北への旅路
リストレア魔王国北部。
大陸の最北であるこの国の、さらに北の地では、もう雪がちらついていた。
いや、とうに雪が積もっていて、各種魔法でサポートされていなければ、普通の馬車など、すぐに車輪が雪に沈んで動けなくなるだろう。
なので、今回の『視察』は最低限の根回しだけで、かなり急いで出発する事に決まった。
馬車は、リタルサイドに行った時と同じ、骸骨馬二頭立て。
サマルカンドに御者を任せ、ハーケンもサマルカンドと共に馬車の御者席で護衛。私とリズとレベッカが馬車内なのも、リタルサイドの時と同じだ。
窓がはめ殺しで開かない仕様なのは、私が前に身を乗り出してバランスを崩して落ちかけたせいか、寒さ対策か、どっちだろう。
馬車の術式維持にはサマルカンド、スケルトンホースの強化はレベッカが担当している。
この積雪ではレベッカの負担が大きくなるのではないかと聞いたら、「伊達に建国間もないこの地で任務に就いていたわけではない」との頼もしいお言葉。
「雪……すごいね」
馬車の窓は結露していたので、ローブの裾でちょっとぬぐって外を見る。
雪は、勢いを増しつつあった。
「北部だからな。王都よりも冬は早いし、長い」
レベッカが、私が結露をぬぐった窓から、白く染まった森を見ながら返事をした。
「ここは――生きるには厳しい土地だから……」
「リベリット村は放牧で有名って言ってたけど、こんな雪の降る所で、羊の放牧とか出来るの?」
「一応な。とは言っても、最北になると割に合わなくなるし、この辺りでも小規模だが」
「……リベリットシープの放牧で有名なんだよね?」
村の名前を冠した羊が有名なのだから、大規模な羊の放牧をしているのだと思っていた。
少数を飼育するから味が美味しいとか、そういうので有名なのだろうか。
「ああ……リベリット『シープ』とは言うが、肉質が羊に似てるだけの魔獣種だからな」
「え、何それ」
今回は時間の余裕があまりなかったので、防寒系の心得を簡単にレクチャーされただけで、出発していた。
レクチャーの内容は、魔法道具を含む防寒具の着用の徹底と、常にリズや他のメンバーと行動する事が基本だ。
前回のように国内屈指の重要拠点というわけでもなく、事前情報はほとんど入れていない。
「魔獣……って、飼育出来るものなんだ」
リストレア魔王国の歴史は、人間との戦いの歴史であるが、魔獣との戦いの歴史でもある。
元々大陸北方は、リタル山脈を中心にしたドラゴンや、少数の獣人が細々と暮らすだけの、人間の言葉を借りれば『未開地域』だ。
畑を荒らし、家畜を喰らい、住人さえもその牙に掛ける魔獣種が跳梁跋扈する北の大地……それが人間が北方に抱くイメージだし、そのイメージは間違っていない。
ここは、そういう土地なのだ。
ドラゴンがいなければ、リストレア魔王国の人口を養う生活圏を開拓し、維持する事は出来なかっただろう。
ドラゴンだけではない。死霊軍は自前で生命力を供給する手段として、人里近くの魔獣種の狩猟が軍務に組み込まれている。獣人達に至っては、軍籍にある者も、そうでない者も、狩りは伝統的な生活の一部だ。
竜族の頂点たる存在と盟約を結び。
五つの全く異なる種族をまとめあげ。
種族特性に適した役割を割り振り。
それでいて、少なくとも建前上は種族間の平等を実現している。
それが、リストレア魔王国。
それを築き上げたのが、我らが魔王陛下。
陛下はかつて戦場で、度々戦況を単独で覆した大魔法使いだそうだが、実の所、あの方が最も凄いのは為政者としてなのだ。
よくあんなに一癖も二癖もある部下を抱えて国家運営出来るものだと心の底から思う。
「飼育出来るかどうかは、種類によるがな……。凶暴極まる魔獣もいるし、家畜化にメリットがない種も多い」
「それはそうだよね」
頷く。
地球の歴史も、野生動物の家畜化への挑戦と挫折の歴史でもある。
「現地では少数だが騎獣として飼われているぞ。リベリット槍騎兵と言えば数は少ないが北方最強と名高い精鋭だ」
「なんで少数なの?」
「乗り手の方が足りないのが一つ。大型の魔獣だから数を飼育するのが難しいのが一つ。肉が美味くて、毛皮の副産物のはずが、人気が高いのが一つだな」
「……三番目の理由ひどいね」
「そんなものだ」
達観したように軽く言うレベッカ。
彼女の幼い外見でそんな風に言うと違和感がありそうなものだが、妙に説得力がある。
彼女自身の経験に裏打ちされているからだろう。
「実は人間側にも買い手がいるしな」
「それ初耳なんだけど?」
人間との交易があるとは、聞いていない。
「部署が違うからな。密貿易、というやつだ。グルメとやらは救いがたいな。民衆を踏み台に肥え太った豚だが、そういう馬鹿の方がこちらには価値がある。外貨に物資……情報までな」
「え、情報まで?」
「ああ。……自分一人がほんの少し情報を流しても、この国力差の前に何も出来るはずがないと……いつの時代も、そういう思い上がりの穴が国家という城壁を崩してきたというのにな」
まじまじと彼女を見る。
「……レベッカ……不死生物になる前は……どれぐらい生きてたの……?」
深い紅の瞳が、私を見返した。
「なんだ、急に」
「いや、もしかして何千年も生きてるのかなって……」
「不死生物になった後の事を『生きている』と換算しても、そんな事はない。あと……知ってると思うが、不死生物に生前の事は聞かないのがマナーだぞ」
「あ、ごめん」
「いや……いい」
そこでレベッカが、口元をちょっと皮肉気に歪ませて笑った。
「もっと仲良くなったら、教えてやるよ」
「そう。じゃあ、また一緒にお風呂入る?」
「お前の仲良くなる手段、おかしいぞ」
「私の国には裸の付き合いって言葉があってね。一緒にお風呂入るのは、同性同士の仲良くなる定番です」
「……ちなみにそれは本当だよな?」
「本当だよ」
それまで隣で、私達の会話を黙って聞いていたリズが口を開いた。
「では、リベリット村は楽しめるのではないでしょうか」
「では?」
「温泉がありますので」
「何それ聞いてない! 行き先ここに決めてよかった!!」
「喜ぶとは思っていましたが、そんなにですか?」
「うん。私の国では温泉ってしみじみと贅沢! って感じなの」
「はあ」
「……でも、ほんとはね」
隣のリズの腕に、自分の腕を絡めて組んだ。
「こんな可愛いメイドさんが隣にいてくれるのが、一番の贅沢だよ」
「ま、マスターの世界メイドさんいないんですか?」
「こんな可愛いメイドさんはいないなあ。ちゃんとしたのだと外国の使用人って事になるし、そうじゃない恰好だけのだと……うん、恋人同士なら……」
そういうお店もあるのだが、とりあえずそれは言わない事にする。
「恋人に外国の使用人の恰好してもらう……? ハードル高くないですか?」
「だから贅沢なんだよ」
「はあ……」
分かったような分からないような、という表情のリズ。
彼女の肩のフリルを折りたたむように頭を預け、目を閉じた。
目を閉じると、真っ暗闇の向こうに、私のいた家畜小屋が見える気がする。
周りには、他にも、沢山の人がいて。
誰も、一言も発しない。
前にいた家畜と、人の体臭が混ざった酷い匂いに、鼻は利かなくなっていた。
明かりはなく、扉の板の隙間から微かに光が差し込む。
敷き藁を敷いて、土壁にもたれるようにして、ただ身体を休めている。
そう、命令されたから。
記憶の中の扉が開いた。
眩しさに目を細め。
腕を取られ、言われるがままに、淡々と光の中へ歩いていく。
魔族の侵攻が始まった。
魔力を吸い尽くされて、城壁の上から、放り捨てられるその瞬間は、もうすぐ。
呟いた。
「本当に……信じられないぐらい……だよ」




