二言目 孤独な英雄と役立たずの魔法使い
――傷だらけの彼女を抱き締めて、あたしはぽろぽろと涙を流す。彼女と出会えたことの嬉し涙と、ぼろぼろの彼女を見たことによる悲しい涙。彼女もまた泣いていた。
「頑張ってたんだね、凄い偉いよ、つらかったよね」
あたしのその言葉を聞いて、ますます泣きじゃくる彼女を抱き締める力を微かに強くして、そっと優しく彼女の頭を撫でた後、かつては白魚のようだった、今は絆創膏だらけのその手を優しく握る。「痛いよね、泣いていいんだよ」と声をかけると、彼女の嗚咽は増していった。大声をあげて泣く彼女を、あたしは何も言わずにただ優しく抱き締める。泣きたい時はとことん泣けばいいの、そしたら気が済んで、凄くすっきりするから。――今まで辛いのを隠し通して来たんだね、どんな痛みにも耐えて頑張ってきたんだね。きみはあたしなんかと違って、最後まで頑張ろうと努力してるとても偉い子なんだ。
「あのね、ユウキちゃん、わたしね」
泣きじゃくりながら彼女は必死に言葉を紡ぐ。
「魔法使いに、なれなかった」
そう言い終えたと同時に、彼女はまた声が枯れるほど大きく泣き喚いた。あたし達以外誰も居ないこの湖のほとり。顔を真っ赤にして泣きはらした少女が二人、湖の水面に映る。
頑張ってきたんだから、それでいいよ。なんて言葉はかけることが出来なかった。彼女が遠い遠い昔から目指してきた夢。それを叶えることが出来なかったというのに、そんな言葉を投げかけるなんて、あたしには無理だ。もしあたしがヒーローになれなかった時にそんなことを言われたら、もう誰とも顔を合わせたくなくなる。その言葉は、一見優しいように見えて、人を深く傷つける言葉なんだ。
あたしが何も言えないでいると、彼女は続けた。
「結局わたし、出来損ないだった――お兄ちゃんの為に頑張ってたのに、お兄ちゃんはどこか行っちゃったし、別のお兄ちゃん二人はわたしを庇って死んじゃって、お姉ちゃんは魔法すら使えないわたしに飽きて家を出たっきりなの」
重い言葉が、あたしを貫こうとする。違う、きみのせいじゃない。きみはなんにも悪くない。誰も、なんにも悪くない。
「あの場所……わたしたちの故郷が襲われた時ね、わたし魔法使って頑張って戦ったの。それでも、だめだった。わたしには魔力なんて無いんだ、って思い知らされたの」
そうか、故郷は襲われて、それであんな風になってしまったんだ。全て風化して荒野のようになってしまったのは、それが原因なのか。
彼女の泣きじゃくる声は次第に落ち着いて行く。話していて、心が落ち着いてきたのかな。それだといいんだけれど。
「でもね、わたしは魔力の欠片もないくせに、使えちゃいけない呪文が使えたみたいでね。それが滅びの呪文だって知って」
それで、まさか。
「お兄ちゃん達がわたしのことを庇って殺されちゃった時にね、もうどうしようもなくなって、お姉ちゃんに教えてもらった唯一の、その呪文を唱えたの、そしたら」
聞きたくない。
あれは、きみがやったことだったのか。
でも、それなら、それでも構わないとあたしは言えると思う。きみには盲目なんだ、あたしは。
「全部、滅んじゃった。故郷を襲って来た人達も、故郷の人も、みんな。故郷で生き残ったのは、ユウキちゃんと、わたしと、ユウキちゃんのお母さんと、お姉ちゃんだけ」
人形のガラス玉のように綺麗で大きな碧色の瞳いっぱいに、大粒の涙が浮かぶ。
ああ、なかないで。
「ごめんね、ほんとにごめんね、わたしのせいで、みんな、みんな」
ぽろぽろと、ひとつひとつ、飴玉のように大きな涙が彼女の服を濡らす。
その大粒の涙を指で救って、あたしは微笑みながら言った。
「いいの。きみがしたことなら、あたしはなんでも赦すよ。きみがどんな罪を背負っていようと、あたしは全部、赦すよ」
そう言い終えると、あたしは彼女を抱き締めた。また彼女は泣き始めて、いつこの子の涙は枯れるんだろうか、なんて考えながら彼女の頭を撫でて。月は沈み、もう空は明るくなり始めていた。
「あたしが元気になれる魔法の言葉、教えてあげる」
それは、お母さんが教えてくれた、とても不思議な言葉。
「uretisia! ……わかる?」
「……! うん、わかるよ! ――ありがと、ユウキちゃん!」
先程まで泣いていた顔は、太陽のように明るく眩い笑みを浮かべていた。そう、その笑っているきみが見たかったんだ。
お母さんの教えてくれたこの言葉はもしかしたら、人を幸せにする呪文なのかもしれない。
「ね、このまま二人でどこか行かない? たとえば、旅とか」
「うん、わたしも行きたい! ユウキちゃんとなら、どこに行っても楽しそうだもん」
「それじゃ、今から行こうか――きみを泣かせた世界を、否定しにでも」
立ち上がり、湖の畔から移動して夜明けの道を、二人で歩く。泣きはらしたぼろぼろの少女二人、朝日に照らされながら――――。