なによりも大事な事
戦勝の宴も大事だが、その前に、もっと大事な事がある。
私は、"第六軍"に割り当てられた一人部屋で、人を待っていた。
今、この部屋を一人で使っている、私の副官さんを。
「マスター、ただいま戻りました」
「リズ、おかえり!」
帰還の報告をするリズを、思いきり抱きしめた。
暗殺者装束なので、いつものメイド服とはまた、抱き心地が微妙に違う。
「わっ」
「はあ~……」
しばらく、自分の腕の中にリズがいるという、当たり前のようで当たり前でない幸福をゆっくりと噛み締める。
今日、沢山の敵が死んだ。
それに比べれば僅かな数だが、私達の仲間が死んだ。
けれど、私も、彼女も、その中に入っていない。
彼女をぎゅーっとするのをやめると、リズと目を合わせた。
「それで、何してほしい? 全力で可愛がるって約束したからね」
「あ。あれやっぱり本気なんですね。ちょっときつめの戦場に行く前に冗談で緊張をほぐす気遣いとか、そういうんじゃないんですね」
「もちろん」
「あとなんか増えてません? 全力とか」
「気のせいです」
「マスター、適当な事言う時口調変わりますよね」
「気のせいです」
「気のせいじゃないですってば」
「気のせいです」
「……そういう事にしておきます」
「うん」
根負けしたリズに微笑む。
「……何も要りませんよ。こうしているだけで、十分です」
リズも、微笑みを返してくれた。
「勝ちましたよ。神聖王国の最高戦力を全てと、主戦力の五分の一。民兵も、あれだけ失えば、色々厳しくなるでしょう。装備も、物資も、大量に失われました」
「……うん」
「それに、聞きました? "病毒の王"が宴に参加するって聞いた時の皆の反応!」
嬉しそうなリズ。
「……私達、ここまで来ましたよ」
「うん」
リズが、私の手を取る。
そして、声のトーンを一段落とした。
「……もちろん、まだ、神聖騎士団の八割は残ってますし、"ドラゴンナイト"以外の王国の通常戦力も、帝国の主戦力も無傷。戦争が終わったわけじゃないですし……きっと」
「まだ……勝ちきれないね」
今回の勝利が、人間側を刺激する可能性は十分にある。
危機感を抱き、本格的に戦力を整えて決戦を挑まれれば……リストレアの国土は、無残な事になるだろう。
今日のような少ない犠牲では勝てないだろうし、犠牲を積み上げても、勝てる保証などない。
犠牲のない戦争も、勝てる保証のある戦争も、ありはしないけれど。
「それでも、今日私達は、勝ちました。あなたの――"病毒の王"がもたらした勝利です」
「みんなで、勝ったんだよ」
「それはもちろんですが、"第六軍"が最大の戦功を上げた事は、誰の目にも明らかですよ。"第二軍"と"第三軍"との連携も出来ました。この場に集ったのは最精鋭。きっと、私達を侮る者も、不当に恐れる者も、いなくなるでしょう」
「……そうなる、かな」
リズが語るのは、明るい未来だ。
けれど私はひねくれているので、つい、思ってしまう。
私のような非道な悪鬼が、本当に受け入れられるのかと。
「そうするんですよ」
けれど、私の副官さんは、笑ってくれた。
「あなたは、この国を守る、魔王軍の最高幹部なんですよ。誰もが、じきに分かります。私達部下が知っている事を、皆が知るようになります」
「……知ってる事って……?」
リズが、一際笑みを深くする。
「我らが悪い魔法使い様が非道なのは、敵軍に対してだけだって事ですよ」
レベッカにも、同じような事を言われた。
私達の敵は、人間だ。
自分が――同じ種族を敵に回している事に、思う所がないと言えば嘘になるけど。
この笑顔の前に、種族の壁が、なんだというのか。
――この笑顔を永遠にするためなら、人類絶滅さえ、安いものだ。
私は愛しさの全てを微笑みに変えて、それでも足りなかった全てを動作に変えて、彼女をもう一度抱きしめた。
リズも、抱きしめ返してくれる。
「入るぞ」
レベッカの声が聞こえ、ノックの音とほぼ同時に部屋の扉が開く。
反射的に身を離そうとしたリズだったが、私は気にせず抱きしめ続けたので失敗する。
腕の中でじたばた暴れる彼女の動きは、私の身を案じてなのか、弱く、到底ほんの数秒で抜け出る事など叶わなかった。
「……随分と悪いタイミングだったようだが、マスター、呼ばれているぞ。戦勝の宴に一番の功労者が出席しないでは、様にならない」
「ほら、マスター! レベッカがこう言ってますよ!」
「もうちょっと、ダメ?」
「意向を汲んでやりたい所だが、疲労のせいで酔いが早い。そろそろ行かないと、印象に残らない……どころか、記憶に残らんぞ」
「それもまずい……よね」
「当然だ。私が部屋を移るから、続きは夜にゆっくりしろ」
「分かった」
レベッカの言葉に頷いてリズを解放すると、リズが叫んだ。
「続きってなんですか! 夜にゆっくりする事とかないですからね!?」
「ああはいはい。そういう事にしておくから」
「しておくってなんですか」
「ほら。その恰好で宴に行く気か?」
「分かりましたよ……」
「先に行っている。追いついてくれ」
「了解です」
「着替え手伝ってちゃダメ?」
「手伝う事とかないですから」
「時間が無駄に掛かりそうだから却下だ」
「分かったよ」
レベッカを伴って、部屋を出る。
最後に、振り返って、笑いかけた。
「待ってるよ、リズ」




