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病毒の王  作者: 水木あおい
3章

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信仰の残骸




 生き残ったのは、三十名に満たなかった。



 雪崩に流され、冷え切った身体に鞭打って、生き残りを探す作業は、早々に中断された。


 その内の一人が、倒れたからだ。


 助かった自分達もまた、犠牲者になる。


 助かったのは奇跡であって――神の加護などでは、ない。


 ここに留まれば、神の御許に召される。



 そして、山を下りられたのは、二十名に満たなかった。



「……では……神聖騎士団は……"福音騎士団オーダー・オブ・エヴァンジェル"は……?」


 神聖王エトガルド十四世は、十も老け込んだようだった。


 遠征軍唯一の、兵士階級の生き残り――信頼の厚い門番だった――の男の報告を聞く度に顔が青ざめていき、皺の数が増えていくような錯覚さえ、その場にいる者達が覚えるほどだった。


 王の震え声とは、対照的な冷静な声が応える。

 余りにも冷静すぎて、平坦な声だった。


「分かりません。申し上げた通りの、大雪崩です。その上、完全に待ち伏せされておりました。生き残りはいたとして、捕虜以外にはいないでしょう。……そんなものがいるとは、思えませんが」


 人間の方でも、捕虜など取っていないのだから。

 あの非道の悪鬼に率いられた軍勢が、捕虜など取るはずもない。


「天使様と、聖女様は? ――神は? 何をなされて……」


「詳しい事は分かりません。おそらく、あれは"病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"の駒です。私達は皆、騙されたのでしょう」


 言葉を失った神聖王に代わり、居並んだ貴族の一人が、一歩前に出て叫ぶ。



「何を、他人事のように言っておるか! お主があの者を聖女であると、強く主張したのであろう!? ――まさか、通じておったのではあるまいな……!」



「そうであれば……よかったですね」


 彼は、微笑んだ。


「貴様っ……!」



「私は……"病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"を見ました」



「な……に?」


「声も、聞きました。嘲りの声……人を人と思ってもいない、いえ、虫の脚をもいで遊ぶような残酷さ……? 悪魔などではない。そんなものではない。魔族であるとさえ、信じたくない。――あれが! あんなものが、私達の敵だと……!?」


 冷静さが仮面のように剥がれ落ち、頭をガリガリと掻きむしる。爪が食い込み、血が流れ、引っ掛かって引きちぎれた髪がばらばらと舞う。


「お、王の御前で……」


 儀仗兵が声を上げかけるが、あまりの有様に、尻すぼみになった。


 誰もが一言も発せない、重苦しい沈黙が謁見の間に落ちる。


「神などいない! あれに殺された!! 天使などいない! 全ては偽物だった!! 聖女などいない! 全て……まやかしだ……」


 ぼたぼたと赤絨毯に大粒の涙をこぼしながら、全身を折る。

 床に額をこすりつけるように、彼は悲痛な懺悔を止めなかった。


「殺して……下さい。私は信じた……。あんなものを……差し出されたものを、ただ、それが美しく、綺麗な言葉を話してるというだけで……天啓でも受けたように……」


 沈黙が、さらに重苦しいものになる。


 お互いに目を合わせず、ばつの悪い顔でうつむいた。



 この場にいる皆が、その天啓という名の幻想を共有したのだ。



 疑り深い者も、天使の存在があらゆる魔法で暴けず、精神魔法もクリアしたと聞かされて、かえって熱烈な信者へと変わった。


 神が御使いを遣わし、天啓を授けられたのだと。


 国中が熱狂し、驚くべき速度で進軍し、この速度ならば敵軍の展開は間に合わぬだろうと、皆が勝利を確信した。


 理性ある者は、いずれ敵地で孤立して包囲殲滅されるだけだと苦い顔をしたが、その中でも一部の者は、その前に魔王の喉首に手が届くとさえ分析したものだ。


 それほど最高のタイミングで、最高の戦力を叩き付けたはずだった。


 だが、帰ってきたのは、彼一人も同然。


 道中で多くが別れたという民兵が数人残っていたが、生き残り全てを合わせても、二十人もいなかったという。


 つまり、神聖王国の最高戦力を含む十万以上の軍勢が、全滅させられたのだ。



 "病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"の手によって。



「……休むがよい。そなたの責任ではない。まだ聞きたい事も多い。下がって、ゆっくり休むのだ……」


「王よ……はい、はい……」


 ずるずると身体を引きずるように起こし、近衛騎士に支えられるようにして退室する。


「どうか……我らの……無念を――どうか……」



 退室する寸前にこぼれたような言葉が、皆の胸の内を、より一層重い物にした。



「……宮廷魔法使い殿。"病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"が唱えた、"雪崩(アヴァランチ)"という魔法に、聞き覚えは?」


「ございませぬ……」


 国王に名指しされた宮廷魔法使いが、ゆっくりと首を横に振る。

 "病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"が詠唱した呪文によって引き起こされた大雪崩で、十万の軍勢が瓦解したというくだりでは、宮廷魔法使いも、将軍も、顔が青くなった。


 悪魔(デーモン)も、ダークエルフも、人間よりは魔力量が多いだけで、使える魔法に違いはないと思われていた。


 もし、そうではないのだとしたら。



 一発の魔法で大軍が瓦解する悪夢が、今後も繰り返されるとしたら――戦争など狂気の沙汰だ。



「ただ……そもそも、あれほどの大軍が、厳冬期に山越えをしようとした事例自体がありませぬゆえ……」


「あれは、どれほどの魔力を持っているのだ? 何故、民ばかりを狙う……?」


「力のないゆえ、だと思っておりました……が、違うのかもしれませぬな」


 神聖王国の上流階級の間では、"病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"とは害虫のような存在であると、思われていた。


 農村への攻撃に徹しているのが、その証拠ではないか、と。


「お主は、雪崩を起こして、十万の大軍を滅ぼせるか?」


「……不可能、でしょうな。魔力の尽きるまで"火球(ファイアボール)"を連発すれば、爆音と衝撃であるいは……」


「我が国最高の魔法使いである貴殿でも、一度の詠唱では、それほどの破壊を引き起こせぬ……と」


「無力を恥じるばかりです……」


「よい。――諦める事は、せぬ。未だ神聖騎士団は健在。エトランタルの大地も、そこに生きる民もまた、健在。あの聖女が偽物であったにせよ、あの言葉は真実であると、信じる。神は手助けして下さらぬかもしれぬ」


 神聖王エトガルド十四世は、謁見の間に集う皆を見渡した。



「だが、我々は自らの手で、自らを救うべきである」



 重々しい言葉は、皆の胸に届き、心に染み渡り、希望を取り戻させた。


 その短い演説は崇高で、まるで聖典の一節を耳にし、一枚の宗教絵画を見ているようだった。


 だが同時に、皆の心に毒が忍び込む。


 この前も、そう思ったではないか……と。




 どうして、信じたのだろう。


 見たのは、翼の生えた人間だけ。


 ただ、美しいものを見た。


 それだけで。



 どうして、神の使いを目にして神様を信じるほど、愚かな事をしたのだろう?



 彼は、遠征前に門番を務めていた時と同じように、城内の共用宿舎で休むように命じられていた。

 上役も、同僚も、後輩も、ぼろぼろになって辿り着き、報告をした自分に優しくしてくれたが、それは慰めにしか、ならなかった。


 簡素だが清潔で、綺麗に整えられたベッドに、身体を横たえる。


 ……白いシーツで、眠る事が出来るとは。


 共に『聖女様』を、そして神を信じた者達は、あの白い雪の下に眠っているというのに。


 自分は、伝えねばならないと、思ったのだ。


 遺体を掘り出す機会はないとしても。

 死者を悼むその祈りに何の価値もないとしても。


 信仰のために、戦った人達がいた事を。



 何もしてくれない神様を、信じた人達がいた事を――




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― 新着の感想 ―
[良い点] 素晴らしい…。 彼は、最高の「道化」だぁ…。 聖女と王の接点、信仰心の獲得、生じた疑念を無視した盲信、そして「語り部」としての生存。 ここまで完璧な役回りが1人のモブに集約されてい…
[気になる点] 病毒の王が全滅させたと言ってる時点でまだ現実を直視できてないんだなぁと。 山頂に行く前に寒さでボロボロ死んでいたのは誰のせいだったのやら。 [一言] 信仰の地に不信という毒。遅効性のソ…
[一言] 作者さん、更新はお疲れ様です! まぁ、確かに主人公さんの策は酷いだと思います。 しかし同時に、凄く今更の感じがします。主人公さんが人族を人として思っていないだと言っても、先に異世界人を消耗品…
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