ブリジットとクラド様
「ブリジット!」
「あ――うわ」
砦内で軍服姿のブリジットを見つけたので、とりあえず駆け寄って抱きしめる。
「無事、着いたか。……で、これは?」
「友達同士の挨拶です」
「……そうか」
諦めた様子のブリジット。
ぽん、と背中が軽く叩かれて、緩く抱きしめられた。
そして、二人共自然に身体を離す。
「元気にやっているか?」
「お陰様で。ブリジットこそどう?」
「元気にやっているよ。あの後は、随分とやりやすくなった。士気も高いし、皆が明確な目的を共有している。――『この国を守るのだ』と」
「それは何より。ところで、『準備』は?」
「万端だ。……どこかの悪い魔法使い様が提案した外道極まる作戦通り、な」
「それは悪い魔法使いもいたもんだね」
うんうんとわざとらしく頷いて見せる。
ブリジットが苦笑した。
しかし、すぐに真面目な顔になる。
「それで、ラトゥースから聞いていると思うが、リタル様が一度話したいそうだ」
「ブリジットは、何か聞いてる?」
「いや? まあ、同じ最高幹部だから、折を見て話したかったのだろう。私もお会いしたのは二度ほどだが、温和な方だ。あまり恐れずともよい」
「ええ、その通りです。……私の事も紹介して頂けますか、ブリジット様」
枯れた、温和な声。女の人の声だが、老女と呼ぶ方が相応しいだろう。
顔は、目深にかぶったフードでよく見えない。口元だけが僅かに見えていて、薄い色の肌に老いを示す皺が入っている。
ベージュ色のフード付きローブは私のものよりも丈が長く、顔も指先も足下もほとんど見えなかった。
装飾らしい装飾もないが、唯一、フードの縁に赤いルーン文字が二列の線の合間に描かれている。
地球のアイヌの民族衣装みたいだ。
「――ああ。この方が、"第一軍"の副官を務めておられる、クラド様だ」
「ご紹介に預かりました……クラドと申します。"病毒の王"様」
長いローブの袖の中に隠れた両手を組み、頭を下げるクラド――様。
「はじめまして。お顔をお上げ下さい、クラド様。敬語も不要です」
一応名前は知っているが、会うのは初めてだ。
正確な年齢は知らないが、私より遙かに年上で、かつ部署違いで、副官を務めている方に失礼な態度は取れない。
猫系の獣人だったと記憶しているが、耳も尻尾も隠れているので獣人らしい部分は見えない。
「ありがとうございます……では、私にも『様』は不要です。あくまでただの副官ですもの」
「そうですか? では――クラドさん。リタル様がお会いになりたいとか」
「はい。都合のよろしい時間を――」
「荷物を置いたら、すぐに行きましょう」
「マスター。体力は大丈夫ですか?」
「大丈夫だよ。――構いませんか?」
「もちろんでございます。では、ここでお待ちしております。……道中の護衛の方はご随意に。ですが、一対一でお会いになりたいと……」
「はい。それでは部屋に行ったらすぐ戻ります」
軽く頭を下げた。
ブリジットが手招きする。
「ああ、こっちだ。案内しよう。あまり広い部屋でもないが……大部屋が二つと、小部屋が一つ用意してある。それぞれベッドが二つと一つだ。部屋割りは任せる」
「普通に考えれば、マスターが一人部屋で、私とレベッカ、サマルカンドとハーケンですよね」
「我とサマルカンド殿が小部屋でも構わぬぞ。我には睡眠は不要ゆえな」
「色々あるねえ。――ではリズ。私の望む部屋割りが、君なら分かると信じている」
「……私とマスターが二人部屋で、レベッカが一人部屋、サマルカンドとハーケンが二人部屋……ですか?」
「さすがリズ。その通りだ」
「皆に異論は?」
リズがちらりと皆を――「誰か異論を言ってくれないかな」とでも言いたげな目で見る。
「あると思うか?」
「ございませぬ」
「よかろうて」
リズが小さくため息をつく。
「まあ、私メイドですしね。マスターの身の回りの世話は必要ですよね」
自分に言い聞かせるような口調。
「夜のお世話は?」
「それは業務範囲外です」
部屋に着いて、それぞれに分かれたので、リズと二人きりになる。
「ところでマスター、まともな話し方出来たんですね」
「……リズ。陛下の前の私を知ってるでしょ? 私はごく普通の常識人だよ」
「ごく普通の常識人は"病毒の王"名乗って最高幹部やらないと思うんですよ」
「それは少し違うね。ごく普通の常識人が、そんな名前を名乗らなきゃいけないような、非常識な状況に追い込まれただけだよ」
実際私が『ごく普通の常識人』なのかは、リズが言った通り疑問が残る。
しかし少なくとも、礼儀をわきまえた年上の仕事相手への、最低限の礼儀ぐらいはわきまえているのだ。
「しかしマスター。本当に、リタル様とお会いする際に、私が付いていなくてもいいんですか?」
「一人でって言われてるし……あのひと穏健派だよね?」
「"病毒の王"に関しては中立です。自分はあくまで最高幹部であり陛下が任命されたのなら文句を言う筋合いではない……というスタンスで……」
「それなら大丈夫だよ。理屈が通じる相手なら、ちゃんとお話出来るよ」
今の所、リタル様はあまり積極的に政治に介入しようとしていない。
"第一軍"の長――つまり、リストレアに属する全てのドラゴンを統括するという立場であり、魔王陛下でさえ、軽々しく命令出来ない立場でありながら、だ。
それはきっと、リタル様が竜族の事を考えているからなのだろう。
ドラゴンのためには、リストレア魔王国は間違いなく必要だ。
人間にとってドラゴンは時に家畜や人まで襲う、天災に近い『害獣』だ。ランク王国におけるドラゴンナイトのように、戦争の道具として使役される事もある。
それは、リストレアにとっても同じかもしれない。
ドラゴンは、国防の要なのだから。
だが少なくとも、リストレアのドラゴンは精神魔法では縛られておらず、同じドラゴンの命令で空を飛んでいる。
この国でドラゴンがもしも憎まれる存在になれば……この大陸から、いつかドラゴンは消えるだろう。
一対一で、ドラゴンに勝てる英雄など、まずいない。
けれど、ドラゴンと他の種族が、一対一で戦うなど有り得ない。
「私なら、おそらくあの方にも気付かれず潜伏出来ます」
「それも凄いけど……でも、リズを潜ませていて良かったって事に、なると思う?」
「……思いません。本気ならどうしようもないですし、ばれたらそれだけでマスターが不利になります」
「だよね。――大丈夫だよ」
安心させるように微笑んだ。
「それに、言ったでしょ。私は、リズ以外に殺される気はないって」
私の首の値段は、上がり続けている。
"病毒の王"が死ぬべき理由は、いくらでもあるだろう。
"病毒の王"を殺したい者など、いくらでもいるだろう。
けれど私を殺していいのは、リズだけだ。




