6 大事なものは
再びノートPCを引っさげ平井靴屋を訪れた楓。
事前にアポを取っていたとはいえ楓に対して何の話をしに来たのかまず最初に問うた平井靴屋の店主である哲也の反応は当然だろう。
「平井靴屋の未来について、お話しに来ました。まず今哲也さんが感じている問題をまとめてみたので聞いていただけませんか?」
「うん、いいけど・・・」
そう言いながら楓はノートPCを哲也の方へと向ける。
「1つ目は客層の限定です。今まで平井靴屋さんは地域と関わり合い商売をしてきました。そのおかげで毎年決まった収入を得ることができた反面、逆に言えば新規の客層を取り込まなくても何とかなる環境が出来上がっているとも言えます」
「それは確かにその通りだね。今まで築き上げてきた物だから僕は誇りに思っているけれど、それが平井靴屋の未来を縛っているとも言えてしまう、ということだね」
平井靴屋は昔馴染みのおろし先と哲也についているお客さんのおかげで店が回っていると言える。言いかえれば哲也の人間性により哲也へ仕事を頼みたい、という人たちが平井靴屋を支えている。
これは既にお客さんが哲也に信頼を置いているのである意味最高の状態なのだが、逆に言えば競争が発生しないので何か新しいことを始める必要が今まで無かったのだ。
「もう1つが新しいテクノロジーに明るい人がいない、または接点がないこと。これは問題というよりは先ほどの問題点の下に紐づく事柄ですが・・・」
「新しい客層を取り込む動きをかけていこうとした時に自然と出てくる問題点、というわけかな?」
「その通りです。もしも若者へアプローチするなら新しいテクノロジーを使うかどうかはさておき、知識として知っておく必要はあると思ってます」
平井靴屋は色々なサービスがデジタルなテクノロジーを取り入れていく中、そういった流れとは一切無縁の形態でサービスを提供している。
さらに店の見た目自体、前世の記憶がある楓から見ても時代を感じさせる出で立ちである。これで若者との接点が作れるかと言われると厳しいものがあるだろう。
「これらを踏まえて、平井靴屋に今必要なのは若者の感性を持ち、なおかつ新しいテクノロジーに詳しい人、というのが私の所見です」
「なるほど、確かにその通りだ。だけどそんな人と知り合えたら僕もこんなに悩むことは無いんだけどねぇ・・・」
「そうですね・・・。ところでこれを見てもらえませんか?」
「ん?何かな・・・!?」
楓が哲也に画面を向けたままノートPCを操作すると、哲也の顔が段々と驚愕に染まっていく。
「これは・・・ウチの新しいサイト!?」
「正確にいうとモバイル端末用のアプリを今回プレゼンするためにPC上で動作させてるんです。で、実際にこのアプリを媒体とした平井靴屋のこれからのビジネスモデルをイメージした動画がこちらです」
その動画は実際にそのアプリをユーザーが使用し若者がオーダーするところから3Dプリンターなどの導入による製作工程の変化、完成後の商品の流れまでを3Dアニメーションでリアルに再現されていた。
例えば「こういう製品やサービスを弊社にも取り入れましょう」と言っても口だけでの説明では相手の心に響きづらいところがある。
しかし楓の場合はその製品やサービスを導入した未来を3Dアニメーションや動画などで子供でも分かるように表現できるのが強みの一つだ。
「めちゃくちゃ分かりやすいよこの動画!一体誰が作ったんだい?」
「私です」
「えええええ!?」
驚くのも無理はない。中学1年生の女の子が3Dアニメを作ってきたというのだから。
(しかし、本当にすごいのはそこじゃないぞ)
子供の頃から大人を驚かせるスキルを持っていることは、練習を積めば恐らく可能だと哲也は思う(充分すごいことだとはもちろん認めた上でだが)
実際にまだ小さいのに楽器がプロ級にうまいとか、将棋や囲碁やチェスが大人より強いとか、スポーツで既にプロチームの下部組織に属していて将来スター間違いなしとか、そういった子供は実際にいるのでデジタル世代が当たり前となった昨今では3Dアニメーションを作れる中学生がいても全然おかしくはないだろうなと哲也は思う。
しかし哲也が楓の動画で驚いたのはそこでは無い。
もちろん楓が作ったもののクオリティは高い。しかしそれよりも問題に対しての提案やその提案を実際に現場に組み込んだらどうなるか、哲也が気になるところを完全に押さえて解説してくれているところが素晴らしい。
動画の構成も分かりやすい。実際にお客さんがオーダーするところから始まって最後手元に届くまでをお客目線と平井靴屋視点でそれぞれ解説しているので自分たちの職場がどう変わってそれがどうお客さんの喜びにつながるかが明確だ。動画の時間が3分とちょっとで終わるのも簡潔で良い。
3Dアニメで動画を作れる子供はいるかもしれないが平井靴屋の現状から足りない物を見抜きそれに対する提案を考え、その提案で何がどう変わるかをこのレベルまで分かりやすい形にまとめることができる中学生などいるだろうか。哲也は楓に対して「すごいねー」などというレベルの敬意では無くもはや畏怖すら覚えていた。
「ちょ、ちょっと妻と友也にもこの動画見せてもいいかい?」
「もちろんいいですよ!」
哲也が店主とはいえ平井靴屋全体に話は及ぶので楓からすれば哲也が妻の百合子と息子の友也を呼んできてくれたのは好都合だった。
簡単な説明をして2人に動画を見せると先ほどの哲也のように驚いていた。
「これ、ホントに楓ちゃんが作ったの?」
「えぇ、まぁ一応・・・。実際にここでコード打ったり3DCADでモデリングとかしてみましょうか?」
「いや、大丈夫よ。私今の楓ちゃんの言葉ですら分からなかったもの」
ははは、と苦笑いする百合子。
「俺もモバイル端末と連携させたりしたらどうかな、とは思っていたけどそれを運用するソフトや方法は知らなかったし驚いたよ。これなら平井靴屋が一気に今の店っぽくなるんじゃないかな?」
興奮気味にそう言う友也。一家全員なかなかに乗り気なようだ。
「ただ申し訳ございませんが・・・私はこの提案を実行する気は一切ありません」
楓のその言葉を聞いた瞬間
「「「ええっ!?」」」
と平井靴屋の3人は仲良くずっこけるのであった。
◇
「実行する気は無いって、どういう意味だい?」
哲也の疑問は全くその通りである。わざわざ動画まで作ってきた提案を自分から取り下げるとは一体どういうことなのか。
「確かに先ほどの提案であれば平井靴屋を一気に今風の靴屋にすることができ、若者を振り向かせることができるかもしれません。ですがそれが本当に一番大事なんでしょうか。新しいテクノロジーを取り入れて若者を振り向かせることが。私は平井靴屋の皆さんの靴に対する愛情や姿勢、熱意に感銘を受けました。私はあなた方3人の靴に対する真摯な姿勢こそが平井靴屋の持つ最も素晴らしい宝物だと思います。わざわざ他の靴屋と同じゾーンに飛び込まなくても、平井靴屋しか持っていないものがあるんです。私はそれを最大限に活かすためにこそ新しい技術を使いたいと思っています」
確かに楓の知識があれば平井靴屋に最新の環境を取り込み今のスタイルの靴屋にすることは可能だ。
しかしそれはわざわざ他のチェーン展開している靴屋と同じ土俵に行くことになるし、そうなるとどっちが安いとかどっちの方がサービスや接客が良かったとかそういうところでの勝負になってくる。楓としては平井靴屋が今持っている良さをすべて手放すような行為に感じるのだ。
「なるほど・・・確かにただ新しいものを取り込めば良いわけではないことはわかった。でも僕たちにしか持っていないものを活かすっていうと具体的にはどういうことなんだろう?」
哲也が楓に具体的に何をするのか質問する。
「靴をお客様へ渡すときに、もう一つ渡すものを作るんです」
「渡すもの?」
「はい。結論から言うと、動画をお渡しします」
「「「動画?」」」
「はい。実際に哲也さんと友也さんが靴を作っていく工程を動画に収めて、お客さんに渡すんです」
「つまり靴の製造工程を動画にするってことだよね。狙いは何なのかな?」
友也がその動画を靴と一緒に渡す理由を尋ねてくる。
「例えば、長い間お金を貯めてすごく欲しい車を買ったとしましょう。その車を買った時にその車ができるまでの動画も一緒についていたら嬉しいですし、自分の手元に届くまでの大変さもわかってより大切にしようと思いませんか?しかも車みたいな工業製品は基本的に機械によるライン生産ですけど、平井靴屋の場合全て手作りなので、なおのこと買った人にとってはその動画が感慨深いものになると思います」
また近年では物が安く簡単に手に入るようになったので使い捨ての概念を持った人が増えている気がする楓にとって一種の抗議活動という裏テーマもあった。
「作った動画は渡す相手に合わせてネットにアップしてURLを渡すか、他の記録媒体に入れて渡すかを決めます」
「なるほど・・・」
「確かにもらったら嬉しいかもしれないけど、そんなに効果があるの?」
その動画のアイデアにうなる哲也とあまり納得いっていない友也。
楓がその重要さを話そうと思うより早く哲也が口を開いた。
「昔、僕が若いころ保険の営業マンがウチに来たことがあった。保険入ってくれませんか、ってね。よくあるパターンのやつだ。でもその営業は不思議でね、普通は自分の会社の商品を営業は勧めるもんだろう?」
「そうですね・・・」
「でもその営業はこれを手厚くしたいならこの会社さんのほうがいいですよ、とかこういう保証を重視したいならこの会社さんがオススメですよ、って言って自分以外の会社も勧めてくるんだ。普通なら自分の会社の保険に入ってくれとしか言わないもんなんだけど、僕に一番合った物を僕が選べるように紹介してくれた。つまりその人は自分の会社の保険に入れることよりも僕にとって一番満足のいく所を紹介することを大事にしていた。僕はその時、彼の『相手が最も喜ぶものを提供したい』という『想い』に共感してその保険に入った。本当にお金を払ってよかったなぁというサービスを提供するには『想い』があることが不可欠だと思う。動画は恐らくその一つってことだろう」
「その通りです。そしてそういう体験をした人は家族や知人に当然勧めますから、ある意味最高の広告になるんです。ネットのレビューよりも実際に行ってきた友達の言葉の方がはるかに信憑性があるでしょう?」
「確かに・・・」
なるほど、といった感じで頷く友也。
「というわけで以上のことを踏まえ私が考えてきた本当の案はこちらです――」
◇
-知る人ぞ知る名店「平井靴屋」に見る現代のテクノロジーと伝統技法の融合-
今、一部のマニアの間で話題になっている平井靴屋。その素晴らしさを褒め称える記事は既にいくつもあるのでこの記事では少し別の視点から平井靴屋を見ていこうと思う。
ハイテク化が進む昨今、その流れとどう向き合うか考えることはどの職に就いていても避けては通れぬ道だ。
平井靴屋は創業から半世紀も経つ歴史ある老舗だ。当然お店の内外装は年季が入ったものになっており当時の香りさえ感じられるようだ。
そんな空間の中に明らかに異質な物体が置いてある。3Dプリンターとタブレット端末だ。
時間の流れを感じさせるような木々で構成された空間の中で、削り出しのアルミや彩度が高い樹脂で外装を固めたマシンが置いてある光景は例えるなら着物で現代のビル街を闊歩する人を見ているような不思議な感覚を覚えさせる。
「本当は2階の工房に3Dプリンターを置いたほうが楽なんですが、この方がお客さんも面白がってくれるので。『こんな古臭い店に何でこんな新しい機械が?』みたいなね」
と語るのは平井靴屋の店主の平井哲也さん。つまりこのマシン達は「このお店は古臭いやり方と最新の技術の両方を活用していますよ」というアピールであり、意図的な演出なのだ。もちろん足の採寸もレーザースキャンでデータを取り込む。
そんな平井靴屋のオーダー製作の流れを紹介しよう。
まず、依頼主と直接打ち合わせを行う。打ち合わせではタブレット端末を使用し、完成予想図を3Dモデルで形状から色までリアルに作りこむことができる。そういった技術を使う一方で依頼主とは絶対に対面して打ち合わせをするのが平井靴屋流である。これは何時でも何処でも物を注文できる現代の常識に真っ向から反するやり方である。
「世界中から沢山オーダーを貰うのが僕らのやりたいことではありません。あくまで自分たちが納得いく仕事をして、それがお客さんの喜びに最大限つながることが一番大切なことなんです」
と語るのは息子の友也さん。オンライン上でのやり取りだとどうしても拾いきれないモノがある。それを余すことなく拾い、オーダーしてくれた人の期待に応えるために直接打ち合わせに来れる人しか平井靴屋にオーダーを依頼することはできない。
直接顔を合わせて打ち合わせをする理由は依頼する人のためだけではない。もしも期待に応えた提案をし喜んでもらえれば自分たちが受け取る喜びも倍増する。そのためのフェイストゥフェイスなのだ。そしてそのやり取りから一切の齟齬を無くすために導入されているのが先ほどの3DCGなどの技術であり、それらはあくまで平井靴屋のこだわりを支えるためのツールに過ぎない。
製作に入れば依頼主は完成を待つのみだが、当然ここでも依頼主を安心させるための工夫がある。
「進捗がある度に写真を撮って、簡単にコメントを添えて依頼主さんへ送るのも私の仕事です」
と語るのは哲也さんの妻の百合子さん。
平井靴屋では靴一足の製作におよそ1.5~2ヶ月間の納期を貰っている。その間音信不通ではお客さんも不安だろうと始めたのが製作中の靴の進捗を写真に収め、依頼主へ送る「進捗報告サービス」である。
百合子さんのマメな性格もあり、丁寧な解説と写真が添えられたメッセージは平井靴屋でオーダーした人から好評を博すサービスのひとつである。完成まで見たくない人はあえてメッセージを受け取らないという選択肢もあるのが面白い。
いよいよ靴が完成すると受け渡しだ。ここでは靴だけでなく、その靴ができるまでの様子を収めた動画も依頼主の希望に応じたフォーマットで受け渡しが行われる。
「その靴が出来上がるまでの様子を実際に見てもらうことで、より靴に愛着を持ってほしいんです。そして動画に作業の様子を収めることで、僕らも手を抜いた仕事をできないというメリットがあります(笑)」
と哲也さんは語る。自分のためだけの靴が出来上がっていく動画は依頼主はもちろんだが、実は作る側にも作業場所の整理整頓や丁寧な作業の促進など様々なメリットがあるようだ。
こうして各工程にデジタル技術を取り入れ、多くの支持を集めている平井靴屋だがまず先にあるのが人間の思いという点に着目したい。
あくまで先に「こうしたい」という気持ちがあり、それらを最大限に補助する形で様々なデジタル技術を取り入れている平井靴屋の姿はこのハイテク時代にどう適応して行ったら良いか迷っている人達への一つのヒントになるだろう。
一見昔ながらの靴屋に見える平井靴屋だがその中身は新しいテクノロジーと昔ながらのやり方を融合したまさに「ハイブリッド」であり、それらを統率しているのは昔から培ってきた『お客さんを喜ばせたいという気持ち』なのだ――、か」
昼休み、楓はモバイル端末でとあるネット記事を読んでいた。
楓の案を受け平井靴屋は「少し」変わった。大事にしてきた物はそのままに、新しい技術を取り入れ各工程をサポートすることで今までの限界を突破することに成功していた。
と言うと簡単に聞こえるが3Dデータの扱いから各種ソフトなどの管理や保守、動画の編集方法などの指導を楓がみっちり平井靴屋の3人につきっきりで行ったのでかなり労力は必要だった。
別に楓がやればいいのでは、という話になるが楓は自分がいなくても哲也と百合子、そして友也の3人が自力でそれらを運用、運営していくことが大事だと思っているので大変ではあったがそれぞれ分担し一から丁寧に教えていった。
ソフトの進化や楓の尽力のかいもあって全員今ではしっかりと各技術を使いこなせるようになっている。
それから数ヵ月が経ち、知る人ぞ知る靴屋として徐々に知名度を上げているようだ。最近では感動したことをネットでシェアする流れもあり、拡散されやすい。ここでも「古臭い店の外観」というのが見た人の目に留まる要素としてプラスに働いた。
そして店に来なければオーダーできない、というのが何時でも何処でも買い物ができるこの時代において逆に特別感を生み出していた。これも楓の「お客さんに迎合するよりもまずはこちらが100%の力を発揮できる状態を作るほうが大事」という意見だった。
ちなみにインタビューを受けるという話を聞いたとき「楓ちゃんももちろん出るよね?」と平井家全員から言われたが謹んで辞退した。頑張ったのは彼らだし、中学生の内から自分の名前が世に出るのは嫌だからというのもある。有名になるというのはつらいところも沢山ある、というのは前世でクリエイターとしてそれなりに知名度があったからこそわかることだった。
「あれ、何見てるの?」
その時のことを思い返していると、史織が声をかけてくる。
「前に3人で行った靴屋さんだよ。今結構話題になってるみたい」
そう言いながら自分のモバイル端末を史織に見せる。
「おー、ほんとだ。なんか前は無かった機械が置いてある!でも、お店の感じはそのままっていうのがなんだか良いね」
「だよね。私もそこお気に入りポイントだな!」
「それより、2人とも前会った時と違ってすごい良い笑顔だね。楽しそうなのがこっちにも伝わってくるというか」
「――ほんとにね」
楓は記事の最後にある3人の集合写真に目をやる。そこには楽しそうに笑う3人の笑顔が映っていた。
お盆休みずっと出勤でした・・・