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17-4


 初めてエステに行った。いや、エステというか――サウナと垢すりに行ったら、脱毛とマッサージまでついてたというか。そんな感じだ。

 旅のことを考えればそんな悠長なことをしてる場合じゃないんだけど、朝食の時に、めずらしくルイスが休憩をとると言い出したのだ。昨日の夜の騒ぎで、わたしたちを守ってくれている人たちも混乱中だからその体制を整えるためだと説明してくれたけど、半分はわたしたちに気を遣ってくれたんだと思う。

 情けないなあと思うけど、ルイスの顔色もまだ良くなかったし、その言葉に甘えた。

 エステを言い出したのは、真紀曰く〝乙女護衛隊〟の一人のアマラさんだ。ナアカで転びそうになったわたしを助けてくれた彼女は魔法士で、さらにルイスの元婚約者という大人のお姉さんだ。

 気さくで明るくてざっくばらんな雰囲気。目鼻立ちがくっきりしているから、ちょっとの表情がすごく豊かだ。プロポーションもすごいし。

 真紀もけっこう出るとこ出てるけど、アマラさんはなんだか肉食系の色気がむんむんだ。お風呂屋さんではしっかり目の保養をさせてもらった。

 髪から爪の先まで、三人でつるぴかの剥きたて卵みたいな状態でお風呂屋さんを後にする。

『アマラさん、今日はありがとうございました。とっても気持ち良かったです』

『裸で付き合った仲で、堅苦しいこと言わないのよ。敬語を遣わないといけないのは、本当はこっちの方なんだし』

――やっぱりアマラさんにとっても〝異界の乙女〟なんだ。

 少し哀しく思っていたら、アマラさんが歩きながら、わたしの顔を覗き込んで、むにゅっとほっぺをつついてきた。

『せっかくかわいいんだから、暗い顔しないの。今日の努力が台無しよ?』

『……はい』

『ほら敬語。女の武器は笑顔よ。笑って、男どもを鼻で使ってやればいいんだから』

 にっときれいな曲線を描く唇の端が吊り上がる。

 自信に溢れた女性ってかっこいい。わたしには真似できそうにないけど。

『アマラさんは、ルイスに頼まれてここに来たの?』

『いいえ。依頼主という意味では、神殿がらみと言えばいいかしら。根回しはあの男だけどね』

『あの男?』

『レスラーン・カシュゲート。家柄がよくて性格の悪い男が先輩だと、後輩は苦労するのよねぇ。

……あ、別に嫌々来たわけじゃないのよ?』

 レスっていうと、ルイスの同僚だっていうあの笑い上戸っぽい男の人だっけ。さらさら茶髪の爽やか童顔系の彼が根回しとか想像つかないけど、顔がいい=ちょっと危ないが刷り込まれてるわたしは、なんとなく納得した。

『それにね、頼まれたの。あなたをよろしくって、イェドの女性魔法士からね』

『ラクエルから?』

 驚いた。目をまん丸にしたわたしに、アマラさんが悪戯そうに片目を瞑る。

『そう。自分が行けない代わりに、女性の魔法士をどうしてもつけて欲しいって神官長に談判したそうよ。で、白羽の矢が立ったのがわたし』

 そうだったんだ。勝気で心配性で、天都を出るまでずっと傍にいてくれた彼女の顔を思い出す。ずん、と胸が熱くなった。

『大事にされてるわね』

『すごくやさしいの。一緒に来てくれればよかったのに』

『仕方ないわ。彼女は優秀だけど探査に特化した魔法士だから、今回の件には向いてないの』

『そう、なんだ』

『魔法士の力にはそれぞれ特性があるのよ。ルイスみたいに全般を均等にこなせる人は、ほとんどいないわ』

『アマラさんは?』

『わたしは防御。ナアカの店で、わたしが別の人と一緒にいたのを覚えてる?』

 ナアカの店っていうと、ヴェルグのシトゥラを聴いたときだ。そういえばカウンターにそれっぽい人がいたような。でも全然印象にない。

『覚えていなくて当然よ。あそこにいたもう一人のイジーは、探査の中でも隠密の天才なの。彼の素顔を見た者はいないと言われるくらい、隠れるのが上手いのよ』

『じゃあ、ジャムは?』

 その問いに、アマラさんは一瞬きょとんとして、笑い出した。

『彼は魔法士じゃないわ。マーレインだけどね』

 そっか。そういえば昨日タクも部下だって言ってた。だけど隠密とか忍者っていうと、ジャムのほうがそれっぽい気がする。

『イェドのというより、ムシャザの私兵ね。普通ではあまりないけど、彼みたいな存在はこういったときに心強いわね。見た目は怖いけど、信用して大丈夫よ?』

『怖くはないの。ちょっと忍者っぽいなあって思ってたから』

 〝忍者〟という言葉がどう伝わったのか、アマラさんは可笑しそうに笑い声をたてた。

『おもしろいこと考えるわね、あなた』

 笑うたびに洗いたての長い彼女の髪が揺れて、不思議なきらめきを放つ。

 ここの世界の人たちは、ほとんどがぱっと見黒髪黒目なのに、どこか色を含んだような黒色をしている。アマラさんはワインレッド、タクはインディゴブルー。ラクエルはオレンジっぽくて、ヘクターさんは銀鼠色だ。

 本当の漆黒というと、アル王子と王様くらい。こっちの太陽が何か違うのかと鏡で自分を見てみたけど、わたしの猫毛はいつもどおりのコーヒーブラウンだった。

――色素とかが違うのかなあ。

 真紀みたいなことを考える。ジャムの目は金色だし、わたしのいた世界の感覚で判断するのは危険だ。

 黒の中にまるでロードライト・ガーネットを砕いてまぶしたような髪は、高い位置でポニーテールにしてあるのに腰まで届いて、彼女が動くたびにふわりさらりと揺れ動く。華やかだけど颯爽としているアマラさんに、すごくよく似合っている。

『あなたが〝乙女〟で良かったわ。リオコ』

 唐突にアマラさんが言い出す。

『高飛車で鼻持ちならない女が来たら、どうしようかと思ってたの。いい子で良かった』

『そう……かな。あんまり〝乙女〟とか、考えないようにしてて』

『自信がない?』

『うん。だって、わたし本当に……普通の、子だから』

 下を向き、抱えていた苦いものを零すようにそう呟く。女同士だからかな。普段はあまり口にしない弱音が出る。

 アマラさんが黙った。真紀はめずらしくわたしと手を繋がずに、一人後ろでぼんやり街の様子を見ながら歩いている。

『――〝普通〟って、なにかしらね』

 ぽつりと、前を見たままアマラさんが言う。わたしは顔を上げた。

『わたしからすれば、今の状況は充分〝異常〟だわ。この世界が乾くのは予想していたこと。だけど〝異界から渡り人が来る〟というのは願いでありこそすれ、予測の範疇に入っていなかったことなの。今も魔法士のほとんどが〝異界の扉はない〟と信じているわ。それが、この世界の〝普通〟』

『アマラさんは、わたしと真紀が異界から来たって信じてるの?』

『その質問は微妙ね。真面目に答えると、信じたいけど迷っている、というのが本当のところ。あなたたち二人を見る限り、他人を騙して何かするようには見えないし、あなたたちを連れて来た人たちも、そういった損得を図る人じゃないってことは分かるわ。そして……』

 アマラさんは言葉を切り、その大きな猫みたいな瞳でじっとわたしを見た。

『わたしが今まで経験した中で、あなたたちのような存在は視たことがないわ。だけど、どれもわたし個人の経験と感覚からきている以上、客観的な判断材料にはならないの。だから、信じているとは言えないわ。ごめんなさい』

――視たことがない?

 もの珍しいという話ではないのだと、直感で悟る。

『どんなふうに視えるの?』

『魔法士の視覚を言葉で説明するのは難しいわね。理律と天律があることは知ってる?』

『うん。ラクエルから聞いた』

『簡単に言ってしまうと、あなたたちはこの世界の理律とは異なる何かが働いているように視えるの。不自然に浮いて感じると言えばいいかしら』

『じゃあマーレインの人は、みんな分かっちゃうのかな』

『それはどうかしら。〝視る〟力をもつものは限られるから。魔法士長さまにはお会いした?』

『ううん』

『そう。今の状況では仕方ないわね。彼の眼は〝天嶮の巨人〟に匹敵すると言われるの。ひょっとしたらあなたたちを視て、彼なら何か分かるかもしれないと期待したんだけど』

『てんけんのきょじん?』

『教えてもらってない? 北方に住む巨人族ダイダロッドのこと。彼らは風の声で話し、現在・過去・未来、万里を視通す一つ目をもつと言われるのよ』

『ひ、一つ目巨人?』

 そんなのがいるんだ。さすが異世界、とか納得してもいいのかな。

『タクより大きいの?』

『彼の身長はだいたい6シェク半よね。……そうね、見たものの話では8ケーンとも10ケーンとも言うから、彼はダイダロッドの手の平くらいの大きさになるのかしら』

『うわぁ』

 タクの身長は、わたしの感覚で190センチくらい。こっちの世界の単位は細かすぎて覚えられないけど、とりあえずとんでもない巨人ってことだけは分かった。

『アマラさんは、わたしたちを信じてないのに守ってくれるの?』

『魔法士としては、この状況はとても興味深いもの。参加できて光栄だわ。それにわたし、一度引き受けたことはやり抜きたい性質(たち)なの』

『アマラさん……強いんだね』

『褒めてるの、それ?』

『うん、もちろん』

 大きくかぶりを振って頷くと、アマラさんはふんわりした唇の端を持ち上げて、ありがと、と微笑した。

『だけど、あんまりいい人だと思わないほうがいいわよ』

『え?』

『今日あなたたちを連れ出したのは、単に気晴らしをして欲しかっただけだと思う?』

 すうっと背中が冷える。心の中で、ぱちりとなにかが音を立てて符合した気がした。

『〝視た〟かったのよ、あなたたちをじっくりとね』

 ふり向いて、この推測を確信に変えたい。だけど確信に変わるのが怖くて、彼女にわたしが気付いたことを気付かれるのが怖くて、体がこわばる。

『真紀ちゃんに……なにした、の』

『話をしただけよ。わたし、与えられるものを当然のように受け取る女って嫌いなの』

――与え……られる? 受け取る?

 その言葉が、物理的な衝撃でわたしの頭をがんがんと駆け巡る。

 与えられている? 真紀が――わたしたちが?

――冗談やめてよ。

 めらりと心で何かが湧き立つ。

 わたしたちは与えられてなんかいない。恵まれているし、たくさんの人に助けられている。それは認める。

 だけど、住んでいた世界から家族から友人から、いきなり引き離されてここへ来たのだ。今の〝乙女〟扱いと前の世界の大切なものを比べたら、圧倒的に天秤は後者に傾く。タクは好きだけど、思い出や絆の数は比べものになんてならない。

――ああ、わたし全然この世界に馴染んでなんてないんだ。

 そのことが今は、少しだけ嬉しい。

 わたしは胸を張って言えばいいんだ――〝異界の人間です〟と。引け目に思うこともすまなく感じることもないんだ。

 変えようのない事実を正面から認めること。わたしに足りなかったのはそれなんだ。

『アマラさん』

 呼びかける声は落ち着いている。だって、小学校時代の執拗な嫌がらせに比べれば、これくらいかわいいものだもの。

『アマラさんは素敵な人だと思う。美人だしスタイルもいいし、女の魔法士ってかっこいいし。わたしたちを守ってくれて、すごくありがたいし。でも』

 息を切り、すうと吸い込む。アマラさんはどこか不審そうに、こちらの言葉を待っている。

『わたし、あなたのことは好きになれないと思う。これ以上わたしや真紀になにかしてきたら、わたしはあなたを許しません。覚えておいてください』

 言い切ったわたしの胸の中は、これ以上ないくらい澄みわたっていた。



ロードライト・ガーネット…ガーネット(柘榴石)の中でも紫味を帯びた赤い石。

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