黄昏時の城壁
リタルサイド城塞の南方。
人間側の偵察が常に一定の数派遣され、防御に穴はないかと目を鷹のように光らせて、砦を見張っている。
基本的には荒れ地であり、身を隠せるものは僅かな岩陰や灌木のみ。
二人組の男が、砦に向かって歩いていた。
一応弓と短剣で武装しているが軽装で、魔族の国境防衛の要であるリタルサイド城塞が、たった二人でどうにか出来るはずもない。
だから、一人はリタルサイド城塞に近付く一歩ごとに、表情を浮かないものにしていた。
「おい、そろそろ戻った方が」
「もう少し近付かないと、何も分からないだろう」
「でも、向こうが見えるって事は、向こうからも見えるって事だぜ」
「見えてもまともに狙いを付けられるはずないだろう。城壁の向こうの引きこもり共が向こうから出てきてくれるなら、むしろ有り難いってもんだ」
「それはそうだ――が……?」
彼は、何が起きたのか、分からなかった。
相棒の頭から、棒が生えていた。
棒の先には、鳥の羽根が付いていて。
頭に刺さっている部分は、きっと尖ったやじりが付いている。
それは、矢だった。
「まさか、見えてっ……!」
咄嗟に伏せて、頭を押さえた彼の脳天に、矢が突き立つ。
リタルサイド城塞の城壁の上に、二人のダークエルフがいた。
「どうだ?」
「ブリングジット様。良好です。ここまで『見えれば』、止まっているも同然の的など外しようがありません」
銀髪を短く切り揃えた女性の弓兵と、銀髪をポニーテールにした、城塞を預かる立場にある暗黒騎士団長――ブリングジット・フィニスが、今し方の『戦果』について話し合っていた。
今、リタルサイド城塞に詰める"第二軍"の弓兵達は、"第六軍"より依頼された、『コンタクトレンズ』と名付けられた視力拡張用アイテムの、技術評価試験を行っているところだった。
「ブリングジット様は?」
「私は……見える事は見えるが、使いにくいようだ。見えても、私にはどうしようもないしな」
「そうですか。私は気に入りました。従来の眼鏡やゴーグルと違って風を感じられますし、余計な物が視界を妨げる事がありません。しかもコストが安いので、予備も携帯可能とは。レンズを併用すると術式の効果も数段上がりますね」
「射程はどうなった?」
「伸びましたね。空間座標を把握出来れば、そこに矢を運ぶのは造作もない事……。あくまで私見になりますが、有効射程が三割は伸びたかと」
「十分だ。後で、評価を報告書にまとめてくれ。部下の意見も入れてな」
「はい、ブリングジット様」
「引き続き試験を頼む。ついでに、あの鬱陶しい偵察達をなるべく排除しろ。射程が伸びた事を悟られるまでにな」
「そのようにいたします」
弓の弦が引き絞られる。
弓兵の両の眼球――の上に乗った『コンタクトレンズ』に刻まれた術式が効果を発揮し、淡く魔法陣の形で発光した。
展開された複数の魔法陣がサイズと距離を微妙に変え、焦点を絞り込む。
「夜間は、この光が問題かもしれませんね」
「それも現場の意見として頼む。手間は掛かるが、術式発動時の発光現象は、消光出来るはずだ」
「暗視もあるようですし……夜にもこの射程が実現出来れば、夜間の警戒が楽になります。多少コストが上がっても、その価値はあると思えます」
矢が放たれる。
「また当たったな。いい腕だ」
「『当てた』のです、ブリングジット様」
「そうだな。頼りにしている」
「光栄です」
「では、頼む」
肩を軽く叩き、ブリングジットが城壁の裏に設けられた階段を下りていく。
しばらく弓を引き続け、視界から『的』がいなくなってからも、弓兵の彼女は暮れゆく城壁の上にたたずんでいた。
彼女は、この時間が好きだった。
暗視の能力があるダークエルフである彼女にとって、夜も昼とそう変わらない。
けれど、この薄暮の時間……太陽が水平線の向こうに消えてからしばらくの間は光も闇も揺らぐようで、ダークエルフにさえ見通しきれない。
弓兵としての訓練を受け、元々の素質を磨き、一段と優れた視力を持つに至った彼女だったが、どうしてだか、この時間が好きだった。
目を開けていても視界の制限されるこの時間は、弓兵にとっては恐怖の対象だというのに、何故か。
交代要員が来た。
軽く言葉をかわし、城壁脇の急な階段をいつもと変わらない調子で下りる。
弓を、大型の矢筒と一緒に城壁に立てかけた。
「"浄化"」
目にはめた『コンタクトレンズ』を外し、滅菌し、小さな円筒形が二つ連なった……『コンタクトケース』という名前の付けられた白い入れ物に収納する。
一応左右があるらしく、LとRの文字がそれぞれに赤と青で書かれている。
革手袋の上に載ったコンタクトケースを見ながら、彼女は一人呟いた。
「……誰が、こんな薄いレンズを目にはめるという発想に至ったのかしら……」
ふっと、"第六軍"の長の姿が、彼女の脳裏をよぎる。
目を閉じた。
深緑のローブの裾をはためかせ、木剣一本を手に練兵場に立つ姿が。
狂気に似た、笑みが。
どことなく違うものを見ているような、そんな寂しげな瞳が。
この世界のものではないような、儚さとあやうさを孕みつつ……それでもなお、あの夕暮れの練兵場で、人の身でありながら、最高幹部であり、友軍であると宣言した時の事が。
全てが、目の裏と耳の奥に鮮やかに蘇る。
仕えるべき主は、もう見出している。
支えるべき人は、もう心に決めている。
けれど……そうでなければ、転属願いを出していたかもしれない。
目を開けると、一つ、頷いた。
あの"病毒の王"が関わっているというならば、何故か、納得出来る。




