"第六軍"の秘密
骨だけの指が、私が持っている二枚の手札の中の、一枚のカードに掛かる。
その時、ぴくり、と私の眉が動いたのを、見逃さなかったらしい。
選ばれたカードが引き抜かれ――動きが止まった。
ジョーカーを掴まされたのだから、仕方ない。
表情さえ、初歩的なトラップの一つだ。
「じゃ、私はこっちから一枚……お、揃った」
最後の二枚をまとめて捨てる。
「いっちばーん♪」
そして一位上がりの証として、銅貨を四枚貰う。
一位が四枚、一枚ずつ減って、四位が一枚だ。
私の前には、銅貨がうず高く積まれている。
常に一位でこそないが、一位を争い、かつ四位を回避すれば、当然の結果だ。
「……掴んだジョーカーを的確に掴ませてる……だと……?」
「しかもほとんど避けてる……」
「運もいいのか? まさか数字が見えて……?」
「……主殿?」
「なんだハーケン」
「まさか、イカサマなどは……」
「見くびるなよ、ハーケン」
目を細めた。
「私は部下との親睦を深めようという場でイカサマを行うほど、無粋ではないつもりだぞ? 後、私にそんなスキルはない」
「……失礼を申し上げた」
「いや、気にするな」
「しかし主殿? いかようにして、平均的に高い順位を取り、かつ四位を争った時も、ああもジョーカーを外す事が出来たのか……手品の種を教えてはいただけまいか」
「種も仕掛けもありません……って言うべきかな」
私は微笑んだ。
「ババ抜きは、運が大半を占める。だがその上で、相手の表情を読み、揺さぶりを掛けるのが基本」
「うむ。だが、我ら不死生物の表情をどうやって?」
ハーケンの言葉に私は首を傾げた。
「……まさか、ポーカーフェイス出来てるつもりだった……とか?」
時間が止まる。
「てっきり、仕事中の習慣が抜けてないのかと思ってたんだけど」
不死生物=表情が読めない、というのは正しいが、それゆえに、他の種族と接する事が多いアンデッドは、ジェスチャーを交えて感情表現をしてくれる。
ただ、それはババ抜きというゲームにおいては致命的な隙であると――そう考えていた。
「……主殿。詳細をお伺いしても? 我らに表情筋はないはずであるが」
「骸骨のひとは、目の鬼火が揺らぐよね? 指の動きはあんまり私達と変わらないし、喋る時の間の取り方とかもあるね」
"第六軍"のスケルトンは、ハーケンと同じく、鎖鎧にサーコートだ。サーコートの紋章は『短剣を口にくわえた蛇』を意匠化した"第六軍"紋章。
暗い眼窩の内に燃える青緑の鬼火は、燃え方や明るさなどで、結構情報量が多い。人の目よりも分かりやすいと思う事があるほどだ。
「死霊は? フードを目深にかぶれば、表情など読めぬはずだが」
レイスの恰好はまちまちだが、"第六軍"では深紫のフード付きローブで統一されている。
フードごと薄く透けた生前の姿は、顔を隠す事に特化したようなフードを目深にかぶれば、暗がりの中に沈み、スケルトンのひとと同じく、不死生物特有の青緑の鬼火が二つ、闇の中に灯って見える。
「鬼火はちらちら見えてるし、手元も隠せてないし。それに顔を伏せて目元を隠してる時は、読まれたくないんだろうなって参考になるけど?」
「…………」
ハーケンが黙り込んだ。
そして、口を開いた時には、幾分呆れ気味だった。
「……いや、我らが主殿は、人間離れしたお方であるな」
「うん、よく言われる。ただ、これは上司としては当然のスキルだよ」
「不死生物の表情を読む事が?」
「不死生物に限らない。部下の事を気に掛けて、観察すれば多少はね」
微笑んだ。
「……まことに、仕え甲斐のある主殿よ」
ハーケンの目の鬼火が細められる。
「……そう、かな」
「――ならば、皆に聞いてみようか?」
ハーケンが大仰な動作で示した方を向く。
皆は、笑みを含んだ『表情』と声色で、口々に言う。
「いや、これほどとは」
「侮るような気持ちでいた事が、恥ずかしい限りです」
「やはりこれ以上『上』を狙う気にもなれませぬな」
「"第六軍"へ配属された事を誇りに思います」
「――どうか、我らの忠誠をお受け取り下さい、"病毒の王"様」
「あまり褒めるな。……恥ずかしいだろ」
ポーカーフェイスを保てなくなって、背中のフードをかぶり、ぐいと下ろす。
多分、頬は赤いのだろう。見るまでもなく分かる。耳の先まで熱いし、フードをかぶってるとなおさらあつい。
不死生物の表情分かるって言っただろ。
和やかな空気出すな。
「いいえ、あなたは私達の誇りですよ、"病毒の王"様。たとえ夜中にベッドを抜け出して、地下でカード遊びに興じていようと」
空気が、ぴしりと音を立てて凍った。
柔らかく、愛らしく――なのに背筋が冷える声。
「……リズ」
そろそろと振り向くと、笑顔のリズ。
彼女の声を、聞き間違えるはずもない。
「おはようございます、マスター」
「お、おはよう、リズ」
いつの間にか、そんな時間だったらしい。
「折を見て紹介する予定をレベッカと立てていたのですが、どうも面倒な仕事を前倒しで終わらせて下さったようですね? 部下として上司の細やかな心遣いに胸が一杯の思いです」
目が笑ってない。
「新しい護衛班と、親睦を深められたようで何よりです」
「……言い訳しても、いい?」
「言い訳なんてとんでもない。我らがマスターは"第六軍"序列第一位であり、魔王軍最高幹部なのですから、この場で一番偉いんですよ? 『多少』段取りや予定が狂ったのを対応するのも部下の仕事ですからね。ええ、全くもって怒ってなんていませんよ」
人は、極上の笑顔で怒れるのだなって。
「……ごめんなさい」
「だから謝る事なんて何一つありませんよ。起こしに行ったら気配がない事に気が付いて血の気が引いたりしてませんよ。心配なんてしてないんですから」
「……あ、心配してくれたの?」
「だからしてませんって」
それ心配してくれたやつ。
「――ごめんね、リズ」
立ち上がる。
「だから……」
「私が悪かった。地下室が気になった時点でリズを呼ぶべきだったし、その後も、一言も言わず『持ち場』を離れるべきじゃなかった」
その仕事の詳細をよく分かってない上司が勝手に判断する事が、いかに部下にとって負担であるか、知らない私ではないのに。
私は護衛される側だ。私の方が地位が上だ。
……しかしそれは、好き勝手に振る舞っていい、という事ではない。
リズが、一つ息をついた。
そして笑顔が、私の好きな優しいものに変わる。
「……分かって下されば、よろしいのです。屋敷内ですしね。黒妖犬は連れていたようですし、ハーケンも起きています。……ただ、遠慮なく私を起こして構いませんから」
「夜中に起こすのは悪いかなって」
「気をつかう所が間違っていると言わせていただいても?」
また笑顔が怖くなった。
しかし、実はこれはこれで好き。
なので手を伸ばして、彼女の手に指を絡めると、軽く引き寄せる。
「マスター?」
「やっぱり、毎日一緒に寝るべきじゃない?」
「……ま、マスター?」
「隣にいれば、そういうの言いやすいし、何より安心安全だよ?」
「……身の危険を感じるので、毎日は拒否させて頂きます」
「うちのメイドさんがつれない……」
「普通はメイドと毎日一緒に寝たいって言い出さないんですよ」
「人によると思うな」
「私はそういうメイドではございませんので」
「それは知ってるけど。いやだからこそむしろというか」
「……私、たまにマスターの言ってる事が分かりません」
リズがため息をついた。
そして視線に含まれる湿度が増す。
「ていうか、部下の前ですよ。もう手遅れのような気もしますが」
「リズ。序列第一位と第二位が親しい事に何の問題がある?」
「主に組織内の規律ですかね」
勢いと雰囲気に騙されないタイプだ。
「我らの事ならばお気になさらずに」
「ええ。部下思いの良い主ではありませんか」
「サマルカンド様が話して下さった通りのお方ですね」
サマルカンドに視線を向ける。
「……サマルカンド。何を話した」
「ありのままを」
まっすぐな瞳。
多分、サマルカンドフィルターを通して美化された姿なんだろうなあ。
まあ、そのおかげですんなりと馴染めたのかもしれない。
「ありがとう、サマルカンド。お前なりに新人に気を遣ってくれたんだな。だが、あまり悪口は言ってくれるなよ?」
「我が主を表現する際に悪口が介在する余地はございませぬ」
重い。
「マスター。それで、朝食ですよ」
「うん。――では、な。いずれ正式な着任の挨拶――は……」
リズをちらりと見る。
「もう要らないと思います」
「そうか」
頷く。
「――諸君、略式ではあるが、"第六軍"への着任を歓迎する。護衛班であるお前達の出番がないように努力するつもりではあるが、いずれ来たる出番の折には、活躍を期待する」
「「「はっ」」」
一糸乱れぬ返答と共に、片膝を突いてかしこまる皆に、軽く手を振って、私は、リズと共に地下室を後にした。
「また遊ぼうね」
その後も、"病毒の王"が、地下室にちょくちょく顔を見せて遊んでいるのは、"第六軍"だけの秘密だ。




