討伐依頼
「――熊?」
私は、枝角も立派な鹿の頭や、リベリットシープの角を組み合わせて飾ったハンティングトロフィー、それに今日も見た狩猟用の槍が壁に掛けられた、狩猟趣味の強い応接室で、村長の話を聞いていた。
彼は一人だが、私の背後にはリズ、レベッカ、サマルカンド、ハーケンの四人が控えている。
「はい。一匹の熊が確認され……今はまだ被害は出ていませんが、住処の穴ぐらが、村の生活圏に近すぎるのです」
どんな面倒な案件を持ち込まれるのかと思っていた私は、内心拍子抜けする。
熊は怖いが、それでも"第六軍"の序列第二位から第五位は猛者揃いだ。
「狩人達の戦い方は、森か平地を想定していて、狭い穴では力を発揮出来ません。リベリット槍騎兵も同様。穴から出た時を狙うにしても、見張りが気を引く可能性を思えば刺激するのも危険ですし、そもそもリベリットシープすらも獲物にする種ですから……」
ん?
草食獣は、強い。
肉食獣は命がけで狩りをする。それは、自分より大きな個体を相手にする事が多いからだ。
しかし、熊に限って言えば、違う。
どこを測るかにもよるが、普通、熊の獲物は、熊自身よりも小さい。
それは熊が地上最大の肉食獣であり、頂点捕食者であるからだ。
が、それは地球の話。
私の知っている熊に、リベリットシープの相手は、荷が重い。
「……村長。それはどんな『熊』だ?」
「リベリットグリズリーです」
グリズリー。地球にもいる熊だ。アメリカでの灰色熊の呼び名だが、日本的にはヒグマと言うべきか。
亜種がいて、日本のも北海道固有のエゾヒグマだったと記憶している。
しかし、エゾヒグマにエゾオオカミにエゾシカにエゾリスにエゾモモンガにエゾナキウサギと、エゾシリーズは随分と充実している。
他にもまだ、沢山いた気がするし。
「"病毒の王"様の胸の牙も、リベリットグリズリーのものかと」
ちらりとリズを見る。
「魔獣種の牙や爪は、護符として守りの魔法を込めるのに適した素材なんですよ。金属鎧と相性が悪いのが難点なので、獣人軍に人気ですね」
胸元の、ルーンが刻まれた牙を軽く弄ぶ。
人間の歯の、何倍あるだろう。
ただの熊ならば、まずこの世界で脅威になる種ではない。
魔族でも、一般市民ならば恐れるべきかもしれないが、本格的に軍の協力を仰ぐような案件ではない。
つまり、ただの熊ではないのだろう。
そもそも『リベリット』の名を冠する『シープ』……羊が、魔獣種なのだ。
ならば『グリズリー』に『リベリット』の名が付いたら?
そして、ベルクマンの法則というものがある。
恒温動物は、北方に生息するものほど大型化する傾向にある、という法則だ。
そしてリストレア魔王国は、全体として大陸北部に位置する。
重ねて言うと、リベリット村は、この国の中でもさらに北方なのだ。
「リズ。レベッカ。リベリットグリズリーの基本データを教えてくれ」
「ドラゴンを除いた、リストレア……いえ、大陸全体を通じて、地上最大の肉食獣です」
「魔法耐性が高くて筋力が強くて体格がいい以外は、普通の熊だな」
それは普通の熊ではない。
レベッカが続けた。
「サイズは歳と、性別による。今日見たリベリットシープと同じか、少し大きいぐらいが一般的か。私が遭った最大個体は、それの二倍近くあったな。そのクラスになれば、地上の肉弾戦に限ればドラゴンともやり合えるだろう」
とりあえず、地球のデータを捨てる事にした。
似た名前なのに、私の知ってるグリズリーが愛らしいテディベアに思えてくる。
「本来、駐留軍に公式に依頼する案件ですが、相手が相手なので、今の所、警戒を固めるしか出来ていないのが現状で……そこに名高い"第六軍"の方達の視察が重なったので、討伐をお願い出来ればと……」
筋違いだが、筋は通っている。
案件的には、"第三軍"獣人軍か、"第四軍"死霊軍が適切だ。
どちらかの精鋭を派遣して討伐するのが、役割分担からすると筋。
ただ、広義では、それは魔王軍のお仕事だ。
『たまたまそこにいた』、魔王軍である事は間違いない"第六軍"に、危険な魔獣の討伐を依頼するのは、決しておかしくはない。
変な裏がないなら、受けてもいい、と思える。
しかし、それを決めるのは私であって、私ではない。
実際にそれと戦うのは、私ではないのだから。
「順番に意見を聞きたい。――ハーケン」
「我ら五人ならば問題はなかろう。問題は、マスターを連れて行くかどうかだけである」
「サマルカンド」
「一人でも討ち果たして見せましょう。その場合、毛皮と肉は諦めてもらうことになるでしょうが……」
「レベッカ」
「問題ない。このメンバーなら、狩りの範疇だ」
「リズ」
「マスターの同行も、問題ないでしょう。友軍を信じないわけではありませんが、私達のそばより安全な場所はありません」
リズは、優雅に微笑んで、断言した。
「それがたとえ、リベリットグリズリーの爪が届く範囲であろうと、です」
私は頷いた。
「分かった。――お受けしよう。我らはリストレア魔王国の魔王軍。国民の生命と財産を脅かす敵を、事前に討ち果たす事もまた、その仕事であるがゆえに」
「感謝いたします……」
村長が深々と頭を下げた。




