34 光あるところに影あり
「商店街市民発表会、今年もやるんだね」
ある日の夕方、楓は吉井手芸店を訪れていた。
※吉井手芸店が何か分からない人は9話を見返そう!
「毎年恒例さね」
商店街市民発表会とは文字通りこの地域に住む住人たちがステージで各々の芸を発表する会である。
ダンス、バンド、手品、漫才などなど...とにかく芸であれば何でもOKのバラエティに富んだ発表会だ。
ステージは商店街すぐ横の大きな駐車場に設営し、参加者の年齢も問わない。
毎年老若男女問わず様々な地元民が集まる人気イベントだ。
「あれ、でもいつも夏じゃなかったっけ?」
毎年8月に行われていたと記憶していた楓がポスターを見ながら首を傾げる。
「昔の名残で8月だったけど暑すぎるってことで6月末に前倒しになったんだわ」
「あー、もう夏って屋外で何かやる季節じゃ無いですよね....」
文子の言葉に楓は肯定的な意見を返す。
「明後日まで参加者募集ですか...」
「まぁ友達で出たい人がいたら教えたげな。未成年でも保護者1人いればエントリーできるからね」
「了解です。とは言ってもそんな友達いませ——」
——そのとき楓に電流が走った。
◇
「俺がフレーズ変えてんだからお前も合わせろよ!」
「なぜ俺がお前に合わせる必要がある?お前こそ、そのセンスゼロのカスアドリブは師匠レベルになってからにしてくれ」
「あーもうめちゃくちゃだよー(諦観)」
火花を散らす一ノ瀬と二階堂に呆れる朱莉。
放課後の大町西校軽音部の防音室は今日も賑やかだ。
紆余曲折あったものの無事(?)始動した西校軽音部だったが、色々問題はあった。(一行矛盾)
その一つが一ノ瀬と二階堂のリズム隊が不仲という点である。
「まぁまぁ。一ノ瀬君はアドリブ入れるのは構わないけど、アドリブ入れるとリズムがヨレヨレになりがちだからアドリブしてもリズムキープ出来るようにしてね」
「うす!」
「二階堂君はイレギュラー対応の練習だと思って一ノ瀬君が遊び始めたら合わせてみたら?君は今まで音源に合わせての練習しかしたことないだろうけどライブっていうのは本当に何が起きるか分からないからね」
「イエッサー!!」
バンドの要であるリズム隊の息が合っていないというのは致命的だが、楓という存在がいることでこのバンドを瓦解せずにいた。
「軍隊かな?」
その様子を見つめる朱莉はいつもの事ながらため息が出るのであった。
「ちょっと早いけど今日はここまでにして、みんなに相談したいことがあるんだけど」
楓が学校の指定カバンの中をゴソゴソとあさり、1枚のパンフレットを3人の前に差し出した。
「「「商店街市民発表会?」」」
「うん」
西校軽音部の問題点その2。
それは自分たちを披露する場所が無いという点であった。
今後この部活動が正式に部として認められるにあたって大事になってくるのがちゃんと活動しているのか?という点である。
何かしら活動したという実績が欲しかったが、軽音部が活躍できそうな校内のイベントなどは秋の文化祭まで特に無いのでどうしたものかと朱莉は頭を悩ませていた。
そんな活躍の場を探していた西校軽音部——いや西校軽音同好会にとってこの市民発表会は渡りに船のイベントだった。
「もちろん出るよ!!」
当然朱莉は即答した。
「ふむ。となると考えるべきことが2つあるな」
軽音同好会では朱莉がイエスと言えば楓もそれに従うので、それ即ち二階堂の意見もイエスということである。(通称:楓=二階堂の等式)
従って二階堂は当然参加する方向で問題点を指摘する。
「1つは曲目だ。1つのグループにつき転換込みで20分以内となると、演れるのは2曲程度。客ウケする曲を演るのか、それとも俺たちのやりたい曲を演るのか——」
二階堂の問いかけはある種ミュージシャンにとって究極の問いかけだ。
大衆に受け入れられやすい作品にするのか、自分の心に従った作品にするのか——このバランスは常に誰しもが悩みを抱えている。
「と言っても今やってる曲って私の好みだから自然と流行りの曲だよ?」
「商店街のイベントだから、若い子よりも年齢層が高いかもよ。流行りの曲って言ってもあくまで私たちの年代基準だし」
「あー、そういうことね...」
朱莉の疑問に楓が答える。
(これがバンドの難しさだよなぁ)
楓は心の中でそう呟いた。
ライブというのは演奏者と聴き手のコミュニケーションだ。
自分の作った誰も知らない曲を演奏した場合、よほど目を惹く何かが無ければ観客はすぐに飽きてしまうだろう。
楓ですらRaspberryの曲に興味が無い人たちの前で演奏し、聴衆を沸かせられるかというと絶対の自信は無い。
伝説級のバンドも有名になる前はヒット曲のカバーをするのが当たり前で、とある有名ロックバンドはクラブやショーのオーナーに起用してもらうためにビルボードのトップ50を常に演奏できるようにしていた、という逸話もある。
「木乃原のやりたい曲と誰でも知ってる曲を1曲ずつやればいーんじゃねぇか?」
一ノ瀬が折衷案を出した。
ちなみに一ノ瀬も音楽を始めた動機が楓なので、この曲がやりたいという主張はなく楓に従う(楓=二階堂=一ノ瀬の等式)
「うーん....何が正解なんだろう」
「まぁ、曲目は当日のリハーサルまで悩めるし、今日中に決める必要もないでしょ。練習もあるから早く決めるに越したことはないけど」
悩む朱莉に楓が声を掛ける。
「それでもう一つの問題って何だよ?」
一ノ瀬が二階堂に問いかける。
「もう一つの問題は——師匠の問題です」
「「「あー....」」」
先日二階堂の思わぬカミングアウトにより明らかになった楓の正体。
世界中の音楽チャートや記録をインスト曲でめちゃくちゃにし、ギターという楽器を別次元へと押し上げたモンスターがバンドにいる。
ただそれだけで大騒ぎとなるのはまだ若い朱莉、二階堂、一ノ瀬の3人でもすぐに分かった。
「中学生の時ものっぴきならない事情で(※半分自業自得)ステージに出ないと行けなくなった時は被り物を被って出てたよ」
「被り物で隠しても師匠のギターなら一瞬でバレませんか?」
「大丈夫。公に『私がRaspberryの楓です』って言わない限りは永遠にグレーゾンだからね」
「なるほど!さすが師匠、清濁併せ持ったアイデア。お見事です」
「えぇ...」
「そろそろこのくだりに慣れろ木乃原。身が持たねぇぞ」
「いや、私の方が常識人のはずなんだけど??」
相変わらずの楓と二階堂のやり取りに疲れる朱莉を一ノ瀬が諭す。朱莉は納得行っていないようだが。
「被り物は私の問題だから私で何とかするよ。参加するなら申込書は私の方で商店街の人に出しとくね」
「うん、楓ちゃんヨロシク!...でもそんな大事なこと、初めに言ってくれたら良かったのに」
「一応最初は入部を渋ってたでしょ?」
「あー、あれはそういうわけだったんだね...」
むーっ、とむくれる朱莉に楓は申し訳無さそうに返事を返す。
「とりあえず詳しいことは明日また話そう。だけど明日は活動できないから、放課後ファミレスとかで集まろっか」
楓の提案に残りの3人も頷く。
同好会は西校の規則だと週に3日までしか活動できないため、現状週に3日練習としている。
どうしても4日以上やりたい場合は全員でお金を出し合い近所のスタジオを借りているというのが現状だ。
「あっ、川原さんもしこの後商店街行くなら俺もついていっていい?ベースの弦買いたいけどどれが良いのかよく分かんなくて」
「うん、良いよ」
「イエスッ!!」
「また一ノ瀬君は隙あらば楓ちゃんと2人きりになろうとして!番犬の二階堂君はこれで良いの!?」
「俺はあくまで師匠の歩く道に続くだけだ。どの道を選ぶも師匠の自由なり」
「二階堂君は楓ちゃんの家臣か何かなのかな??」
色々な意味で疲れる朱莉を尻目にその日は解散となった。
◇
かつて一ノ瀬が初めて高校生達に絡まれた際、一緒に歩いていた中に当時中2の女子が1人いた。
その女子は容姿も良く喧嘩の強かった当時中1の一ノ瀬に一目惚れし、一ノ瀬も彼女というものを作ったことがなかったということでそのまま2人は付き合うことになった。
が、一ノ瀬はすぐに飽きて3ヶ月もしない内に一方的に別れを切り出し破局。
少女はそれに納得できなかった。
少女にとって一ノ瀬は魅力的すぎた。
腕っぷしの強さに容姿、そして不良とは思えない地頭の良さ。
少女は所属しているコミュニティにおいて一ノ瀬仁という男は圧倒的なカリスマ性を有していた。
実際に地元の不良グループのリーダー的存在になっていく一ノ瀬を、彼女である少女は誇らしげに思っていた。
つまり何が言いたいかというと——何とかもっかい一ノ瀬とヨリ戻してーなーというのが少女——高城 沙耶香の考えていることだった。
(つーか仁のヤツ、大町西高なんて行っちゃったらますますアタシと接点無くなるじゃん)
別れてからも地元の不良とツルんでいたので中学生の間は仁と接点があった沙耶香だったが、仁が寺爺にボコボコにされて更生(?)してからはめっきり会う機会も無くなってしまった。
(まぁ、元々違う世界の住人って感じだったし)
奇跡的に一瞬交わっただけで、一ノ瀬 仁という男は明らかに自分のような人間とは違う場所に棲む人間だ。それを沙耶香は直感的にわかっていた。
まぁ、だからこそ惹かれたのだが。
はぁー、とため息を吐きつつ駅の方へと歩いていると正面から2人の男女が歩いてくるのが見えた。
2人とも背が高く、スラッとしていてモデル体型だ。
特に男の方は180cmは超えるであろう身長にパーマのかかった髪が非常に似合っており——
「って仁じゃん!?」
その男は紛れもなくかつての恋人、一ノ瀬 仁であた。
「ん?おぉ、沙耶香か」
「知り合いなの?」
沙耶香に気づいた一ノ瀬に楓が質問する。
(...ははーん、この女が仁の新しい彼女ってワケね)
なるほどね、と合点がいった沙耶香はジーッ、と楓を上から下まで観察する。
まだ新しい制服はこの辺りではそこそこ有名な新学校である大町西高校の物。
支給された物を着崩すこと無く着ており、シャツのボタンも上まで留まっているし、スカートも折ったりしておらず膝下まで伸びている。いかにも優等生といった感じだ。
普通の女子高生であれば野暮ったく垢抜けない印象を与えるはずだが、165cmはあろう長身と細く長い手足がむしろ清楚な感じを印象付ける。
服装に倣い、化粧っ気もほぼ無い。
どう見てもリップすら塗ってない舐めたすっぴん顔だが、小さな顔に優しげな印象の大きな瞳が印象的で、メイク無しでも何一つ困ってなさそうな腹の立つ顔をしている。
髪の毛はもっとアレだ。
ところどころ跳ねた寝癖があるし、見た感じ日頃からケアを適当にやってそうだ。
しかし、なんかそれすらも似合ってる気がする。
完璧すぎる人間はどこかで敬遠されるものだが、この少女は所々に隙があり美しさと親しみやすさのバランスが丁度良い。
(コイツ、めちゃモテそうだな〜...)
というのが沙耶香の率直な感想だった。
しかも大町西高に通ってるということは頭も良いということか。
(さぞかし両親に大事に育てられたんでしょーね...)
年中喧嘩ばかりしており、いつも怒鳴りあっている自分の両親とは違いきっと優しい両親のもとで何一つ不自由なく育てられてきたのだろう、と沙耶香は推測しその想像が余計に彼女を苛立たせる。
沙耶香にジロジロと見られながらも一切不快な素振りを見せずこちらを見つめてくる楓に更に若干苛立ちつつ、沙耶香は口を開く。
「どうも~。仁の元カノですぅ」
元カノ、という部分を強調して楓にアピールする。
(ふふふっ、少しは動揺しろ、バーカ)
心の中でクフフと笑いながら楓を見つめる沙耶香だったが、
「へー、一ノ瀬君彼女いたんだね~」
「まぁね。いうてすぐ別れたけど」
「そうなの?可愛くて良い子そうなのに」
楓は沙耶香の思惑とは裏腹に、全く意に介していない様な反応を見せる。
(はぁぁあああ?正妻ポジション取って余裕って感じですかぁ~!?)
楓の反応が気に入らない沙耶香は次の手を放つ。
「ちょっと冷たいじゃん仁~、あんなことやこんなことした仲なのにさ~♡」
(フフフ・・・こいつでどうだ!)
今度はより刺激的な含みのある言葉をワザと気持ち大き目な声で投げかける。
元カノにこんなことを言われてイヤな気持にならない女はいないはずだ。
...まぁあんなことやそんなことは無かったが。
「あら」
「あのさ・・・お前何がしたいワケ?」
しかし楓の反応を見るよりも先に一ノ瀬の方が痺れを切らしてしまった。
「用が無ぇなら俺ら行くから」
「まぁまぁ。久しぶりの再会なんでしょ?そんなこと言わないでさ、私は川原楓。あなたの苗字は?」
そういうとクリクリした瞳でこちらを見てくる。
その瞳には一切の下心や疑いなど無いように見える。
絢香が先ほど放った言葉など微塵も気にしていないようだ。
(コイツ・・・マジでアタシのことなんて眼中にないってワケ~?てか敬語使えし!)
実際には楓は仁の彼女でも何でもないし、偶然会った仁の友達に軽い挨拶をしているつもりなだけなのだが、2人の間には大きな認知のズレが起きてしまっていた。
「高城 沙耶香、だけど・・・」
「『ぎ』は植物の木?」
「いや、城の方で・・・」
「珍しいね!城って漢字が入ると何だかお嬢様っぽくて良いよね~」
楓の人懐っこい雰囲気につい絆され沙耶香は会話を続けてしまう。
「川原さん、一応門限あるんでしょ?ぼちぼち行こうぜ」
「あ、うん。じゃあまたね、高城さん」
「あ...」
そういうと一ノ瀬と仁は去っていった。
(門限って...マジでお嬢様って感じですか〜?)
普段つるんでいるメンツで門限など聞いたことが無かった沙耶香はハァ〜と溜め息をついた。
(めちゃくちゃにしてやりてぇ~)
あの女の澄ました顔が歪むところが見たい。
あの女が絶望した顔を見たい。
なまじ楓という存在が眩しいゆえに——時に人はその光に目をやられ、誤った道を選んでしまう。
「あ、吉田先輩?ちょっと手伝ってほしいことがあるんだけどォ~。」
◇
「ただいま〜」
一ノ瀬との買い物が終わった楓が自宅に着く頃には時計は19時前を指していた。
一ノ瀬が楓の想像以上にベースに対して熱心で楽器屋で出てくる色々な質問に答えていたら結構な時間が経っていた。
「あら、おかえり」
洗面所からリビングへと向かうと母である由紀が夕飯の支度をしながら楓を迎えた。
「ただいま。ごめん、当番代わってもらって」
川原家は夕飯を楓と由紀が当番で回している。
一ノ瀬との買い物が長引く可能性もあったので楓は由紀に当番を代わってもらっていたのだ。
「いいのいいの♪何?デートでもしてたの?」
「いや、軽音部の子の買い物に付き合ってあげてただけだよ」
「へぇ〜。結構背高い子だったわね♪」
「そうそう...ってなんで知ってるの!?」
「だってあなた達、駅前にいたでしょう?仕事帰りのお母さんが見かけても何もおかしく無いわよね?」
「あー、そういうことか...」
楓は参ったとばかりに両手を上げた。
「楓は創作バカだから恋愛なんて興味無いって思ってたし、まぁ抱える事情も事情だからしょうがないとは思ってたけど....ちゃっかりイケメン捕まえてるじゃない♪」
「だーかーらー!彼氏とかじゃなくてただの部員同士だって!お父さんが家にいたら面倒なことに——」
「楓に彼氏だとぉぉぉおおおおお!?」
「うわ出た!なんで今日に限って帰ってくるの早いの!?」
由紀と楓がそんな話をしているといつの間に帰ってきていたのか父親の透が血相を変えてリビングに入ってくる。
透は会社では役職持ちのため、いつもは帰りが結構遅いのだが今日はほぼ定時で退社してきたようだった。
「あらお帰りなさい」
「ただいま!それより楓に彼氏ができたと聞こえたが——」
「全然出来てないから落ち着いてお父さん」
「それはそれで悲しい...」
「お父さん情緒どうなってんの...」
楓は透の感情アップダウンに若干引きつつもしっかりと彼氏疑惑を否定する。
「いやー、まぁ、それでどうなんだ。楓はそういうのは」
透は楓が思春期の女子だからというよりも、前世の記憶(と思わしき物)を持っているが故に慎重に尋ねる。
「あー...まぁ多分、男の人が恋愛対象だとは思うんだけど」
楓も仁科奏の記憶が覚醒してからは創作マシーンとなってしまい、かつ精神年齢が一気に上がってしまったため周囲の異性をそういう風に見ることがあまり出来ずにいるのは事実だった。
「お父さんはもっと普通の女の子の方が...良かった?」
楓は透に尋ねた。
それを聞いた透は一瞬だけ目を見開くと、楓の瞳を見つめ——
「ていっ⭐︎」
「あいたぁっ!?」
楓の頭にチョップを喰らわせた。
「それはちょっと自分を特別扱いしすぎじゃ無いかい、楓さんよ。
人は誰しも、異常な部分を持っているからね」
透は頭をさする楓にゆっくりと諭すように話す。
「大人のほとんどは自分の『異常な部分』を認めて、受け入れて、何とか付き合っているだけだよ。決してロックミュージシャンや発明家だけがブッ飛んだ人間ってわけじゃ無い」
「お父さんも、異常なところがあるってこと?」
楓は透に尋ねる。
「もちろん。人によって大小は当然あるけど、絶対にみんなあるはずだよ。何とかその異常性を飼い殺して社会に溶け込む人や、コントロール出来ないほどの異常性をありのままに解放してアーティストになる人もいる。人によっては...その異常性に振り回されて、犯罪を犯してしまう人もいる。楓ならよく分かるだろう?」
「...うん」
「そしてその異常性との付き合い方は誰も教えてくれない。自分で探さなければ答えは見えてこないし、社会が自分にぴったりの居場所を用意してくれるわけでも無い。抱えた異常性によっては社会とのつらい戦いになるかもしれない
だからこそ、普通なんて言葉に何の価値も意味も無い。全ての人間はみんなどこか変で、日々それと戦いながらバランスを取って生きている。脚が1本しか無いのなら、1本脚でバランスを取り生きていくしか無いんだ」
分かるよね?という透の言葉に楓は頷く。
「お父さんからしたら楓だって普通の悩める女の子さ。例え過去の記憶があろうが、アーティストとしての才能があろうがね。きっとお母さんも同じ気持ちのはずだよ」
「もちろんよ♪普通で、それでいて私たちにとってはとても特別な娘よ♪」
「...うん、しょうもないこと聞いてごめん」
「良いのよ、一応私たちの方が人生の先輩なんだから♪」
由紀は笑顔でそう言うと、楓を後ろから抱きしめた。
「...ところで透さん?」
楓を抱きしめながら由紀が透に笑顔で質問する。
「なんだい母さん?」
「頼んでおいたシュレッドチーズ買ってきてくれた?」
「...あっ」
透はしまった!という顔をする。
「...じゃあ今日のグラタンは透さんの分だけチーズ少なめね♪」
「チーズ少なめのグラタンってそんな殺生な!もうそれはグラタンと呼んで良いのかな!?」
「あら、あなたの理論なら少ないチーズでバランスを取って食べれば良いじゃない♪」
「それは話しが別だと父さんは思うけど!?」
「近くのコンビニで買ってこようよ。私も一緒に行くから、お父さん」
「楓...!優しい子に育ってくれて...!」
透は楓の優しさに感動し『財布持ってくる!』と言うとドタバタとリビングから駆け出て行った。
「お母さん」
「ん?」
「家族って、良いね」
「良いわよ〜家族は。笑っちゃうくらい大変なこともあるけどね。...まぁ私からも無理強いはしないけど、いつか楓がこの人になら背中を預けても良いなって思えるパートナーと巡り会えることを祈ってるわ♪」
「うん、ありがとう!」
そういうと楓は準備が終わった透とコンビニへ向かった。
その道中での会話は、親娘としていつもより心が近くにあるように楓は感じた。
◇
翌日の放課後、軽音同好会のメンバーは商店街の発表会で何を演奏するかの打ち合わせをするべく駅前のファミレスに集まっていた。
「遅いなぁ楓ちゃん」
駅前のファミレスで、朱莉はそう呟いた。
楓は掃除当番で遅れそうなため先に席を押さえておいて欲しいと3人にメッセージアプリで言っていた。駅前のファミレスは学生の溜まり場でもあるのでこの時間でも埋まってしまっていることが多い。
とはいえ掃除が遅れても20分程度だと思うのだが、すでに朱莉たちがファミレスに入り30分以上が経過していた。
「通話は繋がらないのか?」
一ノ瀬が朱莉に尋ねる。
「さっきからやってるけど、応答がないんだよね..」
「一旦学校戻ってみるか?」
一ノ瀬がそう提案した瞬間、一ノ瀬のスマホが振動する。
着信が楓からだと確認した瞬間、一ノ瀬はすぐに通話に出た。
「川原さん?今どこ——」
『ごっめんね〜川原さんじゃなくてぇ♡』
しかしスピーカー越しに聞こえて来た声は楓の物では無かった。
「...沙耶香か?」
『当ったり〜♡』
「何の真似だ?」
一ノ瀬はいつもより棘のある声で沙耶香に問いかける。
『そんなに怒んないでよ〜』
「何がしてーんだって聞いてんだよ」
『恐〜い。あんまり怒ると彼女さんがどうなるかわかんないかも...♡血気盛んな男の人たちが一緒にいっぱいいるし〜』
「いや川原さんは彼女じゃないが」
『...えっ?』
「だから彼女じゃないが」
『....』
「....」
しばしの間、場を気まずい沈黙が支配する。
その沈黙を打ち破ったのは仁がつい昨日一緒に買い物にいった少女の声と複数人の男の声だった。
『...ってアンタたち!手は出すなって——』
沙耶香の叫び声が聞こえた瞬間、通話が終了した。
「———クソが!」
「どうした?」
通話が終わるや否や激昂し立ち上がる一ノ瀬を見て二階堂が問いかける。
「川原さんが俺が昔つるんでた奴らに攫われた。忙がねぇとヤベェ!」
一ノ瀬はそう言うとすぐに席から立ち上がり、ファミレスを出ようとする。
「おい、走って追いかけるつもりか?」
「あいつらの溜まり場はここからそう遠く無ぇ。死ぬ気で走ればすぐ着く」
「——ふん。チャリの方が速いだろう。俺も行く。後ろに乗れ」
「——チッ、今日はお前に感謝だな」
自転車通学の二階堂がした提案に一ノ瀬は渋々従う。それが最善だと瞬時に判断せざるを得なかったからだ。
「ちょっと待ってよ!!」
そこに意を唱えたのが朱莉だった。
「私を置いてく気!?」
「お前は足手纏いになるだけだろう。ここで待っていろ」
二階堂の言葉は危ないことに朱莉を巻き込みたくないと言う気持ちの裏返しだったが、それは伝わらず朱莉はさらに激昂してしまう。
「私だって楓ちゃんの友達なんだよ!?足手纏いになろうが絶対に行く!それに——」
朱莉は自分のスマホを取り出し不敵に笑いながら言った。
「楓ちゃんの居場所が一ノ瀬君の言う溜まり場じゃない可能性だって充分にあると思うけど、もしそうだったらどうするの?」
「...」
「あたしはこのアプリで楓ちゃんとフレンド同士だから、楓ちゃんのスマホの位置が正確に分かる。あたしも連れて行って」
「...しゃーねーな。ワガママなお姫様だ」
一ノ瀬はやれやれと言うように両手を上げた。
「よし、じゃあ出発だよ!!」
「おい待て、俺のチャリに3ケツする気か!?」
「二階堂、お前なら出来る。俺は信じてるぜ」
「頑張るのは俺じゃなくてチャリなんだが...」
そう言いつつ3人は神速で会計を済ませると、転がるように3ケツして自転車で走り始めた。
隣の席にいた高校生たち(あいつら急に喧嘩し始めたと思ったら3ケツして帰って行ったけど...何なんだ?)




