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鬼火  作者:
第八章 断罪
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第八章 断罪(1/2)

 吉野忠志が逮捕されたという噂を私が耳にしたのは大学においてであった。学生のなかには事情通の者が一人や二人いるもので、その話によると進駐軍から物資を横流しさせていた集団と吉野は関わりを持っていたらしい。その集団は砂糖をヤミに放出してぼろ儲けしていたが、逆にそれがあだとなり進駐軍の目にとまったとのことであった。私はなぜと思うと同時に、来るべき時が来たとも思い、軽いめまいに襲われた。何かの間違いであることを願いながら大学の図書館へ駆け込み、新聞をめくっていくとK大学の生徒を含むヤミグループが逮捕されたという小さい記事を見つけた。私は新聞を放り投げ、椅子に深く身を沈ませた。もしあのときヤミから足を洗わせることができていたなら、ひょっとすればまた違った結果を生んだかもしれない。もちろんMPや警察が共犯者から吉野の存在を聞き出せばいずれは彼も逮捕されたのだろうが、それでも自分なら彼を救えたかもしれないというわずかな可能性が泡沫のように脳裏に浮かんでは消え私を苦しめた。

 この一件で気になることがあった。それは、私が吉野の手紙を検閲してから彼の逮捕まで日が浅かったことであった。もしかすると私の見逃した手紙が再検閲に引っかかって、彼が摘発されたのかもしれない。しかしそういった話をミス・ヤマモトから聞いてはおらず、ただの偶然かもしれなかった。しかし私の心の中ではもやもやしたものがずっと渦巻いていた。


 年末年始は検閲官も休暇をとることが許されたため大阪の実家に帰省しようと思えばできないこともなかったが、私はあえてそうしなかった。いまだに両親と距離を置きたかったし、検閲をやっているという後ろめたさが私の足をより一層実家から遠ざけた。吉野の件があってからというもの、私のなかで検閲というものに対する嫌悪感や罪悪感が日増しに強くなっていった。しかしその一方で相変わらず検閲局での勤務に充足感を覚えている自分もいた。私のなかでこの乖離はいよいよ大きくなり、些細なことで腹を立てたり、憂鬱な気分に襲われるなど精神的に不安定になることがあった。

 年が明け、昭和二十二年一月中旬のある日、私が検閲を終えて高橋家に戻ると玄関に見慣れない革靴が一足並んでいた。私の帰宅した気配を感じて小走りで出迎えた叔母は吾平伯父さんが私を訪ねに来ていることを告げた。

「能啓君、お帰り。お邪魔してんで」居間では伯父が悠々と茶をすすっていた。

「ご無沙汰してます。伯父さんは本当に突然いらっしゃるんですね」私は伯父がこうしてわざわざ来てくれたことに感謝する反面、なぜもっと早く来てくれなかったのかと内心思った。もちろんそれがあまりに身勝手なのは百も承知であったが、それでも沸き起こる苛立ちを押さえつけることができなかった。そこにはおそらく吉野に直接会っておきながら何ら有効な手を打てなかった自分自身に対する憤りも混じっていたのだろう。

「ヨシ君、わざわざこんな所まで足を運んでくださったのに失礼ですよ。島田さんだってお忙しいのに」

 叔母は先日体調を崩して以来、家事を倉持の奥さんに任せるようになりできるだけ安静にしていた。おかげでまだ少し顔色は優れないものの日常生活に支障がない程度には回復していた。

「すみません。少し疲れて気が立っていたようです」

「いや、俺が勝手なのは確かやからなあ。色んな人に迷惑かけてきとるし。さあ、そんなとこに突っ立っとらんでカバン置いてき。はよ飯にしようや」

 その晩食卓に並んだものは普段と比べて豪華であった。二人は何も言わなかったが、おそらく伯父が手土産として何か食糧を持参してきたのであろう。夕食後、私は伯父を自室へと案内した。

「相変わらず能啓君の部屋は本が多いなあ。君江も読書家やったけど、それ以上やで」高橋家に間借りするようになってから私の部屋に初めて入る伯父は、物珍しそうに本棚を眺めながら呟いた。

「いえ、大したことありませんよ。大学でも僕なんかより本を読むヤツはごまんといます。ただ、最近は本が手に入らなくなってきたので困ります。何とか人から借りたりしていますが」

「君たち若者には酷な時代やな。無責任な発言やと思うかもしれんけど、ホンマそう思うわ。俺なんか比較的能天気に生きてきたけど、それは結局、昔の人らが遺してくれた財産があったからや。でも、この戦争でそいつを全部食いつぶしてしもうた。どんな良家でもそういう家を傾かせるドラ息子がおるもんやけど、俺らがまさにそれやったんやろうなあ」酒の入った伯父はどこか感傷的な様子で訥々と話し続けた。伯父は酒に強い方であったが、もともとの感傷的な性格がより一層前面に出るところがあった。

そのうわ言に似た懺悔に私は少しうんざりしながら、同時に多少溜飲が下がる思いをした。というのも、世間では先の戦争について東條を筆頭とする軍部にその責任を追求する風潮はあっても、伯父のように世代の責任として考える者は皆無であったからだ。国民の大半は自身を純粋な被害者だと言い張った。だが、国民すべてを巻き込んだ近代国家間の総力戦において純粋な加害者や被害者などが存在するとは思えなかった。もちろん、巣鴨に収容された「戦犯」に代表されるような法的に何かしらの責任を負う者は出てくるに違いない。しかしそれとこれとは全く別次元の問題である。「軍国主義的教育」に最も染まり戦争によって青春を奪われた挙句、軍国主義の虚妄を暴かれた私たちにしてみれば、先の戦争の責任はもっと構造的に分析・追及されてしかるべきだと思われた。巣鴨に収容された「戦犯」だけでは到底まかないきれないだけの罪とその償いを求める憤りと怨嗟が日本中にあふれていた。もちろんそういった感情に縛られることを好まず前に進む人間もいたが、時代に翻弄された私たちの世代の多くは、いつまでも過去に拘泥し時代に取り残され亡霊のように納得のいく答えを探し求めていた。そういった意味で私はやはり吉野と同類であった。

「さて、そろそろ本題に入ろか。この間河野さん(あのうどん屋のおっちゃんのことな)のとこ寄ったら、自分が俺に用があるって伝えてくれたんや。一体どないしたんや」

「実は――」

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