【4章】なかねけ 後編
グレート中曽根。
それが彼のリングネームだった。
プロレス界に彗星の如く現れたグレートは、その剛腕から繰り出される『グレートダイナマイトスペシャル』で次々と勝利をおさめていき、プロレス界ではあっという間にその人気は不動の物となった。
その頃から、他のテレビ番組にも出演しだし、その爽やかな笑顔と大らかな性格で人当たりのよい彼は、そこでも人気を博した。
そして、デビューからしばらく経ったある日に突然入籍を発表し、人々を驚かせた。
他の多くのテレビ番組への出演、突然の入籍。
この二つの事が原因で、プロレス界では「アイツはもうダメだ」と噂されてもおかしくはなかったのだが、彼は相変わらずの強さをほこり、他のレスラー達を圧倒させた。
そして、そんな彼にも子供が出来る。
その頃から、彼は変わった。
試合中に家族にラブコールを送りだしたのだ。
必殺技である『グレートダイナマイトスペシャル』も『ウチの家族は世界一アタック』に名前を変える程の親バカならぬ家族バカっぷりを世に知らしめた。
しかしそんな彼はある時、突然プロレス界から去る事になる。
それは、彼に女の子の第二子が産まれて数年が経った後だった。
その後、更に数年が経ち、彼は再びテレビに姿をあらわす。
その姿は昔のような闘志剥き出しの戦人ではなく、只の旅番組のリポーターであった。
しかし、元々その人当たりのよい性格の持ち主なのだから、当然その番組にはピッタリで、やはりこの番組も人気を博し、今に至る。
俺は、昔から彼が好きだった。
プロレスには特に興味はなかったのだが、どうしてか彼の試合には惹かれた。
俺が初めて彼の試合を見たのは、6才か7才くらいの頃だったと思う。
その頃には既に彼に男の子の第一子がおり、必殺技の名前も『ウチの家族は世界一アタック』だった事は鮮明に覚えている。
彼が引退を表明した時は涙を流して悲しんだもので、その理由には同情したがやっぱり彼の引退は悔しかった。
今は、もちろん彼がリポーターをつとめる『ちょっと旅でも』も毎週欠かさず録画して保存している。
それ程までに彼を愛する気持ちは今も変わらないのだ。
彼の引退した理由なのだが、彼の妻の死がきっかけだった。
その後、マスコミなどの押しかけ取材などがこたえたのだろう。彼は逃げるように引っ越し、そのままテレビ界やプロレス界から去っていったのだ。
グレート中曽根。
実は、この憧れのヒーローは身近な人物の父親だったのだ。
…誠君である。
「ふーん…そんなにファンだったのか」
先輩がぼんやりと思い出に浸る俺に話し掛ける。
「そうなんすよー!もう、スーパーヒーローで!大っ大っファンなんです!」
「フッ…」
テンション最高潮の俺に対して意味深な笑みを浮かべる先輩。
そして、
「俺も…大ファンだッ!!」と、胸を張り高らかに宣言した。
「なっ…!マジですか!」
「フフン…もちろんプレミアのグレート中曽根フィギュアも持ってるぜ!」
「マッ…マジですかァァッ!!」
「そして、コレもなッ!」
先輩はどこに用意していたのか、古いレコードを天高く掲げた。
「そっ…それは幻の…グレート中曽根作詞作曲の…」
「そう…コレはあの…」
「ラブ…」
「ラブ…」
「やめんかい!アホ共がァッ!!」
先輩と声を合わせて、グレートが唯一リリースした自身作詞作曲のレコードのタイトルを言おうとしたのだが、それは図太い関西弁に阻止された。
「それは言うなっちゅうとるやろうが!このボケ!」
そう叱られながら、その巨体の男性にバシッと頭をはたかれる先輩。
その男性は、テレビで脳裏に焼き付くまでに見尽くした、グレート中曽根だった。
その顔や体、声を聞くだけで、更に気持ちは高ぶってくる。
「グ…グレート…」
思わず口から言葉が漏れだしてしまった。
「ん…?あぁ、アンタはさっきの…」
「さっ…さっきはどうも…!」
「どうもって…ちょっと挨拶しただけやったけどな」
テレビと変わらない、まるで子供のような笑顔で、バシバシと俺の背中を叩くグレート。
さすがに痛かった…さすが元レスラーだ。
でも、痛さよりもあのグレートに叩かれたという不思議な嬉しさの方が大きかった。
「アンタの名前聞いてへんかったなぁ!よかったら教えてくれるか?」
「…!
はっ…はい!か…風見しょうぐっ…、しょぐでゅ…!」
緊張がピークに達していた俺は、思いっきり名前をカンでしまった。しかも二回。なんとも情けない…。
そんな俺の失態にも、グレートは笑ってくれた。
…というより、どうやらツボに入ったらしく、爆笑している。
カンだのは恥ずかしかったけれど、グレートにウケたのだからそれすらも幸せだった。
終わりよければ全てよしとはこの事だと思った。
本場の関西人を爆笑させた事で付いた妙な自信のせいで、後で言ったギャグがスケやんに鼻で笑われたのはまた別の話である。
その後、ちゃんと自己紹介を済ませ、しばらくグレートと先輩と俺の3人で雑談した。
更に、サインも貰い、旅番組『ちょっと旅でも』のステッカーも10枚ほど貰った。
現役時代の裏話なども聞けて、ファンには堪らない時間だった。
しかし、実は素直に楽しめなかった。
それは、誠君の言葉が引っかかっていたせいであった。
『嫌いなんですよ…あんなヤツ…』
ぼそりと呟いた彼の言葉がどうしても忘れられなかった。
試合中に家族にラブコールを送りながら戦っていた程に家族を愛していた彼がどうして嫌われているのか…。
反抗期…のようなものだろうか。
とは言っても、あんなに大人らしい誠君が反抗期…?
どうもしっくりこない。
それに、ほとんど家に帰らないグレートの態度も不可解だ。
むしろ、こっちの方が引っかかる。
なにがあったにせよ、やはりこういう関係はよくないように思うし、何とか出来るものなら何とかしたい。
でも、俺がどうこう言うのはおかしいように思う。
本人達で解決するのが一番良いのだろうけど…。
それから時間は経ち、俺の部屋では大宴会が開催されていた。
もちろん全員参加。スケやんも存在を忘れ去られる事はなく、今はガツガツと料理を口へかき込んでいる。
優さんは昨日と同じく、仕切り役に徹していた。本人もそれはもう楽しんでいる。
先輩はグレートの横で、お互いバカ笑いしながら呑んでいる。
ちなみに、この酒はグレートのお土産である焼酎で、もっぱら先輩とグレートしか飲んでいない。
有名で高価な焼酎らしいのだが、2人はお構いなしにグイグイと口へ流し込んでいった。
重厚感あふれるガラス瓶には『神ごろし』と達筆で書かれていた。
とうとう焼酎は鬼を殺すだけに留まらず、神をも凌駕してしまったらしい。
大胆に書かれた達筆の文字が、この焼酎の凄まじさを主張しているようだった。
管理人さんは、ゆずとこよみちゃんの世話係になっていた。
くれぐれも言っておくが、俺が頼んだわけではないのであしからず。
そして、大宴会の準主役と言えなくもない誠君は、昨日の姿が嘘のようなそんな姿だった。
誰とも話さず、黙々と料理を口に運ぶ。
時々、先輩と騒いでいる父親を睨みつけ、ため息をついていた。
もちろん、グレートは彼の異変に気付いていなかった。
優さんと先輩は誠君の異変に気付いてるようで、チラチラと彼の様子をうかがっていた。
そのような感じのまま1時間ほど宴会は続き、時計が夜の9時を告げる頃には皆自室へ戻っていった。
あの騒がしかった部屋では、アニメの音声とテレビに映る女の子たちを応援するゆずの声援が響いていた。
すっかりゆずはこのアニメにハマってしまっていて、スケやんからDVDを全部借りているのだが、宴会中以外はずっと再生している。
テレビに長時間釘付けというのは誉められた事ではないが、ゆずにも好きな物が出来たのが妙に嬉しくて、今だけは大目に見てやる事にしている。
「ゆずちゃんはどの子が好きなの?」
ちょっと暇だったので色とりどりのキャラクターの中からどれが好きなのかをなんとなく質問してみた。
「これ!きいろがすき!レモンチャーミィっていってねー」
ゆずは黄色の子が好きらしい。
今日は部屋に帰って来てからずっとゆずのアニメ鑑賞に付き合っているので、俺もだいたい名前を覚えてきている。
なんか、こういう風に一緒にアニメを観て、一緒に名前を覚えて、それについて話をして…というのは、なんとなく嬉しくなる。
親子って、こういう感じなのかもしれないな…。
などとぼんやり考えていると、まだ風呂に入ってなかった事に気付いた。
「ゆずちゃんー。風呂行ってくるけど、誰か一緒にいてもらう?」
「うぅん、だいじょぶー」
ゆずはふるふると首を横へ振り、
「ゆずにはチャーミィがついてるから」
と、答えた。
「…あ、そう…。じゃあ行ってくるよ」
そう一言伝えて、玄関へ向かった。
昨日までは、これだけでも泣き叫んでいたのに、急にここまで変わってしまったのが何故か寂しかった。
玄関のドアノブをひねると、少し開いたドアの隙間から聞こえる声に気付いた。
内容はわからないのだが、どうやら会話らしく、俺は内容を聞き取ろうと隙間に耳をあてた。
こういうのはよくないとは分かっているのだが、会話が終わらなければ風呂へ行けないし、部屋からも出られないのだ。
だから、ある程度内容を把握して、出るタイミングを探る必要があるのだから、聞き耳をたてるのは仕方のないことだ。
…という口実を自分自身に言い聞かせる。
…ただ単に興味があった。というのは秘密だ。
宴会が終わり、俺達は部屋に戻ってきた。
こよみがテレビをつけ、ゆっくりと腰をおろした。
それにつられて、俺とオトンも座る。
オトンは、もう明日かすみ荘を発つらしく、旅の準備をしていた。
5分くらいしてからだろうか。オトンが俺に話しかけてきた。
「誠。ちょっと話があるんやけど」
「…話?なんの?」
「ホンマにわからんのか?」
オトンの声のトーンで分かった。
間違いなく今からお叱りがくる。
そりゃあ、こんな酒臭い体をしていたら当然だろう。
「…こよみ。ちょっとオトンとコンビニ行ってくるから、留守番しててくれるか?」
俺の言葉にホイッスルを短く吹いて答えてくれる。
「コンビニってお前…!」
「…こよみに聞かせたくないねん。話ならいくらでも聞くから、部屋の外で話そ」
こよみに聞こえないように今のウソの意図をオトンへ話し、俺たちは部屋の外へ出た。
庭の桜は、月に照らされて何とも幻想的な姿で立っていた。
その前の廊下にオトンが座り、俺へ横に座るように命令する。
しばらく2人で桜を眺めて、お父が口を開いた。
「…なんでそんなに酒臭いんや?」
俺の予想通りの話題だった。
「酒…飲んだから」
その質問に平然を装って答える。
「お前…まだ17やろ」
「…だからなんやねん…」
「…どうせ、そうやって悪い事するんがかっこええとか思ってたんやろ、このアホが」
「…ちゃうわ…」
「ほな、なんや。
俺はな、お前がする事は大抵許したるつもりや。
けどな、ルールを破ることは許さへんぞ」
いちいち、この男の言葉にはイラつかされる…。
こうやって平気で父親ヅラをして…。
「…うるさいな!なんでもええやろ!ほっとけや!」
素直に答えれば済む話なのは分かっている。
でも、今のコイツに素直になるなんてどうしても出来なかった。
「…ッ!このボケェッ!」
オトンの重い鉄拳が右頬に飛んでくる。
その威力に耐えられず、床へ倒れ込んでしまった。
「さっきからなんや、その態度は!」
「痛っ…」
口を切ったのか、一気に鉄の味が広がる。
「俺は、お前が憎くて叱ってんのとちゃうんやぞ?お前の父親やから…」
「…父親?」
「そうや」
この言葉で、俺の頭の中の何かがプツンと切れる。
「なにが…」
「…?」
「なにが父親じゃ!ふざけんな!
なんで酒を飲んだかもわからんかったくせに!
このかすみ荘の事もほとんど知らんやろ!
ウチにもほとんど帰って来うへんくせに!
たまに帰って来ては一丁前に父親ヅラしてんちゃうぞ!」
「誠…」
「うっとしいねん!その態度が!…もう…」
「誠!お…俺は…」
「…もう…。もうお前なんか父親とちゃうわ!さっさと何処でも行って来いや!ボケェッ!」
俺はそう捨てゼリフを吐いて、かすみ荘を飛び出した。
そんな俺を、自称父親は追ってすら来なかった。
…と、ととと…とんでもないものを見てしまった…。
ただの好奇心からだったこの行為で、こんな修羅場を見る事になるなんて思ってもいなかった。
誠君の話や、態度からおおよそ予測出来た事態ではあるが…まさか庭で言い争いを始めるとは…。
…困った。
グレートは言い争いの後、ずっとぼんやりと桜を眺めているのだ。
よって、風呂へ行くことはもちろん、この部屋から出ることすら出来ないでいた。
いや、あの騒動を見ていなければ何の問題もなく出ていけたのだろうが…正直、あれを見てしまった俺はマトモにグレートと接する事が出来る自信がなかった。
「…風見君」
しばらく、どうするか考えていると、名前を呼ぶ声が聞こえた。
その方向に目をやると、こっちを向いたグレートと目が合った。
「…あ…はい…」
申し訳なさそうに小さく返事をすると、俺は観念して体を隠していた玄関のドアを開いた。
「かっこ悪い所を見せてしもたなぁ…」
隣で座っているグレートが、苦笑しながらため息をもらした。
俺は、そんなグレートに返す言葉を見つける事が出来なかった。
グレートは、俺が話を立ち聞きしていた事に気づいていたらしく、彼もしばらく考えたうえで俺の名前を呼んだらしい。
そして俺は今、憧れのグレート中曽根の横に座って彼の話を聞いていた。
グレートが、ひとつ溜め息をこぼして
「俺は…父親失格や…」
と、また苦笑しながら呟いた。
「そんな事ないですよ!だって、誠君の言い方にも問題はあったし…」
俺は、昔から憧れていたグレートの行動を必死に擁護していた。
「…それでも、息子を殴ってしもたからなぁ」
「…それは…」
今度は、すぐにフォローを入れる事が出来ず、言葉を詰まらせてしまった。
「…時には…必要だと思います…その…殴ったり…とか…」
しばらく考えて出た言葉に、自分でも驚いた。
俺は、自分の子供を殴るという行為を正当化しようとしたのだ。
「確かに…しつけに必要な時もある。
俺かって昔はよくやんちゃして、親父に殴られたもんやったしな」
グレートは、微笑しながら俺の言葉に同意してくれたのだが、
「けど、いくらしつけのためやからって、子供にケガをさせたらそれはただの暴力と同じやと思うんや」
という言葉を付け足した。
「…まあ、俺が言っても説得力ないわな」
グレートは苦笑いしながらそう言って、申し訳なさそうに鼻の頭を掻いていた。
今のその姿は、どこか会った時に感じた大きさよりも少しだけ小さく感じたのだが、ただの気のせいかもしれない。
「ところで、ホンマに風見君はゆずちゃんと住んでるんやな」
グレートの口から聞き慣れた言葉が出たので、俺はハッとなってグレートの言葉に意識を戻した。
「たいしたもんやなぁ…」
「…たいしたもの…?」
「そら、たいしたもんやろ!
あの、ゆずちゃんに心を開かせるやなんて」
「そっ…、そんな事ないですよ!凄くなんか…」
俺は、急いで否定したのだが、彼は
「もっと誇ってもえぇ事やと思うぞ?それは。
凄いもんは凄いんやから!」
と言ってくれた。
あのグレートから誉められたのは嬉しかったし、自分の行動を彼の言う通りに思ってみようとしたのだが、それはどうしても無理だった。
あの行動の動機がそもそも誉められた物ではないし、あの時も俺がなにか特別な事をしたわけでもない。
自分の行動を誇ろうとしても、どうしてもこの事が頭から離れなかったのだ。
「…そんな事ないです…。
それに、あれ以来大きな変化はなんにもないし…。心もまだまだ全然開いてくれてないし、俺どうすればいいんでしょうね…」
「…そうか…。どうすればいい…か。そやなぁ…」
彼は、うーんと唸りながら、考えだした。
今は他人よりも自分の事をなんとかしなければならないのに、他人のために考えてくれている。
それは、単純に心が広いのか、それとも気を紛らわせたいだけなのか…。
いずれにせよ、これでなにかしらのヒントが得られるのなら有り難いと思った。
彼は1分くらい悩んで、ようやくなにか閃いたのか、勢いよく顔をあげ、俺の目をじっと見つめてきた。
いくら彼のファンだからといっても、グレートは世間一般で言う『おっさん』であるからして…だいの大人が見つめあうのにはかなりの抵抗が…
そんなわけで、俺がゆっくりと目線を反らそうとした時、彼が話し出した。
「…やっぱり美味いモノを食べるのがええんとちゃうやろか…」
「…」
その提案に思わず黙り込んでしまった。
これはもしかすると関西人特有の…ボケというやつではなかろうか。
いや、俺もお笑いは好きで、テレビでもよく漫才などを観るけれど…こんな状況でボケられるとは思いもよらない事なわけで…。
「なっ…なんでやねーん!」
やっぱりボケられたならツッコミを入れるのが礼儀というやつだと思っている俺は、大声でベタなツッコミを入れた。
「…いや!ボケてへんわ!」
そのツッコミにグレートも大声で否定してくれた。
どうやら、グレートのこの提案は本気だったようだ。
「…」
思いきり、ツッコミのタイミングというか…そもそもツッコミを入れる場面でもなく、なんとも気まずい雰囲気になってしまった。
俺が、他の解決策を求めると、グレートは再び深く考えだした。
もちろん、うなり声をあげながら。
考える姿がベタすぎて、これもボケなのかと思ったのだが、これも本気のようだった。
グレートはさっきよりも少しだけ早く答えを出してくれた。
「…ホンマに心から望んでる事をしてやったり…とかやったら、心も開いてくれるんとちゃうやろか…」
今度は先程の提案よりも遥かに良い…というか、無難で当たり前のヒントをくれた。
これは、俺だって考えた。
だけども、あの子が何を望んでいて、今の俺には何が出来るか…というのはあまり見当がつかなかった。
「…やっぱりそうですよね…。じゃあ、もう一つ質問していいですか?」
「…おう、ええよ」
「父親…ってどういうものなんでしょう…」
「父親…?…父親かぁ…」
グレートは、またまた深く考え込みだした。
もちろん、あのうなり声も忘れずに。
俺は正直、父親というものがよくわからない。
昔の思い出を辿ってみても、蘇ってくるのはあの暴力だらけの日々だけだった。
もしかすると、この答えがゆずの心を開くヒントになるかもしれない、と思っての質問だったのだが、よくよく考えてみればこの質問の答えを一番必要としているのはグレート本人のような気もした。
今度のうなり声は長かった。
ギリギリカップラーメンが出来あがるくらいの長さで、俺はじっとそのうなり声が止まるのを待っていた。
長かったうなり声がようやく止まった。
グレートはさっきとは違い、ぼんやりと桜の木を見つめながら話し始めた。
「そやなぁ…。
父親ってのは、やっぱりいろんな意味で強くて、いつでも子供の前に立って、見本にならなあかんもの…とちゃうかな」
「…前に立つ…?」
「そう、なんていうかなぁ…いつでも子供に尊敬される存在…っていうかな…。
他には、家族をしっかり支えて…子供の異変とかには言葉を交えんでもすぐに気付いてやれて…」
「…異変に気付いてやる…ですか?」
「…そう。まあ、俺は気付いてやれへんかったけどな」
グレートは、苦笑しながらそう付け足した。
そして、
「…あとは、全ての家族がそういうワケじゃないとは思うけど、なにがあってもどこかで固い固い絆で結ばれてるもの…かな」
クサい言葉だと自分でもわかっていたらしく照れながらそう言ってくれた。
「…アンタがそれを言うんだな」
俺が感想を言う前に、グレートの横から声が聞こえた。
その、どこか怒りがこもった声が聞こえてきた方向へ目を向けると、そこには見慣れたライオン頭が立っていた。
「アンタがそれを言えんのかよ!」
先輩は、大きく怒鳴りながら足早にグレートへ詰め寄った。
「慶太郎…」
グレートがぼそりと先輩の名前を呟いた。
「さっき、外で誠とすれ違った。泣いてやがったよアイツ」
先輩は強い口調で、グレートへ言葉を吐き捨てた。
その言葉に、グレートが一言「そうか」と言って終わったのが、更に先輩をイラつかせたのだろう。
先輩はグレートへつかみかかっていた。
その姿は、まるであの時の俺とスケやんのようだった。
「…てめぇ…、何が『そうか』だよ…。
アイツはアンタの息子なんだろ!
どうして走って追ってやらねぇんだ!」
今までの、外見や言動と反して気の良い兄さんのような姿はそこには無く、まさに髪型のごとくライオンがいた。
「追ってやる…か。アイツがそれを望んでるってか?
誠は…俺の事が嫌いなんやと。
…そらそうやわな、こんな情けない父親…」
グレートにも、今までのような俺が憧れていたころの姿はそこには無かった。
「ッ!てめぇ!
それを本気で信じたのか!?ガキじゃねぇんだぞ!
そんなもん、ウソに決まってんだろうが!
あぁ、くそっ!情けねぇなぁおい!
グレート中曽根!」
グレートは、その言葉に対しても何も言わなかった。
「…いつからそんなヘタレになっちまったんだよ…。俺…」
先輩が俺の方を見た。
「いや、俺たちが憧れていたグレート中曽根は…どこにいっちまったんだよ!
ふざけんじゃねぇよ!」
グレートは相変わらず黙っていた。
その姿に、先輩は諦めたのだろうか。
突き飛ばすように、つかみかかっていた手を離した。
「…アンタが思ってるよりもなぁ…アイツはまだ子供なんだよ…。
高校生なんてまだまだガキなんだよ」
「…」
「…まあ、まだ高校生とは言え、親に殴られて泣いて出ていっちまうのは…アイツも相当のヘタレってヤツか」
グレートの体がピクリと動いた。
「一人前に大人ぶってるけど、中身はまだまだガキだしな。
それに、アンタの息子だ。
ヘタレなのは当然だよな」
先輩は、笑いながらグレートと誠君をバカにする。
側から見ても分かるほどにわかりやすい挑発だった。
そんな先輩へ、今度はグレートがつかみかかった。
元レスラーがいきなり立ち上がって、先輩へつかみかかったのだ。
それはもう凄い迫力だった。
「なんだよ」
先輩は、そんな行動にも動じなかった。
「お前…いくら誠の知り合いやからって、誠をバカにするんは許さへんぞ…!」
先輩は、そんなグレートの言葉に鼻で笑って、ケンカ腰に言い返した。
「なに今さら父親面してんだよ。遅ぇだろ。
それに、俺でも許さないってなんだよ?
俺を殴り飛ばすか?誠みたいにな」
「おう、思いっきり殴り飛ばしたるわ」
「ああ。やれよ。
正直、今のアンタにゃ負ける気しねぇよ」
先輩は、鼻で笑いながらグレートを再び挑発する。
俺はそんな光景をヒヤヒヤしながら見守るしか出来なかった。
「…ッ!」
グレートは、いきなりその剛腕を先輩目掛けて振り上げた。
風の切る音が辺りに鳴り響いただけで、先輩はその攻撃をひらりと軽くよけていた。
グレートには驚きの表情が浮かぶ。
そして、先輩はそのグレートの懐へ飛び込んで、顔面目掛けて素早いパンチを繰り出したのだが、命中目前でピタリと拳を止めた。
グレートはその攻撃へ全く反応することが出来ず、ただただ目の前に突き出された拳を見つめるしかなかった。
勝敗は一瞬で決まった。
レスラーとはいえ、格闘技のプロのパンチを見切った先輩。
…一体何者なのだろうか…。
「アンタの腕もなまったもんだな」
先輩は一言言い放つと、ゆっくりと拳を下げた。
グレートはその場に座り込んで、その自分の敗北に絶望していた。
元とはいえ、プロだった彼が素人の先輩に負けた事は、グレートのプライドをズタズタに傷つけたのだろう。
…正直、今の先輩の姿はなんとも格好いいものだった。
しばらくそのままの状態が続き、グレートが口を開いたのは3分くらい経ってからだった。
「…俺かってわかってんねん…お前に言われんでもな…。
でも…どうすればいいかわからんねん…。
誠が俺に不満を持ってる事にも気付いてやれんかった…。
俺は…ホンマに最悪の父親やわ…」
その、グレートの呟きに先輩がまた眉をヒクつかせた。
「それは違いますよ」
しかし、口を開いたのは俺だった。
「そんなの当たり前ですよ。
俺だって、何も話さずにわかるゆずちゃんの事なんて、たかが知れてます。
本当に知りたい事とかは、やっぱり話し合わなきゃダメだと思うんです。
俺も、毎日ほんの少しずつだけど、話しをして色々知っていってます」
気付けば、俺がグレートへ説教していた。
その内容はごく当たり前の事だったのだが、それでも思っている事をグレートへぶつけた。
この行動は完全に無意識だった。
「あんた、いつまでそうやってへこたれてるつもりなんだよ」
更に先輩が追い討ちをかける。
「多分アイツはあんたを待ってる。
アイツはあんたの事なんか嫌っちゃいねぇんだって。
あんた…さっき言ってたよな?」
グレートがゆっくりと先輩の方を見た。
「『家族の絆』とかなんとか小っ恥ずかしい事言ってたろ。
あんた自信がその絆ってヤツを信じてないんじゃねぇのか?
アイツはちゃんと思いをぶつけたんだろ。
だったらあんたがしなきゃならない事は、こんな所でウジウジへこたれている事じゃねぇわな」
「慶太郎…」
「あんたさ。いったい誰なんだ?
『ウチの家族は世界一アタック』のグレート中曽根じゃねぇのか?」
「…俺は…。でも…」
先輩はグレートの言葉を遮るように、彼の肩につかみかかった。
「あぁもう!うるっせぇんだよ!
父親なんだろ!アンタは!
走れよ!悩んでる暇があれば走っちまえ!
余計な事ばっか考えてんな!
つまんねぇ事ばっかで悩んでんじゃねぇ!
しっかりしてくれよ!グレート中曽根!
俺らに…あいつに!そんな姿見せてくれんな!頼むから…!」
先輩の必死な姿。
そして、グレートの目つきが変わる。
現役時代のような輝きは感じられなかった。
だが、その目は確実に前を向いていた。
「…そうか…そやな」
そう一言呟くと、グレートは廊下を玄関へと進もうとした。
先輩とすれ違おうとした時、先輩は目線は変えずに息を切らしながらグレートへ言った。
「…誠の居場所…知らなくていいのか?
あんた知らないんだろ?」
グレートはその問いかけに鼻で笑って、
「俺を誰やと思ってんねん。
俺は、世界一家族を愛するレスラー。
グレート中曽根やぞ?
見つけたるわ、俺は…アイツの親父なんや」
そこには、紛れもなくあの頃テレビにいた憧れのヒーローがいた。
そんなグレートの姿に、先輩も微笑していた。
「2人とも…有難うな。
絶対連れて戻ってくるから待っててくれ」
そう言い残すと、グレートは歩を進めようとしたが、ふと足を止めて、
「あぁ、そうそう。
帰ってきたら『新・ウチの家族は世界一アタックスペシャル』をくらわせてやるから楽しみにしとけや」
と、ニヤリと笑いながら先輩へ言った。
「ははっ…やめてくれ。殺す気かよ…。
今度は勝てる気がしねぇって」
先輩は苦笑しながら、そう言って、息子のもとへ走る父親の背中を眺めていた。
グレートが出ていったのを見届けた後、先輩は俺の隣へ腰をおろした。
「お疲れ様です。先輩」
「ははっ、いやぁ、マジで疲れた。
まぁ、単純バカだからやりやすかったけど。
あんな分かりやすい挑発に乗るなんてな」
そう言いながら、先輩はポケットから出したタバコに火を付けながら大笑いした。
…寒い
かすみ荘を飛び出して1時間以上はこの公園のベンチに腰かけている。
公園といっても、風見さんと話をした公園ではなくて、もうちょっと遠くにあって人通りも少ない所だ。
3月の初め頃とはいっても、吹く風は肌寒いもので、ただでさえTシャツ一枚なのにこれは堪える。
…というより、肌寒いなんてものじゃない。
春さきに吹く風の冷たさじゃない。
もしかして今は1月の半ばなんじゃないだろうか…。
なにか温かい飲み物を買おうと、ポケットに小銭を探るのだが、入っていたのは40円と少し。
俺は深いため息を吐いて、真っ暗な空を見上げた。
…どうしてこんな事になってしまったのだろうか。
ただ、理由をちゃんと答えればよかっただけなのに。
そうすれば、今までと変わらずにいれたのに。
…あんな父親嫌いだ。
嫌いなのに、どうして後悔してるのか。
嫌いなハズなのに、どうして嫌いになれないのか。
もう、自分がわからなかった。
…俺の望む父親ってなんなんだ…?
…謝ろう。
素直に謝って、すっきりしよう。
もう、色々考えるのが面倒だ。
俺はまた一つため息をついて、ベンチから立ち上がろうとした。
その時、遠くで声が聞こえたような気がした。
いや、気のせいじゃない。
はっきりと叫び声が聞こえた。
その声は次第に近づいてきて、内容も聞き取れた。
聞き慣れた声で、俺の名前を呼ぶ叫び声。
今は夜だというのに、そんな事はお構いなしに発せられる大声が町中に響く。
その声が、公園の入り口で止まった。
「…オトン…」
「やっ…やっと…見つけた…」
汗だくのオトンは、息絶え絶えに俺に近づいてきた。
「…なっ…なんの用やねん!」
頭では、素直に謝ろうと思っていてもどうしても憎まれ口を叩いてしまう。
「お…お前…を…連れ戻…オェェッ…」
オトンは、カッコよくセリフを言うつもりだったのだろうが、途中でえずいてしまった。
「…ちょっ…今のナシ…もっかい…」
息を整えて、もう一度さっきのセリフを言おうとする
「…ふぅ…、…お前を…連れ戻…オェェッ…」
が、やっぱり同じタイミングでえずく。
それを見かねて、仕方なくベンチへ座らせる。
オトンが座った隣に俺も腰を下ろす。
「あ゛ー…しんど…」
「…ホンマ…何しに来てん…」
「そんなもん…!お前を連れ戻…!…オェェッ…」
「もうええっちゅうねん!」
「…ちょっ…もうちょい待って…」
「…わかったからもう黙って休んどけっつーねん…」
深いため息をつきながらそう答えた。
ため息を付けば幸せが逃げるというけれど…、俺は今日だけでどれだけ幸せを逃したのだろうか…。
そんな事を考えると、またため息をついてしまった。
10分くらいが過ぎただろうか。
寒さで、軽く体も震えだした。
「もう大丈夫か?」
「おう…すまんな…。
…汗かいたら喉渇いたな…。
飲み物買ってくるわ。
お前もいるやろ?」
そう言って、オトンは自販機へ向かった。
…やっと体が温められる…。
いい加減、凍えそうだ。
…なんでこういう日に限ってこんな悪天候…。
天気をここまで恨めしく思ったのは初めてだな。
…などと考えてたら、オトンが戻ってきた。
やっと体が温まる。
そう考えると、素直に嬉しかった。
オトンから、缶を手渡される。
そしてオトンに激しくつっこむ。
「なっ…なんでじゃぁッ!」
「なっ!なんやねん!」
「何これ…、え?
ワザと…?ワザとなん?コレ」
手渡された缶は、全く手を温めてくれる事もなく、見事に冷え切ったジュースだった。
「…温かいのがよかったか?」
やっぱり嫌いだ、こんな父親。
「…と…とにかく!
俺を連れ戻しに来たんやろ…?」
「そうや」
「…なんで…」
「…俺が…お前の父親やからな」
「…ッ!」
また、こうやって懲りずに父親面をする…
「なんで…なんで今さら父親とか…言うんやねん…!」
お父は、その言葉を聞くと、急に立ち上がってベンチから駆け足で離れていった。
そして息を大きく吸い込んで、
「ぉぉお前がぁぁッ!
大好きやからにぃぃ!!
決まってるやろォォォッッ!!!」
公園の真ん中で、さっきとは比べものにならない音量で叫んだ。
もちろん町中に響き渡った。
その行為にしばらく絶句して、全速力でバカ親父を殴りに走った。
「あ…ッ!アホかぁぁッ!時間とか場所とか…アレとか…ソレとか…とッ…とにかくアホかァァッ!!」
もうあまりにバカな行為すぎて、上手く言葉が出て来ず、とりあえず全力でストレートを決める。
バカは、それでも立っていた。
悔しいが、さすが元レスラーだ。
「ええストレートや…誠…」
「…意味わからんわ…バカ親父…」
「バカやからこんなやり方でしか出来へんわ」
バカみたいに大笑いしながらオトンはそう言った。
「…大好きや、誠」
優しく微笑みながら、お父は言った。
「…お、俺は大嫌いやけどな…」
「そうか…」
お父はそれでも優しく微笑んでいた。
その時、脳裏に蘇ったある場面。
熱気と闘志が支配するリング上でお父は、まだ小さな俺と、元気な体のオカン、そして彼女の腕に抱かれたこよみ。客席の最前列で観戦している3人に叫んでいた。
「大好きやぞォォッ!!誠ォォ!こよみィィ!!理沙ァァッ!!」
あの頃から変わらないのだ。
いつでもこうやってバカみたいに愛を叫ぶ。
誰から笑われようとも、
そこがどこであっても。
いつでもこうやって。
あの頃の事を思い出した俺の目からは、また涙がこぼれていた。
何故涙が溢れたのか。
自分でもよくわからなかった。
もう戻らないあの日を思い出したから…なのかもしれない。
オトンは、そんな俺を強く抱きしめた。
痛いし、ゴツゴツして汗で濡れた体は不快極まりなかった。
それでも、懐かしい温かさがあった。
「…いつの間にか、こんなに大きくなってたんやなぁ」
「…ほとんど…家にいいひんかったから…わからんかったんやろ…」
「…まあ…そやな」
「…気持ち悪いんやけど…」
「知らん。なんも聞こえへんわ」
「…なんやそれ…」
そんな調子で、不快な包容は続いた。
そしてしばらくして、オトンがぼそっと呟いた。
「…ごめんな…」
「…ッ!」
オトンの体を突き飛ばして、俺は叫んでいた。
「そっ…そんな言葉!いらんわ!
俺はッ…!」
じゃあ、何を望んでいたんだ?
何が欲しいんだ?
俺は何がしたいんだ?
自分でもわからないくせに、
偉そうに叫んで。
うるさいくらいに喚いて。
わからないハズなのに、それでも何故か言葉は続いた。
「俺はっ…!もっとっ…!
帰って来て欲しかった!
もっとっ…!
家族で過ごしたかった!
それやのに!こよみは待ってんのにッ…!
それやのに!
アイツには…!まだ!父親が必要やのに!
俺では…!親父の代わりは!出来ひんのにッ…!
それやのに!勝手にフラフラして…!
理由も言わずにぃっ…!」
頭で考える前に、言葉が口から流れるように出ていった。
言い切った俺は、息をきらしてオトンを睨んでいた。
オトンは、そっと俺の頭を撫でて
「そうか…」
と一言呟いた。
そして、
「もっかい座ろか。
俺も、ちゃんと話さなアカンわな…」
そう言いながら、ベンチへ戻っていった。
「…誠。ちょっとこれ見てくれるか」
オトンは俺に数枚の写真を手渡した。
そこには、崖の上からの雄大な紅に染まる海から道端に咲いている小さな小さな花まで、それぞれ様々なものが写っていた。
「…これがなんやねん」
「これな、えっと…俺が撮ってん…」
「…え?」
思わず耳を疑った。
こんなバカ親父にこんな繊細な景色が撮れるハズがない。
写真はどれも、光の入り方やバランスなど…素人の俺から見てもプロ顔負けの作品ばかりだった。
「ロケの合間合間に必死で練習してな、ここまで上達したんや」
「…合間…って…これの為にほとんどウチに帰って来うへんかったって事か?」
「まあ…結論はそうなるな…」
「ふっ…!ふざけんな!こんな趣味のせいで、こよみにあんな寂しい思いさせて?
それで親父…?…笑わせんな!」
俺は立ち上がってまた怒鳴っていた。
「…そやな。そうかもしれん。
でも…趣味とかってワケやなくて、これは理沙のためにな…」
「…オカンの…?」
「…そうや。
アイツは、昔っから旅が好きでな。よく一緒に色々な所に行ったもんやった。
だから、ロケの合間に写真を撮って、全国をまわり終わったら理沙に供えたろうと思ってて」
「…そんな…ムチャクチャな理由…」
「ホンマにムチャクチャやわ」
オトンは苦笑した。
「…俺、アイツにはなんにもしてやれんかった…。
付き合い始めた頃は俺も今みたいに有名やなかったし、金も全然無くて…。
それでもアイツは支えてくれてな。
結婚の話を持ち出したのも理沙やった。
俺もプロポーズぐらいは…!って思ってたんやけどな。指輪を買ってやる余裕もなくて、なかなか切り出せんかった…
それでもアイツは良いって言ってくれて」
「…知ってる。それでちょっと経ってから俺が産まれたんやろ」
「そうや。
お前が産まれる頃には経済的にも安定してきたから家族を養ってやれる自信もあったからな。
でも、それからは試合やらなにやらで忙しくて…お金が入ってくるようになっても結局、結婚式は挙げられんかって。
いつの間にか、こよみができて…あっという間に逝ってしまいよった」
「…式…挙げてなかったんか…」
「…昔っから、アイツにはひたすら苦労かけて恩返しする前に死んでしもて…。
葬式の時も、一緒に入れてやる指輪すらなかった…。
…それでは…流石にあんまりやろ?」
「…だから写真を…?」
「…せめて、旅行した時の思い出くらいは…ってな。…洒落た事もしてやれんけど…せめて…な」
「ははっ、十分洒落てるわ」
俺は、ちょっとだけ吹き出してしまった。
「笑うなっちゅうねん!めちゃくちゃハズいんやぞ!?」
「だって、顔に似合わずメルヘンな事してたから」
笑いながら俺は言った。
「…ロマンチックて言え!」
「その言葉も似合わんやろ!」
久々に笑いながら父と話をした。
…何故か、父の話を聞けて嬉しかったのだ。
「…でも…だからって家庭をほっとくもんか?」
「…そやな。それはホンマにすまんと思てる。
いくら、お前らの事を分かってなかったからって…コレはアカンわな」
「…まあ…謝る言葉とかいらんから…もうちょっとくらい帰ってくる回数増やせるやろ…」
俺は、また立ち上がって父には背を向けながら言った。
「そもそも、オカンの為とか言われたら…キツく言えんわ」
俺は出来るだけ聞こえないようにぼそっと呟く。
「…」
オトンはしばらく黙った後、「うっし!」と膝を叩きながら立ち上がった。
「明日は家族で出掛けるぞ!」
「…はぁ!?仕事やろ、明日!」
「大丈夫や!なんとかなる!」
「…なんとか…て…」
ムチャクチャだ。
本当にムチャクチャなバカ親父だ。
「一日中お前らと一緒にいるぞォッ!」
ムチャクチャではあるけど…不思議と嫌な感じはしなかった。
昔はこんな感じで、もう破天荒ぶりには慣れていたし、懐かしい感じがしたのだ。
「つーか、どこ行くねん…」
「任せる!」
「まかっ…。いや、1日の予定とかも決めな…」
「なんとかなる!」
「それに、仕事のスタッフとかに…」
「なんとかな…」
「ちょっとくらい頭使わんかい!!」
バカ親父のみぞおちを全力で殴る。
さすがにこれは効いたようで、よろけている。
「お…おぉぉ……と…とにかく、大丈夫やから!収録は明日やなくて明後日や!
だから、明日の夜中に向かえば間に合うから!」
「…ふーん…。まあええわ…。
とにかく、俺はまだ許したワケとちゃうからな!」
「わかってるわかってる…。そやからこそ、ちょっとずつ…な」
「…ハァー…」
思わず溜め息をつく。
やっぱりこのムチャクチャぶりは疲れる。
でも、ようやくこっちに目を向けてくれただけでも前進はしたのだろう。
…ここまでオカンの事を考えてくれてるのがまた嬉しかったりした。
「よし!そうと決まれば、早速こよみにも報告や!」
オトンは急に走り出す。
「明日は親子水入らず、いっぱい話すぞォォッ!!」
さっきと同じくらいの大声で叫ぶ。
もちろん町中に響き渡った。
「ちょっ…!このアホ!迷惑になるやろ!」
そう言って俺はバカ親父の後を全力で追った。
「あの夕陽に向かってダッシュや!誠!」
「どうみても月やろ!」
帰宅後、こよみにこの事を話すとホイッスルを吹きまくり、とても喜んでいた。
オトンと家族で出掛けるのも何年振りだろうか。
行き先はこよみの希望で隣町の有名な水族館に決まった。
【4章】おわり
【おまけ】
「お疲れ様です」
「ははっ、マジで疲れたわ。
まぁ、単純バカだからやりやすかったけどな。
あんな分かりやすい挑発に乗るなんてな」
そう言いながら、先輩はポケットから出したタバコに火を付けながら大笑いした。
グレートは、誠君を連れ戻すためにかすみ荘を飛び出していった。
色々あった…。
そして疲れた。
「そういえば、なんで誠君が殴られたって知ってたんです?
誠君と話したんですか?」
先輩は、タバコの煙を吐き捨てながら
「いや、走ってきたアイツとすれ違っただけだぞ?
…確か…すれ違ったって俺、言っただろ」
と答えた。
「すれ違った…って、それだけでわかったんですか!?」
「だって、血を流しながら青ざめた頬で泣いてるヤツを見たら、あぁ…殴られたんだなってわかるだろ?」
…いや、そこが問題なワケじゃなくて…
「じゃあ、なんで誠君がグレートに自分の思いをぶつけたってわかったんですか?」
「…あぁー…」
先輩はタバコをくわえながら、あの時の事を思い出しているのか、ぼんやりと桜の木を見つめていた。
「…思いをぶつけたなんて知らなかったけど」
「…は?」
先輩の言葉の意味がわからなかった。
「だーからー、知らなかったんだよ。んな事。
つーか、その場面の後だしな。俺が帰ってきたの」
「…えっと…つまり…?」
「勘」
きっぱりと先輩は答えた。
「勘…って…、グレートにカマをかけたって事ですか!?」
「ん?そうとも言うなぁ…」
勘だけであれだけの演技…。
肝がすわりすぎてる…。
「ってか、先輩凄いっすね!あのグレートのパンチを避けて…こう、ビュッ!ビュワッ!って!一瞬で…!」
「…ま、鍛えてるからな。毎日。
…見てろよ?」
先輩はそう言うと、舞い散る桜吹雪の中でゆっくりと構えの姿勢をとった。
そして、次の瞬間、ほぼ無音で開いたままの右手を桜吹雪の中へ突っ込んで戻した。
まさに一瞬。
先輩は、地面に落ちた桜の花びらを手に取ると俺へ見せてくれた。
その花びらは、綺麗に真っ二つに割れていた。
「…あんまり綺麗に割けなかったな。悪い悪い」
先輩はそう言うと、何事も無かったかのようにさっきと同じ場所でタバコを吸い始めた。
…綺麗じゃないとか言ってるけど、俺には真っ二つ割れているとしか見えない桜。
あの元レスラー相手に堂々と勘で攻める度胸。
向いから全速力で走ってくる相手の顔を見て、何があったか予測する洞察力。
…何者だ?この人…。
化け物…か?
ってか、花びら真っ二つとか人間業じゃない。
…本当に人間か?この人…。
ちなみに、もうじき隣で平然と喫煙中の彼の身体能力の高さをさらに知る事になるのだが…。
それはまた別のお話だ。
【4章 おまけ】おわり