罪深い幸福
リズが、私の肩に強く手を置いた。
そして慌てたような顔で叫ぶ。
「だからマスター! 何か誤解があります!」
「……もしかして……処刑じゃない……とか?」
「はい。誰から聞いたんです?」
「いや、自分の置かれた状況を考えたら……でも、そっか。そうだよね」
「分かってくれましたか」
「知識の吸い出しが、まだだよね。監禁? 尋問? 覚悟は決めたつもりだけど、痛いのは嫌いだから、拷問はなしだと嬉しい。精神魔法も、壊れないレベルか、いっそ何も分からなくなるレベルのどっちかにしてくれると――」
「何も分かってないじゃないですか!」
私の言葉を遮って叫ぶリズ。
じわじわと、彼女の言葉を、脳が理解し始めた。
「私……死ななくて、いい?」
「はい。死ななくていいです。――後、なんで私に苦しませずに殺してくれとか言うんですか」
「殺されるなら、せめてリズがいいなって」
「……とりあえず、マスター。一言言わせて下さい」
リズが呆れた顔で言う。
「サマルカンドぐらい重いです」
「嘘だ。私あんなに重くない」
「むしろサマルカンドより重いまであります。後、『自分の置かれた状況』を曲解したようですが、なんでそんな結論になったんですか?」
「だって……急にみんなが優しくなったんだよ? 理由も言わずに」
「それは、その」
「サマルカンドに聞いたら『甘やかす事に決めた』とか意味の分からない事を言うし……」
「あ、やっぱりサマルカンドはきちんと伝えたんですよね」
「だから、みんなが甘やかすような事態っていったら……私は、処刑されるのかなって。その前に、少しだけ……優しく、してくれたのかなって」
ぽつぽつと、呟くように。
「"病毒の王"は、もう、要らないのかなって」
「うちのマスターは、たまにぶっ飛んでますね」
リズが、心底呆れた声でため息をついた。
「せめて、一人で考えて暴走する前に、一言ご相談下さい。何のための私ですか」
確かに、自分一人の思考は、時に暴走するからこそ、魔王軍最高幹部には副官が――私にはリズがいるのだ。
しかし。
「え、自分を処刑しようとしてるかもしれない人達相手に相談? それはちょっとハードルが高い」
「……それはそうかもしれません。でも、誤解です。陛下をはじめ、軍の上層部はおおむね"病毒の王"の味方ですし、"福音騎士団"を壊滅させた事もあり、支持する層も増えています。――リストレアにこれだけの貢献をされた方を、処刑など致しません」
「じゃあ……なんで、何も言わずにこんな事を? サマルカンド以外、みんな優しくなりすぎて、むしろ怖かったよ?」
「……ああ。サマルカンドは常日頃甘やかしてたから、これ以上どうしようもなかったんですね」
リズが呆れ顔になる。
「黙っていようと思いましたが、ここまで誤解させては……うちのマスターは、宴の席で酔っ払ってこう言ったんですよ」
リズが、ため息をついた。
「『一人にしないで』って」
「……え?」
記憶にない。
私はそんな恥ずかしい事を言ったのか。
「私の言う事を聞くから、と。"病毒の王"をちゃんとやるから、と。人類を滅ぼしてみせるから、と。――『だから』、と」
リズの声に、熱がこもった。
怒ってる、気がする。
仕事として、たしなめたり、叱ったりするのではなく。
彼女自身の感情を込めて。
「そう言ったんです。……確かに私達は――部下ですよ。でも。でも、こんな面倒で、適当な事ばかり言って、たまに自分がしたい事を言ったと思ったら、添い寝だとか一緒にお風呂だとか、そんなふざけた事ばかり言うマスターに、仕えているのは……!」
リズが、顔を背けた。
そして痛みに耐えるように、ぽつりと呟く。
「……仕事だけじゃ、ないですよ」
「……リ、ズ」
ぽたり、という音が足下からして、自分が泣いている事に気が付いた。
「え、あれ? 止まらな」
喉に感情が詰まって塞がって、熱い涙が頬を伝う感覚が、遅れて伝わる。
泣き顔を見られたくなくて、目元を手で押さえた。
ここ数日の事が、思い返される。
その時は、正直に言って恐怖と疑念の方を強く感じた、皆の『甘やかし』が。
一人にしないでと。
子供のような事を言った私を。
子供のような事を言った私に。
一人にしないよと、伝えるための行動だったのだと、分かって。
"病毒の王"としてではない、『わたし』が、彼女達の内にいたのだと。
「っ……ッ……」
歯を食い縛ってなお、嗚咽が漏れる。
リズが、そっと寄り添うように抱きしめてくれて、軽く背中をぽんぽんと叩いてくれる。
「"病毒の王"が要らなくなっても……この国が、あなたを必要としなくなっても……私達は――私は、マスターに生きていてほしいですよ」
泣き声も上げられないまま泣きながら、彼女を強く抱きしめ返すと、腕の中に彼女が確かにいるという当たり前の事が、私の胸の内にゆっくりと幸福となって満ちていく。
私は、私を信じてくれる人達の事を、信じ切れていなかったのだ。
それは、どれだけ罪深い事だろう。
自分に、それだけの価値がないと思った。
ここまで、生き汚く足掻いてきて、この立場を得て、それでも。
自分の価値を、信じられなかった。
私は、人間なのだから。
こんな優しいひと達を、人間ではないというだけで敵と定めた、滅びるべき種族なのだから。
それでも、この国は。
それでも、このひと達は。
こんな私を、必要だと、言ってくれるのだ。
しばらくそうしていると、波が引くように涙が止まった。
身を引いて、彼女の目を見つめる。
……もう、間違えない。
もう、二度と、種族を言い訳にしない。
「……リズ」
「はい」
「誤解してごめんね。……ありがとう」
「いいえ。――うちのマスターは本っ当に思い込みが激しくて行動力のある馬鹿ですね」
きつい言葉の割に、極上の笑顔のリズ。
私も嬉しくなって、笑い返す。
「思い込みが激しくて行動力のある馬鹿じゃなかったら、"病毒の王"なんてやってないよ」
私は、"病毒の王"。
種族、人間。
目標、人類絶滅。
私は、もっと思慮深く、慎重に、倫理感に従った行動を取る事が出来ただろう。
けれど私は、そうしなかった。
それはきっと、このひと達が、優しいから。
――このひと達の事が、愛おしいから。
人類全部を、合わせたよりも。
私の全てを、合わせたよりも。
私には、この子達の方が、大切なのだ。
「それで、甘やかすのって、どこまでOKなの?」
「……え?」
リズの笑顔が消えた。
しかしその戸惑いの顔も大好物だったりする。
最近、見てなかったし。
リズの手を取って、指を絡めながら微笑む。
「正体不明の恐怖から解放されたからね。どんどん甘やかしていいよ」
「それは……業務範囲外ですね」
「あれ。さっきと言ってる事が違う」
「マスターの誤解を招いたので甘やかし期間は私の独断で終了致しました。ご了承下さい」
「了承出来ないって言ったら?」
「ご了承下さい」
「もっと味わうんだった……」
もったいない事をした。
けれど、きっと、生きていれば。
何一つ、諦めなければ。
きっと、また……あんな風に。
そんな、夢を見た。
「ほら、マスター」
「ん?」
リズが指をほどいて、ベッドに上がる。
「私寝ますよ」
「あ、じゃあ」
そこで何故か、リズがぽんぽんとシーツを叩いた。
「部屋にもど……ん?」
「え?」
心底不思議そうなリズ。
「来ないんですか?」
「行く」
何の迷いもなく頷いて、私もベッドに上がった。
「ベッドに誘ってくれたって事は、そういう事だよね。で、どこまでしていいの? むしろ私が食べられる側? 経験豊富ならお任せしても」
リズがジト目になって、早口でまくし立てる私の言葉を遮った。
「本当にうちのマスターは思い込みの激しい馬鹿ですね。添い寝だけですよ」
行動力のある、が抜けた。
それはもうただの馬鹿では。
「はーい……」
でも、私はきっと馬鹿なのだろうと、思う。
私は、彼女の呆れたような視線も、大好きで。
ちょっぴり怒った口調で叱られるのも、嬉しくて、仕方ないのだ。
「リーズ」
彼女の名前を呼んで、布団の中で抱きしめる。
「なんですか?」
「大好きだよ」
頬をちょっと赤くして、ぐるん、と抱きしめられたまま背中を向けるリズ。
実はそっちの方が密着率は上がったりするのだけど。
「リズは?」
「……本日の業務は終了しました」
つまり、こうしているのは業務ではないと。
既にもう、添い寝まではお願いしなくてもやってくれるみたいだし、プライベートでベッドで抱きしめられるのにも、いつの間にか抵抗がないようなので。
夢が現実になる日は、そう遠くないかもしれない。
・3章あとがき
はいこんにちは、水木あおいです。
病毒の王「3章」をお読み頂きありがとうございました。
……ここから読み始める人は……いないと信じておりますが、世界は広いので、あえてここから読み始める人がいてもいいと思います。
3章が少し暗めだったので(元からダーク部分もあるお話ですが)、4章は少し明るめになります。
ダーク部分は、主に帝国の方々に受け持って貰う予定です。
3章もそうですが、トータルで後味のいい作品になっていればよいのですが。
……後味のいい作品が好きですよ。
今後の更新の予定に関して。
3章完結を機に少しの間更新を停止します。
2020年の吉日より更新再開します。二月初頭だと思っていますがはっきりした事は言えません。
合間に番外編が投稿されるかもしれないしされないかもしれません。
2章から引き続き、一部テンプレートを使用している割にあやふやな告知ですが、そろそろ慣れて下さっていると勝手に信じています。
それでは、引き続きうちの子達をよろしくお願いします。




