クッキーと世界情勢
「――それで? 何か計画に変更は要りそう?」
「いや、基本プランに変更は必要ないだろう」
レベッカが報告を再開する。
一応ここまで現地活動班の裁量に委ねてきたのだから、行動は最適化されているはずだ。
しかし情勢と共に、活動地域や、擬態扇動班と暗殺班、どちらを重視した作戦行動を取るのかなど、その時々で方針を示す必要がある。
方針だけ示して現地に丸投げ、が基本なので、そこだけはブレさせるわけにはいかないのだ。
「不満も常識的な範囲だな。損耗率もゼロに近い。一度捕捉された……と言うより、不意の遭遇戦による被害があったようだ。しかしこれは……どうしようもないな。割と敵の規模も大きかったようだし、離脱に徹し、黒妖犬二匹の損害で済んだ事は、喜ぶべきだろう」
「そっか……うん」
あの子達は、群体の魔力生命体だ。
私でさえ、個々の区別はついていないし……そんなもの、ないのかもしれない。
いざという時には、黒妖犬を盾にするよう、バーゲスト達にすら命令し、あの子達はそれを受け入れた。
けれど、犠牲は犠牲だ。
レベッカは、ちらりと私を見たが何も言わず、あえて淡々と報告を続けた。
「王国はドラゴンナイトを失ってから旗色が悪いな。神聖王国が一番好戦的だ」
常備軍の数でいうなら、神聖王国は一番少ない。
しかし、あの国は宗教国家。住民は全員狂信者……というのは決めつけというものだが、民兵を動員し、聖戦の名の下に勢力を広げた過去を持つ。
そして神聖騎士団。
"福音騎士団"と呼ばれる生え抜きを筆頭に、対不死生物・対悪魔に長けた騎士団を有し、国内に自然発生するアンデッドの対応においては、他国の追随を許さない。
アンデッドに頼らねば――頼ってさえ――数で劣るリストレア魔王国とっては、天敵だ。
「帝国は?」
「砂漠や荒れ地の多いお国柄で、水場のある大都市近辺に農場が集中しているからな。あまり手を出せていないせいで、三国の中では一番元気だ。神聖王国ほど好戦的ではないが、それは戦力を温存したいだけだな」
レベッカが、少し目を細めた。
剣呑な光が宿る。
「――多少強引にでも攻めるか?」
レベッカの問いに、私は首を横に振った。
「いや、いいよ」
「何故だ。このままでは、帝国だけ国力を温存されるぞ」
「真剣味はね、違う方がいいんだよ」
「……どういう事だ?」
「分断を狙っておられるのですね」
「なるほど、そういう事であるか」
サマルカンドが口を開き、ハーケンが頷く。
「何故、人間側の国力を温存させる事が、分断に繋がるのだ?」
「人間ってだけで、一枚岩じゃないんだよ。分かりやすくすると――こういう事」
平皿に盛られたクッキーを積み上げていく。
自分の前に五枚。
リズの前に四枚。
レベッカの前に三枚。
サマルカンドの前に二枚。
ハーケンの前に一枚。
一枚余ったので、口の中に放り込む。
「うん、リズのクッキー、最初の頃より美味しくなったねえ」
「お褒めいただきありがとうございます。でもマスター、この例え、あんまりよくありませんよ」
「え、自分では結構分かりやすかったと思ってるんだけど」
「私に二枚など過分です。どうぞ我が主に」
「我も食事は不要……と言うより、不可能なのでな、レベッカ殿に進呈いたそう。これでリズ殿と同数であるな」
「いや、私、さっき食べた分と合わせて八枚になって、リズとレベッカより四枚も多くなるけど?」
「それはマスターは最高幹部ですから」
「ああ、不満などないぞ」
「みんないい子すぎた……。ええと、やりなおそうか」
十五枚になったクッキーを、五枚ずつ積み直す。
「それぞれが王国、帝国、神聖王国とする。まず、王国はドラゴンナイトを失った。二枚分ぐらいかな……」
「リズ、レベッカ、あーん」
「あーん?」
リズが疑問型ながらも口を開ける。
リズの開けた口にクッキーを入れた。
ポリポリと咀嚼するリズ。
なんか妙に楽しい。
「レベッカもあーん」
「拒否する」
「あーん」
「だから……」
「あーん」
「…………」
レベッカが渋々といった風に口を開ける。
レベッカの開けた口にクッキーを入れる。
ボリボリとわざとらしく音を立てて咀嚼するレベッカ。
じっとりとした目で睨み付けてくるという事は、抗議のつもりらしい。
妙に嗜虐心をくすぐる。
「それで……そうだね、農地への攻撃」
もう一枚、王国のクッキーを取る。
「レベッカ、あーん」
レベッカが無言で口を開ける。
「あーんって言ったら、あーんって言ってほしいなあ」
「……拒否するわけには、いかないか?」
「いいよ。職務に反しない程度の自由裁量を認めないほど、狭量なつもりはないからね」
明らかにほっとした様子のレベッカ。
「私はちゃんとした上司だからね。公式記録に、『今日はレベッカにあーんって言ってほしいって言ったら拒否された』って書くからね」
「うわあ」
「なんて狭量な」
リズとレベッカがそれぞれの反応を示す。
「命令拒否した部下のキャリアを気遣っての事だよ。もちろん正規の報告書だから、ちゃんと王城に提出するからね」
「さすが我が主。退路を徹底的に断たれる」
「肉を切らせて骨を断つとはこの事よ。――むしろ逆のような気もするが、どちらにせよ、自らの不名誉を恐れておらぬ」
サマルカンドとハーケンをちらりと見たレベッカが、助けにならないと判断したらしく視線を私に戻す。
目で抗議されているのは分かるが、今回は無視した。
「さて、レベッカ……後は分かるね?」
微笑んで、改めてクッキーを差し出した。
「あーん♪」
「あーん……」
「もっと可愛く言ってくれるとお姉さん嬉しいなあ? はい、あーん♪」
一瞬レベッカが無表情になった。
一度目を閉じて、次に開いた時には、年相応の愛くるしい満面の笑顔。
「あーん♪」
声質まで違った。
すかさずクッキーを放り込む。
ちゃんと美味しそうに食べるレベッカ。
「さすがレベッカ」
ヤケっぽいが。
「……マスターに可愛がられていいですね、レベッカ」
「お前はこれが羨ましいのか?」
真顔に戻ったレベッカが、リズを妙なものを見るような視線で見やる。
「それはまあ」
真剣に頷くリズ。
これ知ってる。先住ペットのいる家に新しいペットが来た時のやつだ。
トラブルを回避するコツは、先住ペットを立てて可愛がる事。
「ごめんねリズ。あーん♪」
一枚神聖王国のクッキーを取る。
「はい! あーん♪」
満面の笑顔で口を開けたリズの舌にクッキーを載せる。
妙な扉が開きそうになるなあ。
そしてもう一枚、神聖王国のクッキーを手に取る。
「サマルカンド、あーん♪」
「あーん」
渋い良い声の『あーん』、それも上位悪魔のものが聞ける日が来るとは、生きてはみるものだ。
「……ハーケンも、した方がいい?」
「そのお気持ちだけで十分である」
「そう。じゃ、気持ちだけあーん♪」
一回笑顔で差し出すだけは差し出す。
からからと笑うハーケン。
私もにやりと笑うと、クッキーを掲げて見せた。
「このクッキーは、まだ神聖王国のものだ」
もう片方の手を添える。
パキン、と音を立てて半分に割ったクッキーを、バリボリと噛み砕いた。
そして宣言する。
「神聖王国を、叩く!」
「さすがマスター! それでこそ"病毒の王"です!!」
三つに分けられたクッキーの山は、アンバランスだった。
王国は二枚。
神聖王国も二枚。
帝国は――五枚。
「神聖王国を叩いて、王国と同じレベルまで落とす。帝国は無傷とは言えなくても、この二国に比べると元気だ。――さあ、足並みは揃うかな?」
「確かに、同じ人間で、対魔族同盟を組んでいても……一枚岩ではない……か。で、神聖王国を叩く策とは?」
「それはこれから考える」
「……マスター、前言撤回してもいいですか?」
「いや、ほらね? そこは報告書読んでからじゃないと」
「しまらないやつだな……」
レベッカがため息をついた。
私は微笑む。
「まあ、みんなで考えようね」




