竜騎士の壊し方
一頭の牛が、貪り食われていた。
放牧場の真ん中で、茶色の牛が『黒い犬』に首筋を噛み砕かれて引き倒され、組み敷かれ、内臓を貪り喰われている。
残りの牛たちは半狂乱になって、柵を壊して脱走した。
牛達には、分かっていたのだ。
あれから、逃げなければいけない。
あの、恐怖から。
あの、死から。
柵の向こうから、騒ぎを聞きつけてやってきた村人の一人も、慌てて叫びながら引き返した。
あれは、一人でどうにかなるものではない。
助けを呼ばなければいけない。
あの犬を叩っ殺して、それから、逃げた牛を集めないといけない。
村人達には、分かっていなかったのだ。
『それ』が、どんなに恐ろしいものか。
自分達が敵に回しているのが、一体何かさえ。
手に農具や、粗雑な武器を手に集まった村人を見て、黒い犬は逃げ出した。
村人は大声を上げながら追いかける。
完全に追い払うために。
どこへ逃げるかを確かめるために。
だから、気付かなかった。
自分達が、誘い込まれていた事に。
『今戦う意志のある人間』を、全員引きずり出された事に。
薄暗い森の中で、追っていった村人達は、全員が息絶えた。
村人達が最後に見たのは、深紫のフードをかぶった半透明の死霊と、十数頭の黒妖犬だった。
――ドラゴンとは、何か?
硬い鱗。
高い魔法耐性。
特に火に対して、ほぼ完全な耐性を持つ。
毒素にも抵抗を持つ。
骨格は頑丈で、筋肉は強靱。
その巨体を、翼と魔法を併用する事で苦もなく浮かし、高速で空を飛ぶ。
それがドラゴンだ。
下位種とは言え、暗殺者が中心となる"病毒の王"陣営との相性は最悪に近い。
リストレア魔王国は、リタル山脈というドラゴンの住処である、峻険な山々の連なる山脈と、大型の海棲魔獣の多数生息する海という、自然の要害を国境線としている。
そして、人が安全に通れる一点を封鎖。城塞を建築し、そこに戦力を集中する事で、部分的に戦力を拮抗させている。
攻城戦は防衛側に分がある。――魔法使いの数で負けていなければ、という但し書きはつくが。
しかしドラゴンナイトは、ドラゴンという翼を持つ生物に騎乗する事で、リタル山脈上空や、海側からの攻撃を可能にしている。
ドラゴンナイトだけで制圧し切れる訳もなく、城塞を突破する必要があるにせよ、城壁の内側への侵入が可能という事に変わりはない。
リストレア魔王国の防衛戦略の根幹を否定するという点で、やはり相性は最悪に近い。
だが、相手は『竜騎士』。
――相手は『竜』ではない。
「マスター。現地より第一報。上手くいっているようです」
「それは何より」
リズが知らせを持ってきた伝書鳩をしばらく両手で持ち、そして空に放した。
一見普通だが、よく見ると鳩の身体は透けている。
幽霊鳩だ。
低級の不死生物だが、平均飛行速度と航続距離は、共に普通の鳩とは比べ物にならない。
飛行速度自体はあまり変わらないが、夜も飛べるので、実質二倍の速度を持つ。
さらに休息も要らないので、もっと速い。
ちなみに普通の伝書鳩と同じで、よく行方不明になるので、複数出すのが基本。
餌も要らない。アンデッドは生者の魔力で動いているので、しばらく触れていれば、さっきのように『充電』が出来る。
この世界では便利な方なのだが、少しだけ電話やメールといった、より便利な通信手段が恋しい。
とは言え、それが敵側にあっても困る。
なので、人間側より多少出来のいい連絡網がある事を喜ぼう。
「詳細、分かる?」
「詳細は分かりません。被害なしで順調。とだけ」
暗号、かつ短文ではそんなものだろう。
奪われる事を考えると、あまり詳細は書けない。
ちなみに短文なのは、そもそも重い手紙や荷物を運ぶのに幽霊鳩は全く向いていない、というのもある。
大型不死生物での運搬も何度か試みてはいるようだが、色々あってあまり上手くいっていないらしい。
「まあ順調ならいいよ」
「そうですね。定期報告を待ちましょう」
現地活動班の休暇も兼ねて、定期的に何割かのメンバーは入れ替わっている。
その際に色々と報告してもらうのが、『定期報告』だ。
定期的でないものになると、今回ドラゴンナイトの被害を受けた際のような使者が来る……事になるのだが、実はあれが初めてだ。
今までが順調だったのだな、と思う。
「――以上になります」
攻撃を開始して、約一月後の『定期報告』を聞いて、私は微笑んだ。
「ご苦労。疲れただろう。次の交代まで、ゆっくり休んでくれ」
「はい。では、失礼いたします」
使者が下がり、私はリズと報告書のチェックタイムに入る。
報告の内容を一言で言えば、『順調』だ。
今、ドラゴンの餌として供給されている牛、豚、羊などの家畜、及び、それらの餌の牧草が植わっている放牧地帯を、徹底的に攻撃している。
もちろん家畜を世話する農夫達の生活基盤もズタズタにしに行っている。
目を引く記述としては、バーゲストが素晴らしく大活躍しているのでもっと送ってほしい、と要望が。
しかし、屋敷にも十二匹しかいないので、そうもいかない。
報告書の最後に、記述者の署名と共にバーゲストの肉球スタンプが押されていて、とても和む。
誰のアイデアだ。全くけしからん。
これは公的な報告書だぞ。
――可愛すぎて仕事にならないだろ。
……という訳にもいかないので、緩む頬を引き締めて、きちんとお仕事する。
竜舎の警備は王国の中でも最高だ。
だが、牛舎や豚舎、放し飼いにされている羊達及び放牧地帯の警備は、ザルとしか言いようがない。
竜族は、下位種ですら一月は何も食べずとも死にはしない。
こと生命の維持という点に限れば、擬似的な休眠状態に入る事で体力を回復させるという芸当も可能で、飢えという方法ではドラゴンの命を奪う事は難しい。
だが、"ドラゴンナイト"とは、『人の言う事を聞くドラゴンに乗って戦う兵種』の名前だ。
そのドラゴンが眠りにつけば、いや、もっと早く、餌も貰えない環境下で人間の言う事を聞かないようになれば、それでいいのだ。
『順調』という事は、餌は滞りつつあり、ドラゴン側の士気は最低のはずだ。
そして人間の十数倍の食料を要求するドラゴンが飢えつつあるなら、人間の食料も絶対的に不足している。
元々肉は高価な食材だが、それでも付近の王立牧場はドラゴンだけではなく、周辺地域の食卓にも家畜の肉を供給していたと聞く。
そして、攻勢の要であるドラゴンナイト、つまりその騎馬たるドラゴンへの食料を優先し、民間への食糧供給を停止した。
家畜と働き手を失って――殺されて――それでもなお、生きていかねばならない残された者達が、それをどう思うか。
人間のためではなく、ドラゴンのために家畜を世話する事となり、それを牧夫達が、どう思うか。
ここからだ。
地獄は、ここからだ。