戦勝の宴
私は、地獄にいた。
ここは、地獄だ。
周りには、黒い影。
びゅうびゅうという音が外からは聞こえ、煙に燻されて黒くなった木組みの天井がぐにゃぐにゃと歪む。
ここは、鬼が集う、地獄の底だ。
「マスター、何ぶつぶつ言ってるんですか?」
隣の、メイド服のリズにもたれかかった。
甘えると言うより、本気で平衡感覚がガタガタ。
「頭痛い……」
今は、戦勝の宴という名前の飲み会の真っ最中だ。
殺されたリベリットシープの中でも、原形を留めていた何頭かが解体され、提供されている。
乗り手たるリベリット槍騎兵も二人が死んでいるし、重傷者も出ている。
この戦場に彼らを呼び込んだのは私だ。
しかし生き残った者は皆、怪我人も含めて、気にするなと笑った。
それが、戦場の習いだと。
そして、自分達がリベリットシープに一番詳しいと、さっきまで命を預けていた騎獣をさくさくと解体にかかる。
うちのハーケンもお手伝いとして参加し、大型の肉切り包丁を手にして手際良く解体していた。
結局砦の門を守っていた彼に出番はなく……「せめて宴の裏方に回らせてもらうとしよう」との事だ。
今はサポートとして、いつもの恰好で料理や酒を持って厨房と会場を行き来している。
解体時にも、召喚を解除すれば消えるという事で、剣を包丁に持ち替えた以外はいつもの恰好だった。
エプロンに見えなくもない、血まみれになったぼろぼろのサーコートと肉厚の包丁が相まって、肉屋系ホラー映画の『主人公』を張れそうだった。
リベリット村で頂いた物の方が美味しかったのは、やはり熟成期間の問題だろうか。それとも部位だろうか。
しかし、疲れている事もあってお肉が染みた。
敵が思った以上に早く攻めてきて、結果的に食料の備蓄に余裕が出た事もあり、お肉以外も割と派手にやっている。
皆が楽しそうなのは結構だが、笑い声が頭に響いて、仕方ない。
ちょっとの間、意識を失っていたような気もする。
「ここのお酒は全部長期保存と、少量で酔うためにどれもハーブ入りって言ったじゃないですか」
「こんな強いなんて聞いてない……私まだグラスで一杯しか飲んでない……よね」
「毒耐性持ちでも酔えるようにしてあるんですから、当然です」
「リズは酔わないね?」
「暗殺者が潰れるわけないでしょう」
しれっと言うリズ。
確かに彼女はお酒に強い。
一度酔った顔が見たくて家飲みした時も、気が付いたら私は自分のベッドで寝ていた。
そんなにお酒に弱かったつもりもないが、どうも毒耐性とお酒の強さには密接な関係があるらしい。
「我が主。水でございます」
「ありがとサマルカンド……」
サマルカンドが差し出した水をちびちびと飲む。
「えーと、挨拶したのって幻?」
「現実です。……本当に大丈夫ですか? 記憶が混濁するほど飲んだとは思えないのですが」
リズが首を傾げる。
リズと同じく、一切酔った様子のないレベッカが、補足した。
「魔力が空だと、酔いも早いぞ。魔力量が全ての耐性の基本だからな」
「なるほど……ところでなんでレベッカ酔ってないの?」
「私はこれでも不死生物だから、まず酔ったりしない。そんな無茶な飲み方もしてないしな」
言外に、無茶な飲み方をしたお前とは違う、と言われた気がする。
「私ちゃんと挨拶出来た?」
「出来てましたよ」
リズが微笑む。
「その後に、グラスの中身一気飲みしなければ完璧だったな。強い酒だと言っただろう」
「ああ、だから一杯目で記憶ないのか……」
頷く。
「――で、あの二人ジョッキで飲んでるけど何杯目?」
ラトゥースとブリジットが、樽を挟んで、差し向かいで飲み比べをしているのを指さした。
二人が手に持っているのは、私に手渡された可愛いサイズのグラスではなく、フルサイズのビールジョッキだ。
「七杯目ですね」
見ている間にも、二人は、ごっ、ごっと黄金色のビールを喉に流し込んでいく。
普通のビールでも、多い量だと思う。
二人同時に、テーブル代わりの樽に置いた。
すかさず注ぎ足されるビール。
さらに何故か一枚、怪しげな乾燥ハーブが浸される。
よく見ると、その乾燥ハーブは、底にも何枚か重なってたゆたっていた。
「何あれ?」
「保存用ハーブ……だな。まあ俗称が"悪魔の誘惑"だが」
「何その物騒な名称?」
「睡眠魔法と併用して手術用の麻酔に使われる事もあるぐらい催眠効果があるハーブだ。食料保存にも使えるが、眠くなるからな。酒に混ぜて酔いを早めて、酒量を抑えるのが一番合理的な使い方だ」
「レベッカは物知りだね」
「長く生きているからな。ちなみに、普通、樽に一枚入れる」
「……え?」
「漬け込み時間が短いから、量での単純比較は出来ないが、マスターが飲んだのより数倍きつい事は間違いないな」
さらに八杯目を同時に喉に流し込んでいく二人を眺めながら、ゆっくりと記憶を手繰る。
確か私は、戦勝の宴に招かれ、歓声と共に迎えられた――
そして私に新しい酒の入ったグラスを渡したラトゥースが、叫んだのだ。
「ほら、"病毒の王"! なんか言えや!」
「ラトゥース。無茶振りって言葉、知ってる?」
首を傾げると、彼はしれっと言った。
「お前の部下からよく聞く言葉だな」
誰が言ったのか、問いただしたい衝動に駆られたが、上司への愚痴や陰口は、業務に支障が出ない範囲ならば受け入れるのが世の定めだ。
なので私は、諦めて覚悟を決めた。
「実はぶっつけ本番の演説とか苦手なので、手短に言おうか!」
グラスを掲げて、私は叫んだ。
「私は、"病毒の王"! ――お前達と戦えた事を、誇りに思う!!」
歓声が、爆発した。
そして皆が手に持ったグラスやジョッキが、高く掲げられる。
「我らが勝ち取った勝利に!」
「リストレアが永遠なる事を願って!」
「この勝利を共に祝えないやつらの分まで」
今日の勝利を喜び、結束を確かめ合い、もういない友を悼み――思い思いの気持ちを、皆が言葉にして、酒をあおっていく。
「これまで死んだ者達と、これから死ぬ者達のために!」
私も叫び、皆を真似てぐいっとあおって。
「あ、マスター!?」
慌てたようなリズの声が、遠くなっていった。
――うん、自業自得だった。
相変わらず頭がくわんくわんして力が入らないので、改めて隣のリズにしなだれかかる。
「……マスター、もう意識しっかりしてますよね?」
「意識はね。身体の方は頭痛いっていうかほんわりするというか」
「ほんわり……?」
「酔ってるの一言でいいんじゃないか」
「たかが一杯で酔うのってなんか悔しいじゃない?」
「妙な所でうちのマスターの負けず嫌いが」
「アレは例外だからな?」
レベッカが示した先では、ラトゥースとブリジットが九杯目を空けていた。
周りも、ジョッキではなくグラスで同じ数あおっているが、バタバタと何人かが倒れる。
おかしいな。ここに集ったのは、リストレアの最精鋭のはず。
リタル様と、彼女が率いるドラゴンが、討ち漏らしがいないかの索敵と、警戒に当たってくれているとはいえ、こうも無防備に、ダメな飲み会みたいなノリで酔い潰れていいものだろうか。
「まあ、戦勝の宴だ。堅い事を言うな」
「……私、口に出してた?」
「表情でな」
レベッカは年の功か、妙に多芸だ。
ブリジットとラトゥースが、十杯目に突入し――樽の上に、空になったジョッキを置いたラトゥースが、ぐらりと倒れた。
そのまま大の字になって高いびきを上げる彼を見ながら、彼女も空になったジョッキを置いた。
そして、高々と拳を振り上げるブリジット。
周りもグラス十杯目でばたばたと倒れつつ、未だ潰れていない暗黒騎士が歓声を上げ、獣人達がうめき声を上げた。
しかし流石に限界だったのか、ブリジットもふらりと倒れかかったところを弓兵さんに支えられ、背負われて退室する。
既に宴も終盤だ。
理性のある者はそろそろ撤収に入っているし、限界を迎えた者は倒れ始めた。
地獄のような光景。
同時に幸せな光景。
不意に、心臓が、ぎゅっと締め付けられるような気がした。
「……目が覚めたら、全部夢なんじゃないかって気分になる……」
「マスター?」
リズの声を聞くと、いつもは安心するのに、今は、不安になるだけだった。
「私は長い夢を見てて……本当はまだ、あの家畜小屋にいるんじゃないかって……私、まだ……一人なんじゃないかって……」
リズの手前にあるグラスを取った。
「あ、マスター!」
ぐいっとあおった。
既に泡が消え、気の抜けたビールの癖に、喉が焼けるように熱くなる。
つん、とした、緑の香りが鼻に抜けた。
頭に霞のかかったような酩酊感に支配される。
手を伸ばしてふらふらする私を支えようとしたリズを、強く抱きしめた。
彼女の、耳元にささやく。
「……好きにして、いいよ」
「え? ――は!? あの、それ、どういう意味で言って」
「私、『そうする』よ。リズの、言う事、聞くよ」
「いやあのでも、私マスターの事嫌いじゃないですけどそういうのは」
「ちゃんと、"病毒の王"やるよ。人類を、滅ぼしてみせるよ。だから……」
「……マスター?」
リズの声が、遠くなる。
周りに、誰もいない、みたいに。
強く抱きしめている彼女さえ、幻のように思えて。
目尻に、涙が滲んだ。
「一人にしないで……」




