16 俺と私
楓が前世の記憶を思い出しもうじき1年が経つ。
この1年間、楓はずっと感じていることがあった。
それは周囲に対し自分を偽っているという感覚。周囲からは川原楓として認識されていながらも本当は仁科奏という人間の記憶も併せ持っているという自分だけが知っている真実。
仁科奏の記憶が覚醒してしばらくは真実を言っても誰も信じないだろうと思い黙っておくことを楓は選択した。
しかし2人の記憶を背負って生きたこの1年間で楓の考えは変わっていた。
相手が信じようが信じまいが本当のことをしっかりと伝えるべきなのでは、と。
「あ、やば」
夕食を作りながらそんなことを考えていたら必要以上に付け合わせで使うつもりの大根おろしをすりすぎてしまった。
「・・・ま、いいか」
両親である透と由紀には絶対言わないといけないと思っているのだが、どう切り出したものかと思っているうちに時間だけが過ぎてしまっているのが現状だ。
「・・・ぼちぼち覚悟決めますかぁ」
楓はそう自分自身で気合を入れた。ちなみに味噌汁の味噌を入れ忘れていることにはまだ気づいていないのであった。
◇
川原透の1人娘である楓は、昔から少し変わった子だった。
小さいころ周りの子が外で遊んだりごっこ遊びをする中、1人でずっと絵を描いていたり、どこで覚えたのかローマ字を習得していたり、その年の子にしては漢字を沢山覚えていたり、といった具合だ。
小学生になると周囲にもそのことが知れ渡ったようで、三者面談では先生からすごく絵が上手く、関心があることへの記憶力や集中力が他の子と比べて異常に高いと言われた、と妻である由紀が言っていたことを覚えている。
しかし楓の一番素晴らしいところは、と聞かれたら間違いなく人に対する思いやりだと透は答えるだろう。
これも妻である由紀から聞いた話だが、楓が小学校に入って間もない頃だ。楓の通う小学校はほとんどが同じ地域で育った子供が進学しており、ほとんどは互いが顔見知りだ。
しかし入学前に引っ越してきた子などは当然クラスメート全員が初対面。他の子と仲良くなれる友好的な児童なら問題ないのかもしれないが引っ込み思案で大人しいタイプの子はクラスに馴染めず浮いてしまうことがあるらしい。
楓のクラスにも1人入学前に引っ越してきた子がいたらしく、クラスに馴染めずにいたところを楓が自ら話しかけ、友達になったというのだ。
その子とは今でも仲良くしているようで、透は楓の色々な才能よりもそういった他者に対する優しさこそが
そんな楓の様子が変わったのは、今から約1年前のことだった。
それまでも周囲の子とは少し違うな、と思っていたのだがそれがさらに加速したようなそんな印象を透は受けた。
急にギターが弾けるようになっていたり、透のお下がりのパソコンでずっと何かの作業をするようになったり、それまで全く関心を示さなかった料理も由紀の負担を減らしたいからと由紀に教えを請うようになった。
何か思うところがあったのか、とも思ったが流石に変化が急激すぎる気がした。ギターを始めて数ヶ月でプロになるのはどう考えても異常だろう。
楓の身に何かがあったのは明白だった。しかしそれを問い詰めることを透と由紀はしなかった。
もちろん真実を知りたい気持ちはあったが、それを問い詰めてしまったら楓の心の落ち着く場所が無くなってしまうような気がしたのだ。
そういう経緯もあり、由紀と透は今までと変わらない態度で楓に接してきた。
そしてついに、楓の口から真実が語られる日が来た。
それは土曜日の夜、家族で夕飯を食べ終わった時のことだった。楓が「大事な話があるので聞いてほしい」と言ってきたのだ。
楓のただならぬ雰囲気にひょっとして例のことでは、と直感した透であったが楓の口から語られた内容はにわかに信じがたいことだった。
曰く、ちょうど楓が生まれた年に亡くなったクリエイター「仁科奏」の記憶が自分の中で急に覚醒した、と。
仁科奏といえばゲームクリエイターとして注目を浴びた世界的に有名なアーティストだ。
プログラミングからBGMの製作まで全て1人でこなしたゲームアプリがきっかけでゲーム制作会社に入社。
モデリング、プログラミング、作曲と演奏を1人で行えるためその活動範囲はゲームだけに留まらず、フリーランスになってからは3Dアーティスト、ギタリスト、作曲家やプロデューサーとしても活動したまさに「クリエイター」と呼ぶに相応しい人物。その仁科奏の記憶が蘇ったんですよ、なんて言われても普通は信じないが楓がこの1年間で残してきた足跡を鑑みれば信じざるを得ない。
たった数ヵ月でギターが異常なほど上達したのは仁科奏のスキルがそのまま覚醒したから。パソコンとにらめっこするようになったのも3Dモデリングやプログラミングをこなせるようになったから。急に料理を覚えたいと言い出したのも仁科奏は不摂生で死んだから。急に家事を手伝うようになったのも両親を残して先立ってしまった過去があったから。
それだけでなく、仁科奏が死ぬ間際まで住んでいた自宅の住所や使用していたパソコンのロック番号、ゲーム会社にいた頃の開発陣にしか知らないエピソードもいくらでも話せる、と楓は自嘲気味に言うのだ。
「そんなこと言っても信じてもらえないだろうなと思って黙ってたけど、やっぱり自分の家族には正直でいたかったから。黙ってて、ごめん」
そう言う楓の顔はまるで捨てられることを悟った子犬の様だった。
「楓、まず言っておきたいことがある」
楓の話にずっと耳を傾けていた透が口を開く。
「1年前から楓に何かあったんだろうなー、っていうのはお父さんもお母さんも知ってたぞ」
「えっ」
透からの思わぬ指摘に思わず驚きの声を漏らす楓。
「そりゃあもう13年も楓のこと見続けてきたからなぁ。・・・」
「仁科奏の記憶が覚醒しても隠し事が下手なのは一緒なのね」
クスクスと笑う透と由紀。
「わ、私が言ったこと全部信じるの?こんなあり得ない話なのに?」
「そりゃ、まぁ。楓が僕らを困らせようとして嘘をついてるなら怒るけど、楓はそんなことする子じゃないしね」
「でも、もう純粋な『川原楓』じゃないんだよ?それでもいいの?」
「そこなのよね」
楓の言葉に思うところあり、と言うように由紀が声を上げる。
「仁科奏の記憶が目覚めた割には今までの楓と根が変わってないと思うのよね」
「ひょっとして、元から仁科奏の生まれ変わりとして産まれてきたんじゃないか?って楓の話を聞いていて俺も思った。お母さんもそう思ってるってことだよね?」
透が由紀に確認する様に問いかけると由紀はうん、と頷く。
「そう考えたら記憶が目覚めても性格が全然変わってないことがおかしくないと思うんだ。元々仁科奏の魂を引き継いで生まれて何かの拍子に前世の記憶も蘇ってしまった、と考えるとすごいしっくりくる気がするんだよなぁ」
楓の考え通り川原楓と仁科奏の2人格が同時に存在しているのであれば記憶が目覚める前と後で性格もだいぶ変わりそうなものだが、あまりに性格や行動原理が変わらないので元々仁科奏の生まれ変わりとして生まれてきたのではという透の考えは楓にとって想像もしなかったものだった。
「親としての直感だけど、お父さんの仮説は正しいってお母さんも思うな。だって本当記憶目覚めてからも根は一緒なんだもん」
「まぁ楓と仁科奏の性格がたまたまそっくりだったって可能性も無くはないけど、むしろそっちの方が確率的に低い気がするしね」
「もしも仁科奏としての記憶が覚醒した状態で楓が生まれていたら、それって楓を『仁科奏』として定義していいのかしらね?」
「う~ん確かに。それは人間という生物の個体の境界線を何をもって判断するかによるね」
楓が嘘をついているという可能性など全く考えず、真面目に楓の記憶について考察する透と由紀。
そんな2人を見ていると、楓は自分がずっと悩んでいたことがなんだか取りこし苦労だった気がしてきた。
「いやー、今だから言うけどお父さんがギターを始めたのって実は仁科奏の影響なんだよね」
「えぇ!?」
唐突な透のカミングアウトに驚く楓。
「たまたまネットで仁科さんの曲聴いて、それですっげーなって思って」
「でもすぐやめちゃったんでしょ(笑)しかも急にさん付けになってるし」
「うん、1ヵ月くらいでやめちゃった(笑)あんなに難しいとは思わなかったなぁ、ギター」
「あー、だからギターのモデルも私が昔使ってた・・・」
「そう、仁科さんと同じモデル。といっても廉価版だけど」
前世で自分が使ってたモデルと同じでラッキー、と思っていた楓だったがなんと自分の父親が前世の自分のファンだったからであった(?)いや、いったいどういう状況だよ、と楓は内心1人でツッコんだ。
「いやーなんか楓の話を聞いてたら昔のこと思い出してきたなぁ」
「ねー。楓が子供の頃描いてた漫画とかまだ私覚えてるわ」
「私の過去の恥ずかしい思い出を掘り起こすのはヤメロォ!というか昔のことって言ったら普通お父さんとお母さんの昔話を話す流れでしょ!?」
「あーしかも今って仁科さんの記憶があるから楓は2倍恥ずかしいのかな?」
「よし、そうとなればどんどん楓の昔の恥ずかしい話するわよ!」
「やめっ、ヤメロォ!」
こうして川原家の土曜日の夜は楓の悲鳴と共に過ぎてゆくのであった。
◇
「ということがありまして、ハイ」
透と由紀に本当のことを打ち明けた楓は親友である史織と葵にもこれまで隠してきたことを打ち明けた。
ちなみに周囲に人がいるところではあまり話さないほうがいいだろう、ということで歌うことが目的じゃないのにカラオケで話を聞いてもらうことにした。レンタルスペースとして考えると1時間1人200円以内に収まるのは破格の値段では、と思う楓であった。
「なるほどね・・・」
「そっか・・・」
カラオケボックスのポップな雰囲気の中始まったシリアスな楓の話を聞き終えた史織と葵はそれぞれの反応を見せる。
「まぁとりあえず・・・ていっ☆」
「あでっ!」
葵に頭をチョップされ思わず声を上げる楓。と言っても力は全然こもってないので全く痛くは無いのだが。
「そんなのすぐ言ってくれれば良いのに、水くさすぎ」
「いや、2人とも怒るかなーと思って・・・」
「そ、そうだよ。それぐらいで私も史織も怒らないよ。むしろ言ってくれないほうが悲しいよ」
「いやー・・・ほんとごめんなさい」
改めて頭を下げる楓にもういいから、と頭を上げるように促す史織と葵。
「にしても、マジで信じる?私が前世の記憶があるなんてさ。普通の人だったらこんな簡単に『はいそうですか』ってならないと思うけど」
「・・・私は昔、そういうことについて書かれた本読んだことあるよ。それに、記憶っていうのは物体じゃないんだし、それを存在するっていうのも、存在しないっていうのもどちらも結局言い切れないものだから、私は楓の言葉を信じるかなって感じ」
史織も読書家だが、葵は更に本を読む量が多い。本を多く読む人は幾つもの人生を渡り歩く旅人だ、なんて言葉もあった気がする。
葵の中の世界はとても広大で、複数の価値観や考えが同居しているのだろう。
ちなみに楓が前世で13歳の頃は授業中も気にせず絵ばっかり描いてはテストでしょっちゅう赤点を取っていた記憶がある。うーん、この差。
「別人みたいになってたら話は変わるけど、別に記憶が目覚めてからも根っこは一緒だもん、楓」
「あーそれお母さんとお父さんにも言われた。そんなに変わらないかなぁ?」
「変わんないよ。私と初めて会った時のこと、覚えてる?」
「えっ?ちょっと待って」
うーんどうだったかなぁ、と腕を組んで考え始める楓を見て覚えていないんだろうなぁと結論付けた史織は答えを言うことにした。
「私は入学前に引っ越してきたからさ、みんな同じ幼稚園で顔見知りの子ばっかりの中1人ちょっと孤立してたわけ。その時いつも私に声を掛けてくれたのが楓だったんだよ」
「あー・・・そんなこともあったような」
それでもまだ楓は記憶がおぼろげなようだ。きっと楓にとってはそれが当たり前の行為であり記憶にも残っていないのだろう。
「中学入ってさ、葵もちょっと周囲から孤立してたでしょ?その時も楓が自分から自分の班に誘ってたの見て『あぁ、この子は昔から変わらないなぁ』って思ったわけ」
「いや、やっぱ仲間外れの子がいたら誰でもそうするでしょ?」
さも当然の様に楓は言う。
「うん、今ので確信したわ。やっぱり楓は楓ね」
「私は正直、記憶を思い出してから楓と会ったから、どうでもいいかな」
「あれ?普通もっと『友達なのに今まで騙してたの!?』みたいな展開になるのでは?」
「いや、別に騙されては無いし」
「確かに!」
「せっかくカラオケなんだし歌いませんか?」
「マイペースか!」
「楓、わたし楓のおごりでから揚げ食べたい」
「強欲ゥ!いや別にいいけど!」
重苦しい雰囲気になると思っていたが普通のカラオケ大会になってしまい困惑する楓であった。
(でもまぁ・・・こっちが勝手に相手を見限って、『話したら多分こう思われるだろうなぁ』って決めつけてたわけだ、私は)
今にして思えば随分と相手を軽んじていたなぁ、と反省する楓。
(一応記憶は30代半ばのおっさんなんだけど・・・まだまだ改善の余地はあり、ってところですかね)
そんなことを考えていると葵が「一緒に歌いましょ!」とマイクを渡してくる。その横では史織がいつの間にか頼んだのかドリンクバーから持ってきたジュースを飲みながらから揚げを食べていた。
すっかりカラオケモードに突入している2人を見て、楓もマイクを受け取り歌い始めるのだった。




