第7話
俺は結局、ザイナール伯爵の領地で世話になってる。最初の対面で、彼女――ロレアーヌ嬢に流されそうになっていたが、やはり巻き込むわけにはいかないと、逃げ出そうと何度か試みた。しかし、なんど逃亡しようとしても絶対にロレアーヌ嬢につかまってしまう。結局、彼女にベッドに縛り付けられるはめになるのだ。
「いい加減、おとなしく怪我を治そうとは思いませんの?そんなに私たちが信用なりませんか?」
「信用できないのではなく、世話になる理由がないのです。」
捕まるたびに、彼女とこんな会話をする。ザイナール伯爵は信用できない部分もあるが、彼女は疑う余地のないほどに素直な良い令嬢だ。俺が逃亡できないぐらいには、運動のできる令嬢のようだが…。だからこそ、巻き込みたくないのだ。いずれ父や兄に、ここに俺がいるのがばれるだろう。その時に真っ先に狙われるのは彼女だ。万全とは言い難い体で、彼女を守りきる自信はない。母さんと同じように彼女まで失ったら、と考えてしまうぐらいには、自分をずっと看病してくれていた彼女を大事に思ってしまっているのだ。だからこそ、できるだけ早くここを去りたい。父や兄に彼女の存在が知られる前に。俺の中で彼女がこれ以上特別になる前に。
俺が世話になり始めて3週間ほどたったころ、伯爵本人に呼ばれた。未だに俺はこの屋敷からも逃げ出すことができていない。伯爵の執務室まで、逃げ出さないようにと彼女が付いてきた。
「お父様の言うことなら、あなたは聞くのね。いくら私が休むように言っても耳を貸さなかったのに。」
「お嬢様は、私が立ち上がるのさえ禁止なさろうとされたではありませんか。」
「だって、あなた何度も逃げようとするんですもの。言ったはずよ?私は怪我が治るまではここで養生すると。」
「ほとんど治ってるではありませんか。そろそろ帰りたいのですよ。」
「お母様の所に?」
思わず、彼女を凝視してしまう。いつになく真剣なロレアーヌ嬢の顔がそこにはあった。彼女はなぜいつも俺を見透かすのだろうか。何も知らないはずなのに、何かを知っているようなそんな錯覚を覚える。いや、知っているのかもしれない。巻き込みたくないのに、彼女がどんどん引き返せないところまで調べてしまうのではないかという不安が、俺を支配する。不意に、彼女が目をそらした。
「ごめんなさい。意地悪しすぎたわ。ここがお父様の執務室。中にお父様がいらっしゃるわ。」
そう言って、彼女は呆けている俺を置いて、きた道を引き返していった。
ノックをして、伯爵の執務室に入室する。
「シヴァン殿下、お呼び立てして申し訳ありません。いくつかお耳に入れなければならないことが…」
「彼女に話したのか?」
思った以上に低い声が出た。父とほぼ同い年の男の胸ぐらをつかみ、俺は怒りをぶちまけた。
「ロレアーヌ嬢に何か話したのか?」
「いいえ。娘には何も話しておりません。娘自身も何も探ってはおりませんよ。」
ありえない。なら、何故あのようなことを、母さんのことを彼女は言い出したのだ。
「誓って、娘には何も知らせておりません。」
伯爵の真剣な目が俺を射抜く。彼もまた、娘であるロレアーヌ嬢を巻き込むことを良しとしていないのだろう。俺がいる限り、否が応でも巻き込むことになる。せめて、何も知らなければ危険は少なくなるだろう。そう考えると、伯爵が彼女に何も話すわけがない。調べれないようにも手配しているはずだ。冷静になった俺は、伯爵を疑ったことを申し訳なく思った。
「申し訳ありません。」
「娘が何か言ったのでしょう?あの子は、何も知らずとも人の核心に触れる天才ですから。私も何度、驚かされたか。だからこそ、何も知らせずにいるのです。」
伯爵はこの話題を打ち切り、本題を話し始めた。父と兄に俺が生きていることがばれたらしい。居場所はまだ知られていないが、生きている可能性が高いから必死に探し回っているだろう。いい加減、この屋敷を去らねば伯爵家まで巻き込んでしまう。
―――その事実を聞いたとき、とてつもない不安が俺の中で生まれたのだった。。