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ヒュプノスの嗜癖

作者: 菱垣 宗次

ヒュプノスの嗜癖



「夢、ですか……」


 内容について詳しく話すよう先生は促した。男にとってこの手の病院は初めてという訳ではなかったし、医者は棚の上にある綺麗に並んだファイルの中に似たようなのがたくさんいるけどね、といった風をなるべく見せないように様子を見守る。

 慣れたやりとりだった。


「高橋さん」


 急かすように医者は言葉を投げた。それでいて口ぶりには徐々に、ああ、こいつは薬だけ欲しいのだな。といった疑いめいたものが含まれていることを患者は知っている。一度総合病院で診察を受けた時に、薬の名前を指定したことがあった。しかし、それを出してくれと言われて処方したら、医者がいる意味がなくなってしまうと言われてしまったのである。

 杉浦と書かれた薄い青色がかったネームプレートが、冷ややかな印象にぴったりだと病院に足を運ぶ度に彼は思った。日頃、担当医を問われる機会があっても、処方箋に書かれている名前を確認しなければならないほどに医者の名前を覚えていない。病気を治すために通っているという自覚が彼には致命的に足りておらず、そのために病状を悪化させていた。


「夢を見るのは必ずという訳ではありませんから断言はできませんが、夢であるという自覚を持って見る夢はそうであることが多かったように思います」


 高橋は尋問されている気持ちになりながら、頭の中から言葉をみつけようとそれにつながる単語をひと掴みずつ、より分けている。小さなストレスだ。それを感じるようになってからはどこか他人事のようにこの受け答えができるようになった。

 小学3年生のころ大河原という大きな子供に目をつけられ、いじめという程ではないが、授業中、逃げ場のない空間で嫌がらせを受けたことがある。先生は見て見ぬふりをした。杉浦医師は、あの先生に少し似ているな、と思う。そんな小さなことすら思い出していた。記憶力にはまったく自信が無いというのに皮肉なものだった。

 懺悔とかそういうのに似ている、と高橋は密かに思った。厳密に言えば告解というらしいそのやりとりは高橋にとってはどこか神聖だった。


 先生が思う通り、薬さえ受け取れれば良かったのだ。安全なルートで、誰かに見守られながら。医者ならばいくつか知っていた。たらい回しになりながら身に付けた、彼なりの心の持ちようというのがあって、それもまたよくなかったのである。


「そういった症例は珍しくありませんが、入院もご検討された方がいいと思います」


 他を当たるように言っているのだろうな。彼はいつものようにそう思うことにしていたが、面倒くささがそれを上回っていた。


「それ以外は問題ありません」


 質問と答えは一致しない。そもそも聞かれてどこが悪いと言えるなら、医者はいらないというのが彼の自論だった。デスクの上に配置されたモヤモヤと上下に液体の動くデジタル液晶のついた砂時計がやけに陽気に思えた。



「心療内科に行ったら……」


 一つ下の後輩、木ノ下さんが提案した。


 その時は半信半疑だったものの、後日、年をまたいでまで病院に通うことになろうとは思いもしていない。

木ノ下さんは誰かに似てると思っていた。それは夜の九時くらいにテレビをつけると映っている女優のようだったかも知れないし、週刊誌に噂されるようなアイドルのようだったかもしれない。

 他人からすれば、どちらでもなかったが、高橋の目には少なからずそう映っていた。誰かに似ている人というのは精神的にどこか安心して、憧れに似た感情を持ってきたりする。

 高橋は木ノ下さんが好きだった。


「うつ病ですね」


 初診の長い問答の後、先生はそう告げた。このときは杉浦医師とは別の年配の先生だった。名前は覚えていない。軽い心労も、重いパラノイアも大体うつ病と診断される。

 彼が杉浦に何を言ったかといえば、掻い摘むとこうだった。


 予知夢をみる。


 予知夢。と杉浦医師はカルテにヒモのような文字で書き留めていた。後で見返すとは思えない文字列が、綺麗にファイリングされて机の上の観葉植物と一緒に棚に並ぶ。詳しい話はしたくないなと思う。仕事がどうとか、心労がどうとか関係なく、高橋は昔から予知夢とやらをみていた。

 彼の言う、


「感覚がハッキリした、夢だと自覚出来る夢」


 というのがそれだった。ゾンビが出てこようが、幽霊や宇宙人が登場しようが、ああ夢だなと思うのは、その時なのだ。彼の場合この予知夢というやつが一方的に上映されるわけではなく、夢だな、と思ったところからスタートするというのが少しだけ変わっていた。

 決まっていることは未来の日付で目が覚めるということ。夢の中では自由に行動出来るということ。この二つ。


 自由にと言っても、手持ちの金で行ける所や出来ることしか出来ない。財布の中身のみ。ATMは画面がプリクラになっていたり、YouTubeになってたりして使えない。その時のコンビニ店員はゾンビだったけど、接客態度は問題なかった。

 夢の中だとわかれば強盗でもなんでもすればいいと思うが、夢だとわかっていてそんなことをするようになるものだろうか。盗んで手に入れた金も子供銀行のものだったことがあった。無駄だとわかるとなんとなくそれに慣れてしまう。


 幼い頃、夢の中でまずやったのは小さな犯罪、万引きだ。犯行後、数カ月経ってから、駄菓子屋で見かけた当たりもしないクジの景品が、大掃除の時に机の奥からその日の日付の新聞紙にくるまれて出てきた時にはもう二度としないと誓ったものだった。あれはなんだったのだろう。

 夢は夢でしかないと思ったのはここまでだった。彼の見る夢はやはり現実の延長線上にある。未来を読むことが出来る一方で、望みをゆがんだ形で叶えてしまうこともあるようだった。

 次にやってみたのは新聞やテレビを見ること。それにインターネット検索だ。これは調べようと思えば可能な限りどこまでも見ることが出来た。大きなニュース、事件事故。まずこの夢で確認したものは絶対と言っていいほど現実に起こる。ただ、やはり起きてしまうことは回避出来ない。宝くじやギャンブルも同じだった。当選番号がわかるようにはなっても、自分でそれを引き当てることはできない。


 高橋は杉浦医者に正直に告白した。その結果、鬱病の診断のあと入院を勧められることになる。



 木之下さんの話をしよう。彼女は高橋が距離を詰めることを嫌がった。そういう感情はないと行動で示したのかもしれないし、仕事場の人間と付き合う気がなかっただけかもしれない。しかし、高橋が不眠症気味だと言うと、彼を散歩に連れ出したことが一度だけあった。

 木ノ下さんは優しい。

 待ち合わせの駅は都内とは思えないような落ち着きがあって、踏切をこえないと逆方向のプラットホームには行けないような、こじんまりした場所だった。


「お待たせしました」


 高橋はちょうどの時間くらいに到着したつもりだったが、先に着いていた年下の彼女に対し敬語になっていた。思えば社外で会うってのがなかなか新鮮で、少しだけ舞い上がっていたのを見抜かれないようにしたつもりだったが、どうしても馬鹿っぽいなと彼は思った。


「小さな駅でしょ」


 どうだ、と言いたげに木ノ下さんは言う。


「確かに」


 高橋は大袈裟なリアクションを期待されてない時には大体、確かになどと言う。あとは、なるほどとか、そうですねとか、相槌のレパートリーは多いとは言えない。間を繋ぐような会話が特に苦手だった彼はなるべくかっこ悪いところを見せないように取り繕うが、それが逆効果で、傍から見ると、傷口でも眺めているような気分になってくる。


「暑いから行こう」


 木ノ下さんには目的地があるようだった。何も聞かされていないと高橋は思うが、ちょっとだけ浮き足立った気持ちを楽しんでいた。

 駅を出て少し進むと地形が変わり、歩くのに苦労するような傾斜がある地形が続いた。坂の街というのが高橋は好きだった。特に真夏の澄んだ青空を坂の下から見上げるのが好きで、そびえ立つ入道雲をそのまま駆け上がりたい気持ちで胸がいっぱいになるのだった。

 道すがら、二、三なんでもない会話をした後、なんとなくその場の雰囲気で聞きましたという感じで木之下さんは


「それで、何があったの」


 と始める。何かをしながら何かをするというのが高橋はとても難しいことだと思っていた。この場合歩きながら話す、というところが難しいと考えており、話すなら座りながらがいいと彼は思う。しかし、立とうが腰かけようがそんなこと変わりはしないのである。とんだ思い込みだった。単に彼はアウトプットが苦手なだけで。ながら行動が苦手というのは、言い訳に過ぎなかったのだ。


「うん、まぁ」


 と言って、空中を眺めている。実のところ不眠症というのは正確じゃなかった。医者に話す時は至って正直に話すが、薬さえ貰えればそれでいい。


 最近始まったように話したので、木ノ下さんは何かあったと思ったのだろう。心配してくれたのだ。その気持ちを利用してこのデートに漕ぎ着けたようで、後ろめたい気持ちが言葉にも強く表れていた。ところが、どこかに出掛けたいとは思っても言葉を交わすのは苦手で、大体そういう関係は続かないのだった。

 目的地周辺は川の流れる木陰だったこともあり、体感気温的には周りと比べると少しだけ下がっているように感じた。

 話せない理由はそれだけではなかった。


 涼しいけれど、ヤブカの多いこの場所は話すのに適しているだろうか、と高橋は思う。小川の両端は朱色に塗られたアスファルトで作られており、街路樹の木陰が階段を挟んでテニスコートのある公園へと続いている。その公園のベンチに二人で腰掛ける。



 ほんの数日前、三年後の夢を見た。いつものパターンで見る夢だ。


 日付も覚えている。目が覚めたのは職場で、確か火曜日だった。十九時になる手前だったから、日報を残して上がろうと思う時間帯だ。三年後の自分が何を書いているか覗いてやろうと、メールボックスを開く。なんのことやらさっぱりわからないが、相変わらず、うだつの上がらない仕事内容だった。

 木ノ下さんの机はパーテーションを挟んだ向かい側の席で、ちょうどモニターの裏側にある座席になる。ブースは静かだった。休みなのかと思い、顔を上げるも座席は空だった。それだけではない。荷物一式が丸々ない。座席移動でもしたのだろうかと、同じブースにいた山名さんに尋ねると。怪訝な顔をされた。


「葬式は済んだって話だっただろ、座席移動じゃなくて親御さんに返したんだよ」


 三年後の八月十二日だったから、その日より前の日付で彼女は死んでしまうことになる。

山名さんは続けた。


「脳血管疾患ってやつらしいけど、そういうの聞ける雰囲気じゃなくてな……先週末までは仕事してたからさ」


 親御さんは泣き崩れていたという話だった。

 他社は盆休みに入ろうという八月の半ば、ウチは取引先と仕事の区切りがきっちりとつかない時は、休み返上で仕事にかかる。毎年の事なので当たり前のようになっていた。


 最近は眠れないのではなく、薬を煽って普段よりよく寝るようになった。その日は結局、木ノ下さんの家族の話を聞いたくらいで何も話せなかったのだ。何も打ち明けられなかった。



 初めて、夢の内容を変更できないだろうかと思い始めていた。けれど、それはおそらく不可能だ。予期せず人は死んでしまうことがある。交通事故なんかだったら事前に何とかすることが出来たかもしれない。大体、脳血管疾患ってなんだ。脳梗塞とか脳溢血みたいなことだろうか。

 いくらなんでも突然いなくなるなんてのは、どうしたって納得できるものじゃない。高橋は試してみたことがなかった。未来予知した出来事を未然に防げるのかどうか。考えてみると虫の知らせとかそういうのに似ていなくもない。大きく分けるとあれも未来予知に分類されるのだろう。高橋のそれはずいぶん前からわかる、虫の知らせだった。彼が予知夢と思ったそれは、実のところ未来予知とは少し違っていたが、それを知るのは、かなり後になってからのことである。


 やはり本人にきちんと打ち明けよう。信じてもらおう。予防手段があるならばすべて試すことにしよう。そう決めた後は自分の力で情報を出来る限り集めようと思った。木ノ下さんの死を防いでみせる。と彼は仕事でも見せたことのない熱を上げていた。

 

 外でも言えなかったのに、会社でその機会があるだろうか。しかしメールなどでサラリと言うことではない。あなたは三年後に死んでしまいます、なんて。


 昼休み木ノ下さんは他の同僚達と外に食事に出かける。そのタイミングでどこか話の出来るところへ移動できるように話を切り出そう。そう思った。木ノ下さんはこの時期、日に焼けないように日傘をさしている。


「お疲れ様です……」


 高橋はまた敬語になっていた。かしこまった時にはとりあえず敬語になる癖がある。その傘のフチを持ち上げるようにして、木之下さんは


「なに?」


 不機嫌そうに彼女は言った。


「話したいことがあるから、今日は飯、一緒に行ってほしいんだ」


 と高橋は続けた。人の命がかかっているとなると、結構色んなことが出来るものだと、本人も不思議に思っていた。


「みんな一緒でもいいの……」


 彼女はあからさまに面倒臭そうだった。


「いや、二人で」


 彼女はいつものパターンが崩されることをとにかく嫌うタイプだと思った。まさに今のこの瞬間だ。とは言っても、このタイミングがベストなのだ。それに信用してもらうには二人で話すしかない。どんなに警戒されようが、今日は今起きていること、これから起きてしまうことを信じてもらわないといけない。


「後でじゃダメなん……」


 後でもなんでも構わない。今日のうちであれば問題ないだろうと思って、引き下がることにした。


「じゃあ帰りでいいよ。その頃また声かけるから」


 仕事には全く身が入らなかった。まるで死刑宣告をするようなこの告白は、今までのどんな会議やスピーチよりも緊張する。この行動を含めた未来があの三年後なのだろうか。ふと高橋は考えたが、あのあと三年後以降の夢を見ていない。同じ条件さえ重ならなければ同じ結果にはならないだろうと気持ちを整える。


 その日は午後七時には上がることにした。残業をせずに早めに上がる。日ごろから残業しない高橋と違い、木ノ下さんはいつも遅くまで残っている人だけれど、今日は特別に早上がりだ。相手の都合などお構い無し。


「お疲れ様」


 そう言うと木ノ下さんはパーテーションの裏からピョコリと顔を出した。


「もうちょい待って」


 と言った。キリのいいところまで仕事を進めたいのだろう。後ろで腕を組んで待っていられるのも嫌だろうと、彼はエレベーターホールで待つことにした。


 五分もまたず、木ノ下さんはやってきた。昼間はあまり気にしなかったが、肩にゴールドの刺繍が入ったモカカラーのチュニックと黒いクロップドパンツ、編み上げのサンダルといった格好。黒いハットが小柄な彼女には少し大きく見えた。帆布素材のバッグが夏らしくていいなと彼は思う。


「どこ行くの」


 と彼女は聞く。不思議と昼間の気だるい感じはあまり感じない。まあ落ち着いて話せればどこでもよくて、重要なのは信用してもらうことだ。いい店過ぎても悪すぎてもアレなので、間仕切りのないイタリアンバルにした。駅前の地下一階。遠慮のない木製のテーブルが、どかっと真ん中に居座っていて、気取った感じがないのが好印象。席の混み具合はまずまずと言ったところだ。アルコールには頼らない。食事はラグーソースのパスタとボンゴレ。料理を待って、重要な話ってやつの内容を打ち明けることにした。


「馬鹿な話だと思われるかもしれないけど、聞いて欲しい」


 彼がそう言うと


「ふーん」


 と言った感じで彼女はあさりを一つ口に入れる。高橋はソースのかかっていないパスタをフォークとスプーンで巻き取り続けて言った。


「今から話すのは夢の話で、そんなのどうしたって思うかもしれないけどちゃんと聞いて欲しい」


 と念を押した。


「俺は小さい頃から何度か見てしまう夢があって、それはどうやら予知夢ってやつみたいなんだけど」


 とかなり大雑把に伝えた。木ノ下さんは


「うんうん」


 と聞いている。


「三年後の八月十二日から数日前に、君は脳血管疾患で死んでしまう」


 とそこまで話したところで、彼女は少し笑い始めた。


「不思議な壺なら買わないけど」


 やっぱりそう思われるか。と高橋は想定していた通りだと自分を落ち着かせた。


「いや、壺とか石とか売らないって。この話を人にしたのは初めてで、かなりの高確率で君は三年後死んでしまうの。だからそれをどうやって防ぐかって考えて、まずは本人に話しておこうと決めたんだよ」


 と半ばやけくそのように、それでいて一生懸命に彼女に伝えた。


「ふーんそっか。ありがと。でも、脳疾患って防げるもんなん」


 たしかにその通りだ。交通事故でもない限り、具体性のある防ぎ方がないのかもしれない。


「うん。それは思うけど、まずは精密検査を受けて欲しいんだ。脳CTとMRI」


 ここまではとりあえず出来ることを伝えた。その結果を教えて欲しいとも。


「MRIね。うん、なんかおおごとだね。夢を見たぐらいでさ」


 百パーセント信用されても困るが、検査を受けてくれないのはもっと困る。死んで欲しくない。


「信用するのは難しいと思うけど、これから先、定期的に脳の精密検査をして欲しいと思ってる」


「定期的にって、どのくらい」


「そうだな……二ヶ月に一回くらいは見て欲しい。まずは最初の結果が出たら教えて」


「ええ……それは面倒だな。大体夢を見たからって、本当に起こるとは限らないよ。何を根拠にその自信を持って言える訳」


 全くもってその通りだ。でも、言い返さないと目の前の彼女は死ぬ。


「百パーセントの根拠はないよ。ただ身近な人が死ぬとわかっていて防げないのは嫌だ」


「そう。失礼だけど、前にさ、病院行った方がいいって言ったの覚えてる」


「覚えてるよ。病院には行ったし、今も通ってる。薬も飲んでるよ。言うこと聞いた。今度はそっちの番じゃないの」


 過去の話を引き合いに出して来たのでムキになって、それを材料に相手を説得にかかる。まるで子供の喧嘩みたいになってきた。


「ふぅん。じゃあわかったよ。精密検査を受けることにするけど、そんな頻繁には受けないと思うよ。二ヶ月に一回とかやり過ぎだって……」


「確かにそうかもだけど、前期症状とかさ、あるならそこを押さえて阻止したいんだよね」


「わかった、わかった。そんなに言うなら行くからさ。その夢ってやつもどんなのがあるか教えてくれるかな」


 彼女もヤケになったようだ。この様子なら病院に行ってくれるだろう。まずは第一段階クリアといったところか。


「夢の話とかあまり人が興味示すようなもんでもなさそうだけどね。どうしたの急に」


「いやさ。そんなんほんとに見られるなら、もっと自分が得するように使ったらいいんじゃんと思って」


「それはそうだけど……現実と繋がっている夢の中であまり大それたことが出来ないってのが正直なところだよ」


「いや、犯罪やれっていう訳じゃないよ。例えば株とかさ、やろうと思えば色々できそうじゃん」


 確かにその通りではあったが、そういう要領が絶望的に悪いのが高橋の良いところだった。


「株なんかやらないよ。人助けにしか使わないことにしてる。」


 大嘘だった。


 その日はその後何日の何時に精密検査を受けることにするか決めて、紙に書き出してもらってから帰り支度をはじめた。



 実のところ、人が死ぬ夢はそんなに珍しくなかった。大事故、大事件。病気や怪我。毎日どこかで誰かが泣いている。 幼い頃は死ぬことが怖くて、眠るのもそれに似ていると思った。

 寝不足な子供。

 死ぬってのは真っ暗なイメージがあった。感覚だけはハッキリしているのに、そこから出られないようなそんな恐怖で頭がいっぱいだった。実際眠れば、例の夢を見るわけで、決して大げさなことではない。

 彼が初めて自由意思のある夢を見ることになったのは三歳の時のことだ。大きな航空事故があって、その数ヶ月前に幼少期の高橋は夢を見る。夢の中で、テレビはそのニュースで持ち切りだった。大人が大騒ぎして釘付けになって見入っているその様子は、幼心にも、とても不吉なものに映っていた。その頃、夢と現実の境目などわからなかったし、そうした事故が起きる前にわかったからと言ってどうこうできるものでもなかった。目が覚めると彼は泣いてばかりいて、実際に事故が起きるまでには忘れている。しかし、今となっては八月になると必ず思い出すのだ。それが八月十二日だったと気がつくのは、これもかなり後になってからのこと。


 それが最初に見た特別な夢になった。人が多勢死ぬ夢だ。


 自由意思で見る夢なのだから、何の夢、ということもないが、強く印象に残ったことを彼は日記に記した。 高校二年から大学二年の八月十二日までその日記は続くことになる。この日は彼個人にとっても特別な日になってしまう。


 父親の命日。


 彼はそれについても記録している。高校3年の春に、夢の中で目が覚めるとそこは病室だった。

 個室の病室は、それだけでただ事ではないのが見て取れた。彼の母親はすんすんと泣いていて、弟は明かりの灯らない給湯室にいた。自分の見下ろすベッドは、人が横になっているにしては薄く、顔を見るまでは事の重大さがわからない。


 父だった。


 彼の父は鉄道員だった。幼い頃はよく海や山などに連れていってもらったものだったが、歳を重ねるごとに会話は減っていき、思春期を迎える頃には全くなくなっていた。病を告げられたのはその一年前。

 何を口にしても戻してしまうようになった彼は、すぐさま検査を受けた。結果、食道に癌があることが見つかる。家族に打ち明けられたのは夕食をとろうという時だった。普段話さない父が自分から何かを言い出すのは初めてに近くて、異様だった。怒ると何もかもひっくり返して当り散らした父がまさか死ぬなんて思わない。誰だってそうだ。自分の身に起きなければ、実感出来ない事は多い。


 結局、十七時間の大手術を行い、癌細胞と声帯を切除した高橋の父は本当に話せなくなった。切除したとはいえ、癌細胞は大きな血管の側に出来ると身体を巡るようになる。つまり転移したってことだ。


 癌センターって場所は、病院の中でも特殊だと彼は思う。節電のためだと思うが、ひとけのないロビーは非常灯を除いて全て消されている。西日が差し込んでアスファルトが眩しいくらいに照り返していたが、ロビーは夜の海みたいに暗く静かで、地獄の入口みたいだと彼は思う。


 それからの高橋の父はおしゃべりだった。売店で買ってきたホワイトボードは時折ぶん投げられて歪んでいた。癇癪持ちの父らしい、と普段なら嫌気がさすようなことを不思議と喜んだりもした。一瞬でも父が元気を取り戻したようで安心しかけたからだ。

 高橋の母が知らないことがある。こっそりと彼にだけ見せた文字。


「母さんを頼む」


 高橋は夢の通りにならないよう最善を尽くした。しかし、癌は発見された時には既に末期の症状で、どうにもならないところまで来ていた。事前にわかっても家族の一人も救えないとは、なんと残酷な事か。


 そういうことがあった経緯で彼は身近な人の死に過敏だった。もしかすると予知夢も筋肉のように成長して改善の余地を与えてくれるのではないか。とも思っていた。それもかなりポジティブに考えての事だったから、三年という時間は果たして十分と言えるかどうか自信を持てなかった。


 それで思いついたのが薬に頼るということだった。コツを掴んで、夢をコントロールしようとしたのである。ドーピングだった。発想が危なくなってきた、というのを彼は自覚していた。これじゃ誰が死にかけているかわかったもんじゃない。それでも目の前のことしか考えられない、一つに集中したら二つは考えられないのが彼だった。


 しかし、薬による睡眠というのは不思議でいつもとは違った感覚だった。いつものあの夢を最近は全く見ない。



 木ノ下さんは半年に一回は精密検査を受けてくれている。それでも足りないような気がしていた。


 もうあれから二年と半年が過ぎようとしている。

 その日は久しぶりに夢を見た。


 畑の真ん中につったっている。

 辺りはすっかり夕暮れで、自分の影が気持ちのいいほどに勢いよく伸びていく。半袖に麦わら帽子、薄い青色ののステテコをはいて、腹巻きは忘れない。泥に汚れた手のひらはシワシワで、しばらく眺めてから腰を叩いた。


「熱中症気をつけろっていうのは、いつもアンタでしょうが」


 振り返ると年老いた木ノ下さんが水筒をさげて、向こうの方からずんずんとやってくる。


「ばあさん無理すんじゃねぇよ」


 思わず顔がほころぶ高橋だった。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 文章が読みやすく感じました。また、わたしとしては最後の予知夢が本当になるといいなと思います。 [気になる点] もう少し木ノ下さんとの恋愛があってもいいかなと思います。 [一言] 予知夢とは…
2015/08/11 09:27 退会済み
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