飢えた絆
暴動が起きた。
言葉にすると、ただそれだけ。
それは、仕組まれた必然だった。
魔族を倒すために、"ドラゴンナイト"は――『絶対に』必要なのだ。
替えは利かない。
そして、ただの村人は『替えが利く』。
それが、理屈だ。
そして、その理屈に従わなければ、いずれ人類全てが滅びる。
だから、ランク王国の上層部は正しい事をした。
"ドラゴンナイト"を優先し、攻撃を受けた地域への援助を行わなかった。
だから、とある街で、慣れ親しんだ村を捨ててでも生き延びようとした難民達が、完全武装の兵士達と睨み合うのは、必然だった。
「翼の生えたトカゲの方が、俺達人間より大事なんだとよ!」
「畜生め! 上のやつらが不甲斐ないから!」
「黙れ! 黙らんか! 牢屋にぶち込むぞ!」
兵士が声高に叫び、槍を突きつける。
一人の男が、槍を少しも恐れず、前に一歩出た。
もう、彼はそれよりも恐ろしいものを、知っていた。
もう、彼に失うものなど、何もなかった。
「おうよ、やってみな! ただし、食事ぐらいは出るんだろうな? ――俺だけじゃなくて、こいつら全部ぶち込めるだけの牢屋はあるんだろうな?」
「……う」
「き、切って捨てるぞ!」
「やるならやりやがれ! どうせ俺達は終わりだ! もう……もう、冬も越せねえ!」
個人レベルでは、手を差し伸べようとした人達もいたのだ。
けれど、その街自体、元々食料の自給率はギリギリ。
周辺の村々からの買い取りが出来なくなり、そして村人が難民となった時、食料は絶対的に足りなくなった。
ドラゴンのために。
翼の生えたトカゲのために。
だから、険悪な睨み合いが、王国軍の食料庫への襲撃へ――暴動へ発展したのは、必然だった。
それを王国軍が武力制圧したのも、必然。
武力を用いた暴動とは反乱であり、反乱とは国家にとって絶対に認められないものだ。
血みどろの光景が、唐突に終わった。
水晶球――に見える魔力の塊が、ほろほろと崩れて、一枚の紙片が残る。
魔法を用いた映像記録だ。
高等術式を使っているせいで作れる者が限られるので高級品。
短時間しか記録出来ない。
その上、再生の都度、かなりの魔力を使用する大食らいだ。
けれど濃密に現場の空気を伝えてくれる。
擬態扇動班がこれを送ってくれたのには感謝だ。
「……心が痛みますか?」
リズが、無言のまま映像が投影されていた宙を見つめる私に声をかける。
「なんで?」
「以前、顔を見たら……情が湧くとおっしゃいました」
「水晶球越しだもの」
私は自嘲するように笑った。
「こういう魔道具みたいなの、元の世界にもあってね」
新聞の写真。
テレビの映像。
投稿サイトの動画。
「……たくさん、見てきたんだ、こういうの」
そういったものと、なんら変わりがなかった。
それが、自分の作った地獄の一部だったとして、それでも。
「――でも、何もしなかったよ。私は、少額の硬貨一枚寄付する事すら、しなかったんだ」
十円で救える命があると知っていたはずなのに。
知っている事と、出来る事は違う。
知っている事と、そうする事は違う。
王国の上層部にも、被害は伝わっているはずだ。
それでも、彼らは手を差し伸べなかった。
彼らにとって必要なのは、"ドラゴンナイト"だから。
飢えて畑を捨てて難民になった、農民なんかではないから。
「映像の補足です。この暴動にも擬態扇動班が介入したとの事。ちなみに映像には映っていないとの事です」
「そりゃ、あの暴動に巻き込まれたら……ねえ?」
リズが頷く。
「ええ。"ドッペルゲンガー"は強い種族ではないですから」
「肉体的には、ね。種族特性は最強だよ」
二十八人。
軍務に携わる事の出来る年齢と健康状態の者を全員招集しても、僅かそれだけの希少種族。
親の種族に関係なく、ごく低確率で生まれる、女性だけの種族。
外見だけだが、完全変身能力を持つ。
それが、"ドッペルゲンガー"。
うちの擬態扇動班の中核を成す、私が陛下に直接要求した『最高戦力』。
この剣と魔法の世界では全く評価されていなかった弱小種族が、私にとって最強の剣だった。
彼女達がいなかったとしても、暴動は起きただろう。
けれど、それはこれほど素早く、そして的確ではなかったはずだ。
「……うちの擬態扇動班は、優秀だね」
「あなたの部下ですよ」
リズが微笑んだ。
部下が優秀なのを、喜ぶべきなのだろう。
それが、他国であり。
それが、敵国であったとして。
私の命令に従って生まれたのが、人心の荒廃したこの世の地獄だったとして。
喜ぶ、べきなのだろう。
私は、私の責任において、それを命じたのだから。
その後も擬態扇動班と暗殺班からなる現地活動班は、順調に活動を続けた。
絞られた食料供給に困窮していく民衆が、的確に『煽られた』。
擬態扇動班が火に油を注ぎ、適切な対応をすれば消し止められたボヤを、大火事にする。
演技指導のメインは私だが、細かな指示は出来ないので現場の独自判断で自由に動いてもらっている。
例えば、民衆と王国の間の橋渡しをしていた立派な騎士様を殺して、王国軍内部の権力争いの犠牲者に見せかけたとか。
うちの擬態扇動班が優秀すぎて困る。
当然激怒。既に民衆の大半は暴徒化し、ガリガリ人口が減っている。
さらに暴徒化している間は生産が滞る。
調査から割り出された大雑把な数字ではあるが、みんなで力を合わせれば、七割は冬を越せたかもしれない。
――だが、三割を切り捨てる判断を『みんな』では出来ない。
さらに、冷静な人間、まとめようとする人間を丁寧に暗殺しているとの報告。
うわあ。
うちの暗殺班、血も涙もないなあ。
うちの暗殺班の中核は死霊なので、本当に血も涙もないんだけど。
作戦開始から約二ヶ月で、周辺の牧場は回復不可能なまでのダメージを受け、治安は急速に悪化。
作戦区域の人口は七割減。もっと減るだろう。
行政機能が失われ、食料生産の基盤も、もうない。
狩猟採集に限度はあるし――まもなく冬だ。
人はもちろん、竜という大食らいを、養えるはずがない。
後は、それを切り捨てる判断を、いつするかというだけの話だ。
「隊長! ダメです! もう!」
ランク王国の竜舎は、怒号が飛び交う場所と化していた。
「諦めるな。『呼びかけ』を続けろ!」
一人の騎士が叫ぶ。
彼は、竜騎士だった。
幼い頃より"ドラゴンナイト"の隊長となるべく教育を受け、本人も努力し、その地位に相応しい実力があると、誰もが認めた。
その声には人を鼓舞する力があり、部下を励ます力があった。
だから、皆は努力した。
だから、事態が最悪の所に辿り着くまで、皆が努力を続けてしまった。
飢えた竜の目の前に立つというのがどういう事か、竜騎士たる彼らこそが、最も理解していなかった。
彼らにとってドラゴンとは騎獣であり、満腹である限り魔法的に支配され、言う事を聞く大人しい生き物だった。
竜騎士達は、ドラゴンの事を友と呼ぶ。
それだけの絆すらあったのだ。
――満腹である限り。
「ダメです! ――うわああああああ!?」
「畜生! ゲイルが喰われた! 畜生!!」
竜舎の屋根を、一匹の竜が突き破る。
太陽の光を浴びて、金色の鱗がきらきらと輝いた。
それの事を、翼の生えたトカゲと呼ぶのが、いかに不遜な事か。
細く長い首は鞭のようにしなやかで、瞳には下等な爬虫類など及びもつかぬ叡智を湛えている。
分厚く頑丈に組まれた屋根を粉砕してなお、皮膜さえ傷付かぬ強靱な翼。
この世で最も、美しい生き物。
だがそれも、飢えていなければの話だった。
目は血走り、口元からはとめどなく涎が垂れる。
魔法的な従属を受けていなければ――受けていても、適切な量の食事さえ与えられていれば、こうはならなかっただろう。
既にその竜は、一ヶ月以上何も食べていない。
いや、食べていなかった。
旅立ちの前の腹ごしらえとばかりに、手近な『肉』を口に入れていた。
口から垂れる涎に、赤い血が混じっている。
その『肉』は、その竜に跨がって幾度となく共に空を飛んだ、竜騎士だった。
彼らは、確かに絆で結ばれていた。
ドラゴンが、満腹である限り。
ばさりと翼が広げられる。
飢えた竜を縛り続けられる魔法など、この世界にはない。
そのドラゴンにとって、先の尖ってキラキラしたちっぽけなものを向ける、矮小な『肉』など、もう眼中になかった。
翼の一打ちで巨体が宙に浮き、次の一打ちで地上から空へ流れる流れ星のように一直線に加速する。
そして一匹がそうした事で、残っていた数十匹の竜達も、同じようにした。
次々に屋根が粉砕され、頑丈な壁の一部だけが崩れ残る。
きらきらと、太陽の光を浴びて、全ての鱗が金色に輝いた。
竜舎が倒壊して舞い散った粉塵にもその光がきらめいて、美しく幻想的な光景を描き出した。
「ああ……」
「ドラゴン達が……」
『元』竜騎士達が、呆然と呟く。
隊長もまた、拳を握りしめ、人と竜の友を同時に失った怒りに打ち震えていた。
怨嗟が口の中で、くっきりとした像を結ぶ。
「"病毒の王"め……!」
餌の供給が断たれたドラゴンは支配下を脱して野生に帰り、"ドラゴンナイト"は事実上この世界から消えた。
そして"病毒の王"の功績に、二ヶ月で、ランク王国の誇る最高戦力、ドラゴンナイト部隊を壊滅させたという事実が加わった。