一枚のメモ
世界の枠を超えた、共通項がある。
国家を支えているのは国民であるという事。
戦争という事象が悲惨な物であるという事。
倫理観とは絶対的な法則ではないという事。
私は、それを知っている。
だから私は、この世界で"病毒の王"と呼ばれた。
今の私の立場はリストレア魔王国、"第六軍"、魔王軍最高幹部。
私には、部下がいる。
例えば、いつものように着替えを出してくれた、愛らしいダークエルフのメイドさん、とか。
メイドさんの可愛さや、尊さも世界の枠を超えている。
非道さや残酷さだけが、私の生まれた世界との共通項ではない。
……だからこそ、非道になれてしまう、とも言うが。
若草色のローブに、深緑色のフード付きローブを重ね着し、長い黒髪を両手でローブからすくい上げて、払って背中に落とした。
軽くローブの袖を振り、さっと軽く撫でて整える。
そして、彼女の名を呼んだ。
「――リズ」
「はい、なんですかマスター? いつになく真剣な顔ですね」
私は彼女に紙片を差し出した。
「今日の午後六時に、私服でこのメモの建物まで来てくれ。レベッカと共にだ」
「……ここは……?」
「今のところ危険はない。だが、武装は怠るな。私はやらねばならない事があるので、先行する」
「了解です。詳しい内容を伺いましょう」
リズが、キリッと真剣な表情になる。
彼女のメイド服は私の趣味であると同時に、本物のメイドとして実益も兼ねているのだが、彼女はそれだけの存在ではない。
私の護衛であり、監視であり、副官であり――"薄暗がりの刃"の二つ名を持つ、暗殺者だ。
「今は話せない。だが、安心しろ。無茶な事はしない。サマルカンドとハーケンを連れて行く」
"第六軍"は小所帯とはいえ、他にも人員はいる。
けれど、リズ、レベッカ、サマルカンド、ハーケンが、私以下、序列第二位から第五位までを与えた側近だ。
全員が、相応の腕を持っている。
「あの二人を同時に……? リスクはあるのですね」
「常に備えは必要だ。それだけだよ」
「詳しい説明をお願いします」
「すまないが、今は話せない。そういう性質の事情が存在する」
彼女を、安心させるように微笑んだ。
口調を、柔らかいものに変える。
「朝食は、レベッカと三人で取ろう。私はその後出るから、レベッカにはリズから説明をお願い」
「はい、分かりました」
午後六時。
メモの住所に、リズとレベッカは来ていた。
そして、リズが首を捻る。
「この住所……ここ、ですよね?」
「ああ。レストランだよな」
レベッカが頷いた。
個人宅かと思わせるようなたたずまいだが、看板も出ている歴としたレストランだった。
「レベッカ。魔力充填量は?」
リズは、主からの私服指定、かつ戦闘もあり得るという事で、エプロンとヘッドレス、それにカフスやガーターベルトなどの装飾を取ったメイド服の、紺色のシャツとスカートの上に、ベージュの上着を羽織っている。
赤いマフラーはいつも通りだ。
もちろん私服も持っているのだが、いつも通りの武装を仕込める恰好の方がいいだろうという配慮だ。
「戦闘が予想されるとの事で、完璧だ。屋内戦闘は得手ではないが、足手まといにはならんよ」
レベッカはいつも通りの服装だが、ぽん、と腰を叩いた。
いつもは短杖一本をホルダーに入れて下げているだけだったが、今は二本の剣がぶら下がっている。
華奢な細剣と、対照的に頑丈さを追求した左手用短剣。
彼女は数多の戦場を経験しているベテランの魔法使いで、それは魔法を過信していないという事でもある。
「分かりました。――では、行きますよ」
「ああ」
覚悟を決めて重厚な木製の扉を開けると、吊されていたベルが鳴る。
受付の女性ダークエルフが頭を下げる。
「リーズリット・フィニス様と、レベッカ・スタグネット様ですね」
「はい」
リズが頷く。
「ご予約を承っております。こちらの部屋へどうぞ……」
案内された部屋の扉は閉まっていた。
普通の家を流用した、完全個室のレストラン……なのだろう。
受付の女性は部屋の前まで案内して、既に去っていた。
「……リズ。詳細は、聞いていないのだな?」
「はい、知っている事は全て伝えました。マスターは、今は話せない、と」
「武装しろと言われたのだよな?」
「ええ。……室内の魔力反応は……マスターとサマルカンド、ハーケンだけですね。レストランで? 何を……?」
「分からん。入るしか、ないだろうな」
「レベッカ。何かあれば、サポートを……頼みます」
「任せろ」
リズの瞳から、光が消えた。
"最適化"。簡単な精神魔法。
私は、一本の刃。
彼女は胸の内で一つ呟くと、ドアノブに手を掛けて、素早く押し開いた。




