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17-7


――結局二冊も買っちゃった……。

 わたしは重くなった手提げ袋を両手で持ちながら、勢いに走った自分を少し後悔した。

 一冊は、この世界のいろんな伝説が載っているというもの。もう一冊は、あの歌の元になったユリアの花の物語だ。

――やっば、早まったぁ。字読めないの忘れてた。

 両方とも子ども向けの絵本なんだけど、魔法話の指環で言葉は分かっても、文字はほとんど理解ゼロだ。帰って荷物からヘクターさんの授業ノートを引っ張り出さないといけないみたい。

 荷物を抱えて広場の方へ戻っていたら、途中でこちらにやってくる真紀とジャムに出くわした。

「理緒子! 来てたんなら、早く声かけてくれればよかったのに」

『だって、さっき来たんだもん。それにあの歌――』

 言いかけたわたしを、ジャムが目顔で止めてくる。

『その話はここではまずい。宿でしようぜ』

 わたしの手をとってその台詞を聞いた真紀が、不満そうな、そして不安そうな顔をした。励ますように、きゅっと手に力を籠める。

『帰ろう、真紀ちゃん』

 宿の前まで来ると、真紀は待ちきれないというように、わたしたちを質問攻めにした。

『どうしたの、いったい? なんでジャムと理緒子が一緒にいるの? 歌ってなに?』

 宿の入り口とは反対の壁際に立ち、真紀が腕組みをしてわたしたちを睨む。

『お店に買い物に行くのに、ジャムに付き合ってもらっただけだよ。真紀はヴェルグとなにしてたの?』

『なにって……あそこにいたら、向こうから声をかけてきたんだよ。で、一緒に歌う流れになって』

『ヴェルグに歌詞、教えてもらったの?』

『教えてくれるわけないじゃん。適当だよ、あんなの』

 やっぱり。わたしはため息をついて言った。

『あの最後の曲の歌詞なんだけど』

『あ、前聞いたのと違ってたよね?』

 本当に耳だけは確かだ。そこでジャムが口を開く。

『あの歌には歌詞がいくつかある。どれもユリアの花にまつわる言い伝えが元になってるが、今さっきのは、そのうちのひとつだ』

『真紀ちゃん。さっきの歌、異界の乙女のことだったんだよ』

『え……』

 わたしが覚えている限りの歌詞を話すと、さすがに真紀は顔色を変えた。

『ごめん、全然気付かなかった。でも、周りの人もなんにも反応なかったよ?』

『ただの古い歌だからな。けど内容が内容だから、神殿が歌うことを禁じてる』

『じゃあヴェルグはあたしのこと知って、わざと――?』

 ジャムは頷かなかったけど、逆にそれが肯定をしているように思えた。

『あの人、何者なの? ジャム、知ってるんでしょう?』

『悪い、嬢ちゃん。それはオレの口からは答えられない。アクィナスの旦那に怒られちまう』

『やっぱりルイスの知り合いなんだ。魔法士?』

『ああ』

『なんで魔法士がシトゥラ持って、あたしたちの周りをうろうろしてんの?』

『すまん。本当にオレからは何も言えないんだ。〝乙女〟だけの問題じゃない。国のことなんでな』

『……フージェ・ハランがらみ?』

『嬢ちゃんの鋭さはときどき怖いな』

 まったくだ。これが恋愛とか、異性問題にもちゃんと働けば問題ないのに。

――ヴェルグの素性も問題だけど、二人で会ってたってことだけでも充分ルイス的には問題なんだけど……気付いてないんだろうな。

 真紀が困り顔で、ズボンのポケットから小銭を取り出した。

『路上ライブ手伝ったから、お小遣い貰ったんだけど、返さないとまずいかな?』

『8ウェン50か。ぼちぼち稼いだな、嬢ちゃん』

『賄賂とかになんない?』

『それくらいは平気だろ。アクィナスの旦那には内緒にしておけよ?』

――うん、ルイスの機嫌が確実に悪くなるからね。

 心の中で大きく同意した。

『で、ジャムはなんで理緒子といたの? 仕事的に隠れてないとまずいんでしょ?』

『ちょっと話があってな。それと、嬢ちゃんの元気の素を持ってきた』

 そう言ってジャムは、『もう起きたかな』と呟きつつ、わたしにしてみせたみたいに外套の合わせ目をそっと持ち上げた。覗き込んだ真紀が、目を真ん丸にする。

 それはジャムの左脇の浅いポケットで、長い耳と縞のある体を丸めていた。

『ミヤウ……?』

 わたしが見たときには眠っていたその生き物は、ぱっと大きな目を開けると、片方の手を曲げた変な格好でジャムの肩にするりとのぼる。黄色と茶色の縞模様が、夕方の光につややかな金属質の光を弾いた。

『これ、ナアカの市場であたしが買った、あの子?』

『そう。大将が心配して、あのあとオレに引き取りに行かせたんだよ。よっぽどあの店主に信用がおけなかったらしいな』

 タクってば本当に心配性だ。つまりジャムに手渡していたのは、ミヤウを引き取りに行くための証文の控えだったということ。

『そうなんだ。怪我はどう?』

 真紀が、ちょうど目線の高さにあるジャムの肩の上で座るミヤウに顔を近づける。あのときはシャーシャー威嚇した野生の生き物は、だけど今回はそこまで怒らずに、尻尾を膨らませてじっとしていた。

 怪我のあった左前足は、血が固まって乾いているようだ。

『さすがにまだ治んないか。でも、元気そうで良かった』

 真紀はさっきからずっと笑顔満開だ。見ているこっちまで嬉しくなる。

『じゃあ、怪我が治るまでジャムが世話をしてくれるの?』

『そのことだが、ちょいと相談だ。嬢ちゃんは、旅から帰ってこの子をどうしたい?』

『どうするって……怪我が治ったら、元いたところに返してあげようと思ってるんだけど』

『そうだな。なにも問題なければ、オレもそれがいいと思う。けど、その後のことを考えたことはあるか?』

『そのあと?』

 ジャムはゆっくりと問いかけながら、真紀になにか別の道を見つけさせようとしているようだった。

『また捕まっちゃうかもってこと? それは、人の来なさそうな山奥に放すしか――』

『こいつの足は、指が欠けてしまっている。たぶん罠にかかったんだろうな。ミヤウは木に登って生活をするから、こいつにとってはかなり不利になる。それでも返すか?』

『そう……言われても』

『こうは思わないか。こいつは他のミヤウよりも弱く、劣っていたから罠にかかった。指がない以上、このさき人に捕まる可能性も大きい。こいつが人の手にかかって死ぬのは、避けられない〝運命〟だってな』

 聞きようによっては、すごく説得力のある言葉だ。わたしが息をひそめて見守る中、真紀はしばらく黙って目を伏せ、おもむろにジャムを見上げた。

『思わない。あたしは、違うと思う』

 力強い声だった。久しぶりに聞く、真紀の迷いのない声。

『避けられない運命なんてないんだよ。運命はね、あたしのところでは〝命を運ぶ〟って書くの。命が運ばれていく道すじが〝運命〟なんだよ。だから、選べるの。自分や他の人の力を借りて、悩んで考えて、選ぶのが運命。

 ジャムが、この子が罠にかかって売られてたことが運命って言うんなら、あたしやジャムと出会ったのだって運命なんだよ。だから、選べばいい。ジャム、その子の言葉分かるんでしょ?』

 一気に言うと、確信をもって訊く。

――言葉が分かる……?

 頭の中で反芻して思い出した。タクの言ってた〝動物と話せる原始型マーレイン〟のこと。

――ひょっとしてジャムって、ものすごく変わった人……?

 ただ単に〝風変わりな〟というだけじゃない。目は金色で、フードから少し見えている髪は目を惹く緋色。そして動物の心が分かるだけじゃない、〝原始〟と呼ばれるマーレインの力。

 あの夜襲ってきた男たちがルイスにした扱いを考えれば、ジャムがどんなふうにこっちの人たちに見られているのか、想像したくないけどできてしまう。きっとジャムがいくら忍者みたいでも、大勢の人の目から逃げ続けるのは無理だ。

――忍者、か。

 思いつきで使っていた言葉が、ここへきてやけに引っかかる。

 本当に、ジャムは忍んで暮らしていたのかもしれない。彼のこれまでの言動、雰囲気、容姿、力なんかがパズルのピースのように組み合わさって、急に現実感のある形を生み出す。

 真紀の質問には答えず、ジャムは首の裏に入り込んだミヤウをそのままに、すっとその場にしゃがんだ。外套をふわりと広げ、左の端を捲りあげる。

 他からは陰になって見えないように差し出されたその左の二の腕には、幅1センチほどの青黒い刺青が五本、腕輪みたいに彫られていた。上のほうにも、その輪は伸びているようだ。

『これは罪人の刺青だ。罪を犯すごとに一本ずつ数が増えてゆき、三本で懲役。五本で国外追放。七本で極刑になる』

 突然のことに、わたしと真紀は声も出ずにお互い寄り添った。ジャムは、元のように腕を外套の下に隠して、低く独白を続ける。

『オレは昔、どうしようもないやつでな。犯罪と名のつくもののたいていのことはやった。一時期は二、三十人を連れて盗賊団なんてものもやったが、結局は捕まってこうだ。

 だが、そのオレの命を大将が救ってくれた。どうせ極刑になるなら、一度死んだ気になって自分の下で働かないかってな――』

 ジャムは右手を伸ばし、空いている真紀の左手をそっととった。

『一昨日の夜、嬢ちゃんは、あの男を極刑にするなと言ったな? そのおかげであいつは命を取られないが、代わりに少なくとも五本以上の印を入れられるはずだ』

 あとから聞いた話によると、神職とか貴族、特にクガイの身分を持つ人や王族に対する罪を犯した人は、最低でも五紋(刺青五つ)なのだそうだ。つまり、今のわたしたちの立場はそれくらいだということでもある。

『刑紋(けいもん)は生涯消せない。それはあいつの犯した罪だから仕方ないことだけど、それでもこの印がある以上、やつは死ぬまで賎民以下の扱いを受け続けるだろう』

 真紀が、わたしたちを襲った男たちの死刑を望まなかったという話は、タクから少し聞いていた。襲われたのは怖かったけど、誰も命を落とさなかったから、それでいいんじゃないかとわたしも単純に思っていた。だけど。

―― 一生差別されつづけるって、どんな感じなんだろう。

 小学校の三年間のいじめだけでも思い出したくもないわたしには、想像もつかない。でも、ジャムは分かってしまうんだ。同じような立場だから。

 沈んだ表情の真紀の手を掴んだまま、ジャムは笑い皺の多い顔で微笑んだ。

『嬢ちゃんのしたことを責めてるわけじゃない。ただ、知っておいたほうがいいと思ってな。他から変な形で耳に入るより先に』

『うん、そのほうがいい。ありがと、ジャム』

『なにも責任をとれと言うんじゃない。ただ、そういうことがあると頭の片隅に入れておいて欲しいんだ』

『ん、覚えとく』

 子どものように素直に頷く真紀に、ジャムも頷き、それから左手でわたしの手を取って重ねるようにした。

『何かを決めるというのは、例えきっかけがどんな軽い思いつきだったとしても、重いもんだ。あの男の刑罰も、このミヤウの命も――異界の乙女という立場も』

 心臓が、一際大きな音をたてた。驚いてジャムを見ると、その金色の目はやさしい光を放つ太陽のように、揺るぎなくわたしたちに注がれていた。

『さっき嬢ちゃんは、運命は選ぶものだと言った。それを忘れないでくれ。自分や他の人の力を借りて、悩んで考えて、選び抜いて――これから二人にしか行けない道を切り開いていくんだ。オレたちは見守ることしかしてやれないが、二人ならきっと出来る。いいな?』

『……うん』

 二人で頷いた。うつむいていたから真紀の顔は見えなかったけど、わたしと同じようにちょっと潤んでいたと思う。ジャムの言葉は、あたたかい水のように心に沁みていった。

 ジャムが、わたしたちの手を離して立ち上がる。

『じゃあ、オレはもう行くよ』

『ジャム、その子のことよろしくね』

『ああ。大事に預かっとくよ。嬢ちゃんたちが聖地から戻る頃には、うまく歩けるようになってるだろうさ。そのとき、また考えようぜ?』

 うん、と真紀が大きく頭を振る。ジャムはうなじの辺りで丸くなって眠そうにしているミヤウを片手で掬うように持ち上げた。大きな手のひらに、すっぽりおさまる。

『そうだ、嬢ちゃん。こいつに名前つけるか?』

『名前?』

『呼ぶのにいるだろう?』

『そっか。じゃあ、えっとぉ……――〝パン〟!』

 悩んだわりに即答された名前に、わたしは全身の力が抜けていくのを感じた。

――真紀ちゃんのネーミングセンスって……。

『……真紀ちゃん、なんで〝パン〟なの?』

『え、〝ジャム〟っていえば〝パン〟じゃない? 色もそんな感じだし』

『だったら、ハニーとかチーズとかクッキーとか、いろいろかわいい名前あるじゃない! なんでそこで〝パン〟を選ぶわけ?』

『なんとなく』

『もー、なんとなくで決めないでよ。普通そこは、いくつか候補を出してその中から選ぶんじゃない!』

――たった今〝決めること〟のイイ話をジャムがしてくれたばっかなのに!

『きなことか小麦とか?』

『なんで粉ものなの』

『マーガリン、バター、カラメル』

『だんだん名前じゃなくなってきた』

『……クロワッサン、バケット、シナモンロール』

 ついにはパン攻めできた真紀を、ちらりと横から睨むと、しゅるしゅると音が鳴りそうな顔でしょぼくれた。しなだれる耳と尻尾が見えそうなくらい。

『うう、だめ。あたし優柔不断だから、こういうのぱっと思いつきでしないと、迷っちゃうんだよ』

 こんな割り切りのいい優柔不断な人、見たことないけど。

 だけど、あんまりに情けなさそうだから、つい『いいよ』と言ってしまった。途端、真紀が元気になる。

『よしっ。おまえの名前は今日から〝パン〟だっ』

 ジャムの手の中の丸い毛玉に、つぷりと指を立てる。

『あ、ずっるい。わたしも触りたいのにぃ』

『へっへー』

 言い合うわたしたちの声に、眠たげなミヤウの緑の眼がうっすらと開いた。ジャムはなにも言わずに、ずっと顔中の笑い皺を増やしている。

 すっかり日も暮れて宿の食堂に入る人が増えていく中、呆れ顔をしたタクが呼びに来るまでのしばらくの間、わたしたちはそんなくだらない応酬でふざけあっていた。



*「刑紋」は造語です。

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