いつもと違うリズ
「あ、リズ」
廊下の向こうにリズを見つけ、手を振った。
「マスター!」
リズが笑顔になって駆け寄って、抱きついてきた。
とりあえず抱きしめ返す。
慣れた感触……と、少し、違う。
何か、が。
どこか、が。
「……どうしたのリズ? いきなり抱きついてきたりして」
最初はリズがとうとう本格的にデレたせいかと思ったが、それにしても唐突で、違和感がある。
そこで、その違和感を綺麗に説明出来る人が一人――正確に言えば二十八人――いる事に気が付いた。
「もしかして……クラリオン?」
「……なんで分かるんですか?」
『リズ』が上目遣いで首を傾げる。
「いや、リズが自分から抱きついてきてくれたりした事ないから」
「え? お二人は恋人同士ではないので?」
「そう見えた?」
「我ら二十八人、全員がそう思っておりますが?」
「え、ドッペルゲンガーの子達全員?」
「はい。全員が直接見た訳でもありませぬが、リタルサイドでも、随分仲睦まじい様子であったとの報告は共有されております。それらの情報を総合的に判断いたしますと、これはもう恋人同士としか」
「そっか。でも違うんだよ」
クラリオンは、擬態扇動班の長を務めている。
彼女達二十八人は『ドッペルゲンガー』だ。
擬態扇動班の中核。"病毒の王"が誇る、最高戦力。
"第六軍"にのみ所属する、希少種族。
高齢や深刻な持病持ちなどを除いた全員が召集に応じてさえ、僅か二十八名。
『魔法によらない完全変身能力』を有する種族だ。
なお、外見は完璧だが、それ以外の情報はあくまで擬似的なものに留まる。
つまり、戦闘能力は、並以下だ。
変身能力を有するせいか、『自分の体』というものへの意識が希薄で、攻撃魔法も、身体強化魔法も、全て適性が薄いとはリズの言。
ゆえに、ドッペルゲンガーは希少種族ではあっても、大事にされている種族ではない。むしろ、その反対だ。
この世界では、子供は母方の種族を引き継いで生まれる。
例外は一つだけ。それが、彼女達ドッペルゲンガー。
親の種族を引き継がず、決まった姿形も持たず、力も弱く、群れる事で自らを守る事も出来ない。……ゆえに、疎まれ、忌まれる。
種族を理由にした差別の禁止が明確に法で定められたリストレア魔王国ですら、その風潮は残っている。
けれど、戦闘能力で全てが決まる世界などありはしない。
多様性が賛美されるのは――それが、明確な牙を持つからだ。
「しかし我らがマスター。恋人ではないと言う割に平然と抱きしめ返しましたが、それが普通なので?」
「普通の事です。いつもありがとね」
軽く抱きしめたまま、リズの姿をしたクラリオンの頭を撫でる。
「あ……はい」
「ところで、クラリオンしか直接来ないね。私、他のみんなの顔知らないよ?」
「私の顔も知らないでしょう」
「それはそうだけど」
「……最初の事が、尾を引いているのだと。分かってはいても、御前に出るのは……そのー、怖いという者達が多く、今後も私が代表窓口を務めさせていただきたく」
「うん、みんながそれがいいなら、それでいいんだけど」
廊下に、リズの声が響いた。
「クラリオン!?」
「リーズリット様」
クラリオンが私の肩をちょいと押して促し、腕の中から抜け出して、廊下をツカツカと歩いて来たリズと向き合う。
リズが二人。わあ、新鮮。
「マスターに私の姿で何してたんですか!」
「いや、リーズリット様の振りをしてマスターに近付いてみたら、あっさり見破られた所でした。愛でありますな」
「あ……え、愛!?」
リズの頬が赤く染まる。
クラリオンはすまし顔なので、対比が際立つ。
「それで、リーズリット様が自分から主へ抱きつかれた事などない、という違和感が理由でしたが、他に不自然な点などは?」
「抱き心地がちょっと違った」
「……はあ」
「マスター、何言ってるんですか!? クラリオンも!」
「我ら擬態扇動班は、"病毒の王"様と陛下より、擬態訓練許可を頂いております。これはそれに関するフィードバックを受け取っているだけの事でありまして、つまり明確に軍務であります」
しれっと言うクラリオン。
「しかし"病毒の王"様、その程度の要素でドッペルゲンガーの擬態を見抜かれると、擬態扇動班の長としましては不安なのでありますけど」
「大丈夫だよ、クラリオンの能力には問題はなかったよ。私が、リズが自分から抱きついてくれるような都合のいい展開を信じられないぐらいには、心が荒んでるだけだから」
「それは本当に大丈夫なのでありますか?」
クラリオンが首を傾げる。
「おふざけで化けてるのと、仕事中の入念な調査の末に化けてるのを一緒にするのがおかしいよ。それに、親しい相手を騙すのは、難易度高いから推奨してないはずだけど」
「それはそうでありますが」
リズの姿の、クラリオン。
私は呟いた。
「リズリオン……違うな。クラリズ……それも違うような気がする」
「……"病毒の王"様?」
「マスター?」
「いや、リズの姿をしてるクラリオンをなんて呼べばいいかなって。……でもやっぱりクラリオンは、どんな姿をしていてもクラリオンだね」
「……はっ、光栄であります」
クラリオンが目を伏せた。
「それでクラリオン。私の姿の擬態は解除して頂けますか」
「しかし、重ねて申し上げますが、我らドッペルゲンガーは、公式に"病毒の王"様と陛下より、あらゆる姿への変身許可を頂いております」
それは確かに、彼女達に与えられた――彼女達が勝ち取った権利だ。
しかし、実際問題として。
「クラリオン。混乱するから、リズじゃない人になってくれる?」
「は。我らがマスターのお頼みとあらば」
そして、彼女の姿がゆらめいて、変わる。
まばたきをしていたら、その瞬間を捉え損なうほどの素早い変身だ。
深緑色の、フード付きローブ。
その下に、若草色のローブ。
ルーン文字の刻まれた肩布。
首元に三種の護符。
左手に杖、右手に仮面。
「なんでそこでマスターの姿になるんですか!」
そこにいたのは、"病毒の王"の姿だった。
鏡では見慣れた姿。
けれど平面ではなく立体の姿が珍しくて、しげしげと眺める。
しかし、リズを見た後だと色々寂しい。
一応ゆったりしたローブには性別をごまかすためというのもあるのだが、逆に言えばその程度で誤魔化せてしまうという事だ。
「自分を見るのも新鮮だね。でもクラリオン、私こんなに美人じゃなくない?」
「私はドッペルゲンガーでありますから、擬態に手を抜くなどという器用な真似は出来ませぬ。我らがマスターは見た目に関しては美女でありますよ」
「へえ。内面は?」
「それはもう、非道の悪鬼としか」
「へこむなあ」
「私達擬態扇動班、いえ、暗殺班の皆も、主を全面的に信頼しております」
「それはそれでどうなのよ。今さらだけど、こんな『非道の悪鬼』の主でいいの?」
「――それが、必要なのでありましょう?」
にやり、とクラリオンが私の顔で笑った。
歯を剥き出しにして、口元を歪めるように笑みを作る。
仮面の紋様がオレンジ色に輝き、その光が瞳に反射して、狂気そのものが燃えているようだ。
わっるい顔してるなあ。
「本当にマスターそのままですね……。その表情とか」
リズが私とクラリオンを見比べて言う。
「え、私こんなん?」
「良い計画を思いついた時とか、よく浮かべている表情ですね」
「……自分では、精々『不敵な笑みっぽく見えたらいいなあ』、ぐらいだったんだけど……?」
「我らには『この世に悪という言葉の意味を知らしめてやろう』という風に見えておりますよ」
「うーん……」
鏡さえも、自分の目を通す以上、自分という像を正確には映さない。
自分の認識する自分と、人の認識する自分は、違うものだ。
しかし、それがある意味では、遙かに上のほうに認識されている場合、どうしたものか。
最高幹部らしく振る舞おうという練習の成果、なのだろうか。
「クラリオン。混乱しますのでやめていただけませんか」
「いや、別にいいよ、それで」
「どうしてです?」
「だって、自分の顔なんて鏡でしか見ないからねえ。意外と目の前にいても混乱しないから」
「私が混乱するんです」
「じゃあクラリオン、フードかぶっておいて」
「はい、マスター」
クラリオンが、フードを目深にかぶる。
「……そういうものですか?」
「そういうものだよ」
所詮"病毒の王"とは、そういうものだ。