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病毒の王  作者: 水木あおい
1章
1/574

病毒の王

挿絵(By みてみん)

2024/01/01、新イラスト



挿絵(By みてみん)

2019/08/01、旧イラスト


 "病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"、という存在がいる。


 魔王軍最高幹部。

 非道の悪鬼。

 人類の怨敵。



「また村が一つ消えた……いや、消された、と言うべきですかな?」



 その部屋は、隣の人間の顔もはっきりと分からないほどの暗さだった。


 朝から、軽い昼食だけを挟んで、延々と議論が交わされていた。

 外はもう夕闇が迫っているための暗さだが、誰も明かりを点けようとは言い出さない。


 人間の対魔族同盟。三つの大国と、十三の小国家群の代表者達が集う、円卓会議での議題はいくつもある。


 しかし、重要な議題は、ここ一年以上、たった一つしかなかった。


「またしても『ヤツ』だ……」

 苦虫を噛み潰したような声。



「"病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"……」



 重々しい声。そしてしん……と、一瞬、完全な静寂が訪れる。


 その名前がささやかれるようになって、約一年。

 その一年で、人間の人口は一割以上減った。


 殺されたのだ。


 密やかに迫る刃。

 どこからともなく飛んでくる矢。

 暗黒の魔法。


 戦士なら、それを防げたかもしれない。

 気配を察して、かわせたかもしれない。

 精神を研ぎ澄まして、抵抗出来たかもしれない。


 そんな技量は、ただの農民には望むべくもなかった。

 騎士でも兵士でも魔法使いでもない。

 "病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"が殺すのは、そのほとんど全てが、都市から離れた農村の農民だった。


 もう、夜に出歩く者など、誰もいない。

 昼なお暗い森に入る者など、誰もいない。

 昼に畑仕事をしていてさえ、安心など出来ようはずもなかった。


 都市の守りは厳重に固められているが、誰もが不安に怯えている。

 命を惜しんで、慣れ親しんだ村を――生活の場を捨てる事さえ、もう何も珍しい話ではなかった。


 豊かで広い国土全てが、人間の敵だった。


 だが、それでも未だ、ほとんどの都市は無傷。

 各所に駐屯する軍もまた、ごく一部を除いて直接的な被害を受けていなかった。


「王国が最も被害が大きいようですな……」

「帝国は元気のようで何よりです。来たるべき決戦の折には期待しておりますよ」

「我ら神聖王国は、神の敵を討ち果たすのみ」


 顔がろくに見えない暗さの中、帝国、王国、神聖王国の三人の代表が散らす火花が見えないのが不思議なほどだった。

 人間側の足並みは揃っていない。


 それぞれの成り立ちが違う。

 政治形態が違う。

 歴史が違う。

 文化が違う。

 国土の広さも、被害の大きさも、何もかも。


 ただ共通の敵を掲げただけの、寄り合い所帯だ。


 一年前まではそれで良かった。

 四百年を越える長い長い戦いの末に、人類は勝利しつつあり、魔族を大陸の端の荒れ地に押し込むまでになっていた。


 後はもう、最後の決戦を挑むのみ。


 だが、魔族とは人類が総力を結集してようやく勝てる相手。勝つのは間違いなくとも、犠牲は果てしなく積み上がるだろう。


 勝って得られるものは、安心と名誉以外には何もない。

 豊かな土地も、奪うべき財産も、何もない。


 勝ちが見えて、人間側の結束は乱れた。


 それでも、国境線に睨みを利かせ、時に小規模な侵攻で敵の戦力を削いだ。

 その繰り返しで、豊かな国土を持たない魔族は、いずれ敗北するはずだった。

 そのはずだったのだ。



 "病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"が現れるまでは。



「……それぞれ、巡回を増やし、警戒に努めるしかありますまい」


 疲れたような声で出された結論は、今まで何度となく出された、至極つまらないものだった。


「とても農村部までは……」 

「我らとて、都市だけで手一杯だ。だが、それでも、それゆえに都市には奴の魔の手が及んでいない」


 ささやくように交わされるのも、お決まりの結論。



「……ヤツさえ……"病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"さえいなければ……」



 すっかり陽が落ちて、暗くなった部屋で、誰かが絞り出すように言った言葉。


 その言葉が、人類の総意だった。




 "病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"の朝は早い。


 ……事もあれば、遅い事もある。


「マスター、起きて下さい」


 『私』は天蓋付きのベッドの中でぬくぬくとまどろみながら、私のことを呼ぶ、愛らしい声を聞いていた。


「……はっ、その不自然な盛り上がりは」


 布団が引っぺがされる。


「やっぱり! バーゲストを連れ込んで寝るのはやめて下さいって言ったじゃないですか!」


 彼女の言葉に怯えたように、私の周りを囲んで布団の中に詰まっていた黒い大型犬――黒妖犬(バーゲスト)――がわらわらと散る。


 そして我先にと、窓から外に飛び降りた。

 ちなみに、ここは二階だ。


「あー、リズ、おはよう……」


 私は、ベッドの脇に立つ銀髪のショートカットが可愛い、ダークエルフのメイドさんに挨拶をした。


 彼女の名前は、リーズリット・フィニス。

 私は縮めて、リズと呼んでいる。


 出ている所は出て、引き締まる所は引き締まった抜群のスタイルは、女の私でも欲情する……じゃなかった、羨ましいほどだ。


 着ているのは紺のシャツとミドル丈のスカート、胸元の開いた白いエプロンドレスに、頭にはホワイトブリム。

 足下は白い長靴下に見えないがガーターベルト。

 褐色の肌をシャツとスカートの紺色が引き締め、フリルの付いた白いエプロンとホワイトブリム、それに何より、彼女自身の銀髪が美しいコントラストを描く。



 パーフェクトだ。



 大英帝国はいくつも革新的な技術を発明した。

 だがそれでも、ヴィクトリア様式のメイド服とメイドさんという文化以上の物は何一つ発明していない。


 基本的にデザインは私だが、むしろ機動性重視で軽装のミニスカートを要求した彼女と、伝統に則ったロングスカートタイプを着せたかった私の、折衷案となっている。


 全体的に正統派のメイド服の中、ただ、彼女の私物である赤いマフラーだけが、伝統とは違う。

 でも可愛いので何も問題はない。


「もう……さっさと起きて下さい。それでも、"病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"ですか?」

「私以外に"病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"はいないはずだけどねえ」


 私は、"病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"。魔王陛下より、魔王軍最高幹部の地位とお給料と郊外の屋敷と専属のメイドさんを頂いている。


「そういう事を言ってるんじゃ……いえ、いいです。マスター、分かってて言ってますね……」


 諦めたような表情のリズ。


 彼女が私に求めているのは、魔王軍最高幹部に相応しい、常にキリッとして威厳があって、貫禄と余裕のあるどっしりとした態度なのだろう。


 うん、よく分かる。


 しかし、自室で寝起きにキリッとして威厳があって、貫禄と余裕のあるどっしりとした態度で振る舞ったりしていては、胃に穴が空く。


 それでなくとも、大変なお仕事なのだ。

 『私』は現在局所的な記憶喪失に少しばかり悩んでいる、ただの日本人女性(26)なのだから。


 日本で生きていた記憶はあるにはあるが、一部が虫食いだ。


 具体的に言うと、名前を思い出せない。

 自分の名前も、家族や友人の名前も。

 そして、名前を呼んだり呼ばれたりするシーンも上手く思い出せない。


 つまり、記憶はかなりボロボロ。アイデンティティに関わるレベル。

 地名や歴史上の人物なんかは無事なのだが。



 しかし、ここは異世界だ。地名など覚えていても、全く役に立たない。



 そんな私が、どうして"病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"と呼ばれ、魔王軍最高幹部など務めているのか。


 うん、本当に人生の巡り合わせという物の不思議さを噛み締める毎日だ。


 しかし、悪い事ばかりではない。


 愛らしいダークエルフのメイドさんにマスターと呼ばれ、優しく……うん、今日は布団引っぺがされたけど、それは忘れて。

 優しく起こされ、身の回りの世話もしてもらい、三食おやつに昼寝付き。


 うん、本当に人生の巡り合わせという物の不思議さを噛み締める毎日だ。


「ところで、バーゲストを部屋に連れ込むのはやめていただけませんか」


「なんで?」


「あれはれっきとした魔獣ですから、支配下にあっても万が一の事があり得ます。それに、有事の際の魔力反応の識別に問題が出る可能性がありますから」


 なるほど、ほとんど埋もれていたから。


「昨日はちょっと寒くて」

「言ってくれれば毛布とか出しますから」


「夜中に起こすのも悪いかなって」

「私はメイドですから。呼び鈴鳴らしてくれればいつでも参りますから……」


「リズが一緒に寝てくれてもいいんだよ?」


「私は護衛ですから」

 リズがため息をつく。


「一緒のベッドで寝てる方が護衛っぽくない?」

「……まあ、そう言えなくも」


「リズも夜は寝てるよね?」

「もちろんです。ご存知でしょうが、何かあれば即座に対応出来るよう、隣の部屋で寝ております」


「じゃあ一緒に寝た方が合理的じゃなーい?」

 畳みかけた。


「……そういうのを公私混同と言うんですよ。私は仕事とプライベートを分けたいと思うタイプですので」

 さすがに騙されなかった。


「じゃあプライベートで」

 だがあえて食い下がってみる。


「そういう寝言は寝ている状態で言ってくれますか」

 ばっさりだ。


「さて、朝食ですからね。てきぱき準備して下さい。今日は王城に呼ばれているんですから」

「そうだったね」


 忘れていた訳ではないのだ。

 そう、断じて。


 ただちょっと、寝起きにリズと他愛もない会話をするのが楽しかっただけ。


「着替え、持って来てくれる?」




「ありがと、リズ」

「いえ」


 寝間着を脱いで、リズが持って来てくれた服を、一つずつ身にまとっていく。


 まずは薄緑色のローブ。魔力を編んだ布で作られてはいるが、この国では一般的な品だ。


 そして濃緑色のフード付きローブ。一般的な品――なんだけど、ちょっぴり高級品らしく、フードは金で縁取りされている。


 次に、肩布。長いマフラーを首に巻かずに掛けているような布だ。黒地に金糸で縁取りされ、ルーン文字が刺繍されている。


 首に紐で下げているのは、砂の入った瓶、ルーン文字の刻まれた大きな獣の牙、魔法陣が彫り込まれ、中央に丸い宝石がはまった金属板――護符(アミュレット)の数々だ。


 手には杖。

 曲がりくねった木に、八本もの鉄の鎖で八面体の青い宝石が繋ぎ止められている。まさしく悪の大魔法使いの杖と言った風情だ。


 そして、フードをかぶった後、仮面を手に取る。

 今はまだ着ける必要がない。けれど、改めて眺めてみた。


 真っ黒で、空気穴の一つも空いていない。左側に一列に刻まれた紋様が目のように見えるが、それも飾りだ。

 刻まれた紋様が淡いオレンジ色の輝きを放つ。不規則にゆっくりと明滅して、見ていると不安を掻き立てられるよう。



 これが、"病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"の正装。

 これが、今の私。



 ――病と毒を司る、最低最悪の魔法使い。



 ……なお、こんな恰好をしていても、私は特に強力な魔法を使える訳ではない、一般人女性のままなのだけど。

 これらのアイテムは高級品だが、全て防御特化の品だったりするのだけど。


 それらは全て、些細な事。


 私はそういったものを持たずとも、五人しかいなかった魔王軍最高幹部の六人目となり、敵軍はもちろん、友軍からも恐れられている。

 私が武器にしたのは、私の世界の常識と人間性そのものなのだから。


 ばさり、とローブの裾をはためかせた。


「行こうか、リズ」

「はい、マスター。――"病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"様」


 リズに声を掛けると、彼女が恭しく頭を下げた。



 私は、"病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"。

 種族、人間。

 目標、人類絶滅。



「ところで、王城へ行く前に朝食だって分かってますよね?」

「だから気合い入れてるんだよ」


「あ、はい……そうですか……」


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[良い点] 最高 [一言] 以前もすごかったイラストがさらにレベルアップしてる神。
[良い点] 新イラストが出ているとは、、、今更気づくとは我ながら不覚 めちゃくちゃ良いですね 特に表情が良い 互いへの愛が表面に滲んでいるような表情非常に良いです 服、背景、陽の当たり方、小物の丁寧さ…
[気になる点] 前書きにイラスト貼らないでほしい 気になって読みにきたけど読む気うせた
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