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病毒の王  作者: 水木あおい
4章

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"旧きもの"


 魔王陛下が、後ろに、"旧きもの(オールド・ワン)"を引き連れて、入室した。


 "旧きもの(オールド・ワン)"――"第五軍"の軍団長だ。細長く黒い巨体に、四本角の山羊らしい頭骨。眼窩の奥の暗い闇に橙色の鬼火が灯る姿は、デーモン達の長に相応しい。


 リズは既に陛下の到来が告げられた時から、ソファーの後ろに控えている。


「陛下。"旧きもの(オールド・ワン)"様」


 私は立ち上がり、頭を下げる。


「面を上げよ、"病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"」


 対面のソファーに腰掛けた陛下の言葉に従って、顔を上げる。


「……すまなかったな。事の顛末は聞いておる。私もまた、信頼を言葉にする事を怠っていたようだ」


 そして、入れ替わりのように陛下は頭を下げた。


「この通りだ」


「あ、頭をお上げ下さい陛下!」


 慌てて、口を開いた。

 なんか"旧きもの(オールド・ワン)"様から怖い視線を向けられてるし。


 頭を上げた陛下に、しどろもどろになりながら釈明する。


「――今回の事は、私の不徳の致す所と申しましょうか……その……」


 実際どこまで伝えられているのかが分からず、言葉に詰まった。


「"第六軍"の長の地位も、"病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"の名も、確かに、目立ち、囮になるためにとの言葉を受け入れて、与えた物……それは事実だ。当初は、死んだらそれまでという気持ちがあった事も……否定はせぬ」


 わあ正直。



「だが、そなたは自らの価値を示して見せた。余人の及ばぬ功績を積んで見せた。与えられた立場の中で、自らの命を懸けて、だ」



 とくん、と胸が高鳴る。


「今や、この国になくてはならない存在と思っておるし、信頼しておる。これからも危険はあるだろうが……それは、処刑などではない。リストレア魔王国の国王として誓おう」


 胸の熱さに、喉が詰まって、涙が滲みそうで。

 私は目を伏せた。


「はっ……光栄で……あります」


 情勢が変われば、どうなるか分からない。

 この人は――王だ。もしかしたら自分よりも前にリストレアを置く、為政者だ。


 そんな冷静な思考が、吹き飛ぶほどの熱量。


 ……このような方だから、私のようなひねくれものを重用して下さるのだろう。


 少なくとも今の所、契約を違えられた事もない。


 ……地球では、『理想の上司』などという比較対象が思い浮かべられないぐらいには、上司運が良いとは言えなかったような……そんな気がするのだけど。


 ――こういう人が、理想の上司なのだろうか。


 陛下が微笑まれた。


「言葉に詰まるそなたを見たのは、初めてだな。初対面でさえ、実にすらすらと『三年で人類を絶滅させてみせる』と宣言した者とは思えぬ可愛い姿だ」


 男の上司に言われたらセクハラっぽい言葉だが、不思議と嫌な気分はしない。

 いや、私が言えた義理ではないのだけど。


 

 ところでなんか、ぴりぴりする。



 うなじのあたりというか。

 肌というか。

 全身というか。

 第六感というか。



 もっとダイレクトに、視線というか。



 視線の方向に目を向けると、"旧きもの(オールド・ワン)"様が私を見ていた。

 橙色の鬼火が、山羊の頭骨の暗い眼窩の奥で細められ、私に向けられている。


 ――どこかで、感じた事がある。


 懐かしささえ、感じさせる感覚。


 私はこの感覚を感じた事がある。

 戦争をしていない世界で……私の生きてきた世界で。


 地球の現代日本でも、この感覚を、感じた事がある?


 思考は一瞬。

 最善かは分からないが、覚悟を決めた。



「陛下。"旧きもの(オールド・ワン)"様と二人きりで話をさせていただけないでしょうか?」



「私は構わぬが……そなたはどうだ?」


「構いませぬ……」

 重々しく、鷹揚に頷く"旧きもの(オールド・ワン)"様。


「そうか、では、隣室にいよう」


「リズ、陛下に必要な報告を」

「はい、マスター。分かりました。では陛下、あちらで……」


「うむ」

 リズに促されて、陛下が隣室へと移る。


 パタン、と扉が閉じた。

 これで、二人きりだ。


「して、何用か?」

 ソファーに座る事もせず、大上段に構える"旧きもの(オールド・ワン)"様。



「"旧きもの(オールド・ワン)"様って、女性だったりします?」



「……………………」

 長い沈黙。


 あ、死んだかな、と不安になった辺りで、"旧きもの(オールド・ワン)"が口を開く。


「何故、分かった……?」


「同性だから……でしょうか?」

「今まで同性でも、そうと気付いた者はおらぬ。重ねて問おう。――何故、分かった……?」



「その質問に答える前にもう一つお聞きしたいんですが、"旧きもの(オールド・ワン)"様って、陛下と恋人同士ですよね?」



「……………………」

 また長い沈黙。



 やっぱり詰んだかな、と不安になった辺りで、"旧きもの(オールド・ワン)"が口を開く。


「呆れた洞察力だな……そうだよ。それも何故、と問わせてもらおう」


「いえ、以前似たようなシチュエーションで感じた視線とそっくりだったもので」


 私は、地球の現代日本基準で、結構可愛い方だ。


 性格を含めると男の子に好かれるとは言いがたいが、全く恋愛対象と見ていなかったゆえの距離感を誤解され、彼女さんに勘違いされたりとか、そういう事もあった。

 その時に感じた視線と敵意と、そっくりだったのだ。


「あなたが女性で、陛下と恋人同士って考えると、陛下の雰囲気も納得だなって」

「陛下の?」


「部下や戦友の信頼感……って言うには、気安さみたいなものを感じて。古い仲間だからかとも思ったんですけど」



「……正解だよ。全て正解だ。私はあの方の部下であり、戦友であり、仲間であり……将来を誓った恋人というやつだ」



 "旧きもの(オールド・ワン)"が深いため息をついた。


「本来は、他人に話すような事ではない。だが、聞いてくれるか。同じ最高幹部……いや、ただ、同じ女として」


「私でよければ」


「お前がよいのだ。四百年、誰にも話した事がなかったが……お前になら、話してもよいと思った」


 "旧きもの(オールド・ワン)"の姿が、変わる。

 ドッペルゲンガーのような、瞬きをすれば見損なうほどに素早い変身ではなく、今もこの瞬間に身体を作り替えているような――圧縮しているような、生々しい変身だ。

 それでも、ほんの数秒で、二メートルを超え、三メートルに迫ろうかという伸び上がる影のような姿が、身長こそ百八十センチ程度と高いが、むしろ細身の女性へと変わる。


 元の姿を意識しているのか、黒く細長い毛の毛皮をまとった、褐色肌でスタイルのいい美人さんがそこにいた。


 同じ肌の色でも健康的なリズとは違い、ダークで妖艶な雰囲気。

 肌の色だけ見ればダークエルフのようだったが、耳はサマルカンドで見慣れた黒山羊のもので、四本の山羊角が、長い黒髪を割るように生え出でている。


 ソファーに腰掛けると、ギシリとスプリングが軋む音がした。

 灰色のミニスカートから伸びる、すらりと長い足を組む。


 橙色の鬼火が今も灯るような、オレンジがかった金色の瞳。



挿絵(By みてみん)



「こちらの方が、話しやすかろう」


 変わらず尊大な口調に、ハスキーな声が似合う。



「――改めて、自己紹介しようか。私は、"第五軍"最高幹部、"旧きもの(オールド・ワン)"――真名は『リストレア』」



 親も、兄弟も、何もかも持たぬ悪魔(デーモン)が、唯一生まれながらに持つもの。それが、名前だ。

 しかし言い換えれば、それは名前さえ他人からは与えられぬという事。


 悪魔(デーモン)の真名は、合意による契約時にしか意味を持たない。


 契約者を主人と従者に分け、従者に絶対服従を強いる"血の契約"は極端な例だが、悪魔(デーモン)は信頼すべき基盤を持たぬゆえに、魔法的な契約という形での絆を好むとは、サマルカンドの言だ。


 名前を知れば、デーモンと契約出来るわけではない。

 戦いにおいて、何か有利になるわけでもない。


 けれど、真名を名乗らない悪魔も多く、その場合信頼出来る相手にだけ名乗るというのが一般的だ。


 彼女は今、名乗ってもよい程度には私を信頼して、真名を明かしてくれたのだと思う。

 しかし、今私の目を見開かせたのは。



「……リストレア?」



 それは、この国の名前だった。


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― 新着の感想 ―
[良い点] じれじれカップル魔王陛下とオールドワン! 夫婦とかカップルがあまり出てこないので、おおっ!となりますね、しかも異種族同士♪ [気になる点] 建国から一緒なのに「将来を誓った」って長命種で…
[一言] リストレア様美人かわいい。やっぱり黒髪金目はロマンですね。
[良い点] 作者さん、更新はお疲れ様です! へぇ、美人さんて陛下の恋人とは予想外です!而も国名が名前とは深い訳が有りそうですね! 引き続きも期待しています!
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