4 色々な道
「うーむ・・・・」
前世の記憶を思い出して2ヵ月が経とうとした頃。学校からの帰り道を歩きながら楓は悩んでいた。
悩みの種は、現在自分が置かれている環境である。
楓は現在中学一年生であるが、中身は(一応)立派に大人である。
この状態で前世で覚えたことをひけらかしたら、褒められるのは自明の理である。
自分に圧迫がない環境で面白い物が生まれるわけがない、というのが前世の経験からの楓の考えである。
もちろん楽して面白い物が作れればオールオッケーなのだが、少なくとも楓には無理だ。
ここでネックになってくるのが前世での記憶だ。
普通の中学生であれば日常そのものが超えるべき壁となる。友人関係や勉強、将来への不安や部活動、などなど・・・。
しかし楓は前世ではその世界で知らない者はいないくらいのクリエイター。そんな自分が追い込まれるような状況を作るには中学生という身分が邪魔すぎるのだ。
企業で働こうにも当たり前だが働けない。バイトですら雇ってもらえるのはまだ3年先の話。じゃあ何か面白いアイデアを企業に持ち込むかと言っても13才の考えたことを真面目に取り合う企業などいないだろう。
(うーむどうしたものか・・・)
うんうん言いながら歩いていると、公園のベンチで1人座る女の子が楓の目に入った。年は小学校低学年、といったところだろうか。
別におかしい光景ではないのだが、楓は何となくその少女が気になった。
顔は俯いており、雰囲気がとても暗いように感じる。
楓は落ちている枝を拾うと、ベンチに座っている少女へ歩みよる。そして少女の座るベンチの前で地面に枝で絵を描き始める。
最初はそれを訝しみながら見ている少女であったが、絵が完成に近づいていくと楓が何を描いているのかわかったのか目の輝きが増していく。
「これな~んだ」
「ぱくモン!!」
「ピンポーン!」
楓が描いたのは今子供たちの間で大人気と言われているキャラクター「ぱくモン」だ。みんなの不安や悩みを何でもパクパクと食べて解決するという設定のキャラクターなので「ぱくモン」らしい。楓としては藤沢先生が考えた数学推進マスコットキャラ「スーガくん」とどっこいどっこいだなぁ、というのが正直な感想である。
ひとしきり子供に受けそうな絵を描き、ベンチの周りが楓の絵でいっぱいになる頃には楓と少女はすっかり仲良くなっていた。
「名前は何ていうの?」
「石井由愛!今年で小学3年生です!」
「お~3年生なのに敬語使えてえらいね~よしよし」
「えへへ」
楓が由愛の頭をなでると顔をほころばせる由愛。
(か、かわいい・・・)
前世で会社の人たちが「かわいいでしょ!」と自分の子供の写真をやたらと見せてくる理由が楓は今わかった気がした。
「ところで由愛ちゃん、さっきすごい落ち込んでるように見えたけど何かあったの?」
楓がそう尋ねると由愛が目に見えて落ち込んでいく。
「今日ほんとはピアノ教室に行かなきゃいけなかったんだけど、サボっちゃったの」
「サボっちゃったのか〜。まぁでもそういう日もあるよね。今日はそんな気分じゃなかった?」
「・・・ピアノってもっと面白いと思ってた。でも、ピアノの練習は全然つまんないの。でも由愛がお母さんにピアノやりたいって言ったからやめたいって言いづらいし...」
由愛ちゃんの話を聞くには、貧しい若者がピアニストとして成り上がっていく映画を家族で見て、感激した由愛ちゃんがピアノを始めたいと家族に懇願。念願叶ってとりあえずピアノ教室に通うことになった由愛ちゃんだったが実際にピアノを弾く難しさに絶賛絶望中のようだ。
楓も前世でギターを弾いていたのでわかるが、楽器というのは始めてしばらくはろくに曲を演奏できない。
その演奏できない期間を耐えれるかどうかが分かれ道であり今由愛ちゃんはまさにその分かれ道に立っているのだろう。
どちらの道を選ぶかは由愛ちゃん次第だ。しかし実はその道は今由愛ちゃんに見えている以上にもっと沢山あるということを教えてあげるぐらいの手助けならしてあげてもいいだろうと楓は思った。
「ねぇ由愛ちゃん、実はお姉ちゃんギター弾けるんだ」
「ほんと!?ギターってかっこいいよね!由愛の通ってるとこでもギター練習してる子いて、由愛もちょっとやってみたいなーって思う時あるもん!」
「じゃあ今度、一緒に弾いてみない?由愛ちゃんはピアノでお姉ちゃんはギターで。楽器を変えっこしたりしてもいいし!」
「ほんと!?やるやる!どこでやる!?」
「由愛ちゃんの家にピアノってあるの?」
「うん!あるよ!キーボードだけど・・・」
「じゃあ由愛ちゃんの家で今度やろうよ。ギター持ってくからさ!」
「うん!」
◇
時間も時間だったので楓は由愛を家まで送り、出迎えてくれた由愛の母親に事情を説明していた。
「ごめんなさいね、家の子が迷惑かけて・・・」
「いえいえ、むしろ面白い子と出会えて私も楽しかったです」
帰ったら怒られる、と帰宅を渋る由愛であったが楓も一緒に由愛のお母さんに謝ること、そしてピアノ教室をサボった理由が楓により既にヒアリング済みだったということもありあまり怒られるということはなかった。
「それで先ほどの件なのですが・・・」
「あぁ、由愛と家で一緒に演奏する件ね?あんまりうるさくしないなら大丈夫よ」
「ありがとうございます。ただ一つ気になることがありまして・・・」
「気になること?」
楓がそう言うと意外そうに由愛ちゃんのお母さんが首をかしげる。
「はい。私が由愛ちゃんと演奏したいのは理由がありまして、彼女に今自分が見えている世界がほんの一部だってことを知ってほしいんです」
「・・・というと?」
「由愛ちゃんはピアノ教室でゼロからピアノを習い始めました。練習する曲もあくまで先生がピックアップした曲の中から由愛ちゃんが好きなものを選んでいるだけですし、練習のフレーズなども何故それを練習しないといけないのか恐らくよくわかってないんじゃないかと思います」
「確かにそうだけど、何かを身に着けるっていうのはそういう苦労もあるんじゃないかしら?」
「そうなんですけど、もっと音楽って色々あるってことをせめて知ってから、それからピアノを辞めるかどうか決めてほしいんです。すでにこの世にある曲を演奏するだけが全てじゃないと思うんです。自分で曲を作ってみたり、人と一緒に演奏したり、アドリブで人と一緒に合わせる、っていうのもあります。ピアノが弾ければなんならロックバンドでキーボーディストにだってなれます。ピアノっていう楽器の可能性をもっと知ってほしいんです」
ギターという楽器の良いところは、それを学校で教えないところだ――というとあるギタリストの名言がある。
ではもし、ギターという楽器の奏法を体系化し学校で教えるようになったらどうだろうか。
間違いなくギターの上達の速度は速くなるだろう。プロのギタリストがやっていることを自分であーでもないこーでもないとやっている時間が無くなるのだから。
しかし一方で独創的なアイデアが生まれにくくなるだろう。
構え方はこうしなさい、ピックの持ち方はこうしなさい、アンプとの接続はこうしなさい、と決めて教えてしまうからだ。
ピックで弾く人もいれば、指で弾く人もいる。もっと言えば足で弾いたり、歯でギターを弾くというパフォーマンスもある。
右利き用のギターの弦を逆さまに張り替え、左利き用にした人もいる。ギターに違う楽器を合体させた人もいる。
世間では間違いだと思われているものを突き詰めた結果、新しい個性となる。ギターという楽器の面白いところの一つだと楓は思う。
これはギターだけに限った話ではないだろう。
「・・・なるほど。あなたが由愛と演奏したい理由はわかったわ。でも問題って?むしろ由愛のことを思ってのことで何も悪いことなんてないように思えるけど・・・」
先ほどまでの楓の話を聞くと、由愛のピアノの世界を広げるためにも一緒にギターで演奏したいというのが楓の言い分だ。それのどこに一体問題があるのだろうか。
「・・・由愛ちゃんはまだ小学3年生ですし、ピアノをやめるならやめるで、それでもいいのかな、と。もしピアノ一色になっちゃうよりも、ピアノ以外にも色々なことを体験しておいたほうがいいのかなって・・・・」
そこまで楓が言うと由愛のお母さんが「ぶふっ」と吹き出していたので何事かと話すのをやめる楓。
「ど、どうされました?」
「いや、あんまりにも考えすぎだからつい笑っちゃって・・・」
考えすぎだろうか。楓にとっては由愛の将来を揺らがしかねないことなので真剣この上ないのだが。
「楓ちゃんは、すごく頭がいい子なんだって話してみてわかったわ。勉強ができるとかそういう意味じゃなくて、ね。それと同時に相手のことを気に掛ける優しさも持ってる」
「だったら――」
「でも、逆の立場だったらどうかしら?もし楓ちゃんが逆の立場だったら、狭い世界だけ見た状態で、ピアノをやめる?もっと広い世界があるって教えてくれる人がいても?少なくとも、その人の話を聞いてからやめるかどうか決めよう、って思わない?」
「思うと、思います・・・」
「でしょう?それに、楓ちゃんも他の人が丁寧に整備してくれた道を歩くなんてつまらないってわかるでしょう?結局決めるのは全部本人なんだから、楓ちゃんは出来ること全部するだけしといたらいいのよ」
「確かにそうですね・・・うん!じゃあ私も全力で由愛ちゃんとセッションさせていただきます!」
その後は楓が由愛家を訪ねる日などを話し合い楓は帰路についた。
帰る時に由愛のお母さんからもらったサイダーが、なんだか自分で買って飲むよりも美味しいと感じた帰り道だった。
◇
迎えたセッション(?)当日。
楓はお父さんが昔始めようと買ったギターを借り、持ってきていた。なぜか楓が前世で使っていたギターとほぼ同じモデルだったのがありがたい。アンプはノートパソコンだ。前世の時代からすでにパソコンでのアンプシミュレーターは存在していたが今の時代では更に進化し、無料で配布されているものでも楓からすれば十分なくらい良い音が出る。時代の進化は素晴らしい。
由愛のキーボードは入門用の電子キーボードだった。
しかし無線接続やタッチパネルでの音色のエディットなどが可能な代物で最初楓は「すごい良いやつ買ってもらったんだね~」と由愛に言ったら「これ入門用で7000円だよ」と言われ驚いたぐらいである。時代の進化は素晴らしい(2回目)。
「それじゃ始めよっか」
「うん!まず何するの?」
「じゃあ、アドリブで一緒に演奏してみよっか」
「アドリブで!?」
アドリブ、つまり即興で演奏するとなると大抵の人は驚くが実はアドリブと言っても出せる音というのはコードによって決まりがあり、演奏者は使える音を覚えていてそれをその場で組み合わせている人がほとんどだ。(ただ中には鬼のような練習により頭の中で鳴っている音をすぐに楽器で演奏できる領域まで達した人もいる)
つまり使える音を先に覚えておけば実は素人でも簡単にアドリブができるようになるのである。
「できるかなぁ・・・」
「簡単だよ!じゃあ、今からお姉ちゃんが伴奏をギターで弾くから由愛ちゃんはドレミファソラシドだけで好きなところを押して、適当に主旋律を弾いてみて」
「えっ!?そんなのでいいの」
「うん!多分やってみたらすぐわかるよ。じゃあ、1、2、3――」
カウントから楓が伴奏を始める。指弾きでコードを鳴らしながら弦を爪でヒットしパーカッションも同時に行う。
最初は戸惑っていた由愛だったが楓に言われたとおりに音を鳴らしてみると、すぐに気づいた。
(――適当に弾いてるだけなのに、曲になってる!)
由愛が興奮した顔で楓の方をちらりと伺うと楓が気づいた?というようにこくりと頷く。
(――これなら、行けそう!)
何をやっても良いような、自分だけの世界。自由に描ける真っ白なキャンバスに自分の乗せてみたい色を次々と乗せるように、由愛は色々なことを試した。
音を詰め込んでみたり、少なくしてみたり。音を何個も重ねてみたり、1つの音を長く伸ばしてみたり。
新しいことをやるたびに、自分が気持ちいいと思うフレーズが生まれる瞬間がある。
そして何より自分が盛り上げようとしたときにはちゃんと伴奏を盛り上げたり、静かにしたいときには静かに伴奏を合わせてくれる楓が、由愛にとって心地よかった。言葉ではなく音でお互いの意思を疎通させ、盛り上げるタイミングを合わせられたときなんかはもう最高だった。
何となく楓の伴奏が「もう終わろうか」という雰囲気を出していたので、2人でタイミングを見計らい演奏を終了した。
(な、長かった・・・)
こういったアドリブはどこでどう終わるかもわりとその時のノリであるが、楓が思った以上に由愛が弾きまくっていたのでなんと10分以上も演奏を続けていた。
(由愛ちゃんは、どうだったんだろう)
そう楓が思い感想を聞こうと由愛の方を見ると――
「すっっっっっっごい!!!!!!すっごい楽しかった!!!!楓お姉ちゃん!もっかい!もっかいやろ!!」
10分以上初めてのアドリブをぶっ通しで演奏していたのに、全く疲れていないどころか何と再スタートの要求だった。若いってすごい。
「いやー、結構長く演奏してたし、ちょっと休も――」
「じゃあ行くね!1、2、――」
「人の話を聞かんかい!!!」
こうしてこの後あたりが暗くなるまで延々と由愛のアドリブ演奏に付き合わされる楓なのであった。
この時の2人の演奏を録画していた由愛のお母さんがインターネットに動画としてアップロードしたところ、大きな反響を呼んだのはまた別のお話である。
アドリブよりも音楽界隈だとインプロ(即興っていう意味のimproviseの略)って言う場合がほとんどですが、わかりやすいと思うのでアドリブって書いてます。