9話:ダイエットってなかなか上手くいかないものです。
3月3日、ひな祭り。ブログに自分の体重とか、ダイエットの進み具合を書き始めてから、5日目。
女の子のお祭りだけど、もう最近は全く何もしなくなってしまって、ちょっとさびしい。
はぁあ……おなかすいたあ。ひな祭りと言ったら、おこしものにひなあられ、甘酒なんかもあるのに、なんであたしの目の前にそんな食べ物が何もないんだろう。
目の前にあるのはパソコンのモニタと、事務手続きに必要な書類が山積みになっているだけ。
うぅう……なんだか書類がサンドイッチに見えてきたあ。
「おーい、大丈夫か?」
あたしの上司の山崎さんが声をかけてきた。
「あ、はい。大丈夫ですよ?」
「そうかあ? 全然大丈夫そうに見えないけどな。さっきから全然書類が減ってないよ?」
……あれ? もしかして、手を動かしてなかったかなあ? ふと気が付いたら、あたしのパソコンのモニタの画面、『おこしものの作り方』『グルメ特集! 石川にカニを食べに行こう』『三重県浦村の牡蠣食べ放題』等々。そんなページばっかりが開かれている。
あぶなかったあ。こんなページ見られちゃったら大目玉だよお。
はぁ……とため息をついて、ページを閉じ、山積みになった書類に手を付け始める。一生懸命やろうと思うけど、なかなか減っていかない。
ううう、おなかがすくと、集中力も持たないよお。
「鈴木、どした? ホントに大丈夫か?」
「だ、大丈夫ですよお。元気元気!」
無理やりガッツポーズを作って、山崎さんに笑顔を振りまいた。
「そんな苦笑いみたいな顔見せられてもなあ。うん、それじゃ今日も行くか?」
そういって、おちょこを持って、くいっと飲む仕草をする山崎さん。
「すみません、今日はちょっと遠慮させていただこうかなあ……なんて」
「ん? 今日は何かあったの? 彼氏でもできた?」
いえ、別に何も予定はないですけど……彼氏もずっといないですけど……そんなこと聞かないで下さいよお。
「えっと……じつは、ダイエットをしようと思ってまして、その真っ最中なんですよお」
「ダイエットお? 鈴木があ? 昨日のお昼も、でっかいチキンカツ食べてたのに?」
うう……だっておなかがすいたんだもん。しょうがないじゃないですかあ。
「うん。それなら、かるーく一杯行こう。ゆっくり飲もう。それなら気にしなくても平気じゃないか?」
えっと……山崎さん、ダイエットには、お酒が一番の敵って聞いてるんですよお。ビール一杯500キロカロリーって言うじゃないですか。
「ビールでも酎ハイでも、お酒を飲むだけならそんなに太らないんだぞ」
「そんな訳ないじゃないですか。現にあたし、太りましたし。就職してから10キロ以上太っちゃったんですよお?」
「ん? そうなのか? 全然気づかなかったな」
ずっと一緒にいると気づかないものですから。けど、事実なんですよ。
「まあ、かるーく一杯くらい、いいじゃんいいじゃん。『めおとざけ』あたりにかるーくくいっといこうよくいっと。ダイエットは楽しくやらないと、長続きしないぞ」
めおとざけって言うのは夫婦で経営している居酒屋さんで、あたしたちの馴染みのお店の一つ。
そこで出されるお刺身が絶品で、ついつい箸が止まらなくなっちゃうところ。
「……でも、やっぱり今日はやめとこうかなあって」
「そっかあ、残念だなあ。それじゃ『やまもと』にいこっか」
……『やまもと』って普通に立ち飲み屋さんじゃないですか。結局行かせようとしてますよお。
「それじゃ、ちょっとだけご一緒させてもらいます」
「さっすが! それでこそ鈴木みさき!」
全然褒められた気がしないです。
「あ、そうだそうだ! ダイエットするんだったら、今度鈴木もテニスに来なよ。食べないダイエットより、運動するダイエットの方が健康にいいよ」
「え? で、でもあたし、テニスは完全に初心者ですし、運動も音痴ですし」
と、というか前にあたし断ったような気がするんですが……。
「気にしない気にしない。最近新しい子が入ってきたんだけど、その子も初心者だから。今ならその子と一緒に教えられるし。タイミング的にはばっちりだよ」
「え、えと……」
「土曜日って普段は予定あんまりないって言ってなかった? ほとんどこたつに入ってテレビ見てるって」
「そ、そうですけど」
だって、こたつに入ってみかんやチョコを食べながら、あったかいココアや紅茶を飲んで、面白いテレビ番組を見る。
こんな幸せなこと、なかなかないですよお?
「暇なんだったら、来てみるといいよ。やってるうちに楽しくなるから。あ、ラケットは私のお古あげるよ。今もう4、5本あって、古いの全然使ってないから。ガットも張りなおしといたげるから」
「い、いえ。そんなの悪いですよお」
「気にしない気にしない。若い時の恩はたくさんもらっといて、鈴木が上司になった時に、後輩に返せばいいんだよ。そうやっていい伝統は引き継いでいくもんだよ」
な、なるほどお……そういうものなんですね。上司がおごるって言ったときは素直におごられて、その分後輩に、自分がおごればいいってことですね。
「それじゃ、土曜日8時半に会社前に来てくれれば案内するよ。みさきって自転車もってる?」
「あ、はい」
「いいねえ。それじゃ土曜日8時半、待ってるから」
……え、えと。いつの間にかあたし、テニス行くことになってるの?
「……っと、そろそろ業務時間も終わりだね。それじゃやまもとへレッツゴー!」
「は、はいぃ!」
な、流されすぎな気がする、あたし。
翌日、お酒を飲んだ後……案の定、太りました。現在72.5キロ。スタートの時より太ってる……。
がんばれ、あたし! 燃えろ、脂肪!
上司の誘いをきっぱり断れず、流され続けるとなかなかダイエットなんてできないもんですね……最近の新入社員は、上司と飲みに行くってあまりないそうですから、みさきみたいな心配は必要ないのかも。