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17-5


 『許しません』とか啖呵切ってみたけど、別になにかしようってわけじゃない。ルイスに言えば文句のひとつでも言ってくれるかもしれないけど、言いつけるみたいで嫌だった。それになんとなく、こんなことでこっちの人たちの手は借りたくない。

 夕飯になっても真紀は沈んだままだ。少しでも話してくれれば状況もはっきりするし、相談にも乗れるんだけど、ぴったりかっちり殻に閉じこもってしまっている。気持ちは分からなくもないんだけど。

 それよりも、落ち込んでいるのが丸分かりなのに、タクもルイスも真紀の『慣れないことをして疲れた』なんて言い訳で納得してしまっているのが歯がゆい。

――なんでそこでちゃんと突っ込んで聞かないのよ。

 他人事なのにイライラしてしまう。たしかにエステ後の真紀は、つやつやぴかぴかで二割増しくらいに大人びて見える。そのうえ物憂げなせいで、男の子っぽい旅の格好なのに艶めいて、まるで別人だ。

――うう、ルイスの鈍感~。

 こういう時にいいとこ見せないでどうするんだと思うけど、言えない。ほんの少しスープを飲んだだけで部屋に引き上げる真紀の背中を見送りながら、わたしは悔しまぎれにお皿の肉の塊にフォークを突き刺した。

『どうかしたのか? リオコ』

『べーつーにー』

 言いつつも、ルイスを睨んでしまう。その質問は真紀にするところなんだってば。

『なんだかすごく責められている気がするんだけど』

『気のせいじゃない?』

 刺々しく返して、目の前のお皿に集中する。

 薄切りにしてあるお肉は、脂身が筋になって入っているのに、しつこくない。塩気が効いてて、炭で燻したような薫りが獣臭さを消している。

――高級ハムみたいだなあ……厚切りベーコンのほうが近いかな。

 お肉の正体が気になってタクに尋ねたら、イーという家畜の塩漬け肉だと言われた。ベクやカケロと一緒によく飼われるその家畜は、一般に広く食べられている種類らしい。

 ネウロやガウルは癖があって、好き嫌いが分かれるんだそうだ。向こうで言うジビエ(狩猟による鳥獣肉)みたいな感じかな。

 味は美味しいんだけど、付け合わせの蒸かし芋といい塩味がベースで、シンプル過ぎて少し飽きがくる。

――ソースとか、もっといろいろあればいいのに。

 些細なことがもどかしい。こんなことで世界の落差を感じて、喉に残った塩味がやけに辛かった。


 異界から来ているわたしができること。それは特別な何かじゃなくて、たとえばタクにぬいぐるみをぶら下げたり服を繕ったり――別の味を試してみたり。そういうこともありなんだと思う。

 翌朝わたしは、まだ寝ている真紀を置いて、一人で一階の食堂に向かった。顔馴染みになった宿の女将さんと挨拶を交わす。

『おはようございます』

『おはようございます。朝食は何にいたしましょうか?』

『えっと、自分で作ってみたいんですけど、いいですか?』

『お嬢様がですか?!』

 貴族のお嬢様設定ってこと、すっかり忘れてた。でもいいや。好きにやらせてもらおう。

『わたしの家では、自分のことは自分でするように躾けられてるんです。ちょっとだけ厨房、借りさせてくださいね』

 わたしは手早く髪を三つ編みにしてゴムで止め、キッチンへ向かった。いきなり入ってきた見知らぬ女の子に料理人のおじさんも驚いていたけど、会釈をしただけで詮索してくるようなことはなかった。

 女将さんが、宿の裏の畑で採れたという野菜類を見せて説明してくれる。こっちの人は、始終気温が高いせいか、傷みやすいので生野菜はあまり食べないのだそう。

 ちょっと緑の濃い小松菜みたいなのや紫の瓢箪型をしたもの。白地に黄色い縞の入った、瓜に似たものもある。

 少しずつかじってみると、小松菜みたいなのはわりとしゃきしゃきして、しっかりしたレタスみたい。紫のやつは、茄子というより皮の固いトマトだ。瓜っぽいのは青臭いカボチャに似ている。あとは大きなラッキョウやエシャロットに似た野菜とか、なんだか分からない赤い固い実。

 香辛料として使う野菜も、いろいろ味見した。厨房にあるものを一通り食べ、わたしは袖まくりをすると、一画を借りて調理をはじめる。

 カケロの卵からボウルに卵黄だけを取り、塩、酢、香辛料と混ぜたあとに食用油を少しずつ加えてとろみを出していく。即席マヨネーズソースだ。それから小松菜っぽい葉っぱを洗って手でちぎり、紫のトマトもどきの皮を剥いて輪切りにした。水気をしっかり切っておく。

 昨日食べたイーの肉の塩漬けを薄くスライスして、フライパンで軽く焦げ目がつくぐらいに焼いた。じゅうっといい匂い。

 本当はサラダサンドみたいに、野菜てんこ盛りの上に薄切り肉をのっけようと思っていたんだけど、思いのほか生で食べられる野菜が少ない。結構どれも固いの。水がないからあんまり丁寧に洗えないしね。

 なので、料理人のおじさんから手のひらサイズの焼きたてパニをもらって、ハンバーガーみたいに順番に挟んで、マヨネーズソースをかけてみた。

『あ、意外にいけるかも』

 不審そうな顔をしてる女将さんとおじさんにもナイフで切って勧めると、おそるおそる食べた後、笑顔で『グレイトだね!』みたいなことを言われた。味は好評みたい。

――うーん、でもマスタード欲しかったなー。

 あのほんの少しピリッとする感じがいいんだよね。いろいろ香辛料を試食したけど、イマイチ近いのがないんだ。ちょっと考えて、ラッキョウもどきをみじん切りにしてマヨネーズに加えてみる。なかなかいい感じだ。

『これだったら鶏のほうがいいかなあ。照り焼きチキンも合いそうなんだよね』

 パニのもちもちした触感と味を確かめ、わたしは一人でぶつぶつ言いながら調理を続ける。

 なんだろこの子?みたいな目で見ていた厨房で働くおじさんたちが、ときどき仕事の合間に覗きに来たけど、気にせず作業続行だ。食へのこだわりは大事だからね。

 慣れない角型の包丁は重いけど、切れ味がすごい。一番小さいのを借りていたわたしは、おじさんにコツを教わりながら、食材と格闘を続けた。

『なかなか上手いじゃないか。慣れてるね』

『お料理、好きなの』

『お嬢さんちは料理人いらずになっちまうなあ』

 調子に乗ってカケロをさばいていたら、女将さんに聞いたのか、タクが厨房に顔を見せた。

『リオコ、なにをやってるんだ?』

 髪を結んで、ついでに借りたバンダナとエプロンまでしているわたしを見て、タクは目を丸くしている。

『お料理してるの。あ、よかったら味見してって』

 調理テーブルの片隅に強引に座らせ、試作品のパニサンドを並べる。

『えっとね、これがBLT風で、こっちが照り焼きチキン風。これがキンピラと牛肉のサンド』

『どれも聞いたことのない料理だな』

 BLTはイーの塩漬け肉と小松菜もどきと紫野菜だし、チキンはカケロの肉。キンピラは縞カボチャと赤い固い実と小松菜もどきの芯の部分を千切りにしたものに、ベクの肉の細切れを合わせて甘辛く炒めて作っている。

『どれが美味しいか、みんなに味見してもらってるの。食べてみて』

 タクは不思議そうに、でも瞬く間に三つのパニサンドを平らげた。すごい食べっぷりで、こっちが気持ちよくなるくらい。指先についたソースを舐め、タクが空になった口を再び開く。

『うん、最初のが一番あっさりしているな。生野菜が肉とよく合う。二番目のものは美味しいが、別に挟んで一緒に食べなくても別々でもいい気がしたな。最後のはぼろぼろ零れて食べにくかったが、味つけが濃くて美味しかった』

 わりと真面目に感想を言ってくれた。びっくりした。どれも美味しいとか、適当にごまかされるかと思ったのに。

『じゃあ、最初のが一番いい?』

『そうだな。野菜がみずみずしくて良かった。軽めだから、俺には食事というよりおやつになりそうだが』

 まあ、三個一気食いしてもけろりとしてるもんね。

『リオコが料理が上手だとは思わなかった』

『上手なわけじゃないんだけど、食いしん坊なの。美味しい料理とか珍しい食材見ると、挑戦したくなるんだよね。今日はちょっと気分転換も兼ねて、早起きしてがんばっちゃった』

『いい腹ごしらえになったよ。ありがとう、美味しかった』

 タクの褒め言葉が、素直に嬉しい。耳たぶが熱くなる。

『真紀ちゃんやルイスにも食べて欲しいな』

『ああ、喜ぶだろうな』

 なんてタクとらぶらぶ(?)な会話をしてるのに、周りではわたしの作ったパニサンドの試食がいろんな人の手を渡って、これはどうやって作るんだとかすごい騒ぎになっている。

――もー外野うるさいし。

 せっかくタクに手料理を食べてもらってうきうきなのに、ゆっくりそんな気分にも浸れない。しかも食堂に来る人が増えはじめたのか、女将さんも手伝いのお姉さんもばたばた走り回っている。苦笑して、タクが席を立った。

『邪魔みたいだから、俺は出るよ』

『わたしもお店を手伝いに行こうかな』

 さりげなくタクを追いかける。厨房と店の間になる陰で彼を呼び止め、ズボンのポケットに入れていたテディベアを差し出す。

『はい、直ったから。今度は汚さないでね?』

『……ありがとう』

 さすがに恥ずかしくて、タクの顔がまともに見れない。下からちらちらと窺ってしまう。顔が赤くなるのを感じながら、彼の腰紐にクマのぬいぐるみをしっかり結えた。

『出発はもうすぐ?』

『いや、たぶん出るなら夕方だ』

『そっか。じゃあお昼と夕飯も頑張って作っちゃおうかな』

『……楽しみにしてる』

 切れ長の瞳をすうと細めて、タクがわたしを見る。心臓がばくんと跳ねた。わたしの間に線を引いてるのに、そんなやさしい目をするなんて反則すぎる。

 胸苦しさをぎゅっと底に沈めて、わたしはなんでもない顔を作った。

『じゃあ、あとでね』

『ああ』


 自分がふらふらしてるのは分かる。わたしは日本人。ここは異世界。タクも異世界の人。

 あちらの世界では、絶対にタクに出会えない。だって騎士だし、剣持ってるし。ルイスなんて魔法士だ。あちらの世界ではそんな人、絶対に存在しない。

 それに、こっちの世界にはテレビもパソコンも携帯電話もない。たとえわたしの周りの人ごとこっちに来ても、きっと生活できない。言葉だって文化だって違う。

 なんて不自然なんだろう。わたしは一人なのに、二つの世界に囚われてる。

――ハーフとかクウォーターの人って、みんなこんな気分になるのかな。

 比べちゃいけないけど、そんなことを考える。国が違うだけなら行ったり来たりすればいいけど、ここではそうはいかない。真紀は『みんなを連れて異界に逃げる』なんて言ってたけど、こっちの人が向こうで普通に生活できるなんて想像もできなかった。

――すごく真面目に考えすぎかな? 悲観的過ぎるのかな?

 わたしは欲張りだ。〝どちらか〟じゃなくて〝どちらも〟を選びたがっている。

 考えないように体を動かす。注文を聞いてメモを取って、テーブルを拭いて、レシピを教えて味をチェックして。中・高と学園祭の模擬店で喫茶をしたから、こういう仕事は多少慣れている。

 わたしの考えたBLTサンドは好評で、試しに店に来た人に出したら飛ぶように売れていった。お肉とパニを焼くだけだから、わりと早くできるしね。

 問題はマヨネーズソース。たくさんはいらないんだけど料理長さんが気に入ったらしく、どんだけっていうくらい卵を割った。大量に余った卵白、どうしよ?

――マカロンにでもするかなあ。

 魚のすり身と合わせてはんぺん、とかも考える。そうこうしているうちに、入れ代わりの激しいお客さんの渦の中にルイスとアマラさんを発見した。

――真紀ちゃんのいないところで、なに迫られてるのよルイス。

 かちんときたけど、二人の間の空気は冷静そのものだ。アマラさんがじゃなくて、ルイスが知らない人でもはっきり分かるくらい、タクが隔てる以上の境界線を引いている。突き放しているって言ってもいいくらい。

――なんでだろう。

 思って、アマラさんの表情を見て気がついた。平然としてる。つまり、これがルイスの本当なんだ。真紀とわたしが、どれくらい彼の懐の内側にいたか思い知った。

『――与えられるものを当然のように受け取る……』

 そんなの気付くはずがない。真紀は最初から、ルイスの内側に守られてきていた。外側の彼を知る機会なんてない。

 ちょっとだけアマラさんの言いたいことが分かった。でも、それはそれ、これはこれだ。

 わたしはできたてのBLTパニサンドをそれぞれお皿に載せて、二人のテーブルに持って行った。

『はい、どうぞ。食べてみて』

『もしかしてリオコが作ったのか?』

 青い目を輝かせてルイスが尋ねる。彼を包む温度が緩む。その様子を、アマラさんが厳しい視線で一瞥した。

『うん、そうなの。結構評判いいんだよ』

『美味しそうだな』

 早速ルイスが手で持ってかぶりつく。わたしはアマラさんの前にもパニサンドを差し出した。

『……これが、わたしの〝普通〟だから』

 その言葉にアマラさんは、どこかは眼差しをやわらかくした。ためらいもなく大きな口でわたしの作ったパニサンドを頬張り、ルイスと同じくらいの速度で食べていく。

『――ごちそうさま』

『はやっ』

 脊髄反射で出た正直な感想に、口元をハンカチで拭い、上品モードに戻ったアマラさんが微笑む。空のお皿を二人分重ねて、はいと手渡してくれた。

 ついっと顔が寄る。薔薇に似た芳香が鼻をくすぐった。

『あなた、昨日よりいい顔してるわ。少しは答え出せた?』

『え……』

『ま、一日じゃ無理か。これだけでも進歩ね』

――もしかして……?

 わたしの胸を形にならない想いがよぎる。

『アマラさん、わたしたちのこと嫌いなんじゃないの?』

『簡単にいい人って思っちゃダメって言ったでしょう?』

 答えにならない言葉を返し、アマラさんは黒紅色の髪をさらりとひるがえした。

『あなたたちはちょっといい子すぎるのよ。少しは他人を思い切り憎んで、嫌えばいいの』

『アマラさん』

『朝ごはん、美味しかったわ』

 背後のルイスに聞かれないようにか、アマラさんは小声で素早くそう言うと、ふり返りもせず立ち去った。わたしの手に百ウェン硬貨を二枚握らせて。



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