冒険の終わり
女の子は、ダークエルフのメイドに、応接間らしい部屋に案内されて、ソファーに座っていた。
こんな時でなければ、きょろきょろと見渡して、じっくり鑑賞したいぐらい素敵な部屋だ。
特に、ソファーの座り心地など、たまらない。
ここの主人は"病毒の王"の名で呼ばれる、この国で最も邪悪な大魔法使いと伝えられる存在なのに。
ノックの音が聞こえて、女の子の肩がびくりと跳ねる。
「はい」
思わず視線を足下に落とした。
『何』がやってきたのか、怖くて、直視など出来なかった。
「レベッカだ。マスターに言われて来たぞ」
「どうぞ、レベッカ」
なのに何故か、聞こえてきたのは、喉の使い方を工夫して大人っぽく聞こえるように振る舞っているような、愛らしい少女の声だった。
「それは?」
「"病毒の王"様から、預かったものだ」
けれど、顔を上げる勇気は持てない。
あの恐ろしい魔法使いが、一体自分のような小娘をどう扱うかなど、女の子の短い人生経験では想像が妙に暴走した方向にしかいかない。
メイドさんはああ言ったが、そうやって優しくしてくれたのも、何かの罠かもしれない。
そして一体何を預かってきたというのだろう。
「マスターから、事情は聞いていますか?」
「迷い込んだ子供が軽い怪我をしているからと言われたが……こんなにも怯えているのは何故だ?」
「それはまあ……肝試しに来たようですから」
「……なるほどな」
そうあっさりと頷かれると、恥ずかしくてたまらなかった。
ここは"病毒の王"の館。
軍施設でもあり、肝試しのような興味本位で来ていい場所ではないのだ。
子供とはいえ、黒妖犬に噛み殺されていてもおかしくない。
「まあ、安心しなさい」
近付いてきた足音は、軽かった。
肩に置かれた手の感触も、軽い。
そろそろと視線を上げると、そこにいたのは、黒いフリルシャツとフリルスカートが幼さを引き立てているのを差し引いても、女の子とそう年の変わらないとさえ思える幼い少女だった。
ピンと伸びた長い耳の先は尖っているが、肌は抜けるように白い。その姿は、とうに人間に滅ぼされて、いなくなったと伝え聞くエルフのものだった。
精緻な細工が美しい銀のティアラをかぶっているという事は――お姫様なのだろうか。
ますます非現実感が増す。
さらに非現実的な事に、エルフの少女は小さな手にお盆を持っていて……そのお盆には、湯気を立てるホットミルクの入ったマグカップと、バタークッキーが盛られた小皿が載っていた。
「食べなさい」
「……毒とか」
「入ってない。……リズ?」
怪訝そうな視線を向けられたダークエルフのメイドさんが、首を横に振る。
「いや、私はちゃんと言いましたよ。治療するだけだって」
「そうか。ならばそれは、"病毒の王"の悪名が悪いな」
「ええ、そうですね」
うんうんと頷き合う二人。
「毒など入っていない。あったかいミルクを飲めば落ち着くし、クッキーは、このお姉さんのお手製だ。味は保証する」
メイドさんの赤いマフラーが、ぴこぴこと動いた。
女の子は思わず窓を見るが、しっかりと閉まっていて、すきま風が入る余地はなかった。
「いただきます……」
そろそろと手を伸ばして、マグカップのミルクを口に含む。
美味しかったし、何より本当に落ち着いた。
ほう……と息をつくと、肩から力が抜けた。
緊張のせいで全身に力が入って、ガチガチになっていたのだと、はっきり分かる。
様子を窺いながらクッキーに手を伸ばすと、それも言葉通り美味しかった。
「とりあえず怪我を治療しよう。少し、痛いかもしれないが、我慢出来るね?」
その口調は、子供に優しく言い聞かせる大人のそれだった。
頷くと、転んで打って、すりむいた膝に手が当てられる。言葉通り、少し痛かったが、すぐにじんわりとしたあたたかさが染み渡り、痛みが引いてきた。
ホットミルクとクッキーの方に気を取られていたというのもある。
ミルクとクッキーを食べ終えた女の子が、ぽつりと呟く。
「……ただの、肝試し、だったんです」
「分かっているよ。責める事も、しない」
肌の白いエルフの少女が微笑む。
「しかし、勇敢だね。こんな所に子供だけで」
「ええ、全くです。将来が楽しみですね」
褒められた事がかえって恥ずかしくて、仕方なかった。
「けれど、ここは……『危ない』から、今後は、絶対に近付いてはいけないよ?」
「……はい」
「お姉さんとの約束だ」
「お姉さん……?」
ばっと、ダークエルフのメイドさんが、顔をそらした。
肌の白いエルフの少女が、彼女に冷たい視線を向ける。
そして軽くため息をつくと、また微笑みを浮かべて幼い少女を見た。
「……私はほぼ間違いなく、君より年上だよ。外見で年齢を判断してはいけない。いいね?」
「あ、ごめんなさい。お姉さん」
メイドさんが笑いをこらえているように見えるのは、気のせいだろうか、と女の子は少し悩む。
気のせいに違いない、と結論付けた。
ここは"病毒の王"の館であり、彼女はそれに仕えるメイドなのだから。
「改めて言うが、もうこの館に近付いてはいけない。ここはその……可愛い女の子には、危ない場所だからね」
「……はい。ありがとう、お姉さん達。もう……来ません」
家まで送ろうかと言う二人の申し出を、女の子は首を横に振って、断った。
緊張するというのもあったが、一人になりたかったし、一人で歩きたかったのだ。
そういえば、危ない場所、の前にわざわざ『可愛い女の子には』を付けたのは、どういう意味があったのだろう。
ぼんやりと、冬の寒さを和らげる午後の日差しを浴びて家路を辿っていると、短い夢を見ていたような気分になる。
そうしていると、声をかけられた。
「大丈夫だったか!?」
「変な事されなかった!?」
ダークエルフと、獣人の男の子が一人ずつ。
一緒に肝試しをした仲間だった。
心配していたのだろう。
二人の顔には、この上なくほっとした表情が浮かんでいた。
とりあえず言いたい事は。
「二人共、心配してくれてありがとう」
「なあに、俺達友達だろ!」
「そうだよ! 当たり前でしょ」
次に言いたい事は。
「二人共、私を置いて逃げたよね」
「うっ」
「そ、それは……」
目をそらす二人から、女の子も目をそらした。
「……いいよ。メイドのお姉さんに、親切にしてもらったから」
「は?」
「え?」
「でも、もう近付いちゃダメだって。危ないから」
「あ、ああ……」
「うん……」
二人して、顔を見合わせながら頷いた。
女の子が歩き出す。
「ほら、帰ろう」
「怒って……ないのか?」
「謝って許される事じゃないけど……その、ほんとに気付かなくて……」
彼女は、後を追う二人に振り返った。
「いいんだよ、もう」
――そう言って微笑む女の子は、いっぺんに大人になったようで、男の子二人は、どぎまぎしながら黙り込んだ。




