眼鏡を掛けた妖精に図書室で出会いました
リベリット村の『視察』を終えて、私は屋敷へと帰ってきていた。
私に与えられた屋敷には、図書室がある。
この屋敷の以前の主は、十年ほど前に亡くなり、空き家になった……とだけ聞いている。
以後、国有の資産として最低限の管理が行われていたそうだが、住人が決まらなかったのは、王都郊外という立地が微妙に不便だから。
一応王都郊外の守りとしての役割が期待されていたのかもしれないが、それなら城下町の外周部にある、事実上の最終防衛ラインを兼ねる高級住宅地が適切だ。
一応、建前上の最終防衛ラインという名目で王城の直近にも高級住宅地があるが、こちらはいざという時は守ってもらうつもりでいるお金持ちが住んでいる……とはリズ談。
そんな微妙な立地のお屋敷だが、『適度に手薄でつい手を出したくなる重要拠点』を演出して囮役も兼ねる必要がある、"第六軍"の長たる私、"病毒の王"の住居には都合が良かった。
魔王軍の一翼を担うとはいえ、小所帯な"第六軍"には丁度いい。
空き部屋も多いが、護衛班の増員も予定されているというので、いずれ屋敷の規模に見合った人数が住むようになるかもしれない。
そしてこの館には、一部の家具や、図書室の本などが残されていた。
なので、私もまた、真面目なお勉強から娯楽まで、ちょくちょくと図書室を利用している。
その図書室で、愛らしいエルフ耳の妖精に出会ったのは、今日の事だ。
いや、そこにいたのはレベッカだけど。
妖精ではなく不死生物で、物質幽霊なのは知っているけど。
「え? レベッカ、どうしたのそれ!?」
「なんだ? 血相を変えて」
身長に不釣り合いなほど大型の本を抱えて平然としている彼女は、いつも通りの黒いフリルがあしらわれたシャツとスカート。
最高級の陶磁器のような滑らかな白い肌と、冬の夜明けの光を束ねたような、朝日と共に消えそうな儚さの長い銀髪もいつも通り。
そして深紅の瞳が、今は、一枚のフィルターを通して私を見ていた。
そのフィルターの名前は、眼鏡。
楕円を描く、華奢な印象の細い銀縁眼鏡が、口を開かなければ儚げな薄幸の美少女といった風情のレベッカに、ベストマッチしていた。
「お姉ちゃん知らなかったよ!? レベッカが眼鏡っ娘だったなんて!」
「誰がお姉ちゃんだ。……で、眼鏡がなんだって?」
レベッカが首を傾げる。
あざといまでの可愛さだが、これは不死生物として、『意思表示を動作ではっきりしてみせる』というコミュニケーション術の一環だ。
彼女はアンデッドの中ではかなり表情豊かな方だが、相手が他種族の表情を読む事に、慣れていない事も多い。
現代日本基準では少々オーバーアクションに見えるそれらは、異種族が共存するリストレアにおいて、優秀な者が自然と身につけるマナーだ。
同時に、リズやレベッカのそれは、"第六軍"の長たる私の、日々の癒やしと潤いにもなっている。
「レベッカが眼鏡っ娘だなんて知らなかったよ。元エルフで物質幽霊で死霊術師で黒ゴスロリに眼鏡って盛りすぎじゃない?」
「意味が分からない」
首を横に振って、言葉通り「意味が分からない」というジェスチャーをしてみせるレベッカ。
私は気にせずに断言した。
「でも可愛いのでオッケー! お姉ちゃんは眼鏡っ娘を全面的に応援してます!!」
「頼む。意思の疎通が出来る会話をしてくれないか」
「ごめんね。ついきゅんとなって。ところでレベッカ。私レベッカが眼鏡をしてるの初めて見たし、他の人も、ほとんど眼鏡掛けてるの見た事ないんだけど」
可愛い女の子の理知的な可愛さを引き立てる重要アイテム、眼鏡。
しかし――この世界で眼鏡を見た事が、ほとんどない。
唯一、ブロマイド作成・販売の際に訪れた、王城の工房で一人見たきりで、それは銀髪も白く褪せたおじいちゃんダークエルフだった。
それはそれで好みだが、愛らしい眼鏡っ娘を見たのは、異世界転移後で初。
「ああ……高級品だし……そもそも必要性が薄いからな」
「なんで?」
「回復魔法で大抵の眼病は治るし、身体強化魔法も加味すれば、視力低下が問題になる事はまずない。質のいいレンズは作るのが大変だし」
「なんて事……一部の人が血の涙流して悲しむよ……」
ふるふると首を横に振りながら、手のひらを額に当てた。
魔法のある世界、それも一般家庭レベルにまで、その名の通り『日常生活用魔法』の普及したリストレアは、過ごしやすいと感じる事も多かった。
しかし、その便利さによって失われるものがある。
眼鏡っ娘とか。
「どこの一部だ」
呆れた目をするレベッカ。
この辺はマナーとして呆れを表現しているのか、本気で呆れているのか、判断しかねる。
「でもレベッカが掛けてるのは? 目悪くないよね」
「精密作業用だ。眼鏡と言うより、魔力や術式を見るためのものだから、度は入っていないが」
「なるほど。だから顔のラインがへこんだり出っ張ったりしてないのか」
「なんの話だ?」
「眼鏡掛けるとね、こう……顔のラインが少しへこんだり出っ張ったりするんだよ。レンズで歪んで見えるから」
顔の脇で手を左右に動かすジェスチャーを交えて説明する。
「へえ……お前の世界では、眼鏡は普通だったのか?」
「そうだよ」
「それ、私も聞きたいですね」
音もなく私の背後に立つリズ。
私は振り返って、彼女に微笑みかけた。
「やっぱりまだ情報欲しがってる?」




