第二章 偽らざる者(2/2)
「さて能啓君、自分を今日連れ出したのはな、ちょっと心配しとったからやねん」突然改まった口調で切り出した伯父の方を向くと、口もとに笑みをたたえてはいたものの真剣なまなざしを私へ注いでいた。
「どういうことですか」
「日本がこんな状態になって、普通の生き方ができんくなったわけやから、君もその例外やないと思ってん。自分のことやから大丈夫やとは思うけど、最近では学生もやくざまがいのことしてるヤツもおるみたいやしな」
「普通の生き方ができなくなったのは戦争が終わったときからではなくて、始まった頃からですよ。ただ、日本が敗けたという現実を突きつけられて、何もかもたがが外れてしまったような気はしますが」
「つまり『世界の関節が外れてしまった』ってヤツやな。何やねんその顔は。俺やって『ハムレット』くらい知っとるわ。ほんで、自分はこれからどうしていくつもりなんや」伯父は学業を放棄したものの読書をよくする人であった。
「とりあえず大学は卒業したいと考えているのですが――」私はここまで口にすると言葉に詰まった。
「何か気掛かりなことでもあるんか」
「やはりお金の問題がどうしても。今は正子叔母さんの所で間借りさせてもらっているんですが、叔母さんは御主人を病気で亡くし、一人息子も戦争で亡くしました。もう一家に働き手がいないんです。それなのに僕や空襲で家を焼かれた倉持さんの世話をしてくれるんです。これまでは実家の方から仕送りをがあったので、それを学費と生活費に充てて叔母さんにもいくらか渡していたのですが、実家の方も今はそんな余裕がないらしく、仕送りの金額と回数が減ってきました。おまけに二月から預金封鎖で現金もろくに引き出せない状態です。このままではただでさえ生活の苦しい叔母さんに負担をかけてしまうえに、学費すら払えなくなってしまいそうで――とりあえず、学業を続けながら何か仕事を見つけようと考えてます」
「せやなあ、少しくらいやったら俺が融通したってもええんやけど、そんなの抜本的な解決策にはならんしなあ。そうなると自分の言うとおり働いて稼ぐしかないやろな。自分と同じように学費や生活費のために靴磨きをしとる学生は珍しないし、最近ではかつぎ屋をやっとるのもおるしな」
「ただ、問題はいざ働くとなると何をしたら良いやら分からなくて――知ってのとおり、僕はあまり体が丈夫でないので」
「能啓君は英語ができるんやろ。それを活かさん手はないで。普段米兵と取引しとるからよう分かるけど、これからは英語が何よりの武器になる。というより、進駐軍を相手にせなそもそもまともな商売なんてできひん。それを考えたら自分の特技は貴重なもんやで」
「しかしできるといっても日常会話程度ですし、翻訳なんかはむしろ下手な部類に入りますよ」
貿易会社に勤務していた父は、本人曰く語学の才能は微塵もなかったそうだが、猛勉強した結果、独・仏・英語をある程度なら操ることができた。その経験は子供の教育方針に大きな影響を与え、幼少期から外国語には親しんでおいた方が良いと直々に初級文法を指導した。普段は子供のことに無関心な父にしてはこのようなことは例外中の例外で、私は褒めてもらいたい一心で懸命に勉強した。私に教える言語として父が選んだのは英語であった。私が日常会話、基礎的な単語、初級文法を習得すると、父は週末によく諸外国の商社の駐在員を関西の名所によく案内していたのだが、それに私を同行させた。これは私の語学力の向上だけでなく、人見知りの性格を多少なりとも改善するという意味で二重の効用があったように思われる。駐在員たちは人当たりが良く、よく何の意味もないのに私に話しかけてきた。こちらも無視するわけにもいかなかったため、自然と簡単な会話くらいはできるようになった。特別彼らに対して好感を抱いたわけではなかったが、私が大学で英文学を専攻しているのもこういった体験が色濃く影響を及ぼしたのは間違いないだろう。
「そんな謙遜せんでええ。今この国でちょっとでも英語をしゃべれるヤツがどんだけおんねん。つい最近まで敵性語やからけしからんなんて言うとったのが、戦争が終わった途端にさっそく手書きの英会話帳がヤミに並んどったからな。それだけこれからは英語が武器になるっちゅうことや」
「そうですね、たしかに少しでもお金になるなら活かさない手はないのかもしれません。でもやっぱり進駐軍を相手に仕事をするのは気が進みません――もっとも、かつぎ屋をやる体力も露店でものを売る商才もない僕にこんな贅沢を言う資格はないのでしょうけど」
「ううん――俺の方から英語の話を持ち出しといて何やけど、あんまり自分を枠にはめて考えん方がええで」
「と、言いますと」
「さっき自分はかつぎ屋も露店商も向いてへんって言うたやろ。でも、ホンマのことは実際にやってみな分からへん。自分はこういう人間やっていう勝手な思い込みで可能性を狭めんのはもったいない気ィするわ。俺も何人か知っとるけど、人間って隠れた天分みたいなもんがあって、意外な分野でえげつない才能を発揮するヤツがまれにおるもんや。ただ、それは大抵本人の意思とは関係なく備わっとるもんやから、本人の望まん方向に人生が変わることも珍しないねんけどな」
「それは、その人にとって幸せなことなんですか」
「何とも言えへんな。何をもって幸せと呼ぶかにもよるしな。でも、頭ではいくらアカンと分かってても、悪い方向に流されることはあるで。それこそ逆らえへん運命みたいなもんやし、止めたくても止められへん〈死の舞踏〉や」
「〈死の舞踏〉ですか」私は耳慣れない言葉に思わず尋ね返した。
「俺もアンマ詳しうは知らんけど、中世ヨーロッパでペストが大流行してぎょうさん人が死んだころから生者と死者が一緒に踊ってる様子が芸術作品の題材として使われるようになったのをそう呼ぶらしい。どうも起源はペストやらの疫病時にやった集団舞踏やお祓いなんやと。これは俺の勝手な解釈やけど、憑りつかれたように何かに夢中になった人間は、知らず知らずのうちに死に引き込まれそうになったりするもんやから、そういうのも表現したりしてるんちゃうかなと思うてる。舞踏が終わったころには死者の仲間入りしとるわけや。そして才能っちゅうのも同じようにその持ち主を破滅に導くこともあるわけや」
「何だか理不尽な話ですね」
「でも世の中そういうもんやろ。才能は幸福を保証するわけやない。まあそれでも生きていくためには、頭でっかちにならんと当たって砕けるくらいの度胸が必要やし、手段も選んでられへん。パンパンやって結局は金のためにあんなことやっとるわけやし、あの煙草やってどうつくられとるか知っとるやろ」伯父が指差した先には薄汚れた煙草の箱が陳列された屋台があった。
「モク拾いですよね」
戦中から煙草は配給制であり長い間自由に取引できるものではなかったが、その配給もどんどん滞っていったため秘密裏に取引がなされていた。戦後はその配給がさらに制限されたため、先端に釘を飛び出させた長い棒で路上の吸殻を見つけては刺して集めるモク拾いが現れた。彼らは集めた吸殻をほぐし薄紙で巻いたうえで、煙草の空き箱に詰めたり輪ゴムでとめたりしてヤミ市でさばいた。余談になるが、この薄紙には英語辞書の頁が非常に適しており、長く使い込んで傷んだものを友人に売ったことがある。肺を悪くしている私は煙草をやらなかったが、当時相当数に上った愛煙家たちの苦労には想像を絶するものがあった。
「せや。あれやって、親を亡くした子供なんかがぎょうさんやっとる。自分にそこまでせえと言うわけやないけど、こんな時代になってもうてんから、汚い生き方は避けれれへんとちゃうかな。たしかにこの間まで敵やった進駐軍相手に仕事するのはシャクやろうけど多少は割り切らなアカン」
「頭では理解しているつもりなのですが――父の仕事の関係でアメリカ人の知り合いはいますし、彼らには見習うべき国民性があることも認めます。でも、彼らの手によって日本人が大量に殺されたのも事実ですし、我が物顔でジープを乗り回すMPを見るたびに、何だか神聖なものが犯されているような感覚に襲われるんです。僕は徹頭徹尾、骨の髄まで『軍国主義的』な教育を叩きこまれた日本人です。これからの時代では、それこそ化石のような遺物になるのかもしれませんが、だからといって今までの考え方を変えることなんてできっこありません」
「無理もない。それに、自分言うことはもっともやし、それこそ進駐軍に尻尾振っとる恥知らずな連中に見習ってほしいくらいや。俺やって米兵相手に仕事して不愉快な気分になることばっかや。でもな、自分はちょっと潔癖症過ぎる。いつかはそれが自分の首を絞めることになるんとちゃうかな」
「そうかもしれませんが――それでも、どうしても割り切れないものはあります」
「そうか、すまんかったなあ、なんか説教くさい話ばっかで。年取るとどうしても若い子におせっかい焼きたなってしゃあないねん。それで、おせっかいついでにもうひとつええか」
「何でしょうか」
「自分は御両親を大阪に残しとるやろ。こっちの大学に通うてるいじょう、頻繁に戻れんのはしゃあないと思う。でも、たまには顔見せなアカンで。何でも、大阪を出てからたまに手紙を出す程度で、一度も戻ってないらしいやないか」
「ええ、まあ。色々と忙しかったのもありますし、そうこうしているうちに戦争が終わってバタバタしていたものですから。あの鮨詰めになった列車に乗る気にもなれませんし」
「たしかに俺もあの列車は外から眺めてるだけでうんざりするけど、君のはちょっと言い訳がましいで。本当は御両親と顔を合わせとうないだけとちゃうんか」
私は伯父から眼を逸らし何も答えなかった。
「隠さんでええ。俺自身、経験があるからよう分かる。自分やって聞いとるやろ、俺が勘当された経緯を」伯父は特に咎める様子もなく、諭すように優しく語りかけた。
「ええ、ある程度は」
「その経験から言わせてもらうと、人間ってどうしても相性っちゅうもんがあるから、どうやっても仲良うできん相手ってのもおるし、両親と距離を置きたい気持ちもよう理解できる。子供にとって父親は越えるべき壁やし、母親は子の人生に対して平凡な幸福しか望まんからな。でも、そういった経験があるからこそ助言するけど、肉親はやっぱりかけがえのないもんやで。血は決して断つことのできない鎖でもあれば、命綱でもある。それをどっちに捉えるかは自分次第やけどな」
伯父の言わんとすることは分からないでもなかったが、それは終わった者の言い分でしかなかった。すでに五十歳を超えている伯父にとっては、青年期の悩みなどすでに過去の古傷でしかないからこそ鷹揚に助言などできるのであろうが、聞き手にとっては苛立たしいものでしかなかった。
「まあ無理強いするつもりはないけど、できれば今度大阪に戻ったりィや。あと、もうひとつだけええかな」
「何ですか」
「自分はいつから東京の言葉を話すようになったんや。まるでホンマに東京で生まれ育ったみたいな話し方やで」
「こっちに来てからです。僕自身、原因はよく分からないのですが――本ばかり読んでいたからかもしれません」
「おかしな子やなあ」伯父はさも愉快そうに笑った。
「どういう意味ですか」私は少しむっとなって尋ねた。
「いや、そんな深い意味はないねん。ただ、これだけめまぐるしく世の中が変わってんのに、自分はそれとはどっか違うところにおる。自分の周りだけ流れてる時間が違うみたいや」
私はどう答えて良いか分からず、頭を掻いていた。伯父は呆れていたのかもしれないし、ひょっとすると感心していたのかもしれない。
「さて、結構長いこと話し込んだし、そろそろお別れしよか。俺はまだちょっとここで野暮用があるけど、自分はどうする」
「僕はこのまま帰ります。下手に動けば腹が減るだけですから」
「それが賢明やな。今日は久し振りに話せて楽しかったわ」
伯父が不意に右手を差し出してきたので、反射的にその手を握ると何かを掴まされたのを感じた。驚いた私はすぐに手を引っ込めて掌を広げると折りたたまれた紙片が乗っていた。丁寧に広げていくとそれは新円であった。
「伯父さん、こんなの受け取れませんよ」私は慌てて返そうとしたが、伯父はそれを拒んだ。
「ええねん。遠慮せず受取り。俺にはこれくらいのことしかできんねんから。高橋さんが預金封鎖で参っとるってさっき言っとったばかりやないか。いくらか高橋さんに渡して、残りは君の好きなように使うたらええ。どうせあぶく銭や、パーッと使うてまえ」
「でも――」
「それにな、俺は君江から、自分のこと面倒見たってくれ言われとんねん。俺はアイツの頼みごとを断るわけにはいかんのや」
「――ありがとうございます」
「くどいようやけど、俺は金や物でしか物事を解決できひんクズや。自分は絶対に俺みたいになんなよ」
伯父はそう言い残すと軽く手を振って背を向けた。
「伯父さん――今度いつ会えますか」
「さあな、次会うときまで生きとんのかも分からんしな。やけど、もし俺なんかと話がしたい思うたら、さっきのうどん屋のおっちゃんにでも伝言を頼んだらええわ」伯父はそう言い残すと雑踏の中へと消えていった。
伯父と別れた後、人混みをかき分けてようやく新宿駅にたどり着くと急に疲労の波が押しよせた。質・量ともにまともな食事を口にしていなかったため、私に限らず国民の大半は栄養失調であった。そのために極端に疲れやすく、少し動いただけですぐに空腹が襲ってきた。一説には終戦直後の日本人の摂取カロリーは戦前の半分以下であったとされる。特に昭和二十年は未曽有の凶作であったため餓死者が後を絶たず、翌年五月には日本中で食糧を求めるデモ行進が起こった。
濁流のように通行人が行き交う駅構内に人々が無意識のうちに避ける一角があった。流れに身をまかせながら進んでいくと徐々に姿を現したのは、酷くやせこけて虚ろな目をした孤児たちであった。彼らは獣のように身を寄せ合いコンクリート床の上にむしろ敷いて座っていた。身体中垢だらけで髪も伸び放題、ぼろぼろの服を身にまとったその風貌に通行人は内心嫌悪と憐憫を抱きながらも見て見ぬふりをして歩き去って行った。ただ付言しておくならば、当時こういった光景は決して珍しいものではなかったため我々の感覚は麻痺していたのかもしれない。東北、上越、常磐、信越各線に買い出しへと向かう乗客であふれかえっていた上野駅などでは、こういった浮浪者が誰にも知られることなく毎日ひっそりと死んでいった。だが私は傍観者を責めることができなかった。他人に恵んでやれるほど余裕のある人間など皆無であったのだ。さきほどの吾平伯父さんなど例外中の例外であったろうし、あそこまで私に良くしてくれるのは身内であったからだ。皆、自分たちがその日を生きていくことだけで必死だったのだ。それに今この瞬間彼らに雀の涙ほどの食糧や金銭を与えたところで、一体何になるというのか。所詮その場しのぎでしかなく、彼らの飢えが一時的に満たされたところでどん底の生活に変化があるわけではない。つまるところ餓死するのが数日違うだけではないか。もうあそこまで堕ちてしまった彼らを救う手立てを我々庶民は持ち合わせてはいなかった。
私が孤児たちの脇を通り過ぎようとしたそのとき、彼らに歩み寄るひとつの影があった。その姿に気付いたものは活劇に見入るようにただ呆然と目の前で起こる出来事を眺めていた。
「ほら坊主たち、これでも食べな」
えんじ色の派手な鳥打帽をかぶった青年が颯爽と登場したかと思うと、孤児たちの足もとに紙袋を置きすぐさま人波に姿をくらましてしまった。ほんの一瞬の出来事であったが、ちょうど私の眼前で行われたこともあって、その青年の容貌をはっきりと捉えることができた。少し釣り上がった大きい眼、整った眉は美しく弧を描き、鼻筋はすらりと通っていた。進駐軍を相手にするパンパンのように男娼もまた存在するという噂を耳にしたことがあったが、この青年ならばきっとひと財産築けただろうと思われた。孤児たちのリーダーとおぼしき少年が急いで青年が置いていった袋を引っ掴んだ。中身はどうやら団子のようであった。彼は自分の分け前を多めに取った後、残りを他の孤児に均等に分配した。彼らが飢えた野犬のように団子を頬張った瞬間、異変が起きた。孤児たちは一斉に団子を吐き出すと眼に涙を浮かべながらむせ返したのだ。
「畜生、何だよこれ。泥団子じゃねえか」リーダー格の少年がすさまじい形相で悪態をついた。
「あの野郎、人のこと馬鹿にしやがって。今度見かけたらぶっ殺してやる」別の少年が憎悪で顔をしかめながら吠えた。
私を含め一連のやり取りを見ていた通行人は、ふと我に返り、何か見てはいけないものを見てしまったかのようにそそくさと歩き出した。