熊の穴
リベリット槍騎兵。
文字通り、リベリット村を代表する『家畜』である魔獣、リベリットシープに騎乗して戦う槍騎兵の名前だ。
長大な槍の穂先はリベリットシープの角が使われていて、まとっている毛皮も同じくリベリットシープ。
鞍は、リベリットシープが巨体で、馬のように腹を足で挟み込んで安定させるという手法が取れないため、低めの椅子の形をしていて、足を前に投げ出すような恰好になっている。
強さを増していく雪を背景に、六騎が私達の周囲を囲むように進む姿は、荘厳ささえ感じさせる。
しかし、最も有用なのが雪深い雪原や森林、雪山、つまりは雪上での機動戦という特性を持つがゆえに、人間相手への出番がない。
数を養うのも結構大変との事で、僅か十二騎のみが維持されている。
リベリットシープは騎獣として見るとかなり強いが、魔獣として見るとあくまでほどほど。
それでも、この地の肉食の魔獣を打ち払ってきた北の守りであり、最精鋭である事は間違いない。
しかし、今回は留守番。
良く言えば後詰めであり、精一杯のご厚意とも言えるのだけど、今からリベリットグリズリーという、ファンタジーな巨大熊の住処の穴ぐらを訪問する私達五人にとっては、いまいちありがたみが薄い。
最悪の場合に、なんとか穴ぐらを脱出出来れば、後を任せられるかもしれない、というのは少し心に余裕を生んでくれるのだけど、この五人に何かあった時点で、本当に彼らでなんとかなるのか? という根本的な疑問がぬぐえない。
「穴ぐらっていうか、地下に向かう洞窟だよね」
そして六騎のリベリット槍騎兵を後に残し、グリズリーの穴ぐらに辿り着いた私は、素直な感想を口にした。
「ですよね」
リズが頷く。
穴ぐら、という言葉には、慎ましさがあると思う。
そしてこの穴には、ない。
雪原にぽっかり空いた、黒々とした穴。人が立って通れるとかそういうレベルではなく、現代日本で言うなら山に通されたトンネルを思い出す。
入り口付近だけ少し雪が吹き込んでいるが、踏み固められた土の色が、緩やかな傾斜で奥に行くにつれて闇に染められている。
こういう時洞窟の奥に待ち受けるのは、ファンタジーの定番ではドラゴンだが、今のリストレアで魔王軍がドラゴンと戦う事態になったら、世も末だ。
そして洞窟に挑む冒険者は、人間の剣士と魔法使いと盗賊が一人ずつ、エルフの精霊使い、ドワーフの戦士の五人とかが、ハイファンタジーの定番だ。
しかし私達のパーティーは、それとは似ても似つかない。
私、リズ、レベッカ、サマルカンド、ハーケン。
この五人の種族が、綺麗にばらけているのがまず一つ。
それぞれ人間、ダークエルフ、物質幽霊、上位悪魔、召喚生物の骸骨となる。
職業は、魔王軍最高幹部(という名の応援係)、暗殺者(でメイド)、死霊術師、闇魔法使い、死霊騎士といった所だろうか。
どう考えても、王道物では討伐される側。
ダークさを基準にメンバーを選んだつもりもないのにこの布陣。
確かに私は、悪い魔法使いを自称しているし、二つ名は"病毒の王"だ。
しかしふと、どうして私は今ここにいるのだろう……と遠い目をしたくなる瞬間が時々あって、今はその時だ。
けれど、安心感も安定感もあるメンバーと共に、軍務という名のお仕事の一環でも、魔獣討伐というファンタジーなクエストに挑むために洞窟の前にいるというのは、心が躍る。
それぞれの役割を果たすべきパーティーの中で、自分が役立たずどころか、護衛対象で足手まといなのが少し寂しいけれど。
全員、相応の備えをしている。
私は"病毒の王"の正装。動きやすさを重視して、防寒用のマントもなし。仮面も着けているし、杖も持った。
一応バーゲストを十二匹、ローブの裏に仕込んで連れて来ている。
しかし広めとはいえ手狭な穴ぐらで相手が大熊では、黒妖犬に向いた戦場とは言えない。
なのでこの子達はあくまで私の護衛であり、討伐用の戦力とはカウントされていない。
リズは久しぶりの暗殺者装束で、見ている方が寒い。
南国の海が似合いそうな露出度の黒レザーに、いつも通りの赤いマフラー。
既に両手に格闘用の大型ナイフを握り込み、マフラーも補助用に両腕に巻き付けている。
唯一いつもと違うのは、今回のために、分厚い革の鞘に収められた大振りの剣鉈を、腰の後ろのベルトに斜めに留めているぐらいだ。
レベッカは、腰に短杖のホルダーに加えて、長短の剣を一本ずつ吊った、レストランで見たのと同じ姿だ。
いつも通り、黒くてゴシックな、フリルが可愛いシャツとスカート姿は、深い雪の中を熊を倒しに行くんです、という恰好ではない。
ハーケンは召喚生物としての制約上、一番守りたい背骨を守れないので防具の体をなしていないボロボロの鎖鎧とサーコートのまま。武器も長剣と短剣のみ。
サマルカンドに至っては素手だ。防具もなしで裸。万が一遭難した場合に備えての食料などが入った袋だけを、代表して持っている。
やっている事は荷物持ちだが、既に封印解放済みで、"血の契約"によって身体能力の底上げもされている。
角はねじくれて伸び、いつもは黒一色の体毛も、先端が異界に溶け込むように淡く白く揺らめく、悪魔らしい姿だ。
「それではマスター。今からこの穴に入ってリベリットグリズリーと戦うわけですが……いいですね? 絶対に私の側から離れないで下さい。私に何かあった場合は、他の者が護衛します。バーゲストは、出して周りを固めておいて下さい。その他の指示は、全て私達に従ってもらいます。この場に限り、序列第六位であるという認識でいて頂きます」
「分かった」
事前の打ち合わせ通りだ。
ローブの裾を持って振り、バーゲスト達をぞるり、と落とす。
十二匹のバーゲストが、一糸乱れぬ滑らかな動きで、私達五人を円を描いて取り囲んだ。
雪に残った肉球の足跡のラブリーさに、緊張がちょっとほぐれる。
「ところで、主従逆転っていいよね。リズは、私になんて命令する?」
リズが微笑んだ。
「今からでも一人だけ帰ります?」
「それは寂しい」
私は、自分が死ぬかもしれない事よりも、一人で皆の帰りを待つ事しか出来ない方が、怖い。
穴に近付いた途端、獣の匂いがした。
サマルカンドが、荷物から松明を取り出す。
魔力灯も検討されたが、長時間でない事、穴が巨大である事、いざという時に武器にもなる事から松明が選ばれた。
サマルカンドが松明に太い指先を近付けた。
「"点火"」
松明が灯り、炎に闇がぐっと押しやられ、光が届かない所に一層濃い影が残る。
さらにレベッカがワンドの先端に灯した鬼火と、私の杖の宝石が光る薄明かりとも相まって、穴の中は明るく照らされ、歩くのに全く不自由は感じなかった。
最初は緩やかな下り坂になっていたが、少しして傾斜が終わり、しばらく進んで明かりが届いた先には――
「喜べ、マスター。最大個体だ」
巨大な、熊がいた。




