9 繋がり
「楓ちゃん、これなんだけど――」
「えーっと、それはたぶんレンダリングソフトのカメラ外にモデルが出ちゃってるので、モデルの座標をいじればまた見えるようになると思いますよ」
「あー、そういうことか!」
学校の帰り、楓は平井靴屋に立ち寄っていた。
平井靴屋のリニューアルに楓が携わってから2ヵ月が過ぎ、新しいやり方に平井一家も大分慣れてきた。
しかし疑問や問題点は常に出るものである。それに対してのケアをするために楓は定期的に平井靴屋に訪れているのだ。正確に言えば平井一家から助けて!というメッセージが来たら出動するという感じだが。
「いやー、それにしても楓ちゃんが色々やってくれて本当変わったよ」
「本当よね。痒い所に手が届くというか、そういうソフトがあるんだって思ったわ」
「わかる。俺もアナログとデジタルの両立がこんな風にできるとは思わなかった」
「あ、ありがとうございます・・・」
唐突に哲也、百合子、友也の3人から感謝を伝えられ楓は照れくさくなる。と同時にやって良かったなと感じていた。
「と、いうわけで楓ちゃんには感謝の意を込めて我々平井靴屋から1足靴をプレゼントしようと思ってね!」
「えぇ!?」
唐突な哲也の言葉に驚く楓。
「いや、流石にそれは申し訳ないですよ!ちゃんと技術には対価を支払わないと!」
「・・・すまないが色々調べさせてもらった。これを見てくれ」
「・・・ん?」
調べさせてもらったというのでまさか前世のことがバレたのでは、と思った楓だったが友也が差し出してきたプリントには色々な数字が書いてあるだけだった。
「・・・これは?」
「もしも今回楓ちゃんがやってくれたことをプロにお願いしたら幾ら掛かるか計算してみたんだ。各種ソフトの導入費用やマニュアルの作成費用、ウェブサイトの作成費用だね」
見ると合計費用は新車を買えそうな値段だった。
パソコンで動くソフトは買えばそれで終わりの物もあるが企業での運用を想定したソフトのほとんどは使用方法の指導やマニュアルなどのサポートを含んだ導入費用というものが掛かり、これが結構な値段がするのは確かだ。プロに頼めば何でもそれなりにお金がかかるし、その意味は楓にも分かるが見返りが欲しくてやったわけじゃないのでタダで靴を作ってもらうのはやはり気が引ける。
「何より一番嬉しかったのは、楓ちゃんが平井靴屋の気持ちを汲んでくれて最適だと思うやり方を考えてくれたことよ。確かに今回の件は業者にお金を積んでやってもらったらリニューアルできたといえばできたと思う。でも私たちの気持ちも考えて、世の中にある沢山の技術から必要な技術を取捨選択して、それらの使い方を全部教えてくれるなんて絶対楓ちゃんにしか出来なかったことよ。それを考えたらむしろ靴一足作るぐらいでこちらが申し訳ないぐらいなんだけど・・・」
「百合子の言うとおりだ。これだけやってもらっておいて何もしなかったら平井靴屋の名が廃る!ってなもんさ」
「それに楓ちゃんさっき自分で言ってたじゃないか。『ちゃんと技術には対価を支払わないと』って」
「ぐぬぬ・・・」
平井一家に完全に論破されてしまった。楓は参ったとばかりに両手を上げる。
「・・・ありがとうございます。じゃあ、1足作ってもらってもいいですか?」
「「「もちろん!」」」
平井一家の3人がまかせろという顔で頷く。それが何だか微笑ましくて楓はつい笑ってしまう。
「・・・あー、ところで楓ちゃんそんな話をしておいて何なんだけど・・・」
さっきまでの自信満々の表情から一転、申し訳なさそうに頬を掻く哲也。
「どうしたんですか?」
「実はちょっとお願いがありまして・・・」
哲也の話を聞くに、平井靴屋と同じ商店街にある手芸店の店主が新しい技術を取り入れた平井靴屋を見て色々と教えてほしいと言われたらしい。
「僕が小さいころからその手芸店で店主をやっていてね。楓ちゃんから見たらもうおばあちゃんって感じだろうけど・・・。なんでもパソコンとかモバイル端末の使い方を教えてほしいらしい。僕がこの店を継いだころからお世話になってるから断りづらくて、一応聞いてみますって返事しちゃったんだけど・・・」
「その人が良いなら私は全然良いですよ!」
その話を封殺することも出来たろうに一応楓にお願いしてみるあたり人が良いなぁ、と楓は思う。
「自分で言っておいて何だけど、本当に大丈夫かい?」
「大丈夫ですよ。むしろまた新しい人と出会えると思うと嬉しいぐらいですよ」
「これも言いづらいんだけど、あの人結構頑固で、クセがある人だからちょっと色々大変かも・・・」
「・・・まぁ、何とかなりますよ」
何だか大変そうだが、なるようになるだろうと楓は一旦靴のデザインを考えることにしたのだった。
◇
そんなこんなで数日後、楓は例の手芸店に来ていた。
「吉井手芸店・・・ここかぁ」
この商店街のお店は基本的にどのお店も時代を感じるが、ここ吉井手芸店も例に漏れず時代を感じる。
店頭に置いてある沢山の布が入ったコンテナの錆が年季を感じさせる。値札も手書きだ。
(とりあえず、入るか)
スライドドアを引き、中に入る。ドアが擦れてカタカタという音が鳴る。
(おー、布がいっぱいある・・・)
手芸に関してはずぶの素人である楓は手芸店が何なのかいまいちよくわかっていない。お店の中はかなり広く、色とりどりの布が所狭しと並べてある。
裁縫もやってみたいな、と考えながら奥まで進むとレジの奥で座りながら新聞を読んでる女性がいた。見た目からすると50代後半くらいだろうかと楓は勘繰る。
「あのー、平井さんの紹介で来た川原と申しますけど・・・」
声をかけると女性は新聞から顔を上げ楓の方を見る。
「あぁ、あんたが哲也の言ってた子か」
女性が品定めするように楓を見る。しばらくすると「ふぅん」と言いながら立ち上がる。
「ついてきな。こっちにパソコンがある」
「あ、はい。店はいいんですか?」
「大丈夫だよ。客から声をかけてくれるから」
「えぇ・・・」
楓は困惑しつつ女性についていく。
「ここだよ」
着いた先には段ボールなどが並べられており、隅の方にデスクとノートパソコンが置いてある。
「ところで、お名前は何ていうんですか?」
「入口の看板に書いてあるだろう」
「あ、はいスイマセン。吉井さんでお間違いないでしょうか?」
「あぁ、そうだよ」
「では吉井さん、平井さんからはパソコンやモバイル端末の操作がわからないって聞いたんですが、どのあたりがわからないんですか?」
「全部」
「えぇ・・・」
「パソコンも娘があった方が便利だからって言って買って置いていってそのまま触っとらん。モバイル端末も娘に持たされたがわずらわしくて叶わんわ」
「なるほど・・・」
これは思っていたより骨が折れそうだなぁ、と思いつつ楓は話を進める。
「でも平井さんに使い方を聞いたということは、使い方くらいは覚えたいということですか?」
「・・・まぁね。東京にいる娘からも早く使い方を覚えろって言われてるし、なんだか平井靴屋がやたらとハイテクになってたから哲也がひょっとして詳しくなったんかなと思って頼んだ次第さ。まさかあんたみたいな子供が来るとは思ってなかったがね」
「ははは・・・」
使い方は覚えたいという意思があるなら突破口はある。楓は隅の方に置いてあったホワイトボードを吉井の前に持ってきて、簡単な図やイラストを描きながら説明を始める。
「まず、パソコンやモバイル端末の使い方を覚えたら娘さんとの連絡が簡単になりますね。気軽に今日起きたこととかをメッセージで送りあうことができます」
「それは娘も言ってたな。他には?」
「店内に段ボールが何箱か置いてありましたが、あれは出荷ですか?」
「あぁ、鋭いね。出荷品だよ。まぁ書類とかもあるがね」
「今はほとんどの運送会社がパソコンを使うと便利になるサービスをやってますから、そういうサービスを享受できるようになりますし、在庫数とかの管理も簡単にできますよ」
「ふ~ん。まぁ要は色々できるってことかい」
「要約すると、そうですね。じゃあまずは電源の入れ方から行きましょうか」
「うん、頼むよ」
そんなこんなで楓による吉井さんへの0から始める!デジタルデバイス講座が始まったのであった。
◇
「じゃあ、今日はこの辺で。あとは明日都合がよければ明日にしましょう」
「あぁ、明日でいいよ。特段やることもないしね」
休憩を挟みつつ基本的なことを教え終わる頃には帰るのにちょうどいい時間だったので切り上げることにした。最近は母である由紀の帰りが遅くなる日は楓が夕飯の調理を任されるほどに楓の料理スキルはアップしており、あまり帰りが遅くなるわけにもいかない。
冷蔵庫にあった物から逆算し今日の献立を考えていると吉井さんから声をかけられた。
「あんた、下の名前は何ていうんだっけか」
「楓、です」
「楓か。それにしても良くやるね。説明がわかりやすい」
「そうですかね。ただ基本的なことをお伝えしていただけですが・・・」
「簡単なことでもそれを相手にわかるように伝えるのは難しいもんさ。逆に難しく言うのは簡単だ。あんたは例えばパソコン用語でも私に分かるように変換して話していたりしただろう?こいつが意外と誰にでもできるようなことじゃないのさ。大人になっても難しい言葉を使ってかっこつけたつもりになってるバカがごまんといるからねぇ」
「そんなもんですか・・・」
「そんなもんさ」
楓は特段すごいことをしたつもりはなかったのだが、吉井さんの御眼鏡に適ったようだ。
「・・・吉井さんも下の名前、聞いてもいいですか?」
「私かい?私は文子だよ。それがどうしたんだい?」
「いや、折角なんで下の名前で呼ばせてもらおうかなと・・・ダメですか?」
「・・・ふん、好きにしな」
「ありがとうございます。じゃあまた明日!」
「・・・あぁ、また明日」
挨拶をし楓が店を出ていく。
(・・・それにしても、また明日なんて言ったの何時ぶりだろうかねぇ)
ふと文子はそう思う。娘の佑子が独り立ちし東京へ出ていってから5年近く経つ。長い休みの時は顔を見せに帰ってきてくれるがそれ以外は基本的に文子は独りだ。
常連客がいることはいるがあくまで売る側と買う側の関係であり、肩を並べて気軽に話すような仲では当然ない。
そんな日々を送るうちに文子は知らず知らずのうちに話し相手を求めていたのかもしれない。
(・・・それにしても不思議な子だったねぇ)
文子にとって楓は不思議な子だった。平井靴屋が色々とハイテクな技術を取り入れたというのは知っていたが店主の哲也は全てあの楓がやったというのだ。
(技術が進歩した今の時代の子なら、あれぐらい出来てもおかしくないのかねぇ)
文子はそう結論付けると今日楓から習ったことを忘れないようにパソコンと向き合い復習を始めるのであった。
◇
誰しも失敗はするものだ。だからといって失敗してもへこまなくなるわけではない。
(あー、やっちゃったなぁ)
吉井佑子はため息をつく。地元から東京へ就職し今年で5年目。職場でのポジションも指示を受ける立場から指示を出す立場へと変わった。
毎朝その日の状況に応じて佑子が受け持つ後輩たちの段取りを佑子が組まなければいけない。段取りに正解は無く、誰もが納得する答えなど無い。効率を重視しすぎれば後輩たちは不満を漏らし、後輩たちの気持ちを優先させすぎれば仕事は回らず上司から注意される。板挟みだった。
どうすればいいのかわからず中々後輩たちへ指示を出せずにおろおろしていると、見かねた上司が「いつまで悩んでるんだ」と自分の代わりに段取りを組んでしまった。段取りは早く決めれば決めるほど作業に早く取り掛かれる。それがまた佑子の気持ちを焦らせ、正確な判断を鈍らせてしまっている。
上司からも後輩からもあいつは使えないなぁと影で言われてるだろうなぁとしょぼくれながら帰り道を歩いているとモバイルフォンがメッセージの着信を知らせる振動を鳴らす。
(こんな時間にメッセージ?一体誰だろう)
モバイルフォンを取り出すとそこには母である文子の名前があった。
(お母さん!?)
母には一応モバイルフォンを買いメッセージアプリでお互いを登録してあったので佑子にメッセージを送ってくることは不可能ではない。
しかし大の機械音痴であるあの母がモバイルフォンを使いメッセージを送ってきたというのは佑子にとって青天の霹靂だった。急いでパスコードを解除しメッセージを確認する。
(『佑子へ、元気ですか。知り合いに使い方を教えてもらったのでメッセージを送ってみました。仕事はどうですか?体は大丈夫ですか?都会での1人暮らしは何かと大変だろうけど、つらいことがあったら何時でもメッセージくれれば良いよ。たまには顔見せに帰ってきてね。 母より』・・・か)
ここ最近疲れていたからだろうか。ありふれたことしか書いていないのに佑子はなんだか涙が出そうになった。きっと不慣れながらもメッセージを打とうとする母を想像してしまうからだろう。
(お母さんも、機械音痴を克服したんだ。私も頑張らなきゃね)
帰ったら文子のモバイルフォンに電話かけてみようかな、と思うと佑子の足取りは軽くなる。先ほどまでの暗い表情は消え、口元には笑みが浮かんでいた。