えない……と?」
「いいや? 大きな成果だとも。――敵国の機密情報を得た。帝国近衛兵の秘密を、手に入れた」
それは、間違いなく大きな成果だ。
"帝国近衛兵"は、私達"第六軍"にとって、最も崩しにくい敵だった。
乗っているドラゴン自体が強い"ドラゴンナイト"に、信仰を拠り所にしている"福音騎士団"。
ドラゴンナイトに対してはドラゴン自体を飢えさせ、"福音騎士団"に対しては信仰の対象を囮に雪山という不利な戦場に引きずり込んだ。
最早この二つは事実上この世から消滅し、リストレアの敵となり得ない。
そして帝国近衛兵もそうなる。――そうする。
「秘密などありません……。ただ才能を持ち、ただひたすらに強いだけではありませんか」
「物理的にはな」
「精神的にも、こうまで植え付けられた忠誠心を持つ以上、強いです」
「ああ、彼らは強いな。守るものを持っている。綺麗な思い出がある。信頼があり、共に肩を並べて戦う、思いを同じくする仲間がいる」
心の内の毒が滴るように口元が歪み、それを手で覆い隠す。
私は、その歪みを笑みに変えた。
「ならばその全てを、我らの剣としよう」
クラリオンが、ぶるりと震えた。
「……"病毒の王"様……は……」
声も、震えている。
「なにかな?」
多分上司が浮かべるのに不適切な笑みを頑張って消すと、彼女に優しく微笑んで見せた。
「人間……なの……ですよね?」
「もちろん」
笑みを深くする。
「こんなクソみたいな文書を作れる種族の、一員だとも」
クラリオンが目を伏せる。
「……あなたが……我らの上官であり、味方である事に……感謝します」
「部下には優しいよ、安心して」
「それは信じております。……それを信じられねば、こんな職場は……」
クラリオンが言い過ぎたと思ったのか、真面目な顔になって口をつぐむ。
「不満の聞き取りとか、強化した方がいいかな? ――もちろん私じゃなくて、他の人が、匿名の意見を収集するっていう形で」
「……我らは二十八名しかおりませんので……」
「うん、まあそうだよね。怖いよね。ごめんね、上司が非道の悪鬼で」
演技ではなく、素でしゅんとした。
自分の行いを振り返ると、反省する所もある。
反省する所しかない、とも言う。
「い、いえ! そのー、それが必要であると、理解しているつもりであります」
「そう? じゃあ悪いけど、今王都にいるドッペルゲンガーを召集してくれるかな? ドッペルゲンガー以外のシナリオ担当と共に、今後の作戦を決める」
「……え、御前に……ですか?」
「私はただの人間だよ? 怖い事とかしないよ?」
「私はそれを信じられますが……他の者は……」
「もちろん私抜きでも可能だとは思っている。けれど、なるべく伝達の齟齬を生みたくない。ゆえに、可能な限り多くの人員を初期段階から集めて会議を行う。――異論は?」
「……ありません」
その彼女の表情が「嫌だなー。仕事とは言えこれみんなに伝える役目は勘弁して欲しいなー」と雄弁に語っている。
私は、もう一度繰り返した。
「……うん、ごめんね。上司が非道の悪鬼で」