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【2章】おともだち 後編




 

 

ガチャリと自室のドアノブを捻る。

 

「ただいまー」

留守番中の二人に聞こえるように大声で帰宅を知らせる。

そのまま、居間へ歩を進める。

 

「ゆずちゃーん、お土産買ってき……」

居間の襖を開け、その奥に広がる光景に思わず言葉を失う。

 

「ただい…ま…」

後に続くスケやんすらも言葉を失う。

 

居間にはお馴染みの二人が座っている。

当然ながら、一人は管理人さん。変わらない笑顔で「おかえりなさい」と言ってくれた。

そして、彼女の背に隠れるようにしてこちらの様子を伺う小さな人影。

目はパッチリ大きく、鼻や口は小さめ。

その部分はいつもと変わらない。

 

「…ゆず?」

 

「フフッ…ゆずちゃんですよ」


微笑みながら管理人さんが答えてくれる。

 

「ほら、ゆずちゃん」


管理人さんが少女の小さな抵抗を押しきり、ゆずと呼ばれる小さな女の子を目の前へ押し出す。

ゆず…?

この子はそうだ。

確かにゆずちゃんだ。

いや、にわかには信じがたい。

しかし、そこにいた少女の姿は、記憶の中の姿とは大きく…大きく異なっていた。

  

髪は綺麗に整われ、枝毛も無い。 

足元まで伸びていた髪は腰くらいの長さまでに短くなり、サラッと夜風になびいている。

服はリボンがついた、純白のワンピース。

黒ずみ、くすんでいた肌も服も先程とは違い、とても綺麗になっていた。

眉毛はふんわりと弧を描いており、その下にある瞳はビー玉のように真ん丸で輝いていた。

顔付きもどこかやわらかくなっており、先程とはまるで別人のように、普通の可愛らしい女の子になっていた。

こんなに整った顔で、瞳も大きな子だったのか。と今になって気付く事が出来る。

いったい彼女に何が起こったというのか。

 

そう、この姿が「普通の女の子」なのだ。 

街を歩けばその辺りで自然と見かける事ができるような「普通の女の子」。

その姿は、彼女が幽霊であるという事実を忘れさせる。

いや、これでいいのだろう。と思う。

幽霊であるという事実なんて常に頭に置き続ける必要はないハズだ。


そんな彼女が、じっと俺の方を見つめる。

激変した彼女の姿に呆気に取られていた俺は、その視線に気く事が出来なかった。

そんな状況を見かねた管理人さんが俺へ質問する。


「どうです?今のゆずちゃんの姿は」


その時にようやく、ゆずちゃんの期待と不安の入り混じったような複雑な目つきに気がつく。

そんなに不安そうな顔をしなくても大丈夫だよ。

微笑しながら心の中で呟く。

そして、ちゃんとゆずの方へ向きなおり、今の素直な気持ちを伝えようとする。

 

「かわっ」

「可愛えぇぇぇっっ!!!」

 

…ぅん?

 

「ちょっ…!マジで可愛いんだけど!

この、黒髪なんて、サラッサラだぜ!?

肌も随分と綺麗になって!

その上、この大きい瞳!

まるでお人形さんかっつーの!


いやぁ、わかってたんだよ。

元々可愛らしい子なんだろうなーってのはわかってたんだ。


いや、だけどまあ、しかしここまでとは…

風見、今日から俺ここに住むわ!」

 

スケやんが鼻息を荒げながら声を最大限に張り上げる。

 

「いやだよ」


「バッサリかよ!

わかったよ!じゃあ毎晩お邪魔する事にするよ!よろしくね風見くッッ…ぐッ…!」

 

スケやんの真正面にテレビのリモコンが舞い飛んで来て、彼のこめかみ辺りを貫いた。

 

「空気を読みなさい」


管理人さんは、目元を座らせながら、それ以外はいつもと変わらない笑顔で忠告する。

…笑顔なのかこれ?

 

「…スケやん。なんかドンマイ」


「…俺、こんなんばっかじゃね?」


床に頭を擦りながらスケやんは俺に問いかける。

 

「…原因はお前の態度なんじゃないかなって…」 

彼はそのまま一筋の涙を流していた。


「さあ、風見さんっ!気を取り直して!」

パンッと手を叩き、管理人さんがその場の空気を変える。

 

「えーと…。おほんっ!」


わざとらしく咳払いし、俺も気持ちを変える。

なぜか妙に緊張してしまう。

ゆずちゃんにその緊張が悟られないように表情を取り繕う。

俺は微かに笑いながら、目を細めて、


「うん。可愛いよ」


と一言優しく伝える。

スケやんの後だからなんとなくカッコつかないな…

スケやんを恨みつつ、照れ隠しに頭をガシガシ掻きながら、ゆずに目を向ける。


ゆずの顔は真っ赤に赤面し、僅かに体を震わせている。

どうやら彼女にとっては、誰が先でも関係なかったようだった。

そんな彼女の姿に思わず、口が緩まってしまう。 

 

「あ…あら?

ゆずちゃん、後ろに隠れちゃ見えないよ~。

恥ずかしいのはわかるけど…」

 

ゆずはササッと管理人さんの背に隠れてしまった。

ふぅっと管理人さんが溜め息を一つだけつき、

「でも…よかったね。ゆずちゃん?」

満面の笑みで静かにゆずに問いかける。

 

「…」

 

「………」

 

「………………」

 

しばらく、ゆずはそのまま沈黙し続け、

 

「うん」

 

と、恥ずかしそうに一言で答えた。


挿絵(By みてみん)




 

   

 

 

 

時計は大体夜の10時を指していた。

布団を部屋の端へひき、丁度横になりながらテレビを観られる位置を調節。

そのまま、二人で横に並びながらテレビを眺める。

テレビでは有名なタレントがコントで笑いをとっていた。

部屋にはテレビから流れる騒がしい笑い声が響く。

しばらく、そのまま黙ってテレビで時間を潰す。

もちろん会話は無いまま。

 

もちろん、いつも通りの話題の無さが原因ではあるが、隣で黙っている彼女の存在も関係していた。

…変わりすぎたのだ。

昨日とは全く違う外見。

まるで、別人と過ごしているような錯覚に陥る。

たびたび窓からの風に揺られる黒髪に、実は別人だったのではないかと騙されそうになる。


実は、俺とスケやんが銭湯へ行っている間に管理人さんがゆずをここまで変えてくれた。

体を丁寧に濡れタオルで拭き、髪を洗面台で何度も洗い、そのまま、ハネ放題だった髪を切り整えてくれたのだ。

髪をよく見てみると、管理人さんの腕がかなりのものだと容易に判断する事が出来る。

今は昨日と同じ、俺のトレーナーを着ているが、さっきの純白のワンピースは、かすみ荘に住む他の女の子に借りたらしい 。

 

…そういえば、まだ他の住人に会ってない。

初日にでも挨拶に行くのが礼儀なんだろうけど、そんな余裕はなかった。

今度ちゃんと挨拶に行こう。

その時にでもお礼言わなきゃなとぼんやりと考える。

出来ればこの子も連れて行きたいけど…。

部屋から出れないものなぁ。

今後の予定を立てつつなんとなく、ゆっくりとゆずちゃんの方へ目を向ける。

 

そして、彼女と目が合う。

…大きな黒い瞳。まるで、吸い込まれてしまいそうだ。

ゆずちゃんは視線も反らさずに、俺の目を見つめ続ける。

 

「なっ…なに?」

耐えきれなくなり、彼女に問う。 

 

「…」

相変わらず、少しの沈黙。

そして、ゆずちゃんはゆっくりと口を開いた。

 

「どうして…」

 

「ん?」

 

「どうして、わたしといっしょにすもうとおもったんですか?」

 

「…えっ?

だってそれは…」

 

「あのとき、こえがきこえてました」 

 

「あの時…?」

 

あの時…って、まさか…。

初めてここへ来た時の…?

外でのあの会話…?

フッと、昨日の光景が脳内によぎる。

 

…まずいじゃないか…。

 

「あのとき…。きのうの、そとでのはなしです」

 

嫌な予感は見事的中した。

どうする…。

心臓の音が早くなるのを感じる。

聞かれて都合のいい話ではない。

俺の一人暮らしの夢も、金銭的な事情だって、昨日の会話から考えれば容易にわかってしまう…。

その点だけ考えれば、彼女が邪魔な存在だと言えてしまう。

恐らく彼女は賢い子だ。

昨日の会話を聞いただけでそういう事は分かっているはずだ。

わかってるからこそ、この質問なんだ。


「どうしてですか…?」

彼女は変わらず、真っ直ぐに俺の目を見つめて問う。


どうする…?

本当の事を言うか?

…利用するためだって…?

…言えるワケないだろ…。

ウソはつきたくない。

…いや、それはあまりに贅沢かもしれないな。

ウソを言ったって仕方ないのだ。

なら、本当の事を話すしかないじゃないか。

利用するためだって…。

だが、今の彼女に言っても大丈夫なのか?


いや。

そもそも、言えるのか…?

 

…どう考えてもこの事実を告げるにはまだ早い。

なら、別の事実を。

今の彼女に伝えても大丈夫そうな事実を…。

彼女と一緒に住もうとしたのは利用するためだけじゃなかったはずだ。

だから、それを伝えればいい。

今は…それだけでいい。

もう一つの事実はまだ後でいい。

けど、安心は出来ない。

 

いずれにせよ、なんてかっこわるいんだ…俺…。


…覚悟しろ。

上手くやれよ…俺。

 

心の中で小さく気合いを入れる。 

そして、俺は話し出した。

 

「君は…昔の俺とそっくりなんだ」

 

ゆずちゃんが不思議そうに首を傾げる。 

「そっくり…?」

 

「そう。似てるんだよ。俺たち」

 

彼女はそのまま黙ってしまった。

確かに、今の俺の姿では信じてもらえないのも仕方ない。

昔の自分と今の自分の姿は全く違うものなのだから。

 

「少し、昔話をしようか」

ゆずちゃんに提案してみる。

 

「むかしばなし…。

ももたろうとか、かぐやひめとか?」

 

「ははっ、違う違う。

そんな良い話じゃないさ。

主人公が俺の昔話だよ」

 

「…かざみさんの、むかしのおはなし…?」

 

「うん。そう」

 

「…おもしろい?」

 

「それは…どうかな。

多分、楽しくはないかなぁ」

思わず苦笑いで答えてしまう。

 

「それでも…聞く?」

 

今の彼女が聞くには酷な内容かもしれない。

彼女の心情を鑑みての最終確認をとる。

…いや、違うな。

もしかしたら、彼女が「聞かない」と答えてくれるのを期待しているのだ。

その一言で、多分今日のような穏やかな日常を送る事が出来るのだから。


…いや、これも口実だな。

本当は怖いのだ。

彼女に知られる事が。

ここまで来て逃げるつもりか俺は…。


彼女は先程から同じ様に、俺の目を真っ直ぐに見つめながら

「ききます」

と答えた。 

そこに彼女の迷いは感じられなかった。

 

ははっ…。

彼女の方が立派じゃないか…。

覚悟は決めたハズだ。

逃げてても変わらない。

なら、向き合わなきゃならない。 

目の前の彼女と、過去の自分と…。

 

「えーと、俺さ、小さい頃に虐待を受けてたんだ」

 

「ぎゃくたい…?」

 

「あ、意味が分からないか。

うーん、親から暴力を受ける事…あー、えっと、辛いことをされるって事かな」

 

彼女はしばらく自分の中で言葉の整理でもしていたのだろうか。

何も言わずに黙ってうつむいていた。

 

そして、消え入りそうな声で

「…わたしといっしょだ…」

と、呟く。

 

「うん。そうなんだよ」

 

「だから、わたしとそっくり?」

 

「うん。

今の君を見ているとさ、昔の自分を見ているみたいに思えるんだ」

 

「…にているから、わたしといっしょにすもうとおもったの?」

 

「まあ、理由は色々あるんだけども。

コレが一番大きな理由かな」

 

そして俺は自分の過去をゆずに暴露し始めた。

忘れたい。

思い出したくない記憶でも、案外鮮明に覚えているモノで、次々にあの頃の自分の姿が蘇ってきた。 

 

虐待を受けていたのは父からだという事。

 

母さんはいつも俺をかばって守ってくれた事。

 

俺が、父の暴力のせいで大ケガをした事。

 

それが決め手となり、中々うまくいかなかった離婚の話が父に承諾された事。

その後、その家から出て母と一緒に住んでいた事。

そんな風に、ひとつひとつ俺の過去を全て話していった。

彼女は、その間ずっと黙って俺の目から目線を逸らさずに話を聞いてくれていた。

 

久々に思い出した。

昔の事。

俺のトラウマ。

そういえば、最近は『夢』を見る事もなくなった。

母と引っ越してからは、何年も繰り返し『夢』を見続けた。

毎晩毎晩、虐待を受けていた頃の思い出が悪夢となって蘇ってきて、その度に汗にまみれながら飛び起きていた。

最近はすっかり見る事もなくなったが、それほどに心が安定してきたのだろうか。

物思いにふけっていると、ゆずちゃんがそっと俺に質問する。

 

「…ツラかった…?」

 

「…辛かった…か」

 

昔の記憶をたどる。

 

「辛かったな…。


何をしても殴られて…。


どうしようもなくて…

 

母さんすら守ってやれなくて…。 

 

俺は…

 

あまりにも無力だった」

 

淡々と言葉を並べていく。

あの頃の悔いを言葉にして、ゆずへとぶつける。

 

「それで…」

 

そして、その言葉を遮るように体中を温かい何かに包まれる。

気付くのに少し時間がかかったが、スグにわかった。

ゆずちゃんが、ギュッと俺の頭をかかえるように抱き締めていたのだ。

俺の頭は彼女の胸元へ持っていかれる。

彼女の確かな鼓動が聞こえる。


幽霊なのに、体は温かく、鼓動までも…。

いや、死んでいるとは言え、彼女は魂だけの存在なんだと思う。

これが、彼女の生前の姿なのだろう…。

 

そんな事をぼんやりと考えていると、彼女の胸元がポタポタと濡れていくの事に気付いた。

次々に滴り落ちる雫によって、服の生地の色が濃さを増していく。

そして、気付く。

その雫は、俺の目から頬をつたい、次々に流れ落ちていたものだった。

ゆずちゃんは、この涙に気付いていたのだろう。

だからこそ、俺が彼女にしたように俺を抱きしめてくれた。

黙って抱きしめ続けてくれていた。

 

…いや、違うな。

多分、心配だったんだ…彼女は。

俺が、自分の前から去ってしまうかもしれない。と感じたのかもしれない。

 

だから、こうして抱き締める。

俺が逃げないように。

 

他人に嫌われたくないから。

もう、裏切られたくないから。

 

俺が、周りに良い顔をするのと同じ…。

…彼女が感じる恐怖は、痛い程に良くわかる。

 

そのまま時間が流れる。 

冷静に考えれば、この状態はかなり恥ずかしいのだが、俺の頭の中は、これ以上彼女に涙を見られたくない。という考えでいっぱいだった。

 

それから更に時が流れ、目から流れる雫もおさまった。

 

「ありがと…もう大丈夫だから…」

彼女の体から頭を離す。 

 

彼女はじっと俺の目を見て、

「まだ…濡れてる」

と一言もらす。

 

俺は、ハッとなりながら目に残った涙を急いで拭った。

「あー…くそ、かっこわる…」

 

そして、彼女の服へと目を向ける。

俺の涙で濡れた胸元。

…結構泣いてたんだな…俺。

その胸元が、子どもの前で泣いてしまった恥ずかしさを呼び起こし、俺を赤面させる。

やだ…恥ずかしい…

 

ふうっ、と軽く溜め息をつき、彼女へ新しい着替えを用意する。

自分のさっきの醜態を考えると、どうしてもまともに彼女の顔を見る事が出来なかった。

 

 



 

 

 

 

 

照明を消した部屋を、月は淡く照らす。

スケやんと歩いた時に見た光と同じ温かさだった。

 

「…もうねた?」

隣で横になっている、ゆずちゃんが小さな声で俺に問う。


「いや、まだ起きてるよ」 

 

ギュッと布団の中で、服の裾が握られるのがわかった。

 

そして、少し間を空けて、

「きょうは、いっしょにいてください」

と、さっきと同じトーンで呟く。

 

「え?昨日だって一緒に寝てたじゃん」

 

ゆずちゃんは小さく首を振る。 

 

「うそ。よるおそくにとなりにいなかった」


夜遅く…? 

しばらく考えて、ようやく思い出す。

 

「あぁ、そっか、あの時か。

ごめんね。昨日はこっそりと桜を見に行ってたんだ」

 

「さくら?」

 

「そ。夜桜」

 

ここへ来た時に目にした、大きなしだれ桜。

その幻想的な姿にすっかり惚れ込んでしまったのだ。 

そして昨夜、彼女が寝静まった時に、ふと思いついた。

あの桜の夜の姿を見に行こう。と。

 

「キレイですよね。あのさくら」

 

「そっか。ゆずちゃんは昔から知ってるんだったっけ?」 

 

こくんとゆずちゃんは頷く。

 

「…もういちどみたいな…」

消え入りそうな声で呟く。


「なんだ。じゃあ、今から一緒に見に行こ…」

しまった…。

急いで出かけた言葉を飲み込む。


ゆずちゃんに目を向けると予想通り、布団に軽く顔をうずめ、黙ってしまっていた。

何やってんだ…俺は。

こんな分かりきった地雷を踏むなんて…。

この子が部屋から出られない事は俺が一番分かっていたハズじゃないか。

昨日と別人のように変わってしまった彼女の姿のせいで、一番重要な気配りが出来ていなかった…。

 

そんなミスを犯してしまった自分への苛立ちから、自然と拳に力が入る。

そして、彼女への言い訳を考えるために、必死に頭をフル回転させている自分に気付く。

そんな自分へまた苛立ちが重なる。

 

…素直に謝ろう。

言い訳なんてしても仕方ない。

言い訳なんてするべきではない。

俺は彼女を傷付けたのだから。

ほんの少し間をおいて、横たわっていた上半身をゆっくりとおこす。

彼女も、そんな俺につられて上半身をおこす。

 

「…ごめん」

 

一言だけの短い謝罪。

色々言葉を考えた。

だけど、どれも彼女の心には届かない気がして。

 

そして、ゆずも一言

「うん」

と言ってくれた。

 

そして、

「風見さん」

と小さな声が聞こえた気がした。

 

…え?

聞き間違いだろうか。

彼女が俺の名前を呼んでくれたような気がする。

いや、聞き間違いなどではない。

確かに聞こえた。

あまりに聞き慣れてなかったものだから、その一言が彼女の口から出た事がスグには信じられなかった。

いや、一応今朝から呼んではくれるのだけれど…

もともと口数が少ない彼女が、俺の名を口にする事は極端に少ないのだ。


「あの…」

ゆずちゃんが困った顔でこちらを覗き込んでいるのに気付く。

 

「あ、ごめんごめん…。えっと、何の話だったっけ…」

 

「えっと…。サクラのはなし、もっとききたい…」

 

「…え?」


…わかりやすく驚いてしまった。

外の話なんて、この子にはしてはいけないと思っていたのだが。

 

「…だめ…?」

 

うっ…。

俺を覗き込む彼女の目が、上目使いにかわる。

これは流石に断る事が出来ない。

いや、断る必要もないのだ。

彼女が聞きたいと望むのだから、俺は話せばいい。

それだけの事なのに妙に緊張してしまう。

 

そういえば…昔見た絵本に、お城の中だけで育ったお姫様の話があった。

そのお姫様は、よく秘密で遊びに来る町の少年から、外の色々な話を聞き、その世界に憧れる…というもの。

そのお姫様は物語の最後に、少年と一緒に外へ出ることが出来て綺麗なハッピーエンドだった。

 

まさに、それと同じだ。

やはり、ウチのお姫様にとっても外の世界は憧れなのだろう。

その物語のように、彼女にも必ず外に出る時が訪れるハズだ。

なら、沢山話そう。

その方が、外へ出られた時にきっととても嬉しいハズだから。


「キレイだった…?」

 

「うん。キレイだった。月の光に照らされててさ、こう…なんて言うか、花びらがキラキラしてて…」

 

「…ほうせき…みたいなキラキラ?」

 

「そうだなぁ…。

うん。宝石みたいなキラキラだったかな」

 

宝石…は言い過ぎかもしれない。

でも、キラキラと輝いていたのは本当で…。

こういう話は、どうしても色を付けて話してしまう。

確かに桜はほんのり輝いていた。


その光は、宝石と言うよりも…。

そう、昨日の光に似ていた。

ゆずちゃんの鎖が砕け散った時の輝きと同じような光だった。

温かいような、見ているとホッとするような…そんな柔らかな光。

 

「みてみたいな…」

彼女が小さく呟いた。

 

「見れるさ」

優しく励ます様に、そんな彼女に言葉をかける。 

 

「ムリだよそんなの…だって、そとにでられないもん…」

 

「諦めるの?」

 

「だって…」

 

「ゆずちゃん。大丈夫だよ。

必ず出られる。俺も頑張るから。

それに、出られないって考えるよりもさ、出られるって思った方がワクワクしない?」


「ワクワク…?」

 

「そう、ワクワク」

ぽんっ、と彼女の頭に手を被せる。


「わたし…そとにでられるようになるかなぁ?」

 

「うん。絶対にね。大丈夫さ!」

 

少しだけ間を置いて、ゆずちゃんへ質問する。

せっかく話を始められたのだから、もう少し話を続けていたかったのだ。 

 

「もし、外へ出る事が出来たらさ、何したい?」 

頭をひねって、無理矢理絞り出した質問がこれ。 

流れ的には自然…なはず。

今まで、ことごとく質問をかわされてきたのだ。慎重にもなる。

 

彼女は少し考えて、

「おさんぽ…」

と小さな声で答える。

 

「おさんぽしたい」

 

お散歩…。

もっと贅沢な望みを言うと思っていた…。

 

「も、もっと贅沢でもいいんだよ?俺に出来る事なら、何でも…

ほら、遠くへ行ってみたいとか…」

 

彼女はフルフルと首を横に振り、

「とおくなくてもいいの」

 

「そ、そっか…」

思いっきり動揺してしまっている。

予想だにしない望みに、どう言葉を返していいかわからなくなってしまった。

ゆずは、そんな俺の異変に気付いたのか、俺の目を見て口を開く。


「じゃあ…もっとぜいたくでもいい?」

俺に問いかける。

 

「あ、あぁ!いいよ、何でも言ってみな」

 

「じゃあ…」

少し迷って、

 

「えっと、おさんぽ、いっしょにいきたい」

 

「…え…?」

 

これがこの子にとっての贅沢な願い?

俺と散歩へ行く事が?

これがこの子の夢?

これくらいの歳の子なら、オモチャが欲しいとか、服が欲しいとか…。

普通なら、そういう願いだろうに。

それなのに、こんなささやかな願い。

普通なら、当たり前に出来てしまう事が、この子の願い…。

 

なんて…。

なんて悲しい…。

 

いや、違う。悲しいという感情はおかしいのかもしれない。

こんなささやかな内容でも、この子は真剣に願っている。

それなら俺は…。

 

俺は変わりたい。

今の自分が嫌いだから。

本当の自分を知りたいから。

そんな俺が選んだのが、この子を利用するという道。

俺は、この子の願いを叶えてやらなければならない。

それは、この子を利用する俺の贖罪…みたいなものだ。

なんて自分勝手な考え方だろう。

それでも…叶えてやる。

そんなささやかな願いだけじゃない。


なんだって。

なんだって叶えてやる。


「あっ」

ゆずちゃんが小さく声をあげる。


「また…ないてるー」

そして、可笑しそうに笑う。

 

「…えっ?あっ…」


いつの間にか、また俺の目からは涙が溢れていた。

こんなに小さな女の子の前で泣く事になるとは…。

力強く涙を拭って、彼女の頬に手を添える。

 

「着いていくよ。


何処へだって」

 

「うん」

ゆずはさっきの笑顔のまま、一言で答える。

 

「何処へだって連れていってやる」

 

「うん」

 

「色んな物も食べさせてやる」

 

「うん」

 

「色んな場所も見せてやる」

 

「うん」

 

何度このやり取りを続けただろう。

しばらくたって、俺は相変わらずの涙目で彼女の両肩を掴む。

 

そして、


「俺…頑張るからさ…。


絶対、一緒にお散歩へ行こう」


彼女の目を見て、想いを伝える。

 

「うん」

彼女は優しい穏やかな笑顔で、答えてくれる。

 

驚く程に自然に言葉が出てきた。

彼女の事を心の底から思って想いを伝えた。

これが、本心だったとしたら、俺もほんの少しだけ変わってきているのかもしれない。

 

お互い、なりたい自分に変われるのかな…?

 

 

……頑張ろう。



 

彼女のために



 

自分のために



 

そして、二人で並んで青空の下を歩けるように。

 

 

【2章】おわり


 

 

 

 

 

 

 


 


 

 

 




 



 


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