血の契約
暗殺に来たという上位悪魔が、暗殺をやめると言った後、すぐに忠誠を誓おうと言ってひざまずいた。
実は夢オチとか、そういう最低なオチかな?
とりあえず目の前のデーモンに質問する。
「暗殺に来たんだよね」
「暗殺に参りました」
「とりやめる事にしたんだよね」
「とりやめる事にいたしました」
「それで? どうして忠誠とか誓いうんぬんって話になるの?」
「……人間……いや、生き物とは、死の前に本質が見えるものでございます」
ゆっくりと語り出す。
気が付くと、言葉遣いが敬語になっていた。
「泰然としておられる。死を覚悟して、国家に奉仕する事を選ばれた方を殺すなど……そのような愚行、今の私には出来ませぬ」
そんな大したものじゃないかも。
ちょっとこっちの世界に来てから、殺されそうになるのに慣れただけというか。
「命令違反の罪で殺されるやもしれませぬ。最高幹部の暗殺を謀った罪で処刑されるやもしれませぬ。ですが、せめてそれまでの生を捧げる事で、罪の清算とさせて頂きたく思います」
頭を垂れて、許しを請う上位悪魔。
「都合の良い、自己満足である事は承知しております。だが、どうか」
目の前の悪魔――サマルカンドが、自分の手首を、爪を立てて切り裂いた。
「ちょっと! 何やってるの!」
慌てて掛け布団を持ってベッドから飛び降り、手首へ当てる。白い掛け布団が、すぐに真っ赤に染まった。
サマルカンドがゆっくりとした動きでその掛け布団を取り、ぼたぼたと落ちる血に自分の指先を浸し、鮮やかな紅色をしたそれで、私の頬にさらさらと文字を書き付けていく。
「我が名をお呼び下さい。私はこれより貴方の絶対なるしもべ。全ての命を使って、貴方の盾となりましょう」
「……ええー……」
嘘でなさそうなのは分かる。
こんな演技をして騙したりするまでもなく、上位悪魔の高い魔力で精神魔法を使えば、簡単に操れるはずだ。
「その、何か制約とかあるの……?」
「私の方には。主の方にはありませぬ。ただ、絶対的な命令権を持ちます」
上位悪魔に?
「お疑いなら、支配下になる前に、腕の一本や二本を差し出しても構いませぬ」
私が黙っている間にも、真剣に、言葉を重ねていく。
「我が忠誠など要らぬと申されるならば、自害を命じて頂ければ、そのようにいたします」
「待って、気持ちが重い」
「仕えるに値する方の、命を狙った。その罪は、命でのみ償えます」
「……うーん……うん、分かった」
覚悟を決めて、頷いた。
「名前呼ぶだけでいいの?」
「はい」
「――サマルカンド」
名前を呼んだ途端、頬に描かれた血文字が熱くなった。
胸を満たす、確かなもの。
温かく、優しいもの。
てのひらに、心臓がのっていて、それを緩やかに握り込んでいるような。
その心臓の鼓動を、自分がいつでも止められるのだという確信。
同時に、私はそんな事をしないだろうとも、思う。
これは、私のものなのだから。
これは、私に捧げられた絆なのだから。
サマルカンド。
今、この悪魔は、本当に自分の全てを捧げたのだと、分かった。
「サマルカンド」
「はっ」
"病毒の王"の口調に切り替える。
「お前の忠誠を受け取ろう。"病毒の王"の名において」
「……有り難き幸せ。この上なき幸福にございます」
重い。嬉しいけど重い。
見ると、未だサマルカンドの手首からは血が滴っている。
「サマルカンド。命令だ」
「いかようにも」
「手首を治療しろ」
「は?」
首を傾げるサマルカンド。
「ん? 聞こえなかった? それとも聞けない命令とかもある?」
「いいえ。私の生命と尊厳全ては貴方のもの。しかし、命令の意図を図りかねております」
重い。
なのに、なんでこんな簡単な命令が聞けないのか。
「私はそんなに難しい事を言ったかな?」
「意味の上では、言っておりませぬ。しかし、私は貴方の命を狙いました」
「うん」
「そのような私めに、自分自身の治療……それも、契約の際に当然必要な、自傷による傷の治療を命じられる意図が分かりませぬ」
「ねえ、サマルカンド。馬鹿なの?」
「我が主の深遠なる叡智に比べれば、馬鹿者でありましょう」
「いや、そういうお世辞はいいから」
ため息をついた。
"病毒の王"の口調に戻す。
「――お前は、私に命を預けたと言ったな?」
「はい」
「それは、私の部下になったという解釈でいいな?」
「そうしていただければ、至上の喜びです」
「なら、さっさと手首を治療しろ。私は、怪我してる部下を見て嬉しくなるような上司じゃない」
「はっ……」
サマルカンドが自分の手首にてのひらを押し当てると、指の隙間から白い煙が上がる。
そして手を離すと、傷は、跡形もなかった。
「頬の血をお取りします」
「頼む」
サマルカンドが、筋骨たくましい腕を伸ばし――
「離れろ、ゴミクズ」
その腕に、ナイフが突き立った。