闇を狩る少女(1)
これは約三年前に私がmixi日記で連載していたものを設定の見直し・加筆修正した物です。
拙い文章ですが、出来るだけ解り易く書いたつもりです。
殆ど私の趣味ですが、楽しんで頂けると幸いです。
ロルフは馬車から降り、村全体を見渡した。
到着早々村の様子に違和感を覚えながら、茶のジャケットの内ポケットから取り出した地図を見る。
「此処で、間違い無いよな」
なだらかな丘陵に農地が広がっている。そして所々に点在する家屋。
何処にでもある田舎の農村だ。
だが、重要なものが欠けていた。
それがロルフに違和感を与えたものの正体であった。
「誰も居ないな」
時分は昼下がり。まだ村人達が農作業に勤しんでいる筈の時間だ。それなのに農地で仕事をする人はおろか、牛馬の姿も無い。
「皆家にでも居んのかな。どっかで休憩するか?」
地図を懐に仕舞いながら隣を見下ろす。
彼の隣には、幼い少女が居た。外見から十代の前半と思われる。
栗色のショートヘアに黒のヘアバンド、黒のワンピース――全体的に黒で統一されたその少女は、左腕で古びた女の子の人形を抱えながら、右手に皮製のトランクを持っていた。
顔を上げ、宝珠の如く神秘的な青い瞳でロルフを眺める。
「仕事は?」
水の滴りのように静かな声で訊ねた。
「当然するさ。まだ時間じゃないし、腹も減ってるしな」
と、腹を押さえ苦笑いするロルフをよそに、少女は歩き出した。
「此処は長居したくない。済ませるなら今のうち」
「お、おい。ハイデマリー!」
我先に行く少女――ハイデマリーを呼び止めるも、彼女はそれを無視し前進するままだった。
やれやれといった様子でため息をつき、ロルフはブラウンの髪を掻き毟った。
「あんなに仕事熱心だったっけな。あいつ」
悪態をつきながら、改めて村を眺める。
相変わらずの無人だ。
それだけではない。
この村に漂う不穏な空気だ。日中ですら背筋に響いてくるその不気味は気配は、完全に村全体を飲み込んでいた。
ロルフは職業上、その正体を知っている。
「ハイデマリーの云う事も尤もだな。確かに、早々に帰りたいくらいだ」
そう呟き、ハイデマリーの後を追った。
「あれが依頼主のマルギットさんの家らしい」
ようやくハイデマリーと合流したロルフが、遥か遠方を指差した。
村から遠く離れた小高い丘にその家はあった。農村に場違いと云わんばかりの小洒落た屋敷だ。外観で、村で一番金持ちな家であろう事が判断できる。ここの地主なのだろう。
依頼の手紙には一目見ただけですぐ解る家に住んでいるとの事だった。確かに解りやすい。
「マルギットさんに詳細を訊く傍ら、少し休ませて貰おう」
「遠い。着くまでに日が暮れる。休んでる暇なんて無い」
その平坦で静かな口調からは彼女の心情は察せない。だが、呑気なロルフに苛立っているのは確かなようだ。
「長時間馬車に揺られてたんだ。疲れてないのかよ。腹も減ってるだろう?」
「平気。その辺の人とは出来が違うし」
「出来とかそういう問題かねぇ」
「そ。一回の食事くらい抜いても大丈夫」
「育ち盛りの子供が良いのか? 大きくなんないぞ?」
そう述べたロルフを、ハイデマリーがジト目で睨む。明らかに彼の発言に対し怒りを露にしている。
「……色々と」
それだけ云い、ロルフは気まずそうに口を噤んだ。
ハイデマリーがそっぽを向くと、不意に彼女は足を止めた。
「どうした? ――!?」
ハイデマリーの視線を辿るように前方を見る。
思わずロルフは眉を顰めた。
道沿いの柵に、長いブロンドの少女が腰を掛けていたのだ。
少女がロルフ達に気付き、目線だけを向けてくる。切れ長のどこか冷たい印象を与える青い眼は、研磨し尽されたサファイアのようだ。
茫然と立ち尽くすロルフ、そしてハイデマリー。
否、ハイデマリーは彼女を見据え返しているようだった。
「第一村人発見、てとこか。……いや」
そうロルフは呟くが、すぐさま否定した。
少女が髪を靡かせ、軽やかに柵から飛び降りる。そして二人を見据えながらこちらへと歩いてきた。
この少女が村の住人ではないと思ったのは、彼女の服装である。
ドレス姿なのだ。農村には不釣合いな程に。
豪奢とまでは行かないものの、そこそこ裕福な令嬢がちょっとした外出に着ていく程度の質素なものだが、農園を背景にしたその姿は絵面としてはあまりにも浮き過ぎていた。
立ち尽くす二人の横を通り過ぎたところで、不意に少女が口走る。
「間もなく闇夜……。それまでに此処を去りなさい。貴方達では役不足よ」
ロルフは咄嗟に振り返った。
「何だと」
少女は首だけを振り向けながら、ロルフを尻目に見据えていた。
「どういう意味だ?」
ロルフの問いに、少女は答えなかった。そのまま去ろうとする。
「おい、答えろよ!」
少女を追おうとしたところで、ハイデマリーに裾を掴まれた。
「ロルフ。仕事。"奴等"の時間までもうすぐよ」
「けどよ!」
「今月、かつかつでしょ? 只でさえ仕事の依頼少ないのに」
「う……」
ハイデマリーの眼力に圧倒され、ロルフは観念した。
「解ったよ。マルギットさんのとこへ向かおう」
そうこうしている内に、いつの間にか時分は夕暮れ時――
間もなく、完全なる闇が訪れる。
時間が無かった。得体の知れない少女を問い詰めるより、今は仕事が優先だ。
「休む時間なんて無さそうよ。残念だったわね」
「……だな」
そういったやり取りをしながら、二人は駆け出した。
遠ざかる二人の背を、ブロンドの少女は冷めた眼で眺めていた。
風が吹く――
髪と衣服を靡かせ、独り、呟く。
「……狩りの時間ね」
その声は、吹き行く風に乗せられ、虚空に消え去った。
†
「成る程。夜、何者かが村を徘徊する、と」
ロルフが妙齢の女性――依頼主のマルギットに確かめるように問う。
「はい……」
顔を俯けたまま、マルギットは控えめに頷いた。
「それだけではありません。これまで何人か、村を訪ねに来た方が朝、遺体で打ち捨てられていた事もありました。それも皆、血を抜かれたように真っ青になって」
ロルフとハイデマリーの表情が深刻なものとなる。
「此処へ嫁いで来てからというもの、安心して眠れた夜はありません。それに、この村は何かが変なんです。村の方達は何かを知っている。けど、誰もそれを話そうとしないのです。主人でさえも」
周囲の様子を伺うかのように話す彼女の仕草は、その発言が誰かに聞かれているかもしれないという恐れに見て取れる。
マルギットの話を真剣な面持ちで聞き入るハイデマリーに対し、ロルフはどこかがっかりしたような態度で苦笑していた。
「は、はは……そうですか。旦那さんが……」
直後、大げさに笑いながら云った。
「ですよねー! 貴女のように綺麗な方なら旦那さんの一人や二人居てもおかしくないですよねー!」
「旦那二人も居たら問題だと思うけど」
ぼそりと突っ込みを入れるハイデマリー。
「は、はあ……」
マルギットは唖然としながら只頷くだけだった。
真顔に戻ったロルフが、またしても質問する。
「で、その犯人の正体がヴァンパイアなのではないか、と。だから俺に依頼を送ったわけですね?」
「ええ。凄腕のヴァンパイアハンターが居ると聞きまして、貴方に頼むしかないと思ったのです」
ロルフはにやにやしながら頭を掻いた。
「ハハハ……凄腕だなんて大げさな! まあ、間違ってはいませんがね!」
「調子のいい事……」
その様子を白い眼で見ていたハイデマリーが、何気なく窓の外を見遣る。そのまま、険しい眼で夜の闇を見据えた。
「大丈夫ですよ、マルギットさん。ヴァンパイアなんざ、この俺にかかればどうって事無いです! サササッと退治してお見せしましょう!」
そう云いながらロルフがマルギットの手を取る。
「え、ええ。よろしく、お願い致します」
彼女は只々、呆気に取られるだけであった。
ふと、ロルフは気付いたように周囲を見渡した。
「ところで……。旦那さんの姿が見えませんが」
「そういえば……」
マルギットもようやく気付いたのか、同様に見回す。
「いつもはもう帰って来ている時間なのですが――」
「ロルフ、急いで」
不意にハイデマリーがテーブルにトランクを置きながら云った。ロルフに対する苛立ちを込めたようにおもいっきり乗せた為か、どすん、と重々しい音が鳴る。
「な、なんだよいきなり!」
驚くロルフに、開けたトランクの中を見せつつ、ハイデマリーは目線を窓の外に向ける。
「外。囲まれてる」
「何だって?」
促されるようにロルフも窓の外へと目を凝らした。無数の何かが蠢いているのが解った。
「早速嗅ぎ付けて来やがったか!」
ロルフはトランクから二丁のフリントロック式の銃を取り出し、銀色の弾丸を装填し始めた。
「あれだけの数、平気?」
「心配無用だ、ハイデマリー。先生はあれ以上の数のヴァンパイアを一度に相手にした事があるんだ。俺にだって」
装填を終え、銃を指先で軽く回す。
「いってくる!」
ドアを勢い良く蹴り開け、ロルフは外へ飛び出して行った。
†
家を飛び出すなり銃を構えたロルフだったが、彼等の正体を目の当たりにし、それを下ろした。
「こいつらは」
家を取り囲んでいたのは、村の住人達だった。
だが、誰もが皆、虚ろな眼で鍬やピッチフォークを手に持っており、尋常ではない様子が一目瞭然である。
「暗示を掛けられているな。卑怯な真似しやがる」
彼等を傷つける訳にはいかない。
ロルフは大元の存在に呼びかけるように声を大にして叫んだ。
「直接出て来いよ! ヴァンパイアさんよぉ!」
万一の為に銃を村人達に向けながら周囲を警戒する。
すると、彼等の後方から何者かが近づいて来ているのを察知し、ロルフは目を凝らした。
「あ、あいつは!」
ゆっくりとした歩調で、少女は村人の群れへと踏み込んだ。
長いブロンドの髪と、サファイアの如く青い瞳。農村には場違いなドレス――
ロルフは彼女に見覚えがあった。先程道端で出会った不審な少女だ。
「あんたか! こいつらを操ってるヴァンパイアは!」
銃口を向ける――
しかし、直後の不可解な光景にロルフは唖然とした。
村人が少女に襲い掛かったのである。
それだけではない。
少女は自身へと振り下ろされた鍬を軽やかに避け、農夫の腕を掴み鳩尾に肘鉄を入れたのだった。
呻き声を発し、地に伏せる農夫。ロルフは只、その様子を眺めるだけだった。
「私を奴等と一緒にするな。考えただけでも汚らわしい」
少女はロルフに対しそのように答え、歩調を崩さずに次々と襲い来る村人達を軽々といなしながら近づいて来た。
見た目はか弱い少女だ。
にもかかわらず、中には大柄な男も含まれている村人をまるで赤子の手を捻るようにやり過ごしている。
「邪魔。道を開けなさい」
彼女にとっては生い茂る雑草を掻き分ける程度の容易いものなのだろう。面白いように次々と村人達が地に転がる。
「あ、あんた。何なんだ一体?」
ロルフが茫然としながら訊ねる。
「奴は貴方のすぐ傍に居るわ。貴方、まんまと誘き寄せられたようね」
彼の問いに答えず、そのような事を口走る。
「……何?」
訝しげに少女を見据えると、背後から声がした。
「ロルフ!」
その聞き覚えのある声に振り返る。
「ハイデマリー! な――!?」
絶句する。
ハイデマリーが女性に捕らえられていた。その女性は――
「マ、マルギットさん!?」
マルギットは紅い唇を笑みで吊り上げ、ペン先の如く尖った真紅の爪をハイデマリーの首筋に当てていたのだった。
「フフフフフ……。掛かったわね、ヴァンパイアハンター」
先程とは想像もつかない邪悪な形相で嘲笑う。口から覗く鋭い犬歯が、彼女がヴァンパイアだと証明していた。
「マルギットさん。あんたが!」
「不覚を取ったわ。こいつがヴァンパイアだったなんて。依頼の手紙、私達を誘き出す罠だったみたい」
人質に取られていながらも、ハイデマリーは冷静に彼へ説明した。
「くそっ! 俺とした事が!」
歯軋りし、マルギットへと銃を向ける。
「おっと! このガキがどうなっても良いの? 子供の生き血、私大好きなのよねぇ!」
ハイデマリーの首筋に突き立てた爪が、彼女の白い肌に食い込む。ロルフは銃を下ろさざるをえなかった。
「く……!」
舌打ちしマルギットを睨むロルフに、ハイデマリーが諭す。
「私は平気。遠慮無く撃って」
「けどよ!」
反論するロルフの横を、ブロンドの少女が素通りしマルギットへと歩み寄った。
「そう。なら、遠慮はしないわ」
駆け出す――
「お、おい! 待て!」
ロルフの制止する声すら、振り切る勢いで。
マルギットが高笑いを上げた。
「アハハハハハハ! アンタ莫迦じゃないの? こっちは人質が居るのよ――」
「開花」
不意に少女が発した言葉――
そして、数多の薔薇の花弁の竜巻と、薄紅の光――
「うおっ!?」
その眩さにマルギットは目を背ける。
刹那、高速で風を切るような音が微かに鳴り、同時に青い閃光が走った。
「ギャアアアアアアアアアアアアアアアア――!」
悲鳴――
光が、晴れる。
「な、何が起こった!? 一体……」
ロルフが目を開けると、其処には片腕を斬り落とされたマルギットの姿があった。
彼女の腕を斬り落とした張本人――少女に目を移す。
少女の服装が変わっている。
先程までは質素だったドレスが、全く趣向の異なるデザインの漆黒のドレスとなっていたのだった。頭部には薔薇の花を模った飾り付きのカチューシャも、いつの間にやら装着されている。
全体的にどこか退廃的で、背徳感のある耽美なシルエットだ。所謂、ゴシックファッションというものだろう。
そして、左手にはマルギットの腕を斬ったと思われる、青い光沢を放つ不思議な細剣。その得物も、つい先程まで少女は持っていなかったどころか帯剣すらしていなかった。いつの間に、何処から取り出したのか。
奇術でも目の当たりにしたかのように呆然とするロルフへ、自由の身となったハイデマリーが駆け寄った。
「ロルフ」
「あ、ああ」
生返事するだけのロルフ。
ハイデマリーが少女へ振り返る。
「あれは……」
そう呟き、鋭い眼で少女を見つめたのだった。
切断された腕が灰と化す――
「こ、このアマがぁッ!」
マルギットが牙を剥き出しにし、深紅の眼で少女を睨む。
対し少女は無表情だ。
まるで、これから平然と害虫を駆除するかの如く。少女のマルギットを見据える眼はそんな眼だ。
「よくも! よくもよくもよくもぉッ!」
背から翼を生やすマルギット。同時に、彼女の全身が灰色の異形へと変異した。
「アンタから血祭りに上げてやるッ!」
発せられた怒声は、もはや人間の女性の声ではない。地の底より響く猛獣の呻りにも似た異音であった。
少女へと飛び掛かり、爪の斬撃を放つ。
「五月蝿い奴ね」
幾重にも放たれるマルギットのラッシュを華麗にかわしながら、少女は呟いた。
爪による攻撃は深紅の残光となって虚空に刻まれるだけだった。ほんの一撃すら、少女を捉える事は無い。
ヴァンパイアのマルギットはともかく、運動量が尋常でないにもかかわらず、少女は息を切らすどころか相変わらずの無表情で尚もマルギットの猛攻を避け続けていた。
「あいつ……何者なんだ。あり得ないだろ、あの動き」
茫然と少女とマルギットの戦闘を眺めていたロルフが云う。その横では、冷静な面持ちで少女を見据えるハイデマリー。
「……当然でしょう」
吐息のように、彼女は小さく囁いた。
大振りの一撃を、少女は間合いを取ってやり過ごした。
マルギットが忌々しげに睨む。
「おのれぇ……!」
再度飛び上がり、爪を振り下ろした。
少女がそれを横に避け、青の細剣を振るう。その軌道が青い残光となり、マルギットの腕をすり抜けた。
残りもう片方の腕も斬り落とされる。
「ッ!」
苦痛に歪むマルギットへ、少女はステップをして踏み込み、剣を突き出す。
その動きはフェンシングの動作の正にそれであった。型に嵌りながらも瞬きする隙も与えない程の速さだ。
青の刃が、マルギットの右肩を貫通した。
嗚咽を漏らし後退する。
「く、くそッ!」
翼をはためかせ、闇の中へと飛び去って行く。少女には敵わないと見たのか。
一方の少女は彼女の逃げる様を悠然と眺めるだけだった。
「おい、追わないのかよ!」
マルギットの飛び去った方角を指差しながらロルフが声を上げる。
すると少女は彼を横目にしながら云い放った。
「いちいち騒がしいわね。焦る必要は無いわ、貴方と違ってね」
「何だと――」
不意に、ロルフの背後から大きな何かが突進してきた。
「うおっ!?」
紙一重で身を翻し、その正体を確認する。
「な、なんだ。う、馬か」
安堵し胸を撫で下ろすロルフ。
白い馬だ。闇夜でもはっきりと解るその美しい毛並みの体を、少女はそっと撫でると、羽毛のようにふわりと飛び乗った。
馬はロルフへ向かって突進してきた訳ではなかったようだ。だからといって撥ね飛ばされそうになった事には変わりなく、彼は何とも云い難い表情で少女を睨んでいた。
少女が手綱を振るうと、馬は嘶き、駆け出した。
颯爽と闇へ消えて行くのを眺めながら、ロルフは頭を掻く。
「ったく。訳がわかんねーぜ」
「追いましょう。ロルフ」
ハイデマリーが我先と追い始める。
「……やれやれ」
焦燥した態度で、彼も後を追うのだった。
†
両腕を斬り落とされ、満身創痍のマルギットは飛行する事すら困難だった。低空飛行で今にも地面に落下しそうな程、体勢が安定しない。
「あの女……。一体何なのよ!? 只の人間じゃないわね」
歯軋りする。
「この事、フリューリング公爵様にお伝えせねば。ヴァンパイアハンター以上に厄介な存在だわ」
ふと、後方から馬の駆ける音が近づいてきた。振り返るマルギット。
「あ、アイツ!」
迫る白馬に、あの少女が乗っていた。まるで虫けらでも見るような彼女の無表情な青い瞳が、恐ろしく見えてならない。
「くっそぉ!」
飛行速度を上げようにも侭ならない。
少女は馬上で立ち、跳び上がった。人間ではあり得ない程の跳躍力でマルギットの背へと飛び移る。
「ぐっ……!」
背を思いっきり踏みつけられ墜落する。地を抉りながら滑り、土煙が激しく舞い上がった。
停止したところで少女が彼女を見下ろし、
「黒い甲冑を着たヴァンパイア。貴女、知ってるわよね?」
と、尋問する。
「黒い甲冑のヴァンパイア? 知らないわよ、そんな奴――」
「そう」
直後、マルギットの背の心臓部に青い細剣が容赦なく突き立てられた。
「がはッ……」
苦悶の形相を浮かべ、全身から青い炎が生じた。
少女がマルギットから離れ、剣を虚空へ一振りする。
「闇に咲きし悪の華。せめて美しく、無惨に――」
マルギットを包む青い炎が、一瞬激しさを増す。
「散りなさい」
その言葉に応えるように、炎が消え去り、灰だけを遺す。マルギットの存在は、もはや其処には無かった。
少女が纏っていたゴシックドレスと青い剣が薔薇の花弁と化し、舞い散った。
元の質素な服装に戻る。
「また……手掛かり無し、か」
その声は何処か弱々しかった。夜空を見上げる。
今にも降り注いで来そうな美しい星空だ。それに人は心奪われ、魅入ってしまうのだろう。
だが、彼女は鼻で笑い、目を逸らす――
丁度その時、ロルフとハイデマリーが駆け付けて来た。
この場に少女しか居ない事を不審に思ったのか、ロルフが辺りを見渡してマルギットの遺灰を発見する。
「あんたが、奴をやったのか」
「持ち帰って報酬に変えると良いわ。ロルフ・フックスベルガー」
少女はそう云うと、ロルフを撥ね飛ばしそうになった例の白馬に跨った。
「何故俺の名を!? あんた一体……」
驚いて聞き返すロルフに、少女は暫し沈黙する。
「何か云ったらどうだよ――」
「……ヴィオラ・シェーンハイト」
それだけ云い、颯爽と走り去って行く。
唖然とするロルフだったが、我に返り驚きを口にする。
「シェーンハイト!? せ、先生と、同じ姓だ」
半ば混乱するロルフをよそに、ハイデマリーは独り呟いていた。
「薔薇戦姫……」
と。