3 得手不得手
朝。それは睡眠と出勤や登校との間のわずかな時間。
睡眠時間を増やせば支度をする時間は減り、朝に費やす時間を増やせば睡眠時間が減る。
どこでバランスを取るかはその人の置かれている環境や性格などによって大きく変わってくる。
つまり朝という時間内で生み出される物は非常に貴重であり、それに対する感謝を――
「楓、どうしたの?ずっと手を合わせたままだけど……」
楓がそんなことを考えながら母である由紀が作ってくれた朝食の前で手を合わせたままフリーズしていると、由紀が首をかしげながら聞いてくる。
「いや、ありがたいなぁと思って。朝からこんなちゃんとしたご飯を作ってくれて」
「ちゃんとしたって言っても、ただのスクランブルエッグとちょっとした野菜でしょ?」
「私から見たらすごい料理だよ。まるで魔法みたい」
前世の死因が不摂生な生活(多分)ということで、楓は料理に関しての知識がからっきしである。
当時の食生活と言えば、ハンバーガーやピザにコンビニ弁当、カップ麺や冷凍食品という「ザ・体に悪い食べ物」と言わんばかりのメンツが主流であった。家で火を起こすことなどカップ麺を作るときに使うお湯を作るときくらいのものだ。
そんな楓にとって料理を作れる人は魔法使いに等しい。まぁ普通の人から見たら作曲からプログラミングに3Dモデリング、デザインまで全てプロレベルでこなしていた楓の方がよっぽど魔法使いに見えていたのだが。
「ねぇお母さん、私に料理教えてくれない?」
「あらあら、いいわよ。楓に何かを教えるなんて、久しぶりね」
子供の頃から楓は興味を持ったことに関しては自分で調べ、子供なりにできる範囲で研究し、身に着けていく子供だったのでそういった面では手のかからない子供だった(手がかからないとは言っていない。というか己の道を突き進むゴーイングマイウェイな子なのでむしろ大変であった)。
楓がまだ小学生の頃、初めて楓が授業で描いた絵を授業参観で見たときは驚いたものだ。他の子どもと比べるどころか、大人が驚くレベルで絵が上手かったのだ。子供の持つ可能性というのはすごいなと由紀は感心した記憶がある。
そんな楓が由紀に何かを教えてほしいと乞うのは珍しいことだったので、由紀は1つ返事で楓のお願いを引き受けた。
「じゃあ今日の夕食から一緒に作ってみよっか」
「うん!ありがとう!あ、私お皿洗うね」
時間のある朝というのもいいな、と思いながらもうすでに出勤した父親である透の分の食器も洗う楓であった。
◇
「というわけでこの時間では遠足の班決めを行う」
担任の宮内先生がそう言うと教室は一斉に騒がしくなった。それを静かに、と咎めるまでのお約束の流れが楓に懐かしさを感じさせる。
大抵入学してしばらくすると学生同士の仲を深め合うことが目的なのか遠足などのレクリエーションがある。楓の通う中学校も例に漏れずみんなで遠足に出かけるというわけだ。
話し合いで班を決めることになり、教室中の生徒たちが自分の席から立ち上がりながら仲のいい友達と集まり始める。
(そういうやり方するから――ほら)
賑やかな教室の隅で1人座ったまま固まっている女の子がいた。
入学前に引っ越してきた子や違う小学校から来た子ももちろんいるが、この中学校は公立で基本的には小学校からの顔なじみがほとんどを占めている。
従ってすでにある程度仲のいいグループというのが出来上がってしまっており、どの子も自分が余りものにならないように必死だ。あぶれた子は自然と孤立してしまう形になる。あの子は確か引っ越し組だったはずだ。
楓は無言で席から立つと、隅で固まっている女の子のもとへと向かい声をかけた。
「ねぇ、良かったら私と班組まない?」
「えっ!?あっ、はい、お願いします」
いきなり声をかけてきた楓に驚いたのか、素っ頓狂な声を上げつつも了承してくれた。
「私、川原楓。上野さん、だよね?」
「うん……」
「あ、下の名前って葵ちゃんだよね?葵ちゃんって呼んでいいかな?私は楓でもちろんいいし!」
「え、あ、うん」
トントン拍子で話を進めていく楓に翻弄される葵。
「でも男女3人のペアだからあと1人誰か女子を誘わないといけないんだよね……」
「助太刀しますよ、ご主人様」
冗談を交えながら参加を表明してくれたのは、史織だ。
「史織!ありがとう!」
「まぁ、どうせこんなことになってるだろうなと思ってたからね。それに――私も昔そうしてもらったからね」
「ん?何か言った?」
「いや、何も?」
史織もかつて小学校に入学したころ、入学直前に引っ越してきた為クラスになじめずにいた。
そんな史織に声をかけてくれたのは、楓だった。ちょうど今葵にしている様に。
「楓は子供の頃から変わらないなぁ」
「あれ??ひょっとして史織ちゃん喧嘩売ってる??」
「いや、売ってない売ってない。むしろ褒めてる」
「なら許します!」
あはは、と笑う楓を史織と葵は眩しそうに見つめていた。
◇
「というわけで今日は肉じゃがを作ってみたいと思います!」
「イエー!!」
舞台は変わって川原家。由紀が仕事から帰ってきたところで早速親子2人でのお料理教室が始まった。
「まずは使う野菜の皮をむこっか」
「合点承知!」
まずは料理で使う素材の準備だ。ゲームでもモデルがないと工程が進まないから、手順は一緒だな!と思う楓。
一応家庭科の授業が小学生の頃からあるので野菜の下処理やカットはひと通り習っているはずなのだが――
「Oh……」
皮をむき終わったジャガイモだが、なんだか剥く前より少し小さい気がする。いや、少しどころではない。これは大分小さくなっている。
まぁ最初から上手く行くわけがないよね、次行こう次!と思いながらしれっと次のジャガイモに手を伸ばす楓の手をパシッ、と由紀の手が捕まえる。
「楓?この小さいジャガイモは何かな?」
ニッコリしながら笑いかけてくる由紀だが、目が笑っていない。
冷や汗がダラダラと楓の額を伝う。
「これは1から鍛える必要があるようね」
「Oh……」
こうしてゆるりとした空気のはずだった親子料理教室はスパルタ料理教室へと変貌を遂げたのであった。
◇
「じゃあ今日のご飯は楓も一緒に作ったってことかい?」
なんだかんだ色々ありながら(具体的にはニンジンが宙を舞ったりなど)も何とか父である透が帰ってくるまでに肉じゃがは完成した。
「うん。でもお母さんが大体フォローしてくれたから味は大丈夫だと思うけど……どうかな?」
「うん!めっちゃ美味しいよ!娘の手料理を食べれるなんてもうお父さんいつ死んでもいい……」
「いや、死なれたら悲しいんだけど」
前世では生涯独身だったので父親の気持ちというのはわからないのだが、やっぱり嬉しいものなのだろうか。
「それにしても、どうして急に料理を覚えようと思ったんだい?」
透が当然の疑問を楓に投げかけてくる。
「今って、お母さんがご飯を作ってくれてるでしょ?でもお母さんも仕事をしてて、自分の時間を割いて家族のために料理を作ってくれてるんだなって思ったら、私もそれを手伝わなきゃだめだなって思ったんだ。お母さんもたまには休みたいって思う日もあるだろうし、いつかは私一人でお父さんとお母さんに料理を作れるようになりたいなぁ、ってお父さん!?」
見るとお父さんは何故か大泣きしているしお母さんは温かい目でうんうんとうなずいている。というかお父さん感情豊か過ぎませんか、大丈夫ですか。
「立派に育ったなぁ。お父さんが中1の頃なんて飯は出て当たり前ぐらいにしか思ってなかったよ。大人になって初めてわかるんだよなぁ、そのありがたみが」
「そうね。私も働くようになってから両親の本当のありがたさがわかったかも」
2人がしみじみと頷く。楓も社会に出てからそのありがたさがわかった口だが当然そんなことを2人に言えるわけもなかった。
その後も和気あいあいとした雰囲気で川原家の夕食は進んでいった。
◇
「川原楓……」
葵は今日の出来事を思い返す。
各自でグループを作る、というのは学校の色々なシーンで出くわすイベントだが葵はそれがどうにも苦手だった。
もともと積極的に話しかけるタイプではないし、実際人と話しているよりも本を読んでいるほうがずっと面白くて好きだ。
しかも葵がこの地に来たのは中学に入学する僅か数週間前であり、知り合いなど学校に1人もいない状態だった。引っ込み思案の葵にとってこの短期間で話せる友達を作るというのは中々に難易度の高い壁だった。
ただこの手の班決めは待っていれば自然と余った人同士を先生が組んでくれるのでそれを待てばいい。その時に周囲から向けられるどこか蔑むような視線に、ほんの一瞬耐えればいいのだ。
そう思っていた時に声をかけてきたのが川原楓だった。
実は葵は楓のことを知っていた、というかこっそりリスペクトしていた。
きっかけは授業で出た課題だった。内容は配布された新聞の記事から好きな記事を選び規定の文字数内に短く要約するというものだった。
新聞の記事なんてすでに文章のプロが無駄なところをそぎ落とした状態だ。これをさらに短く要約するのは非常に難しい。
全員の提出した課題は元記事と共に各クラスの廊下に貼り出された。葵は文章を読むのが好きだったので全員の文章に目を通した。
どの文章も元の文章を切った貼ったしただけの要約がほとんどの中、1人だけレベルが違う要約があった。それを書いていたのが川原楓だった。
言葉を自由自在にスイッチ出来るボキャブラリーの豊富さ、残すところ削るところの見極め、全体の流れはそのままに全てが完璧で、自由自在だった。
誰もそんなところ見ていないだろうが、川原楓は間違いなくわかっている側の人間だ、と葵は感じたのだ。
今日話したらなんと好きな小説家も結構被っていたし、これから色んなことを話せると思うと今まであまり話が合う友達がいなかった葵は楽しみだった。本の好きな子は小学校にもいたが葵ほどの読書家はおらず、葵が全力で熱弁できる相手がいなかったのだ。
久しぶりに学校に行くのが楽しみになったな、と明日への期待を膨らませながら葵は部屋の電気を消しベッドへ入った。