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聖†薔薇戦姫団  作者: 猫公爵
ヒルシュフェルト編
4/33

兄妹(1)

 書斎に、二人の男と一人の女が居た。

 大きな背もたれの椅子に腰を掛けた、白髪頭と口髭が特徴の壮年の男――アルフォンス・ヘルツォーク・フォン・フリューリングは目を閉じ、若い男の報告に耳を傾けていた。

「マルギットの管轄が、ヴァンパイアハンターに壊滅させられました」

 眼鏡の若い男がアルフォンスに述べる。

 低く、弱々しく、相手を窺うような声色だ。

 表情が硬い。レンズ越しにアルフォンスを見据える彼の眼は、緊張している以外の言葉が思い浮かばない程である。

 卓上で両手を組んだまま、アルフォンスが呟いた。

「マルギットめ。役立たずが」

 若い男へ、切れ長で険しい目線を向ける。

「カールよ。そのヴァンパイアハンター、身元は割れるか?」

 彼が訊ねると、カールと呼ばれた若い男は答えた。

「ハンターの割り出し、抹殺は彼女の裁量に任せていましたので、そこまでは――」

「馬鹿者が!」

 アルフォンスが机を叩きながら怒声を上げると、カールは硬かった姿勢を崩し、身を引かせた。

 怯むカールに、容赦無い叱責を浴びせる。

「部下の動向は逐一私に報告しろと云った筈だ。かのような事態が起こった場合、知らなかった、では済まされぬのだぞ」

 アルフォンスの冷徹な眼がカールを縫い付ける。それ以上の事は云わなかったが、彼の眼光が尚もカールを叱っているように見えた。

「申し訳、ありません……。義父上」

 カールが顔を俯けたまま詫びると、傍に居た紅いドレス姿の気の強そうな貴婦人が、彼の肩に手を当てアルフォンスに云った。

「お父様、カール様も反省しておられます。これ以上の叱責は御勘弁を」

「アンネローゼ、貴様がそうやってこやつを甘やかすからだ。我がフリューリング家の跡取りとして迎えた婿養子がこの有様でどうする」

 そう厳しい眼で睨む父に対し、アンネローゼは動じる事無く平然とした態度で臨む。

「カール様はこれからですわ。そのうちきっと、お父様も認める大物になるかと」

 真っ赤な口紅で塗った唇の両端を、自信たっぷりな笑みで吊り上げた。

「だと良いがな」

 アルフォンスは吐き捨てるように云うと、椅子を窓へ向け立ち上がった。

 窓際に寄り、外を眺める。

「普通ならば跡取りとして男子の養子は取らぬのが定例なのだがな。貴様の優秀さを見込んで特別待遇した筈だったが、実際は失敗続きではないか。これ以上私を失望させるなら、フリューリング家から追放せねばならん」

「お父様、それでは――」

 アンネローゼが反論する前に、カールが前へ出、深々と頭を下げた。

「必ず……! 必ずや! 御義父上の御期待に応えて見せます! 次にまた失態を犯した場合は――!」

「その命に換えてでも、か」

 と、アルフォンスが背を向けたまま口を挟む。

 一瞬、カールの身が固まったが、意を決したように更に深く頭を下げた。

「はっ! このカール・フリューリング。命に換えてでも……!」

 アルフォンスは鼻で笑うだけであった。聞き流すように、一人呟く。

「それにしてもヴァンパイアハンターか。何とも卑しい連中だ。貴族を殺して報酬を得る……。世の倫理に反する穢れた職業だな」

 冷たい眼を外の前庭に向ける。

 ふと、その先の門前に一台の馬車が停車したのが見えた。

「帰って来たか。アリーセ」

 心の篭っていない抑揚の無い声で、アルフォンスは呟いた。





 馬車から、その少女が優雅に降り立った。

 切り揃えた前髪の真下の碧眼が、前方の城館を見据える。彼女の生家だ。

「三ヶ月ぶりの我が家をこうして眺めると不思議なものですね。久しぶりと云うよりは、何だか初めて訪れたような、新鮮な気分になります」

 少女がそう呟くと、出迎えに来ていたオールバックの若い執事が丁寧に会釈した。

「お帰りなさいませ。アリーセお嬢様」

「出迎え有難う、ベネディクト」

「お身体のほうは?」

 ベネディクトが訊ねてくる。一瞬、アリーセは俯いたが、彼に微笑で答えた。

「……ええ、後遺症も無いみたい。心配かけてご免なさいね」

 ふと、後方でガラスをコツコツと叩く音がした。アリーセが振り返ると、馬車の窓をステッキで叩いている赤茶色の三角帽子(トリコーン)を被った紳士の姿があった。

「サンジェルマン先生?」

 アリーセが馬車まで戻る。するとサンジェルマンと呼ばれた紳士は車窓を開け、彼女を見下ろしながら声を掛けてきた。

「アリーセ嬢。怪我が完治したとは云え、無理は禁物ですよ。暫くは安静なる生活を。貴女は死の淵を彷徨う程の重症を負った身だったのですから」

 片眼鏡(モノクル)のレンズを通して、彼の狐のような切れ長の眼が彼女を見据える。

「はい。この度は有難う御座いました。先生の尽力が無ければ今頃私は……」

 そっと自らの胸元に手を当てた。何かを掴むかの如く、白のドレスを握り締める。その様子を無表情で見下ろしていたサンジェルマンが、独り言のように呟いてきた。

「時間と共に、徐々に"馴染んで"きますよ」

「……はい」

 頷くアリーセ。サンジェルマンが三角帽子(トリコーン)のつばを摘み、持ち上げながら彼女に告げる。

「くれぐれも、この事は他言無用。特に貴女のご家族には、ね」

「心得ています」

「なら良いのです。それでは、私はそろそろ行かねば」

 と、彼はにんまりと笑みを浮かべたのだった。

 御者の鞭を振るう音と共に、馬車が動き出す。

「また会おうねっ!」

 サンジェルマンはそれまでの丁寧な物云いを辞め、砕けた口調でそう云った。

 胡散臭い笑みと共に、わざとらしく大げさな動作でアリーセに手を振る。

「は、はい」

 アリーセは只、唖然とするだけだった。

 そうこうしている内に、馬車は遠ざかってゆく。それを目で追うアリーセ。

 ふと、サンジェルマンが車窓から顔を出し、またしても笑顔で手を振ってきた。道の遥か遠くへ消え去るまで、延々と。

「何だったのでしょう……」

 茫然と呟くアリーセであった。



 フリューリングの邸宅から遠く離れたところで、サンジェルマンは車窓から出していた顔を引っ込め、座席に座り直した。

 床に立てたステッキへ両手を乗せる。

「選んだ人間がまさかあの一族の者だなんてね……。これも運命でしょうかねぇ」

 帽子を目深に被り、独り呟く。

「ま、選んでしまった事にはしょうがない。成り行きを見守らせていただきます」

 車窓の外の流れる景色を眺めた。彼の瞳は、思い詰めたようにその遥か遠くを見ているようであった。

(さい)は、既に投げられたのですから」





 ――三ヶ月前の事だ。

 父と姉夫婦達の狩猟に強制で連れて行かれたアリーセは、そこで生死を彷徨う程の大怪我を負った。

 その日の空は、青く澄み渡った、雲一つ無い快晴であった。

 義兄のカールが鹿狩りに躍起になっている間、退屈を持て余していたアリーセは、ふと見かけた黒ウサギの姿を追い、父達の傍を離れた。

 無類のウサギ好きであったアリーセは、そのウサギが父達に見つかってしまったらきっと狩られてしまうと思い、捕まえて何処か見つからない安全な場所に隠そうと考えた。

 ウサギを追うのに夢中となっていたのであろう。アリーセは崖に追い詰めたウサギを捕まえようとしたところ、足場が崩れ落ちて崖下に落下してしまう。

 覚えているのは、青い空と、たまたま道を通りかかった人の声だった。アリーセの意識はそこで途絶えた。

 全身骨折に内臓破裂――

 通りかかったその者というのが、医者のサンジェルマンであったのが幸いだった。彼によって急ぎ施療院に搬送されたアリーセは、三ヶ月にも及ぶ入院生活を送る事となったのだ。

 そして、リハビリを終え退院した彼女は、実家へと帰ってきた――



 長い入院生活から解放されたアリーセには、真っ先に顔を見せねばならない者が居た。

 父でもなく、姉夫婦でもなく――

「お兄様ぁー!」

 勢い良く部屋のドアを開け、その者へとまっしぐらに駆け寄る。

 椅子に腰を掛けていた少年は何が起きたのか気付く間も無く、アリーセに飛びつかれたのだった。

「うわっ!?」

 椅子ごと、二人は床に倒れる。

「ア、アリーセ?」

 胸元に顔を埋めるアリーセに、その少年が問うた。

 アリーセは顔を上げ、満面の笑みを浮かべる。

「はい。ただいま帰って参りました。アーベルお兄様」



「本当に寂しかったのですよ。……まるで鳥篭に居るようでした。療養中、見舞いに来たのはベネディクトとメイド達だけ……。お父様やアンネローゼお姉様は兎も角、アーベルお兄様が来てくれなかったのですもの」

 アリーセは悲しげな表情で、ベッドに腰を掛けるアーベルに述べた。

「すまない」

 彼が顔を俯け、答える。

 すると、アリーセは間近で顔を覗き込んできた。思わず、アーベルが身を引かせる。

「でも、お兄様も元気そうで良かったわ。三ヶ月も会えなかった分、また一緒にチェスをしたり、庭をお散歩しましょうね」

「そ、そうだ、な」

 苦笑し、アーベルはぎこちなく頷いた。そんな彼の手を、アリーセは両手で優しく握り締める。

「……もう会えないと思っておりました」

 アリーセは唐突に、そう囁いた。

「あの日――お父様とカールお義兄様の狩りに同行した日、私は崖から落ち……。目を覚ました時には、私は病室に居ました。聞けば、生死を彷徨う程の重症だったとか……」

 遠い目をしながら彼女は続けた。

「下手をしたら、私はもうこの世には居なかったのですね……。こうして私が帰って来れたのも、サンジェルマン先生のお陰――」

 首を振り、アーベルを見つめる。

「いいえ。それだけではありません。私の、お兄様に会いたいという強い想いが、私に生きる活力を与えたのでしょう……」

 彼女の、まるで物語の一節を朗読するかのような語りに、アーベルは只茫然とするだけだった。

 それに気付いたアリーセは、困ったように首を傾げる。

「お兄様? どうかなさいました?」

「いや……。何でもない」

「そうですか。もしかして、御気分が優れないとか」

 アリーセは兄から身を離し、部屋を見渡した。気が付けば、部屋は薄暗かったのだ。まだ昼にもかかわらず、カーテンが全て閉め切られている。

「まだ外は明るいというのに。駄目ですよお兄様。カーテンを閉めてては――」

 そう云いながら窓へと寄る。

「お部屋に日の光を入れないと。心まで暗くなってしまいますよ?」

 アリーセがカーテンを手で掴む――


「やめろ!」


 アーベルの手が彼女の腕を掴んだ。

 ものすごい握力で、彼女がカーテンを開けようとするのを止める。

「お兄様!? な、何、を!」

 顔を歪めながらアーベルへ振り向くと、彼はその端正な顔を恐ろしい形相に変えて睨んでいたのである。

「カーテンを……開けないでくれ」

 荒い息を交えながら彼が云った。アリーセを見つめる眼は、必死そのものだ。

 懇願するようなアーベルの眼差しに、彼女は頷いた。

「……解り、ました」

 兄に従いカーテンから手を放す。

 すると、アーベルもアリーセの腕を放したのだった。そのまま後退り、再びベッドに腰を掛ける。

「すまない」

 と、只一言謝る兄をアリーセが案じた。

「お兄様……。どうされたのです? 先程から様子が変ですよ?」

 兄へ寄ろうとする。

「出てってくれないか」

 不意に、アーベルはそう口走った。

「え……」

 足を止めるアリーセ。

「今、何て」

「出てってくれって云ったんだ」

 今度は苛立たしげに声を強めて云ってきたアーベルだったが、アリーセが顔を俯けた事に気付き、気まずそうに表情を曇らせる。

「……一人にして欲しい。頼む」

「はい……」

 アリーセは寂しそうな眼で彼を見据えると、部屋を出た。



 その直後、アリーセは父アルフォンスと廊下で鉢合わせした。

「お、お父様」

 驚いた様子でアルフォンスを見上げる。彼は、冷たい眼を彼女に向けたまま無言で見下ろすだけだった。

「何か……?」

 恐る恐る訊ねる。

「私に退院の報告もせず、真っ先にアーベルの下へ行くとはな」

 アルフォンスの、脳裏に余韻を残すような低く重い声が、アリーセにのしかかる。

「申し訳、御座いません」

 彼女の声は震えていた。顔を俯けるアリーセに、父の更なる言葉が降り注ぐ。

「いつまで経っても兄にべったりか。貴様ももう子供ではないのだぞ。いい加減兄離れするのだな」

 それは、アリーセにとっては死刑宣告にも等しい言葉だった。父を見据え返し、反論する。

「お兄様の傍に居ては駄目なのですか!? 私達は兄妹なのです。一緒に居ても良いではありませんか!」

 だが、アルフォンスは動じない。相変わらず蛇の如き視線をアリーセに送っている。それは、親が子に対して向ける"眼"ではなかった。明らかに、実の子を只の物扱いにしか見ていない眼だ。愛情など、その眼差しからは微塵も感じられない。

「其処を退くのだ。私はアーベルに用がある」

 アリーセの反論など気にもせずにそのような事を云い放つ。

 茫然とするアリーセだったが、アルフォンスによって肩を掴まれ、強引に除けられた。

「退けと云っているのだ」

 バランスを崩し床に突っ伏すアリーセを、彼は冷酷に見下ろした。

 アリーセが上体を起こし、非情な父親を睨み付ける。だが、睨むだけで、何も云えなかった。

 彼女は父親に対して恐れを抱く事を幼少より刷り込まれていた。父に逆らう事が出来ないように。先程の口答えは、彼女の精一杯だったのである。

「貴様もいつからそのような反抗的な眼をするようになったのだ。最近の若人は誰も彼も目上への礼儀というものを知らんようだな」

 アルフォンスの独り言にも似た言葉に、アリーセは歯軋りした。

 立ち上がり父を見据えると、彼も視線を返してきた。ぶつかり合う父娘。

 暫しの間、沈黙が両者を支配する。


「アリーセよ」


 沈黙を破ったのはアルフォンスの方だった。

「何でしょう」

 彼女が返事をすると、アルフォンスは無機質な表情で告げた。

「暫くの間、アーベルに近付く事は許さん」

「そんな……。何故です!」

 一歩前へ出るアリーセ。

「貴様も知っているだろう。アーベルは持病持ちだという事を」

 そうアルフォンスが述べると、彼女は思い出したように頷いた。

「……はい」

「貴様が入院している間に病状が悪化してな。専属医を呼び、治療に専念させていたのだが、今も尚、快調に向かう気配は無いのでな」

「そう、だったのですか。知りませんでした……」

 顔を俯ける。

 兄の様子がおかしかったのはその所為だったのだろう。アリーセはそう心で呟いた。

「なら、尚更です。私もつきっきりでお兄様の看病をします!」

 顔を上げ、父に訴える。

 だが、アルフォンスは無表情のまま見据えてきた。

「ならぬ」

「どうしてです!?」

 彼の両腕を掴み、涙を浮かべた目で見上げる。

「くどいぞ! 貴様が居ては邪魔なのだ!」

 アルフォンスは彼女を強引に振り解きながら怒鳴った。再び床に倒れたアリーセを見下ろし、告げる。

「もう一度云う。暫くアーベルの部屋へは近付くな」

「お兄様……」

 アリーセは起き上がると、涙で濡れた顔を隠すように走り去って行った。

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