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鬼火  作者:
第四章 天才
10/23

第四章 天才(3/4)

 十一月に入り、私は研修を終え正式に検閲作業に携わることとなった。一口に検閲といっても、実際には郵便物の種類ごとに班分けされており、ビジネス班、個人班、特殊郵便班(政治家、役人、捕虜、戦犯などの郵便物を扱う)があった。私はそのなかで一般人の私信を扱う個人班に配属されることとなった。作業室で検閲を始める前にテーブル・マスターが簡単な面接を行うため、事務室へ行くようにとのことであった。テーブル・マスターとは日本人検閲官に直接の指示を出すDAC(Deputy Assistant Censor: 係長代理)の通称であり、その大半は日系二世であった。指示された部屋に入ると誰もおらず座って待機していると、鋭いノックの後に入ってきたのは小柄ですらりとした女性であった。私が立ち上がろうとするとそれを右手で制止して、さっさと私と向かい合うように座ってしまった。女性は顔立ちからいって日系二世であることはほぼ間違いなかったが、丸みのある額とツンと上を向いた鼻はどことなくギリシアの彫刻を思わせた。暗い灰色の瞳はこちらを直視していたものの何を考えているのか読み取ることができなかった。

「ミスター・ハヤミですね」女性は日本語で質問してきた。

「はい」私は少し緊張しながら答えた。

「これからあなたの上司となるキャサリン・ヤマモトです。堅苦しいあいさつは嫌いなのですが、いちおう簡単に自己紹介だけはしておきましょう。私の出身地はカリフォルニア州で父親が日本人です。趣味は週末に絵を描いたりすることです、お世辞にも上手とは言えませんが。肩書はDACとなっていますが、あまりかしこまる必要はありません。しっかりやるべきことさえやっていただければ私は満足です。さあ、ミスター・ハヤミ、今度はあなたの番です」

ミス・ヤマモト(本人の口から独身であることを直接聞いたわけではなかったが、検閲局内では周知の事実であるらしく私は後から聞かされた)は終始表情を変えずきびきびとした口調で私に自己紹介を促した。彼女の日本語は完璧と言って良いほど流暢なものであった。

「早見能啓と申します。生まれは大阪で、四年前から大学に通うため上京してきました。専攻は英文学です」

「あなたは翻訳試験の成績が素晴らしかったと聞いていますが、いつごろから英語の勉強を始めたのですか」

「物心ついたころから父親が教えてくれましたので、はっきりいつからとは申し上げにくいです」

「お父様は何をなさっている方なのですか」

「貿易会社に勤めています」

「ああ、どうりで。実は私の父も貿易会社の社員でした。アメリカ駐在中に母と出会って結婚したのです。父は英語と日本語のほかに五ヶ国語ほど話せましたが、結局私が覚えたのは日本語だけでした。ミスター・ハヤミ、この点ははっきりさせておきたいのですが、私は決して日本人に対して個人的な恨みを持っているわけではありません。いえ、それどころか父の生まれ育ったこの国の人や土地に親愛の情すら持っていますし、望んだような形ではないにしろこうして来日する夢がかなって感動さえしているのです。しかし、現実的な問題として我が国と日本は争い、多くの血が流れました。これからあなたにしてもらう仕事は、もう二度とこういった過ちが起きないよう、マッカーサー元帥のより良い占領政策を実現するために大変有意義なことなのです――」

「はあ」私は検閲局で働くようになってから何度耳にしたか分からない進駐軍の自己弁護に気のない返事をした。

「ミスター・ハヤミ、私からあなたにひとつ助言があります」ミス・ヤマモトは相変わらず無表情であったが、どことなく笑いをこらえているようにも見えた。

「何でしょうか」

「あなたはポーカーをしない方が良い」

 私は彼女の言わんとすることが分からず首をかしげた。

「あなたは胸の内が顔に出やすい人です。特に眉や口元に。それでは良いカモになってしまいますよ。今あなたは心底うんざりしたような顔をしていました」

「いえ、決してそういうわけではないのですが――もしそう見えたのであれば、申し訳ございません」私はミス・ヤマモトの鋭い指摘に動揺を隠せなかった。彼女の言うとおり私には思っていることが我知らず表情に出るらしく、大学の友人と麻雀をしてもよく負けた。

「謝る必要などありません。むしろ、私はあなたのそういう素直なところを評価したいと思います。平気な顔で嘘をつける人間は信用できませんから。それにどちらかといえば謝るのはこちらの方です、不誠実な発言をしたのですから」

「不誠実な発言とは」

「検閲について恩着せがましいことを言ったことです。日本人にしてみれば迷惑なだけでしょうから」

 私はどう答えてよいか分からずただ黙っていた。ミス・ヤマモトは本音で言っているのか、あるいはこちらを試すために誘導尋問をしているのか判然としなかった。

「ただ、これだけは私の本心から出た助言ですが、あなたが検閲局で働いていることは他言無用ですよ。きっとあなたはつらい思いをするでしょうから。良いですか」ミス・ヤマモトは、一見穏やかだが有無を言わせない迫力で念押しした。

「はい。分かりました」

「それでは作業室へ行きましょう。私についてきてください」

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